福岡市に10館ある分館の1つである福岡市中央図書館と福岡市立中央市民センターの共催、主催は福岡市総合図書館(福岡市の図書館の中央館・本館)とチラシにあった。参加希望者は往復はがきで(2名まで)申しこむことになっていて、福岡市の友人が入場券が入手できたからと誘ってくれたのだった。 集いの名前は、”中村哲氏が築いたもの 受け継がれていくもの ~アフガニスタンにおけるPMS(平和医療団・日本)・ペシャワール会の活動~”という長いものであったが、そこには、この集いの実現に力をつくした、中央図書館(正規職員は0)の嘱託職員の司書の方たちの熱い思いがこめられているように思わ
れた。
会場の入り口では、中村さんの著書も販売されていて、ペシャワール会の会員の方たちが何人もが、書籍の販売だけではなく、この集いのために協力されていることが伺われた。また、会場の整理には中央図書館だけではなく、市内の他の分館からかけつけた嘱託職員の司書の方たちも当たっていて、資料やマスクなどの配布をされていた。
中央図書館の職員の方の司会のもと、総合図書館の館長の挨拶から始まった。福岡市総合図書館を会場に1月7日から1月30日まで、PMS(Peace Japan Medical services 中村医師が総院長を務める現地事業体)とペシャワール会の活動を紹介するパネル展示を行っていて、今日がその最終日であったが、期間中に1万5千人もの人が訪れ、あらためて中村哲氏への思いの深さを肌に感じたこと、図書館には中村氏の思いを伝える資料があること、そして中村氏が亡くなった12月4日は人権週間の始まりの日であったことに触れて、今日までであったパネル展示を2月26日まで延期するとともに、毎年、展示をすることにしたと述べられた。図書館は信頼できる情報を適切に提供するところだと・・・。
籾井孝文さん(PMS・ペシャワール会支援室)の報告と上映、そして質疑
スクリーンに現れる中村さんや現地での活動を紹介する若い籾井さんの語りのなかに、中村哲さんが立ち現れてくるように思われた。現地で中村さんと行動した彼の中に、中村さんが生きていることが感じられた。
2本の上映、「本編」 用水路が運ぶ恵みと平和 2002-15と「技術編」灌漑方式、(それぞれ30分)は実に見ごたえのある内容だった。随所にハッとする、中村さんの姿、言葉、現地の人とのやりとり、活動の様子が映し出され、中村さんと対面する時間を授かった。山田堰との出会いがどのようなものであったか、深い感銘とともに画面を注視した。
中村哲さんの講演会や現地報告会の場にいて、いつも驚かされたのは、中村さんのお話の内容、その語り口はもとよりのことであったが、会場での質疑の時間だった。会場からの一人一人からの質問に、ほんとうに真向かいに、真摯に、そして深いユーモアをもって応えておられた。
会場でのやりとり(質疑の時間)を大切にする、中村さんが培い育んできた流儀が、籾井さんに引き継がれていることを目の当たりにした。
問1:中村さんは(堰のこと、重機など)どこで技術を学んだのか。
籾井:独学で。重機も。”議論は必要ない。ただ、やるだけ。”
問2:現地の日本人スタッフは?
籾井:現在は0。4名がスタンバイしている。(いつでも行けるように)
(日本人がいなくても、継続は可能か)
問3①1何ができるか。②日本にいるものができることは?
籾井:①ボランティア、今も募集している。作業はいっぱいある。②ぜひ会員に。
問4:偉業は残っていくか。
籾井:村上優会長が、事業を継続していくと表明している。
中村医師の言葉で好きなコトバ;
”困っている人がいたら それを助けるのは当たり前”” (引き継ぐべき精神)
あらかじめ質問用紙が会場で配られていて、その中から選んで回答、回答できなかった質問に対しては、後日ペシャワール会のメッセージボードに掲載するとのこと。
最後に司会者より案内が3つ。
1.ペシャワール会の会員募集。
2、上映会、写真展の募集。
3、「アフガン大地計画」パネル展示;期間2月26日まで延長。
この集いに誘ってくれた友人と、まずそれぞれの場所での上映会をと話して会場を後にした。
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