明日で3月が終わる。2月にあった、もう一つのうれしい出来事のことを書いておこう。自宅から車で約10分、普段利用している二丈館(ほんとうは二丈図書館といいたいところだが、糸島市には本館の他、もう一つの分館、志摩館がある。)では、いつも制限いっぱい10冊までの本をリクエストしている。予約・リクエストしていてありがたいのは、本が用意できると、すぐにメールで知らせてもらえることだ。
これまで二丈館で利用してきた本の大部分がリクエストをした本だ。たとえば3冊の本が用意されると、すぐに3冊リクエストをしている。リクエストする本のほとんどが図書館で所蔵していない本なので、用意された本は、図書館で新たに購入したものか、他の図書館から相互貸借により借りて頂いたものだ。
リクエストの本を借りに行った2月のある日、カウンターで係の人から「この本は、・・・日までに返却してください」と、返却日を指定して言われた。通常の2週間の貸出期間より短いようだった。どうしてだろうと、相互貸借の本にいつもかけられるカバーをはずして見ると、その本の裏表紙だったかに、堺市立中央図書館と記されたバーコードが貼ってあり、同館の住所と電話番号も記されていた。
ワーっと思わず小さな声をあげていた。「ヤット、来タ! 市民は読みたい本、必要とする本を、だれでも借りれるんだ、ほんとうに。」(心の中でつぶやいていた。)
糸島市立図書館での相互貸借=市外の図書館との本の貸し借り・・・これまでは
糸島市の図書館では、昨年の3月末まで、リクエストされた本で、相互貸借で他館から借りるのは、福岡県内の図書館と国立国会図書館の本に限られていた。県外の図書館からの借受けは、予算がない、切手代がないことを理由にできないでいた。
このため、昨年1月の市長選挙の時に、糸島市の図書館を考える市民の会が、市長選挙に立候補したお2人に、公開質問状を提出。『糸島市立図書館のサービス基本計画』の中の「サービス方針」の第1に掲げている「糸島市立図書館は、いつでも、どこでも、だれでも、どんな資料でも提供するをモットーに」とあるが、「なんでも」については、「現在、糸島市の図書館では、他館からの借用は、県内の図書館と国立国会図書館からに限られています。これについてはどのようにお考えですか。」と質問したのに対し、
当選した現、月形市長の回答は、『「なんでも」の観点から、借りれるように予算措置をする。』であった。こうして昨年の4月から、県外の図書館との相互貸借が実現していた経過があり、私が堺市立中央図書館の本を手にすることができたのだった。
日本で最初にリクエス・サービスを始めたのは
かつて高知市民図書館が掲げていた図書館のスローガン(目標)「いつでも」「どこでも」「だれでも」に「なんでも」を加えて、日本で初めてリクエスト・サービスを始めたのは、1965年に開館した東京の日野市立図書館だ。1台の移動図書館「ひまわり」号の運行開始から始められた日野市立図書館の実践は、これより後の日本の「公共図書館の理念と活動に大転換を与え」、今日の図書館の活動の源流となっている。
1965年に日本で初めて日野市立図書館がリクエスト・サービスを始めてから実に54年後に糸島市図書館でようやく実現したことになる。なぜ50年をこえることになってしまったのだろう。そのことを問うことは、今これからの糸島市の図書館を考える上で大切な要点だと思う。そのことについては次回のブログで考えてみたい。
最後に堺市立図書館から届いた『歌集 褐色のライチ』(鷲尾三枝子 短歌研究社 平成30.1.18)からノートに書き写した短歌の中から、そのいくつかを記しておきたい。
(ライチをむけば)
・話したき言葉あふれる黄昏の身体(からだ)のままに引きかえしたり
・うつし世の日々ふかくなる嘆き聴くもも色の耳角度かえつつ
・素数のごとく雲はぐれる秋はきて自死三万を超すという国
(夢の島と猫) 《猫と著者に従いて夢の島へ》
・ふっくらと太りたる猫五、六匹先達として夢の島をゆく
・この冬を生まれし子猫か従きて鳴くなにもないよと両手をひろげる
・展示館へは一本の道ユーカリやくぬぎ戦げど人に遇わざり
・身体(からだ)張りひっそりと在り五十年第五福竜丸に会いに行く
・福竜丸は海恋しいとマリーナの港の響きににおい立つかも
・晒さるる船のいたみよそっと手をのばし木肌の船底に触る
当時二十ハ歳だった見崎(みさき)吉勇漁労長、入院中の手記。
二〇一六年、九十歳にて死去。
・包装紙の裏に書かれし闘病記三メートルのその強き文字
・闘病の手記の一行立ち上がる「人間はいつまでたっても満足しないだろう」
・張られたる福竜丸の大漁旗らんぬなれども色あせぬ朱
・ささやくように子に語りいる母若くわれと三人だけの展示館
・夕光が斜めに照らす足もとをモノクロの葉書かいて出でたり
・友からのメールは3・21のデモを知らせる行かんと約す
・往きに見し青猫いまだ瞑目すオオタニワタリの緑の真下
・無残に着られしアメリカデイゴのごつごつをのがれるように鳥が飛び立つ
・振り向けば長きわが影踏むように猫のつきくる お別れをせり
「あとがき」より
本集は『まっすぐな雨』につづく第三歌集、二〇〇四年春から二〇一四年秋までの作品、五十代半ばから六十代半ばまで。
《二〇一四年二月十日、夫急逝(歌集の準備にとりかかっているさなか)。草稿に目をとおし、簡単な感想と「構成をもう少し考えて、入れ替えをしたらもう一度見るよ」というアドバイスをくれたのが二月九日、なくなる前夜のことでした。全く予想もしない死でした。現実が、実感の遠いところでどんどん過ぎていくような数年でした。四年近くが経ってしまいましたが、当初まとめていたⅣ章までの作品に、挽歌としてⅤ章を加え、四四六首を『褐色のライチ』といたしました。 (略)
この数年の苦しい時間を、短歌は寄り添うように傍らにあったと実感しています。歌は思っていたよりずっとつよく私を支えてくれるものでした。 (略)
二〇一七年10月末日 鷲尾三枝子 》
五首追記
・雪は消えいつもの街にもどりたり あなたのいない街になりたり
・きみがもうこの世にいない理不尽がかたまりのようにのみどをふたぐ
(体温)
・老いたりし猫かもしれぬふりかえる眼の奥の白濁ふかし
・たましいをかんがえるのはずっとさき写真のまえにまた座るなり
・かたわらにありし体温おもいつつ金曜のデモに行かんとおもう
言葉のリレー・・・『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』
絵。ベン・シャーン 構成・文 アーサー・ビナード
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