2019年6月30日日曜日

『本を選ぶ』に投稿「いつでも、どこでも、だれにでも、なんでも」,夏葉社のことなど No.29

埼玉県蕨市にある株式会ライブラリー・アド・サービスが毎月、発行している『本を選ぶ』に原稿の依頼があり、一昨年2017年の11月号から5回にわたって投稿した。ブログ
での公開の了解をいただいたので、以下に掲載し、関連することについて書いていきます。   
 
 ・本を選ぶ390号 


同社の創業は1985年3月、"本を選ぶ"は創業時から発行されている。34年の歩みだ。公立図書館約2,050館、大学図書館約1,000館に配布されている。最新のバックナンバーは
http://www.las2005.com  で読むことができる。

1985年といえば、私が図書館としては3館目となる、博多駅近くの財団法人の232㎡の小さな図書室で働き始めて6年目のことだ。

(千葉県八千代市立図書館1972.4~1974.3、福岡市民図書館1976.7~1979.3〈嘱託〉、財団法人博多駅地区区画整理記念会館1979.4~1988.11、福岡県苅田町立図書館1988.12~1995.3:滋賀県能登川町立図書館・博物館1995.4~2006.1〈合併により東近江市立能登川図書館・博物館~2007.3)

 "本を選ぶ"というのは、図書館の仕事の中でももっとも大切なことであるが、1980年台の半ばからそれを誌名に掲げ、幅広く”本を選ぶ”に関わる紙面を作り続けてきた同社の先駆性と息の長い継続性を思う。出版社や教員、図書館員(現職・元)、図書館友の会など、広い分野の本に関わる人たちが執筆している。図書館開設に当たった図書館員のレポートもあったりして、各地の図書館づくりの状況を知らせるものでもあった。

私にとっての第1回目は、"いつでも、どこでも、だれでも、なんでも"とした。何回書くことになるかわからなかったが、今私にとって最も切実な課題で、2回目以降は、〈だれでも〉〈どこでも〉は今、どうなっているか。〈なんでも〉はどうなっているかを順次書いていければとぼんやりと思っていた。実際には最初の原稿を送信したあと、編者の尾山さんとのやりとりから違う内容になったしまったのだが、私にとっては、今これからとりかかることを、改めて明確に意識する機会となった。

また、"いつでも、どこでも、だれでも、なんでも"を夏葉社発行の『小さなユリと』(黒田三郎)から書き始めているように、東京、吉祥寺の古本屋で手にした復刻版の『小さなユリと』から広がった世界は思いもよらないものだった。その間の経緯については、"図書館の風"No.24 (犬も歩けば)で記しているが、夏葉社に関わる箇所を以下に再録します。


夏葉社のこと        

4つの出版社のうち、夏葉社だけは、私が図書館を退職した2年後の2009年から始められた出版社で、私は夏葉社と言う出版社が新しく始められたことを全く知らずにいた。2014(平成26)年だったか、東京に出かける機会があり、用件を終えてたまたま入った吉祥寺の古本屋で、1冊の本と出会った。子どもが描いたと思われる表紙の絵(父親を描いたのだろうか)が目にとまり、思わず手にしたのだが、それが黒田三郎の『小さなユリと』(1960 昭森社版 復刻)であることに驚き、早速買い求めた。本の代金を支払う時、若い店主と思われる女性が「その本を出版した夏葉社さんは近くにありますよ」と教えてくれた。

『詩集 小さなユリと』黒田三郎 1960 昭森社版・復刻/夏葉社 2015.5
私にとっては初めて聞く出版社の名前だった。その日は時間がなくそのまま帰ってきたのだが、その時他日、夏葉社を訪ねることになろうとは思ってもみないことだった。
東京から帰ってきてから程なく、夏葉社を始めた島田純一郎さんの初めての本、『あしたから出版社』(晶文社、2014:”就職しないで生きるには”21)を手にし、一気に読み終えた。

2008年4月、小さい子どもの時から親しくしてきた、半年しか違わない従兄が事故のため急死する。悲しみのなかにいる「叔父と叔母のためになにができるか。心当たりは一つだけあるのだった。」それは従兄が亡くなったばかりのころ、定職のない31歳の著者が「読んでいた本の中でであった一篇の詩だった。」
「ぼくは、あの一篇の詩を、本にして、それを叔父と叔母にプレゼントしようと思った。そのことを手がかりに未来を切り開いていきたいと思った。」
出版の経験などまるでなかった。

届けたいのは、「作者は聞いたこともない100年前のイギリスの神学者、子どもを失った父親が、異国の地でこの詩に偶然出会い、そして、自分自身のために訳していた」ものだった。

問題は
「詩は42行、A4の紙一枚におさまる」という分量、その短さだった。「それをわざわざ一冊の本に仕立てたいというのは、本という「物」に対する愛着ゆえだった。」
どうする、この短い行数の詩で、ほんとうに一冊の本ができるのか。

著者が敬愛する宮崎駿監督の言葉が頭に浮かぶ。「求めているものが見つからないときは「半径3メートル」のなかで探すのがいい。」「ぼくはその言葉が好きだった。」
読者である私も、”なるほどそうか、そうだとぼくも思う”と深く共感しながら、著者の後を追う。少しどきどきしながら。

さらに著者は小説を書くときに恩師が教えてくれた言葉を思いだす。
「いいアイディアがなにも思いつかないときは、自分がこれまでかかわってきたもの、夢中になっていたものを思いだすことのほうがいい、それ以外のものは、たいてい付け焼刃にしかならない。」

こうして著者は部屋の中、著者から3メートル以内の中から一冊の本を見つける。『ノーラ12歳の秋』。そこにイラストを描いていた高橋和枝さんのものを見て、この人だと思う。もちろん、高橋さんと面識があるわけではない。
それから「詩とイラストが響き合う」一冊の本が生まれいづるまでのことは、実際にこの本を手にしてほしい。

和田誠さんの本ををつくりたい。面識があるわけではない。手紙を書く。心こめて。2日間かけて。電話をする。
著者のあとを追う読者は、どきどきしながら一冊一冊の本の誕生に立ち会うことになる。一冊一冊がゼロからのスタートであることに驚きながら。

島田さん、そして夏葉社の本づくりは何よりまず手渡したい人に、その人のための本を出版すること。1万人、10万人のための本ではなく、具体的な1人のための本づくりから始まった。その思いの直截さ、その思いを一つ一つ形にしていく姿勢に驚かされる。そして、そこから出版され始めた一冊一冊の本のなんと面白いこと!心嬉しくなる、心はずむ新刊の一冊一冊を、風信子文庫の出前先で手にすることができる有り難さ!

『あしたから出版社』島田潤一郎 晶文社

2016年の夏、夏葉社から『移動図書館ひまわり号』(前川恒雄)の復刻版が出版されると知って驚いた。この本が絶版になっていることを知らなかった。1988年4月に筑摩書房から出版された時、すぐに買い求め、折りに触れ何度も読んできた本だ。1965年に1台の移動図書館ひまわり号で日野市立図書館を始め、7つの分館をつくり、それから中央館を建てて、全域サービスを実現するとともに、日本で初めてリクエスト・サービスを実施して、以後の日本の公立図書館の道を切りひらいた活動を生き生きと伝える実践の書だ。

『移動図書館ひまわり号』/左側:夏葉社・復刊本、帯の背に「図書館革命の記録」
右側:筑摩書房 1988年


『2001年 われらの図書館 ―ーすべての福岡市民が図書館を身近なものとするために――』
(福岡の図書館を考える会 1988年1月24日)冊子のタイトルは、前川恒雄氏の『われらの図書館』
(筑摩書房・1987)を念頭に、新しい世紀を迎える2001年には、市民が願う図書日づくりの歩みが
始まっていますようにとの思いをこめて決めた。前川さんの著書からは、深い元気を手渡され続けてきた。

〈1987年に福岡市で活動を始めた”福岡の図書館を考える会”のチラシ〉T・Y作成

日本の図書館がどのように作られてきたか、図書館員の多くが今、アタリマエのこととして行っている図書館サービスの仕事が、どのようにして始められたか。
「いつでも どこでも だれでも なんでも」のスローガンを掲げ、その実現に力をつくしてきた図書館を創りだし、生み出してきたものは何か。リクエストや全域サービスはどのように始められたか。
図書館はだれのためのものか、何をするところか。「地域に図書館があるとはどういうことか」、私にとって何より切実な問いに応えてくれる数少ない本のうちの一冊だ。

この復刊本を買うのは夏葉社でとの思いが浮かんでいた。8月に東京に出かける所用があり、その時にと考えた。2016年8月23日、夏空のもと、目白から吉祥寺に向かい、吉祥寺の図書館に立ち寄ってから、11時頃夏葉社を訪ねた。

事前に何の連絡もせず、いきなりの訪問だった。夏葉社に着いたら不在、あきらめて帰ろうとしている所に島田潤一郎さんがやってこられた。室内に招き入れられ、1時間半近く話しこむ。島田さんの貴重な時間をいただいてしまった。静かで清楚な室内の一角には書棚があり、夏葉社から生まれる本の源泉かとも思われた。新しいいのちが生まれる何か修道院の工房にいるような静かな時間を授かった。

辞する時に、『移動図書館ひまわり号』を買い求めようとしたら、「京都の誠光社とともに、一番、注目されている、Title」を紹介してくださり、本屋への行き方を教えてくださった。2015年11月、京都、河原町丸太町に開店した誠光社のことでは、同店を始めた堀部篤史さんが、それ以前に店長として働いていた、恵文社一乗寺店には、私が滋賀の図書館にいた時、寺町二条にある3月書房と共によく通っていた。恵文社の棚の前に立っては、一冊一冊その品揃えに感心しきりだった。いつ行っても自分の図書館にはない、「あれもない、これもない」面白そうな本があって、眼を見開かされる書棚だった。誠光社には福岡から京都に出かける際に、何度か立ち寄り、書棚の本の魅力はもとより、お店のレジ前の小さな壁面をつかっての展示の内容の面白さ、すさまじさに驚かされた。

島田さんに教えていただいた荻窪、八丁交差点の近くにある本屋Tittleを訪ねることができたのは、思いもよらぬプレゼントを授かった思いがした。誠光社とはちがう、しかし一冊一冊が呼びかけてくる本がどの棚にもあった。ああ、こんな本屋さんが近くにあるといいなとの思い。
【福岡市内には、キューブリックという心弾む本屋があるが(警固、箱崎)、自宅からは車で30~40分、箱崎店は都市高速を使っての時間。箱崎店では、2回のパンづくりをしているスペースで面白い企画を次々にやっていて、5月10日の夜7時からは若松英輔さんの講演があり、なんとか駆けつける事ができた。】

Titleを訪ねた日には2階のギャラリーでは、何も行われていなかったが、本屋にギャラリーという場があると、そこがその地域での新たなこの上ない出会いの場となると思われ、店の(活動)の広がりが感じられた。どんな場が生まれていくか楽しみだ。
【そのことを早くも知らせてくれたのが、店主の辻山良雄さんとnakabanさんの新著
『言葉の生まれる景色』(ナナロク社)だ。Title の2階ギャラリーで始まった同書の「原画展」が、現在、全国で巡回展示中だとのこと。『365日のほん』(辻山良雄、河出書
房新社)とともに面白く読んだ。】残念だったのは、時間がなくて、1階の奥にあるカフェに行けなかったことだ。




驚きはまだ続いた。滋賀の友人から一枚のチラシが送られてきた。
『 のバトンをつなぐ 前川恒雄「移動図書館ひまわり号」復刊記念のつどい』
2016年9月2日(金)PM2時~5時
◆第1部 『移動図書館ひまわり号』でつなう対談
     前川恒雄さん(元滋賀県立図書館長)✕ 島田潤一郎さん(夏葉社代表)
◆第2部 島田さんを囲んで、フリートーク
・会場 草津市立市民交流プラザ大会議室
・主催 滋賀の図書館を考える会

滋賀の友人から送られてきたチラシ
これはもう、行くしかない。博多駅前から京都行きの夜行バスで駈けつけることになった。うれしい時間と懐かしい出会いを授かった。

「志のバトンをつなぐ」2016.9.2
前川恒雄『移動図書館ひまわり号』復刊記念のつどい※記録・滋賀の図書館を考える会
『点』第10号‥2016.12.25 滋賀の図書館を考える会・編集発行
夏葉社の本では、どの本もその装丁に驚くのだが、昨年出版された『庄野潤三の本 山の家の本』は、まずその装丁が美しい。書店の店頭で、「山の上の家」というタイトルと表紙の静かな書斎の佇まいの写真に惹かれて思わず手にした本が夏葉社のほんだった。手にしてうれしくなる本だ。



ページをめくり、庄野潤三を初めて読む人へのこの上ない本となっていること、その編集の力に眼を見張った。巻頭の佐伯一麦さんの寄稿に続き、選びぬかれた庄野潤三の五つの随筆、短編なのですぐに読める。それに「子どもたちが綴る父のこと」(長男、長女のエッセイ)、「庄野潤三を読む」では岡崎武志さんのエッセイ。

「全著作案内」では、宇田智子、北条一浩、島田純一郎、上坪祐介の各氏の文章、宇田さんは沖縄の那覇の牧志の市場の向かいで、ウララという小さな古本屋をしている人だ。何年か前、福岡市内の欅通りで、毎年秋に開かれている「ブックオカ」のイベントに来られていたとき、お話を聞き、路上の一箱古本市のお店で本を買ったことがある。島田さんが、この人だと選んだ人だと思われるが、島田さんを含めて4人で書かれているのが面白い。その他に、「単行本未収録作品」。

山の上の家の写真がとてもいい。山の上の家での、ときの気配が伝わってくるようだ。この本の大きさがいい。手にすることがうれしい判型の扉を開くと、山の上の家で時間をかけて育まれた豊かなものが、立ち現れてくる。
                   【以上、「図書館の風」No.24より】 
 夏葉社 natsuhasya.com

夏葉社;ホームページより
”夏葉社は1万人、10万人の読者のためにではなく、具体的なひとりの読者のために、本を作っていきたいと考えています。マーケティングとかではなく。まだ見ぬ読者とかでもなく。いま生活をしている、都市の、海辺の、山間の、ひとりの読者が何度も読み返してくれるような本を作り続けていくことが、小社の目的です。”







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