2007年から糸島に移り住み、思いを同じくする人たちと「としょかんのたね・二丈」を始め、志摩地区の「みんなの図書館つくろう会」、二丈深江地区の「糸島くらしと図書館」の人たちと共に、糸島のより良い図書館づくりを目指して活動してきた。「糸島の図書館は今、どうなっているのか」、糸島図書館事情を発信し、市民と共に育つ糸島市の図書館を考えていきたい。糸島市の図書館のあり方と深く関わる、隣接する福岡市や県内外の図書館についても共に考えていきます。
2022年12月5日月曜日
中村秋子さん、「父 中村哲のこと」 No.106
毎日新聞の12月4日の朝刊の2面の「みんなの広場 日曜版」に、大きな横見出しで、
《中村哲医師、共に在り》と題された紙面があり、リードの文章は「12月4日は3年前、アフガ二スタンで医療・農業支援活動中、凶弾に倒れた中村哲医師の命日です。35年にわたる活動や言葉に励まされた人々の投稿を紹介します。」と書かれ、5人の投稿者の文章が掲載されていた。
①『自分に厳しい「優しさ」(ペシャワール会会員59・大阪府)』、②『先生への「ありがとう」(小学6年11・大阪府)』、③『学び多い珠玉の言葉(元団体職員72・福岡県)』、④『平和の原点 私は伝える(元会社員89・福岡県)』、⑤『家族がつづった父の顔(無職69・大阪府)』
一人ひとりそれぞれの心に刻まれた中村さんの生き方や言葉に心動かされながら一つずつ読んでいて、最期の⑤の投稿をみて驚いた。
投稿した女性の書き出しはこうだ。「病気療養中の友人に何かできることはないかと考え、小冊子「抜粋(ばっすい)のつづり」(クマヒラ・ホールディングス発行)を送ってもらうことを思いつきました。今年初めの「その八十一」には「父 中村哲のこと」と題した長女秋子さんのエッセイが載っていました。」
驚いたのは「抜粋のつづり その八十一」のことだ。縦17.5、横12.5センチの小さな冊子を私も持っている。「抜粋のつづり」を教えてくださったのは、知人で近所にお住いの波多江一正さんだ。波多江さんは、二丈町議、糸島市議会議員の時に議会で20数回続けて、図書館についての一般質問を行い、糸島の図書館づくりでとても大きな働きをされた方だ。その波多江さんから、面白い冊子があり、申し込めば無料で送られてくると聞いて、今年の初めから読み始めていたのだ「その八十一」の「はしがき」によれば、「抜粋のつづり」の創刊は何と昭和6年(1931年)満州事変が始まった年だ。91年前のこと。クマヒラ・ホールディングスの創業者熊平源蔵氏(明治14年・1881年生、昭和53年・1978年没・97歳)が「社会に感謝・報恩の思いから昭和六年に創刊し、いらい戦中戦後の混乱期の三年をのぞき、一年一冊、ご愛読の皆様の激励の声を背に号を重ねて」きたとあり、「今回も最近一年間の新聞、雑誌、書籍などから、心に響く珠玉のエッセー、コラム三十七篇を抜粋し、小冊子にまとめ」たと。「玉文の転載をご快諾くださいました各界の諸先生、新聞・出版社のご厚情に厚くお礼を申し上げます。」と、熊平源蔵氏の孫にあたる熊平雅人(株式会社クマヒラ、株式会社熊平製作所)会長の挨拶が記されている。【令和四年一月二十九日(創業百二十四周年記念日に当たり)】
「はしがき」の前段には、「おかげさまで弊社創業記念日の本日、「抜粋のつづり その八十一」を四十五万部発行し、百カ国の日本大使館や総領事館、諸官庁、金融機関、上場企業、学校、病院図書館、ロータリークラブなど全国八万九千カ所の団体・個人に寄贈いたしました。」とあり、その発行点数と寄贈先、その方法に驚かされた。
表紙の裏の頁には、昭和六年霜月に書かれた熊平源蔵氏の〈「創刊のことば」から〉が掲載されている。
「日頃の御好意に對して感謝の意を致したいと存じてをりますので、その一端として、このパンフレットを発行いたしました。
積極的消費論と學校教育の普及と改善、又宗教に現世の浄土化思想の必要は私の持論とする所で御座いますが、私の陳弁よりも、近頃讀みましたものの内で、こうした方面に於ける諸名士の御意見を紹介してみたいと存じまして編纂いたしました。」
言葉(を発した人、書き記された言葉)に心打たれ、その言葉を引用して、伝えようとする営み、その息の長い90年をこえる営みが一つの企業で行われてきたこと、行われ続けていることに驚く。「その八十一」の最期の頁、p128の奥付には次のように記されている。
「令和四年一月二十九日 発行(非売品) 発行所 クマヒラ・ホールディングス /
発行人 東京都中央区日本橋本町一・十・三 熊平雅人 /
編集人 広島市南区宇品東二・一・四ニ 宮脇保博 /
お問い合わせ 電話(0八二)二五一・二一一一(代表)/
印刷所 広島市西区商工センター七・五・五二 株式会社ユニバーサルポスト
(印刷部数 450,000部)、また次頁の裏表紙の裏には「全国の(株)クマヒラでも贈呈いたします」(※発送のために取得しました個人情報はそれ以外の目的では使用しません)と記して、本社及び全国の支社、営業所54カ所の住所、電話番号が記されている。
中村秋子さんの文章を私はそれが雑誌に掲載された当時目にしていたが、ここであらためて「抜粋のつづり その八十一」からその文章をたどって、秋子さんがこれを書き始められた時に思いをいたしたい。
父 中村哲のこと
中村秋子
父がアフガ二スタンで凶弾に倒れてから一年以上が経ちました。いつも危険を承知で行くのを送り出していたからでしょうか、事件を知ったときは「起きてほしくはなかったけど、お疲れさまでした」と冷静に受け止めました。
父をアフガニスタンまで迎えに行く機中で、父のことや一〇歳まで住んでいたパキスタン北西部ペシャワールのことを思い出していました。騒がしくて埃っぽく、全体的に黄土色のイメージでしたが、いつも晴天で活気がある街でした。自宅は父の勤務していた病院の敷地内にあったので、家とは違う真剣な表情で仕事をしている父を垣間見ることがありました。子供ながらに大変そうだなと思っていたのでしょう、仕事で疲れうたた寝をしている父を見ると「このまま目を覚まさないのでは」と不安になり、寝息を確かめたこともありました。
今回の事件では、ドライバーと護衛の方五名が亡くなりましたが、皆さん私よりも若く、小さなお子様がいると聞いていたので、「幼くして父を亡くすことは大人の私とはまた違う悲しみがあるはず」と、子供の頃のあの不安な気持ちが重なり、悲しみが増すばかりでした。
到着後、大統領府でガニ大統領から弔意をいただき、父から事業の説明を受けたこと、国民が今回の事件を非常に悲しんでいるということを話してくださいました。ルーラ大統領夫人や大臣やその奥様もおられました。後で聞いたことですが、公的な立場にない女性が公の場所に出るのは極めて異例なことで、父がいかにアフガニスタンに受け入れられていたかを実感し、そのお心遣い慰められました。私は大統領に感謝と、五名の方へのお悔やみを申し上げました。今回の訪問ではアフガニスタン国民の皆様の関心の高さに驚かされましたが、それだけアフガニスタンは困難な状況にあり、父の事業が必要とされていたのでしょう。
帰国前のカブール空港に父が働いていたナンガラハル州各地から長老の方々が駆けつけて来られました。「ありがとう」「申し訳ない」と必死の思いでおっしゃるご様子に、もっとお話しできる時間があればと残念でした。みなさまの父への思い、ペシャワールを思い出させる懐かしい風景が名残惜しく、いつの日か再訪し、よみがえった緑の大地を見たいとの思いを強くしました。
家にいるときの父は、仕事でパソコンに向かっているか、庭で草木の手入れを一日中していました。最近は事業に関連してか果樹への興味が高かったようで、三〇本ほどの果樹が植えられています。素朴で気取らずおおらかな性格で、くだらない冗談を言い、スーツのまま庭仕事をして母に注意されたり、何度も禁煙に失敗したり・・・・・・。私との親子喧嘩も一度や二度ではありません。子供や孫が集まって賑やかにしているのを傍らから楽しそうに見ている、ごく普通の父親でした。ただ礼儀には厳しく、「挨拶をしなかったら敵とみなされる」などと言うときには、「ここはどこなの?」と言い返したくなりました。
またシンプルな人だったので、物事の本質を見極め、先を見通す力にも長けていたと思います。「気立て良くいなさい」「頑張ればなんとかなるよ」「できることはできるし、できんことはできんたい」と淡々としているのですが、父が言うとどこか希望を感じさせました。何でも白黒つけがちな私に「いろんな立場や状況がある。相手がどんな思いなのか自分の枠に当てはめずによく考えることが大切で、何もかもを明らかにしたら良いというものではない」と諭すなど、本当に思いやりにあふれた人でした。
またよく「三度のご飯が食べられること、家族が一緒にいられることが人間の幸せ」と言っており、それをアフガ二スタンで実現させるために事業に力を注いでいたと思います。確かに父は常人離れした行動力や、人を惹きつける力がありましたが、その根本にあるのは人間に共通する素朴な願いであり、そういう意味では決して特別な人ではなかったのです。だからこそ、アフガニスタンの苦難に寄りそうことができ、多くの人から共感をいただけるのではないでしょうか。
今日まで多くの人に支えてもらったことには感謝しかありません。父はペシャワール会(父の支援団体)の皆さんをはじめとする、多くの方との縁(えにし)を残してくれました。微力な私ですが、ボランティアの一員として会に携わっていけることは幸せなことです。これからも事業が続いていくことが何よりの願いです。
(なかむら あきこ=ペシャワール会会員・文藝春秋 3年4月号)
〈図書館がある〉ってどういうことか No.105
何度も菅原峻(すがわら たかし)さんの言葉にたちかえる。そのいくつかを。
1.〈図書館がある〉とは、〈図書館の看板の下がった建物がまちにある〉ことではな
く、そのまちの隅々までサービスが行きわたっていて、いつでも、誰でも、どこに住んでいて
も、どんな資料でも利用できる、その態勢がととのっていることをいう。(15頁)
2. まちに図書館があるというのは、どこに住んでいても、そこで役に立つサービスを
手にすることができる、納税者にふさわしい利益を得、あるいは還元を受けることができるこ
とでなければならない。図書館に必要な資料が揃い、自由に利用でき、職員のサービスをしっ
かり得られなければ、まちに図書館があることにはならない。(173頁)
3.本は買って読むもの、日本人は借りるよりも自分のまわりに本を置きたがる、そのような考えが何の根拠もないものであることは、多くの図書館の実績が示している。その実績を生むのが十分な図書費であり、地域地域を覆うサービス網であり、職員体制であることも、あらためていうまでもないことだ。(175頁)
【福岡市の中学校区設置率16%(身近に図書館があるためには中学校区に1館必
要)、政令都市20市の中で最下位の利用度、市民1人当たり年間貸出点数(貸出密度)2.6点。
第1位のさいたま市は、中学校区設置率44%、図書館数25館+移動図書館(BM)1台、
貸出密度7.5点。図書館数で約2倍、貸出密度(利用度)で約3倍、福岡市にはBMもない】
―2018(平成30)年度(コロナ禍前)の統計(『日本の図書館2019』日本図書館協会)―
《福岡市の利用度が極めて低いのは、市民の読書に対する関心が低いからではなく、
市民の身近に、市民の生活圏に図書館がないから。》
A. 《憲法第26条
①ひとはみな平等に教育を受ける権利があるそれぞれ能力に応じた教育を法律は用意する。
②すべての親は自分が育てている子供たちに、法律が用意する※普通教育を受けさせなけれ
ばならない。このような義務教育は無料でなければならない。
(※普通教育=職業にかかわりなく一般共通に必要な知識を与え、教養を育てる教育。)
【『憲法なんて知らないよ』池澤夏樹 集英社文庫 2005年4月25日 第1刷】
➡だから、小学校、中学校は住民の生活圏にある。生活圏になければならない。
B. 公立図書館は、子どもたちを含めて、すべての人の生涯にわたる学び、教育を保障する機関である。学校教育と図書館は、すべてのひとが平等に教育を受ける権利を保障する2本の柱である。「図書館法第17条 公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない。」と「無料の原則」を定めているのは、このこと、「すべての人に教育を受ける権利を」を保障するためである。
C.能登川町立図書館設置条例
4.図書館長は、そのまちの図書館サービスの最高責任者である。図書館の大小、自治体の大小を問わない。住民にどのような図書館サービスをとどけるのか。これからサービスをどう発展させていくのか。それを考え計画を立てる。司書職員を指揮し、相談にのり、業務を滞りなくすすめていく、それが図書館長である。
ふたたびデンマークの図書館法を引くと、その第二条で「図書館長は、他の司書職員の援けを得て資料を選択し、自治体に対してその責を負う」といっている。
住民が必要とする、役に立つ資料群の構成が、図書館長の極めて大切な責務であることを言っているのだ。深い教養、資料についての広範な知識、選択の理論と技法、そういったものを身につけていないで、どうして図書館長が務まるだろうか。(33頁)
(『図書館の明日を拓く』菅原峻 晶文社 1999年10月30日初版)から。
5.「図書館にはDNAが大事なのです」
「Ⅾとはディレクター=館長。図書館とはまったくゆかりのないところから異動で来た、本
に何の興味もない館長か、それとも専門の教育を受けて、本という海を航海する船=図書館を
しっかりと操舵している館長か。大きな違いですね」
NはNEW BOOK=新しい本を指す。「新しく内容豊かな図書をきちんと購入し続けてい
るか」(予算、資料費の問題)
AはATTRACT=魅力。「中身の伴った資格を持ち、利用者の役に立つ魅力的な専門職員
がいるかどうかです」
6.日本の図書館は3タイプに分けられる。
①図書館という看板の下がった役所(全体の半分以上。)
②無料の貸本屋(残りの70~80%)
③本物の図書館(全体のわずか5%、しかも、当初③であっても、①②化していくケースが少
なくない。)
「図書館はひよわな存在です。たとえすばらしい専門職館長やスタッフがいても、異動や退職などで元の木阿弥(もくあみ)になってしまうことが多い。行政の中での教育委員会の位置づけでも、日の当たる場所とはいえません。」
〈では、本物の図書館が本物であり続けるには、そして本物でない図書館が本物になるには、どうすればいいのか。〉
「自分たちの町の図書館の現状を認識することですね。とにかく、どんどん図書館を利用することから始める。そして、図書館のDNAを知る。ここから自分たちにとってのあるべき図書館の姿が見えてきます。僕の持論は、図書館がよくなるのも悪くなるのも住民次第、なんですよ」
【⑤⑥は『アミューズ』毎日新聞社 2000年1月26日号、31∼32頁。図書館の特集号で、菅原さんへのインタビュー記事。同誌による菅原さんのプロフィールを以下に】
「すがわら・たかし 1926年北海道生まれ。社団法人日本図書館協会に25年間勤務。78年3月図書館計画施設研究所を創設。日本各地の図書館づくりにかかわる。全国の図書館づくりの得がたい相談役として活動を続けている。持論は「図書館は住民次第」。著書に「新版これからの図書館」「図書館の明日をひらく」ほか。訳書に「公共図書館の計画とデザイン」など多数。】
追記。2011年6月24日逝去。図書館の現場を日本でもっとも広く深く歩かれた。どんなに内容豊かな図書館の計画書をつくっても、計画書の目指した図書館にならないかを、もっとも多く体験されたとも言えるのではないだろうか。図書館計画施設研究所が基本計画を策定した図書館は100館を越えた。1981(昭和56)年に全国の図書館運動に大きな力となった『としょかん」を創刊、菅原さんが亡くなったあとの2015年(平成27年)まで、24年間間にわたって、100号の発行が行われた。
2022年11月29日火曜日
「福岡市は図書館砂漠のまち」って?どういうことか No.104
福岡市長選挙公開質問状の添付資料についての説明です。(どんな資料を添付したか)
公開質問状には、資料Aと資料1~3の4点の資料を添付しています。
公開質問状では11の質問をしていますが、なぜそのような質問をしたか、その根拠となる資料です。
《資料Aについて》・・・・・・・
1⃣資料AはブログNo.101に掲載していますが、「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡の市民の会が、福岡市の図書館が直面している課題、問題点だと考えていることを、できるだけ簡潔に書いたものです。
「私たちはなぜ公開の質問をするのか?ーー「公開の論議を!」と題しているのは、幼児からお年寄りまで、すべての福岡市民に関わる「福岡市の図書館の今とこれからの問題」について、福岡市が、「市民のだれもが」利用できる図書館像とそれに至る道を、これまで市民に示し提示することなく今日に至っていると考えるからです。
ーーーーー
2⃣《図書館砂漠のまち=福岡市を図書館のある街に〉(2022.11)
この言葉に福岡市民である私たちの願いと希望がこめられています。
住みよいまち、住み続けたいまち、市民が誇りとするまちには、
市民の暮らしの中に、市民の身近に、市民の生活圏に図書館が必要です!
ーーーーー
3⃣《福岡市は図書館砂漠・・・市民の身近に図書館がない!》
とはどういうことか。
※市民の利用度がきわめて低い。(コロナ禍前の2018年・平成30年度でみると)
・市民1人当たり1年間の貸出冊数(貸出密度)は2.6点
・政令指定都市20市の中で最下位
〈第1位さいたま市(人口131万4千)7.5点の約1/3の貸出〉
〈福岡県内53市・町の中で50位(県内第1位は水巻町13.8点)〉
・人口30万人以上の市の望ましい貸出密度8.7点の1/3の貸出
(東京の特別区と政令指定都市を除く)
図書館を利用したいと思っても、近くにないから利用できない、
という市民があまりにたくさんいる!・・・図書館砂漠だ
ーーーーー
4⃣なぜ、福岡市民の利用がこんなに少ないのか。
(1)➡市民の身近に、市民の生活圏(中学校区)に図書館がないから。
市民の生活圏=中学校区に1館の図書館をーーー
(※中学校区設置率➡公立中学校数と図書館数1対1を100%として算出)
・福岡市の中学校区設置率は16%(図書館数12÷市立中学校数69校×100)
福岡市(155万4千人)は人口12万9,500人に1館の図書館。
〈政令指定都市中、貸出密度第1位のさいたま市は44%、52,560人に1館。
人口131万4千÷25館=52,560人(さいたま市はさらに移動図書館1台と
サービスステーション2がある。人口比福岡市の2.5倍の図書館数〉ーーー
図書館の数が違う!
※なぜ中学校区に1館の図書館が必要か。
①「1.市町村は、住民に対して適切な図書館サービスを行うことができるよう、住民の生活圏、図書館の利用圏等を十分に考慮し、市町村立図書館及び分館等の設置に努めるとともに、必要に応じ移動図書館の活用を行うものとする。(略)当該市町村の全域サービス網の整備に努めるものとする。」
(”全域サービス網”の整備が要(かなめ)のことです。)
「3.公立図書館の設置に当たっては、サービス対象地域の人口分布と人口構成、面積、地形、交通網等を勘案して、適切な位置及び必要な図書館施設の床面積、蔵書収蔵能力、職員数等を確保するよう努めるものとする。」 「図書館の設置及び運営上の望ましい基準」(平成13年・2001年文部科学省告示、平成24年・2012年改正)】
1950年にできた図書館法に基づいて出された文部科学省の告示、に示された対応を、福岡市はやっていない。この一歩の歩みだしを始めていない。
②「市町村の図書館は、おおむね中学校区を単位とした住民の生活圏に整備すること。
(市町村の図書館は、住民が日常利用する生活便利施設です。子どもや高齢者、障害者にとって身近で安心して利用できることが必要です。すべての住民が利用できる身近な図書と。館とするために、中学校区を生活圏域として考え、そこに設置することを目標とすべき。)」
(中学校区=1校区当たり平均可住地面積は約8㎢)
【「豊かな文字・活字文化の享受と環境整備ー図書館からの政策提言」日本図書館協
会.2006年、2013年改正】
③(事例)東京都調布市(23万3千人、11館、貸出密度10.99、専任64(うち司書47)
・非常勤・臨時110)
・人口2万人、・2つの小学校区、・半径800m、左記の3つを基準に10分館設置。
10館目の佐須分館は1979年・昭和59年に開館。(数値は2018年度)
(2)資料費が少ない。(豊富な資料と資料の新鮮度が図書館の魅力であり力です。)
・市民1人当たりの資料費は78円。政令指定都市中 16位。
・第1位は静岡市199円(貸出密度5.8,2位)、さいたま市7位、124円。
・千葉県浦安市(2018年度)人口16万8千人、8館、貸出密度10.32、専任27(司書27)非
常勤・臨時 58(うち派遣7):1983年の中央図書館開館時から、専門職館長のもと、
「歩いて10分の図書館網を整備。21,000人に1館。福岡市12万9,500人に1館の5.6倍の
図書館数。ーーー
※福岡市と浦安市の2007∼2016年度、10年間の資料費の総額の比較。(人口比、約9倍)
福岡市(人口150万1千人)11億9,856万6千円
浦安市(人口16万4千人) 11億1,113万2千円 【福岡市の約93%】
(3)福岡市の分館の広さ(面積)・・・人口比からみて小さい。
〈理由〉
福岡市民図書館開館(1976年)の翌年から市内各区の市民センターに設置された図書
室は、当初公民館図書室の位置づけで、図書館の分館ではありませんでした。
1988年 市内全区(7区)に図書室ができましたが、それらが図書館の分館になったのは、
1996 年(平成8年)です。このため、以後新しくできた分館も当初の公民館図書 室がモ
デルとして作られてきたため、その地域の対象人口にふさわしい分館として構想、計画さ
れたものではなく、施設規模、蔵書数、年間購入点数、職員体制ともに不十分なものになっていることも、利用度を低くする要因となっています。ーーー
「2.地域の図書館は800㎡以上の施設面積でつくり、5万冊以上の蔵書をもち、3人
以上の専任職員を配置すること。」(前述4⃣ー(1)ー②の「図書館からの政策提言」)
福岡市の分館はすべて800㎡以下です。
東分館753㎡(旧館の新装開館で、市内分館中、もっとも広くなった。335㎡➡753㎡)、
和白644㎡、博多541㎡、博多南563㎡、中央486㎡、南478㎡、城南562㎡、早良520㎡、
西552㎡、西部610㎡、早良南672㎡(2021年6月開館)。ーーーーーー
【北九州市・八幡西図書館、3,762㎡、2012年開館、北九州市の分館16館中、もっとも
広く、貸出も一番多い。年間38万8千点の貸出(2020年度)。中央館(4,594㎡、23万6千点)、中央館の1.6倍の貸出。】ーーー
5⃣なぜ福岡市では、1976年(昭和51年)の福岡市民図書館開館以降、市民のだれもが、市内のどこに住んでいても利用できる図書館づくりが行われてこなかったのでしょうか。
そのもっとも大きな要因は職員体制にあると、私たちは考えています。〈2018年度〉
(1)福岡市155万4千人〔専任31(うち司書2)、非常勤・臨時114、派遣7〕
さいたま市131万4千人〔専任165(うち司書96)、非常勤16、派遣54〕
浦安市 16万8千人〔専任27(うち司書27)、非常勤・臨時58(うち派遣8)
人口155万人をこえる大都市の図書館に「司書」(専門職員)が2人
(2)2007~2020年度、福岡市と北九州市の専任職員(うち司書)の10年間の推移の比較。
・福岡市 46(うち司書11)➡31(うち司書2)、11人から2人に
・北九州市20(うち司書2)➡39(うち司書13)、2人から13人に
(3)福岡市の1年間の市民の貸出しの70%をしめる11館の分館に専任職員は0。
福岡市の分館11館には、専任職員はいません。0人です。
(4)図書館長と副館長の任期について。2007~2018年の12年間で。
図書館長は6人(3年1人、2年3人、2年目1人、1年1人)。
副館長は事業管理部長事務代理9人。
いずれも短期間。
※福岡市の図書館の今とこれからを考える舵取り、要の専任職員が不在ではないかと考えられます。福岡市の図書館の現状と課題を考え、市民だれでもが利用できる全域サービス網の図書館計画を立案し、その実現に責任をもつ職員がいない状態が、1976以来続いています。
【公開質問8で「職員体制」について、「市の職員で司書の資格を持ち、図書館を希望する職員の配置(異動)や、新採用職員で司書」を採用することについて質問しています。】
(さいごに)
すべての福岡市民が利用できる、図書館政策策定の早急な取り組みを!まず移動図書館の運行を!
【問7では「図書館計画の策定には時間と大きな経費がかかります。できるだけ早く移動図書館の運行から始めながら、基本計画づくりにとりかかれば、市民の身近に図書館をに、より早く、分館網の整備より、はるかに低い経費で取りかかれると考えますが、お考えはいかがですか。】と。ーーーーーー
資料1について
・「政令指定都市 貸出密度(市民1人当たり貸出点数)順位表2018(平成30)年度 /2020(令和2)年度の実績」
(貸出し順位はコロナ以前の2018年度の実績による。2020年度の数値は()に。
・1位のさいたま市から最下位の福岡市まで、20市について。
①人口②貸出数③貸出密度④到達度(人口30万以上で「望ましい数値」に対しての)
⑤登録率⑥図書館数⑦中学校数⑧中学校区設置率⑨資料費⑩人口当たり資料費
⑪職員〔専任(うち司書)・非常勤・臨時・派遣〕
・参考(2016年度の実績)
①東京都調布市②文京区③東京都日野市④千葉県浦安市⑤滋賀県東近江市
・調布市の図書館計画について
・「東京都の図書館政策」(1970)について
※福岡市の図書館の資料費は、市民1人当たり78円(平成30年度政令指定都市中、16位。
これが、この年度だけでなく、ずっと低い状態であることが問題です。
言葉による説明
①「〈図書館がある〉とは、〈図書館の看板が下がった建物がまちにある〉ことではなく、
そのまちの隅々までサービスが行きわたっていて、いつでも、誰でも、どこに住んでいて
も、どんな資料でも利用できる、その態勢がととのっていることをいう。」p.15
「まちに図書館があるというのは、どこに住んでいても、住民がそこで役に立つサービス
を手にすることができる、納税者にふさわしい利益を得、あるいは還元を受けることがで
きることでなければならない。図書館に必要な資料が揃い、自由に利用でき、職員のサー
ビスをしっかり得られなければ、まちに図書館があることにはならない。」p.173
「本は買って読むもの、日本人は借りるよりも自分のまわりに本を置きたがる、そのよう な考えが何の根拠もないことであることは、多くの図書館の実績が示している。その実績
を生むのが十分な図書費であり、地域地域を覆うサービス網であり、職員体制であることも、
あらためていうまでもないことだ。」p.175
「図書館長は、そのまちの図書館サービスの最高責任者である。図書館の大小、自治体の
大小を問わない。住民にどのようなサービスを届けるのか。これからサービスをどう発展
させていくのか。それを考え計画を立てる。司書職員を指揮し、相談にのり、業務を滞り
なくすすめていく、それが図書館長である。
ふたたびデンマークの図書館法を引くと、その第二条で「図書館長は他の職員の援けを得
て資料を選択し、自治体に対してその責を負う」といっている。住民が必要とする、役に
立つ資料群の構成が、図書館長の極めて大切な責務であることを言っているのだ。深い教
養、資料についての広範な知識、選択の理論と技法、そういったものを身につけていない
で、どうして図書館長が務まるだろうか」p.33
【『図書館の明日をひらく』菅原峻 晶文社 1999年】
②利用者にとって、図書館の魅力に関わる3つの柱
1.図書館長・・・(「図書館長の仕事」をする図書館長がいるかどうか)
「図書館とはまったくゆかりのないところから異動で来た、本に何の興味もない館長か、
それとも、専門の教育を受けて、本という海を航海する船=図書館をしっかりと操舵し
ている館長か。」ーーーD=ディレクター=館長
2.専門職員・・・「中身の伴った資格を持ち、利用者の役に立つ魅力的な専門職員
がいるどうか。」・・・A=ATTRACT=魅力=魅力的な専門職員
3.新しい本「新しく内容豊かな図書をきちんと購入し続けているか」(資料費:予
算)・・・N=NEW BOOK=新しい本
【「図書館にはDNAが大事なのです」菅原峻(図書館計画施設研究所)『アミューズ』
2000年1月26日号】ーーーーーーー
資料2-(1)について
「2018(平成30)年度 福岡県内公立図書館貸出順位表」
(内容)
・福岡県内53市町の図書館の貸出密度(住民1人当たり年間貸出点数)順位表
・①自治体名②人口当たり貸出点数(2018・2020年度③中学校設置率④登録率
⑤人口1人当たり資料費
・参考自治体・図書館数(貸出密度、中学校区設置率)、移動図書館=BM
①滋賀県愛荘町2館(13.13;100%)②大阪府熊取町1館(8.27;33%)
③愛知県田原市2館、BM2台(9.7;50%)④千葉県浦安市7館(10.32;88%)
⑤東京都日野市7館、BM1台(8.78;89%)⑥東京都調布市11館(10.99;100%)
⑦滋賀県東近江市7館、BM2台(8.1;70%)
・福岡市50位、11館(2.6;16%)、北九州市41位、17館(4.07;27%)
福岡市の中学校区設置率=16%➡図書館砂漠・福岡市の所以(ゆえん)
・福岡県内第1位ー水巻町1館(11.83;50%)、第2位福津市2館(11.51;33%)
・貸出密度7点以上―12市町、6点台ー7市町/ 2点台ー2市町、1点台ー2町
・全国平均(貸出密度)5.37。福岡県平均4.56ーーーーー
資料2-(2)について
「2007年(平成19年度)福岡県学校図書館図書購入費(予算措置率)順位表」
(いったいこれは何か。どういう資料か。)
文部科学省は、学校図書館(小中学校)の蔵書があまりにも貧しい(古くて少ない)現状を改善するため、1993(平成5)年から、『学校図書館図書整備5カ年計画』を立てて、計画年度に毎年、各自治体に対して地方交付税として交付してきましたが、交付額をどう使うかは、自治体の判断に任されているため、交付額のどれだけを予算化したか(予算措置率=交付額に占める予算計上額の割合)は、自治体によって大きな違いがあります。これまで文部科学省では、2008年4月に1度だけその実態調査を明らかにしたことがあります。2007年(平成19)度に交付した図書購入費200億円のうち、実際に予算計上された額は約156億円で、全体の78%にとどまっていました。上記の「順位表」はこの時に公表された福岡県内の各自治体の予算措置率の高い順に記載したものです。福岡県の平均は97.1%でしたが、福岡市は86.1%、県内69自治体中、34位の予算措置率でした。1位が福津市の211.8%、県内22の自治体が100%をこえていました。(5位までが150%をこえる。)最下位69位は小竹町の32.9%でした。全校平均78%の内訳は、小学校が85.8%、中学校が68.7%と、中学校がより低い予算措置率となっていました。
また第5次の2018年(平成30年)から、学校司書の配置に対しても地方交付税が交付されるようになっています。2022年(令和4年)4月から第6次「学校図書館図書整備5カ年計画」が始まり、文部科学省では、パンフレットで「学校図書館の充実には図書館資料・人材の充実が必要です。」と述べて、公立小中学校の蔵書の充実と学校司書の配置を推進を目指し、学校図書館図書整備に995億円(単年度199億円)、学校司書の配置に1215億円(単年度243億円)の交付が決まっています。
1993年(平成5年)以来25年間にわたって、学校図書館の充実のために交付されてきた貴重な図書費(2018年からは学校司書の配置拡充のための交付)が、福岡市では25年間にわたって、100%予算化されることなく、現在に至っています。公開質問10では、「私たちは子どもたちの一番身近な図書館である学校図書館の充実は何よりの急務であり、図書費と学校司書の配置について、少なくとも第6次『学校図書館図書整備5カ年計画』どおりの予算化が必要だと考えますが、どのようにお考えですか。」と質問しています。
このことでは、市民はもとより、学校関係者(校長、教職員等)においても、その実態が十分周知されているかが課題であるとも、会では考えています。
2022年11月19日土曜日
福岡市長選 公開質問状・前文 No.103
(前文)
福岡市長選挙立候補社様/
「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡(連名・4名)/
図書館砂漠のまち・福岡市を、市民の身近に図書館のあるまちに
住みよいまち、住続けたいまち・市民が誇りとするまちには、市民の暮らしの中に、
市民の日々の生活圏に、市民の身近に図書館が必要です。
福岡市立図書館のこれからについての公開質問状
私たちは福岡市の図書館が、市民が「いつでも」「どこでも」(市内のどこに住んでいても)
「だれでも」「なんでも」(市民が求めるしりょうや情報はなんでも)利用できる図書館、
とりわけ図書館が市民の身近にあることを願って活動している市民の会です。今回の福岡市長
選挙にあたり、福岡市の図書館のこれからについて見解をお示しいただきたく、福岡市立図書
館のこれからについての公開質問状を送らせていただきます。・・・・・・・・・・・・・・
図書館はすべての市民の生涯にわたるⅯナビ(自己学習)を保障し、地域の発展と市民の自立に
欠かすことの出来ない地域の情報拠点であり、市民の暮らしを高め、暮らしに役立つ地域の基本
施設です。
図書館は
・すべての市民(赤ちゃんからお年寄りまで)の知りたい、学びたいという思いに寄りそう場
・市民一人ひとりがより良く生きるための学びや知的好奇心に応える場
・地域文化や産業振興、医療福祉や法律情報など市民の暮らしとコミュニティを支える地域の情報
拠点としての場
です。
図書館はまた、こうした暮らしや仕事の中で必要な情報を得る場としてだけではなく、市民の身近にあれば、私たち市民が時にはいこい、時には集い、それぞれの時間を一人で、またグループで自由に過ごす「広場」ともなります。市民の身近にある地域の図書館は、本と人との出会いの場であるだけでなく、人と人との出会いの場、であり、その出会いから地域の文化が育まれる場でもあります。
しかしながら、福岡市の図書館の現状をコロナ前の2018(平成30)年度でみると、図書館が市民にどれだけ利用れているかを示す指標とされる「貸出密度」(市民1人当たり年間貸出点数)は2.6点で、政令指定都市20市の中で最下位((第1位のさいたま市7.5点の約3分の1)、福岡県内53館の中で50位(県内1位は水巻町11.8点)と1976年(昭和51年)の福岡市民図書館の開館以来45年をこえて極めて 利用度の低い状態が続いています。
福岡市の図書館の利用度がこのように極めて低いのは、福岡市民の読書に対する関心が低いからではあ
りません。人口150万人を超える大きな市に図書館が11館しかなく、移動図書館もないこと。
市民のための図書館政策を作らずにきたことが、その主たる要因であることは、図書館政策をもち、分
館の適切な配置や移動図書館のによる全域サービス網をつくり、図書館費を自治体普通会計予算の1%
以上を毎年計上し、司書資格を持つ経験ある館長のもと、人口規模にふさわしい専門職員(司書)数を
専任で配置して活動している各地の図書館の実践が明らかにしているところです。
また、福岡市民図書館が開館した1976年(昭和51年)の翌年から市内各区の市民センターに設置された
図書室は、図書館の分館ではなく、公民館図書室に当たるものでした。1988年(昭和63年)の西
市民センター図書室の開室で市内全区(7区)に市民センター図書室ができましたが、それらが図書館の
分館となったのは1996年(平成8年)のことです。(合計8館)このため、以後に新しくできた分
館は当初の公民館図書室がモデルとなって作られてきっため、人口規模にふさわしい分館として構想、計画されたものではなく、施設規模、蔵書数、年間購入点数、職員体制ともに、不十分なものになっていることも、図書館の利用度をより低くする要因になっていると考えられます。このことでは、貸出の70%をしめる11館の分館に専任職員が0で、非正規職員の懸命な働きによって担われていることも、新しくできる分館に抜本的な改善、改革をすることを困難にしてきた大きな要因だと思われます。・・・・・
日本図書館協会の『豊かな文字・活字の享受と環境整備―図書館からの政策提言』(日本図書館協会2006年、2012年改正)では、その2で、「地域の図書館は800㎡以上の施設面積でつくり、5万冊以上の蔵書をもち、3人以上の専任職員を配置すること。」とありますが、福岡市の分館の各面積は、東図書館753㎡(旧館の新装開館で、市内分館中、最も広くなった。335㎡➡753㎡)、和白644㎡、博多541㎡、博多南563㎡、中央486㎡、南478㎡、城南562㎡、早良520㎡、西552㎡、、西部610㎡、早良南図書館672㎡(2021年6月開館)となっていて、いずれも800㎡以下の福岡市の分館としては狭い広さのまま現在に至っています。
1965年、1台の移動図書館で図書館を始め、5つの分館を作り、最期に本館を建てて(注:本館のあとに
6館目の分館、市政図書室を市役所の隣に。本館を含めて7館;この注は、質問状提出後に記載)、「いつでも」「どこでも」「だれでも」「なんでも」を掲げて、その後の日本の公立図書館のあり方を根底から変革した東京都の日野市立図書館や、東京都調布市では①人口2万人、②2つの小学校区、③半径800mという3つを基準にして10館の分館を整備し、市民のだれもが、市内のどこに住んでいても利用できる図書館の活動が始まってからすでに50年をこえています。
ちなみに、2012年に開館した北九州市の八幡西図書館は北九州市の図書館の分館中、もっとも広い3,762㎡で、貸出も市内で中央館(4,594㎡、貸出23万6千)よりも多く、市内でもっとも貸出の多い図書館になっていて(38万8千冊、2020年度)開架室の広さの重要さを示しています。
人口100万人を超える福岡市でようやく図書館が開館した1976年(昭和51年)から46年が経ちましたが、
この間、福岡市では一度として市民「だれでも」が「どこでも」利用できる全域サービスの計画が立て
られることはありませんでした。【『福岡市基本構想』「第9次福岡市基本計画』平成25年~34年度;『
福岡市総合図書館ビジョン』平成26年度から10年間の計画では、「福岡市の図書館の課題」の2に
「身近なところで図書の貸出・返却ができるサービス拠点の設置や・・・サービスの向上を求める要望が多くなっています。」とあるが、それに応える具体的な計画はありません。】
2022年(令和4年)11月現在、日本の各地の図書館サービスの実際を自治体の人口段階別でみると、人口の多い大都市である政令指定都市においては、「どこでも」の取り組みがとりわけ遅れていて、それは政令指定都市の図書館全体の利用度、「貸出密度」の低さとなって現れています。利用度の低い政令指定都市20市の中で、もっとも利用度が低い福岡市に住む市民である私たちの多くは、この46年間、身近に図書館がないだけででなく、「市民の身近に図書館を」という福岡市の図書館政策がない中で生活してきたということでもあります。・・・・・・
「文部科学大臣は、図書館の健全な発達を図るために、図書館の設置及び運営上望ましい基準(以下「
望ましい基準』)を定め、これを公表とする」(「図書館法」第7条の2、1950年)という規定に基づいて公表された『望ましい基準』(2001年、平成13年告示。2012年、24年12月改正)では、
「第一 総則 一 趣旨」で「①この基準は、・・・図書館の健全な発展に資することを目的とする。
②図書館は、この基準を踏まえ、法第三に掲げる事項等の図書館サービスに努めなければならない。」に続き、「二 設置の基本」で「市町村は、住民に対してサービスを行うことができるよう、住民の生活圏、図書館の利用圏を十分に考慮し、市町村立図書館及び分館等の設置に努めるとともに、必要に応じ移動図書館の活用を行うものとする。あわせて、市町村立図書館と公民館図書室等との連携を推進することにより、当該市町村の全域サービス網の整備に努めるものとする。」
また、先に延べた『図書館からの政策提言(日本図書館協会)』では、「1公立図書館の整備」で「1市町村の図書館は、おおむね中学校区を単位とした住民の生活圏域に整備すること・」「すべての住民が利用できる身近な図書館とするために、中学校区を生活圏域として考え、それを目標に設置することを求めます。」としている。・・・
図書館は市民が実際に利用できてこそ、地域に図書館があるといえます。
現在の福岡市の図書館の在りようは、多くの市民にとって身近に図書館がない、図書館砂漠としか言えないものだと私たちは考えています。この度の市長選挙が、福岡市の図書館の現況を正しく把握し、図書館砂漠のまち・福岡市を、市民の身近に図書館がある、市民が誇りとする図書館があるまちに向けての新たな一歩、契機となることを心から願うものです。
お忙しい最中に恐縮ですが、同封しました封書により、11月13日(日)までにご返送をお願いします。頂きました回答につきましては、広く市民に公開させていただきますのでご了承ください。
・・・・・・・・(以下、「次の図表を見て・・・」図書館の風No.102に、が続く。)
《ここまで読んでいただいてありがとうございます。ご不明の点やお聞きになりたいことがありましたら、このブログにご連絡ください。「市民の会」にお伝えします。》
福岡市長選挙 11の公開質問 No.102
11月20日投票の福岡市長選挙で、「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡の会では、
3人の立候補者に福岡市の図書館の今、これからについて候補者のお考えをお聞きするた
め返送の期日を指定させていただいて公開質問状を提出してきました。20日の投票日前
に候補者の回答を市民に公表したいと考えていたからです。しかしながら、残念なこと
に指定の期日を過ぎても、いまだどなたからも回答がありません。公開質問状は、市役
所の中にある記者クラブに持参し各新聞社にお渡ししましたが、未だ報じられてはいま
せん。このため、これからも回答が届き次第、届いた順に即時、公開を考えていますが、
まずは公開質問状でお聞きした11の質問の内容を市民のみなさんにお伝えしたいと考
え、質問の骨子をここに公開させていただきます。
記
福岡市長選挙立候補者様
「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡
(4名の連名)
図書館砂漠のまち・福岡市を、市民の身近に図書館のあるまちに
住みよいまち、住見続けたいまち・市民が誇りとするまちには、市民の暮らしの中に、
市民の日々の暮らしの生活圏に、市民の身近に図書館が必要です。
・・・・・・・福岡市立図書館のこれからについての公開質問状・・・・・・・
私たちは福岡市の図書館が、市民が「いつでも」「どこでも」(市内のどこに住んでいて
も)「だれでも」「なんでも」(市民が求める資料や情報はなんでも)利用できる図書館、
とりわけ図書館が市民の身近にあることを願って活動している市民の会です。今回の福岡
市長選挙に当たり、福岡市の図書館のこれからについて見解をお示しいただきたく、福岡
市立図書館のこれからについての公開質問状を送らせていただきます。
【以下の文は、12の質問のあとに掲載します。また、以下の質問は全文ではなく骨子】
次の図表(資料A〈質問の趣旨の概要〉、資料1~3)を見て、以下の質問にお答えくださ
い。回答は該当する数字に○をしてください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.私たちは私たちは福岡市の図書館においても、市民が「いつでも」「どこでも」「だ
れでも」「なんでも」利用できる図書館を、図書館運営の指針、目標とすることが肝要
だと考えるが、お考えは。①そのようには考えない(理由)②同じ考えである③その他
2.市民の図書館での利用(貸出密度)がとりわけ低い実態にたいしてのお考えは。
①特に対応を考えない②政策的対応(実態把握と計画立案が必要)③その他
3.図書館の利用度が政令指定都市中、最下位が長く続いている理由は何だと考えるか。
①市民の読書に対する関心が高くない②図書館が少なく、移動図書もない③その他
4.「望ましい基準」に基づいた取り組みが必要では。(住民の生活圏、利用圏に全域サ
ービス網の整備)①そのように考えない(理由)②早急に必要③その他
5.「望ましい基準」にのっとた迅速な取り組みの必要では(「運営方針の策定、公表」
「図書館サービス、運営の適切な指標の選定と目標の設定、計画の策定と公表)
①そのように考えない(理由)②早急な取り組が必要である。③その他
6.図書館の計画を市の長期的計画に組入れることについて①そのようには考えない(理
由)②財政的な裏づけをもった市の長期計画に入れる必要がある③その他( )
7.図書館計画策定には時間がかかるため、移動図書館を始めながら、計画づくりにかか
っては①そのようには考えない(理由)②同じ考え③その他( )
8.職員体制の整備が急務、まず、市の職員で司書有資格者で図書館勤務を希望する職員
の配置や信採用職員で司書を採用することが必要では。①そのように考えない②同じ
考え③その他( )
9.図書館の運営を民間に委託する指定管理者導入についての考えは(現在分館の2館に
導入、質問の前段で、市民の会では導入反対の2つの理由をあげている)①導入に賛
成(理由)②同じ考え。今後それが広がることをなくしていくことが大切③その他
10.図書館のいのち、市民にとっての魅力は蔵書の力、毎年の資料購入費にかかって
いる。市民一人当たり資料費(政令市20市中16位、20市中半数の10市が一人当たり
100円をこえている。福岡医でも100円以上の「資料費」の予算化を。①現行通り
(理由)②毎年度必要である③その他( )
11.「学校図書館の充実には図書館資料・じんざいが必要です。(文部科学省パンフレ
ット)」、このため2022年(令和4年)4月から「第6次学校図書館図書整備5カ年
計画」がはじまっている。これは公立小中学校の蔵書の充実と学校司書の配置を
推進することを目的に地方交付税措置されているもの。ただこれは市が予算化し
ないと使うことができない。どれだけ予算化するかは自治体の考えによるため、
自治体によって大きな格差が生まれている。福岡市では予算措置率が低い状態が
長く続いている。図書費と学校司書の配置については少なくとも『学校図書館図
書整備5カ年計画』どおりの予算化が必要では。①現行通りでよい②2023年度から
少なくとも交付される額の予算化が必要③その他( )
以上。
追記①、質問状の提出時、質問番号を11問を間違えて12としていました。ここにあらた
めて訂正します。
②上記のさいごの質問のあとに、公開質問状の前文を掲載します、としていました
が、それはブログナンバーを改めて掲載染ます。
2022年11月18日金曜日
福岡市長選挙 公開質問状(質問の要点) No.101
「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡の会が福岡市長選挙(11月7日告示、11月20日投票)で、
図書館に関する公開質問状を3人の立候補者に提出しました。公開質問状は添付資料4点と共に提出さ
れていますが、ここでは最初に添付資料の1点(資料A・質問の概要/背景)を掲載します。資料Aは、
『「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡』の会が、福岡市の図書館の何が問題であると考え、
どのような市民のための図書館になってほしいと考えているかが、簡潔に述べられているからです。
「私たちはなぜ、公開の質問をするのか? 公開の場で論議を!(資料A)
図書館砂漠のまち=福岡市を図書館のある街に 2022.11
住みよいまち、住み続けたいまち、市民が誇りとするまちには、
市民の暮らしの中に、市民の生活圏に、市民の身近に図書館が必要です!
【コロナの前、2018年度・平成30年度の統計でみると】
福岡市は図書館砂漠・・・市民の身近に図書館がない!
・市民1人当たり1年間の貸出冊数(貸出密度)2.6冊
政令指定都市20市の中で最下位 (第1位 さいたま市7.5冊の約1/3の貸出)
福岡県53自治体の中で50位 (県内1位 水巻町13.8冊)
※人口30万人以上で、望ましい貸出密度は8.7冊(日本図書館協会)
市民の生活圏=中学校区に1館の図書館を。
中学校区設置率(図書館数12÷市立中学校数69校×100)=16%
政令指定都市中、貸出密度1位のさいたま市は44%(約3倍)
福岡県内53館のうち13館が100%、苅田町は(200%➡)100%、かつ移動図書館)
【注:苅田町では分館3館のうち2館が廃止されたため100%となった。当初、苅田町200%で、
県内、第1位と記載していた。上記のように訂正いたします。】
資料費が図書館のいのち。 (市民1人当たりの資料費は)
リクエストしたら、「150人待ち」と言われたことも‼ 人口当たり資料費78円
政令指定都市中 16位、第1位は静岡市199円。 さいたま市は124円
福岡県内の図書館 第1位 築城町998円
職員体制が肝心要のことです!
・「人口150万の市の図書館で正規(専任)職員31人のうち、司書(専門職員)が2人って
本当ですか?」と、一体どれだけ県内外の市民(住民)から驚かれたことか。
さいたま市:専任職員165(うち司書)95・・・福岡市:専任職員31(うち司書2) ※
※北九州市との比較(2007・平成19~2020・令和2年)
北九州市立図書館 専任職員20人 (うち司書2 ➡39人(うち司書13)
福岡市立図書館 専任職員43人(うち司書12)➡31人(うち司書2)
※1年間の貸出しの70%を占める11館の分館は、専任職員が0である。
※館長と副館長は
2007年(平成19年)から2018年(平成30年)の12年間で、福岡市総合図書館の館長は9人と、
短い機関で変わっている。なお、同期間で副館長(事業管理部長事務代理)は6人で、3年1人、
1年1人、2年3人、2年目1人と、2年の任期が多い。いずれも短期間!
福岡市の図書館の今とこれからを考える、舵取り、要の専任職員が不在では。
すべての福岡市民が利用できる、図書館政策策定の早急な取り組みを!
まず、移動図書館の運行を!
「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡
2022年11月6日日曜日
賢治と哲とひさし、と No.100
糸島市前原の旧商店街の一郭でブックカフェ「ノドカフェ」がオープンしたのは2017年
11月、今月はちょうど満5周年に当たる。風信子(ヒアシンス)文庫からは、ノドカフェ
オープンの時から本の出前を行っている。5年前の開店時の第1回目は、福岡市総合図書
館で、上野英信さんの没後30年に合わせて、福岡市文学館企画展として、よく準備され
実に中身の濃密な展示や講演会などを行っていたので、これに勝手に協賛として、上野
英信さんの関連の本でノドカフェでの展示(本の出前)のスタートとなったのだった。
この5年間、本の出前を行い、現在では2ヵ月で本をかえているのだが、前回の9月から、
出前した本について紹介する時間をもつことになった。出前の本については、これまで
特にテーマを決めることなくやってきたのだが、(石牟礼道子さんご逝去の時は、「花
を奉る 追悼 石牟礼道子さん」)、今月の11月の本棚については、表記の「賢治と哲
とひさしと」が、考えるまでもなく頭に浮かび、宮澤賢治、中村哲、井上ひさしさん3
人の本の出前となった。
「荒野に希望の灯をともす」 唐津・THEATER ENNYAで
その直接のきっかけは唐津市にある「THEATER ENYA(シアター演屋)」で、中村哲さん
の「荒野に希望をともす」(百の診療所より一本の用水路を)を見たことだった。(11月
1日、このため出前は11月2日)これは、中村さんの活動を支え、中村さんと行動をともに
してきたペシャワール会が企画し、「20年以上にわたり撮影した映像素材から医師中村哲
の生きざまを追うドキュメンタリーの完全版!」として製作されたものだ(1時間44分)。
これまで中村さんの著書やペシャワール会の会報の一部を読んできたが、ドキュメンタリ
ーでは、私が知らなかったことが随所に出てきたり、あるいは本などで知らされていたこ
ととは、このことだったのだ、という映像を見聞きしていると、中村さんが眼前にいて、
語り行動しているように思われた。
中村さんが「ヒンズークッシュの山奥深く、真っ白で荘厳な峰々が立ち並ぶ」アフガニス
タンの地を初めてその足で踏んだのは1978年、山岳会に医師として、一隊員としての同行
だった。1946年生まれの中村さん22(23)歳の時だ。医師のまったくいないその地で、中
村さんに診てもらおうと必死の様でやってきた病をかかえた患者さんやその家族と出会う。
らい(ハンセン病)患者とも。その映像を初めて目にした。
九大医学部を卒業した中村さんは国内の診療所勤務を経て、1984年4月パキスタン北西辺
境州の州都ペシャワールに赴任し、以来24年にわたりライ(ハンセン病)のコントロール
計画を柱にした貧困層の診療に携わる。最初に赴任した時、医療器具が何もないといった
状況がどのようなものであったかをかを伝える映像が時間をこえて立ち現れる。
2003年、石風社から出版された『辺境で診(み)る辺境から見る』の裏表紙の見返し(奥
付)で、中村さんの足跡をたどると、
「1986年にはアフガン難民のために、医療チームを設立し、長期的展望にたったアフガニ
スタン無医地区での診療活動を開始。1991年からアフガン東部山岳地帯に3つの診療所を
設立して、診療に当たる。1998年には基地病院PMS(ペシャワール会医療サービス、70床)
をペシャワールに建設、らい診療とアフガン山岳部無医地区診療の拠点とする。2001~20
02年にはアフガニスタン首都カブールに5つの臨時診療所を設置、貧困地区の診療を行う
一方、大旱魃に見舞われたアフガニスタン国内の井戸と地下水路(カレーズ)の掘削と復
旧に従事、1000本の井戸を掘る。2001年10月「アフガンいのちの基金」を設立、空爆下、
国内避難民への緊急食糧配給を実践。現地スタッフ約200名、日本人スタッフ約15名。年間
診療数約8万人(2006年度)。現在、PMS総院長。ペシャワール会現地代表。」とある。
映像では、空爆下の緊急食糧配給以後の中村さんの活動、国会での発言、子息が亡くなられ
た時のこと、用水路の建設や中村さん逝去後の記念碑と記念庭園の設置、学びと祈りの建物
の建設なども映し出されている。心と胸うたれる場面は数しれなかったが、とりわけ、無医
地区での診療を長老たちから、「あなたたちは、すぐにいなくなるのでは」と言われて、そ
れに応える中村さんの言葉とその表情、国会での発言(議員の反応)、子息を亡くされた時
のそのあり様、そしていのち賭けてようやく完成した用水路が̠河川の氾濫で埋まってしま
った時、濁流を前に佇む中村さんの後姿は目に焼きつけられる思いだった。自然の猛威(力)
の前での人間、その在りかた。その中から歩きだす中村哲さん。
ドキュメンタリーが終わった時、翌日、出前することになっている「ノドカフェ」の本が私
の中で決まっていた。中村哲さんの本だと。そして「賢治と哲」と「ひさし」とだと。
なぜ「賢治と哲とひさしと」かについてはあとで記すことに、まずは中村さんのことから。
『辺境で診(み)る 辺境から見る』
自宅に帰り、『辺境で診(み)る 辺境から見る』を手にする。「あとがきにかえて」と題
されて、次のように書き出されている。
「本書は、私が84年に現地赴任して、本格的に「アフガニスタン」に関わり始めた1989年か
ら現在まで、雑誌や新聞に掲載された記事を収録したものである。これまで出版された事業
報告的なものとやや趣が異なって、時事評論や随想が主体である。随想集は、宗教観や世界
観なども自由に述べられていて、率直に自分の考えが表現されていると思う。独断もあり得
ようが、それはそれで読者の批判を仰ぎたい。一連のアフガン問題記事は、この二十年の世
界的激動を反映し、一種の感慨を覚える。ペシャワール会の活動を概観できると共に、一九
九八の基地病院建設から現在まで、特にニューヨーク・テロ事件前後から空爆下の現地活動、
農村計画を振り返るのにも好都合である。(略)
本書に収録されているものは、巷の動きとは無関係に、過去二十年の現地事情が連続して圧
縮、記述されている。「新ガリバー旅行記」や「異文化の中で『医療』を問う」などは、テ
ロ事件直前に書かれたものである。最近のきな臭い世情の中で、「九・一一以後」の色眼鏡
がかかっていない記録として意味があるかも知れない。私事になるが、これまでの総決算と
も言うべき「医の普遍性」を扱った後者は、脱稿した直後に九歳の次男が悪性脳腫瘍を発症、
一年半の闘病生活を過ごして死亡した。背後を刀で刺された思いであったが、今となっては、
論旨を実証するようで忘れがたい。
通読して自分でも驚くのは、ペシャワール会の方針や私の考え方が殆ど変化していないこ
とである。それを頑固固陋とするか、信念を貫いたと呼ぶかは別として、アジアの辺境で人
々と苦楽を共にすることによって、時流に流されずに済んだことは確かである。どんなに世
情が変化しても、変わらないものは今後も変わらない。」
そして末尾には、「最後になりましたが稿を整理した石風社と、この事業に協力する無数の
善意に感謝し、共に邁進してゆきたいと存じます。 平成一五年二月」
(本書の発行は2003年・平成15年5月20日、1946年9月15日生まれの中村さん、53歳の著作)
収録された文章は、新聞や雑誌に掲載された記事であることから、一文一文短文ですぐに読
めるものだが、その一つ一つの文章のもつ力に驚かされる。短いどの一文にも中村さんが出
会い向きあい、見送った、言葉話せぬ幼子を含めて、その一人ひとりのいのちの声が中村さ
んと終生ともにあったからではないだろうか。
なぜ「賢治と哲とひさし、と」か、にもどろう。
宮澤賢治学会地方セミナーのことーーー
『辺境で診る辺境から見る』が発行されて、もうすぐ1年という2004年5月1日、私にとって
は、さいごの図書館の職場となった滋賀県能登川町で、「宮澤賢治学会・地方方セミナー」
を開催した。中村哲さんと井上ひさしさんの講演と対談を核にしたセミナーだった。その集
いを開くことになったきっかけは、(ブログ「図書館の風」No.38に記載、No.49-2 に録画)
その一年前だったか、たまたま図書館(能登川町立図書館)のカウンターにいた私に、よく
図書館を利用されている若い主婦が話かけてきたことだった。たしか関西地区で図書館のこ
とを学ばれていて何度か、講義でのお話もお聞きしていた。
「私は宮澤賢治学会に入っていますが、会では毎年、地方セミナーを各地で開いています。
それを能登川町で開いてくれませんか」
それが始まりだった。それから程なくして、私は中村哲さんの講演を京都で2度聞く機会が
あった。一度目は京都市左京区岩倉で、虫賀宗博さんの私塾”論楽社”で、そして日をおか
ず、京都市内ノートルダム女子大学の広い講堂で。その2つの会場で、中村さんの口から宮
澤賢治の名前がでた。「かの地で宮澤賢治を読んでいると、日本の今のありようがよく見え
る」、そのような言葉だった。1000人はいたのだったか、女子大の大きく広い講堂の座席で、
その言葉を耳にして、私は、これは中村さんと井上ひさしさんだ、との思い(天から降って
きた思い)が生まれていた。
後日、最初に連絡をとったのは、福岡市の出版社石風社代表の福元満治さんだった。福元さ
んとは、福岡での面識はあるものの不断ご連絡をとることもなく、その前に電話をしたのは、
6年前の1996(平成8)年の7月頃だったと思う。前年の3月、苅田町立図書館を退職し4月から
能登川町に新しくできる図書館と博物館開設の準備室での仕事を始め1年ばかりが過ぎた時
だった。
当時「うずもれている大切な文化にスポットを・・・」を合言葉に能登川町が淡海文化推進
パイロット事業の一つとして「能登川ふるさと百科」の発刊を企画したのだ。この事業は能
登川町の風景、産業、歴史、自然などさまざまな分野にスポットをあて、現代に生きる私た
ちが次世代に継承したいことを記録していこうとするもので、準備室が事務局を担当して委
員15名を公募した。委員15人のなかには、このような冊子出版事業に携わった経験をもつ人
はほとんどなく、ただ、「わが町能登川を本にして残したい」(編集子の弁)との熱意で委
員の応募に参加されていた。委員の一人から本づくりの要諦について問われていた私は、福
元さんに電話をしている。その時にお聞きしたのが、まず「目次づくり」からということだ
ったと思う。そのことを委員の方に伝えたのだが、平成8年7月の七夕の日に第1回編集委員
会を開いてからの委員15人の動きはすさまじかった。この事業が「能登川町総合文化情報セ
ンター」(図書館・博物館・埋蔵文化センター)のオープン記念事業の一つとして位置づけ
られていたため(開館は平成9年11月)、編集期間はわずか1年、急ぎ委員の分担を委員自ら
決めて、作業に取りかかったのだった。15名のスタッフは資料収集のため町内を駆けずり回
り、多くの町民の方の協力のもと、目次づくりから、原稿書きまで、すべて委員の手で作ら
れた。こうして平成9年11月8日開館前の10月に総頁215頁、中味豊かで多彩な、懐かしくて
面白い冊子が刊行され、能登川町の全世帯に各1冊配布されたのだった。
冊子のタイトルは、全委員が提出した25候補名から『能登川てんこもり』が選ばれた。セ
ンターが開館して最初の一か月間は町立図書館・博物館開館記念事業として、写真家今森光
彦さんの写真展を行っている。今森さんは能登川てんこもり委員会が始まった一年前から随
時、能登川町を取材され、その成果を開館記念の展示として発表してくださったのだ。能登
川で生まれ育ち、誰よりも町中を歩いているという一人の委員(委員長)が、今森さんの写
真のなかに、「能登川に生まれ育ち、40年以上暮らしてきたが、自分が知らなかった町」の
光景があると語っていた言葉が私のなかに刻まれている。その今森さんが委員の強い希望に
より冊子の装丁をしてくださったのだ。また『能登川てんこもり』冒頭には、今森さんが撮
影した町内各在所の写真が掲載され、それに続いて、「能登川再発見」と題した座談会の記
録が載っている。能登川町長の杉田久太郎さん、今森光彦さん、そして熱い思いで委員会を
引っ張られた『ふるさと百科』編集委員長の井口博之さん、3人の座談で、刊行後25年の今
読んでも、本づくりの意図が鮮やかに語られていて、心打たれる座談となっている。その年
から今森光彦さんには毎年、図書館で講演をしていただいた。(私の退職時まで9回、1回だ
け、時間が取れず。そのうち2回は絵本作家川端誠さんとの対談)今森さんのお仕事と生き方
は、私たちが立っている足もと、私たちの眼前に、豊かな自然といのちの営みがあることを
鮮やかに知らせてくれるものだと思われ、それは、能登川の図書館と博物館が目指す存りよ
うを照らしだし、指し示すものでもあると考えて、毎年の講演をお願いしたのだった。
石風社、福元さんのこと
能登川町で生まれた一冊の本のことを少し詳しくここに紹介したのは、その町の人たちにとっ
て大切な冊子づくりの始まりに、九州福岡の出版社、石風社の福元さんとの関りがあり、また
あらためて、福元さんからつながる中村哲さんとの縁しを思うからだ。
6年ぶりに福元さんに電話した私は、中村哲さんと井上ひさしさんとの対談を核にした宮澤賢
治学会の地方セミナーを能登川で開けないかと考えていることを伝えたのだと思う。
福元さんの話を聞いて驚いた。「中村さんと井上さんの対談は鎌倉でやっているよ。」「えー
っ」と驚く私に、「長野ヒデ子さんが」というお話に、私はびっくりした。「長野さんが鎌倉
に住んでいて、近くに住まわれている井上ひさし、ユリ夫妻と親しくされていて、中村さんの
活動をくわしく知っておられて、鎌倉でのお2人の対談になったと。
長野ヒデ子さんの絵本作家としてのデビュー作品は、『とうさんかあさん』(葦書房 1976)
で、この長野さんの第一番目の作品の編集者が当時、葦書房にいた福元さんだ。中村哲さんと
同じ1946年生まれの久本三多さんが代表の葦書房は、地方出版社の雄と呼ばれ、その出版物は
私にとっては図書館の蔵書として、また一人の読者としても、見逃せない本が多く、渡辺京二
さん他、個人的にも生涯にわたり手にしてきた幾人もの著者を葦書房の本から知らされてきた。
とりわけ渡辺京二さん編集の『暗河』(くらごう)は、現在熊本の田尻久子さんの橙書店から
出されている『アルテリ』と同じく、初めて目にする著者やその著作の面白さ、そして時を経
てますます面白い渡辺さんの文章に驚かされてきた。その『暗河』の最初の何号かで私は福元
さんの文章を読んで心に刻んでいる。当時、熊本にいた20代の若き福元さんが、石牟礼道子さ
ん、渡辺京二さんたち、そして水俣病の患者さんたちとともに水俣病闘争に関わっていた時の
一文だ。福元さんは私にとっては、その一文の著者としてあったことを今にして思う。
長野さんが最近うけたインタビューでの発言によれば、『とうさんかあさん』は太宰府に住ん
んいた時、長野さんの義妹(弟の奥さま)が入院され、弟の子どもを預かっていた時期、広告
の裏に絵を描いてお話を作ったりして遊んでいた。そのときたまたま長野さんの子ども文庫を
訪ねてきた編集者が、それを見て「この絵本をだしたい」と。それが葦書房の福元さんだった。
インタビューでの長野さんの言葉、「作家がいても本はできない。どんな編集者に出会うか。
素敵な人、編集者福元さんに育てられた」と。
葦書房から独立して石風社を始めた福元さんのお仕事、福元さんならではの石風社の本に、深
い喜びを手渡されてきたと改めて思う。中村哲さんの『ペシャワールにて』(1992)に始まる
著作のこれまでに至る一連の出版、その持続的で深い営みに驚きと励ましを受け続けてきた。
石風社との長く深い交流から生まれたと思われる阿部謹也(『ヨーロッパを読む』1995)、何
ともうれしい森崎和江さんの『 』、長野ヒデ子さんの本では、『ふしぎとうれしい』(20
00)以後、最新作では、『 』。そして近々、新作もでるようだ。福元さんの長野さんとの
出会いは長く深いものがある。中村哲さん亡きあとは、お二人で中村さんを語る場も持たれて
いる。
長野さんとの出会い
そして長野さんと私の出会いもふしぎといえば不思議なご縁だ。私が博多駅近くの記念会舘図
書室で働き始めて程ない時だったか、大宰府に住んでいて借家に離れがあったので、文庫を始
めていた(字名は連歌屋区だった)。大宰府天満宮に近く、四王寺山への登り口にあったので
”四王寺文庫”名づけ、近くの坂道の電信柱などに文庫開きの手書きの案内などを貼った。そ
うしたらやってきた近所の子どもたちの中に、『大宰府』(葦書房1982)の著者の森弘子さん
や長野ヒデ子さんのお子さんがいたのだ。長野さんの年譜をみると、そのころ長野さんは『と
うさんかあさん』(1976)をすでに出版されていたようだが、私はそのことを知らずに長野さ
んにお会いしている。家にやって来られた長野さんとお話したのは、その時の一度きりではな
いかと思うが、本棚にたまたまあった丸木俊さんの『女絵かきの誕生』だったか、新書版の本
を手に丸木俊さんへの深い思いを語られたのが今も心に刻まれている。以後福岡市への引っ越
しが急に決まり、たしかご挨拶もできずお別れし、再びご縁ができたのは17,8年後の、2005
年10月28日、能登川に移ってからのことだった。(毎日新聞大津支局長の塩田敏夫さんが同紙
の日曜日または月曜日の紙面に書いていた『支局長からの手紙』、2005年11月7日の滋賀版の
頁の「心を育てる絵本」で長野さんの講演会の期日を知ることができた。)
能登川の保育園に働く職員の方が、能登川の図書館に講演会の講師として長野さんを呼ばれた
のだ。その時、長野さんは講演の場で、”四王寺文庫”で子どもたちと折り紙で作った出来上
がりのもの(私には難しくてとてもできない、文庫を手伝ってくれたどなたかが、こどもたち
と一緒につくったものだと思う)を鎌倉の自宅から持って来られて私を驚かせた。
【支局長からの手紙「心を育てる絵本】2005年(平成17年)11月7日(月曜日)をここ
で紹介しておきたい。能登川にいた当時、塩田さんが大津支局長だった2年間、日曜日か月曜
日の朝刊でどんなに心励まされる「支局長からの手紙」を、滋賀の人と共に受け取ってきたか、
その一端をお伝えしたい。
支局長からの手紙 心を育てる絵本2005年(平成17年11月7日(月曜日)
「赤ちゃんが生まれた時、お母さんも生まれました。スタート時点は同じです」。赤ちゃんを
授かり、育てた体験に基づいた絵本「おかあさんがおかあさんになった日」。絵本作家、長野
ヒデ子さんは、創作の原点ともなった作品を語りました。自分の中からわき出したものを汲み
上げる。自分の皮膚感覚で確かめる。豊かな感性が作品にあふれていることが伝わってきまし
た。能登川町立図書館で先月28日に開かれた講演会でのことでした。
長野さんは瀬戸内海に面する愛媛県今治市に生まれました。白い砂浜と青い松林。暮らしのす
ぐそばに水辺の空間がありました。織田が浜です。私も現場に立ったことがありますが、瀬戸
内海ならではの穏や佇(たたず)まいのそれは美しい浜でした。
この浜の埋め立て計画が持ち上がり、「子どもたちに白い浜を残せ」と命がけで立ち上ったの
が「織田が浜を守る会」代表を務めた飯塚芳夫さんたちでした。飯塚さんは長野さんに最初に
絵を教えてくれた先生でした。
長野さんは講演会を始める時、宝物を見せてくれました。娘さんが小さいころ、現在能登川町
立図書館長を務める才津原哲弘さん(59)からもらった折り紙です。当時、転勤で福岡県で生
活した長野さんの家の近くには才津原さんの家がありました。才津原さんは仕事が休みの時は
自宅を家庭文庫にして開放していました。娘さんはその家庭文庫に通い、絵本に親しみました。
そこでもらった折り紙を何十年も大切にしてきたのです。
「文庫のおばさん」があこがれだったといいます。転勤で全国を回る生活。家庭文庫があれば、
子どもたちとすぐに仲良くなり、おかあさんとも友達になれたからです。本は人をつないでく
れると実感したそうです。本は手渡し方ひとつで生き、埋もれてしまうと。その人の言葉で読
んでもらって初めて本は命を吹き込まれることがよくわかったといいます。
長崎県の諫早湾の干拓事業を問うた絵本「海をかえして」を書きました。当初は社会的な問題
を扱いたくないという気持ちが強かったそうですが、自分の子どもたちが遊んだ諫早の海が死
んでいくのを見過ごすことができなかったといいます。現場に立ち、潮の満ち引きの自然のリ
ズムが何より大切だと実感します。それは人や動物たちも同じで、出産に立ち会う看護師さん
に教えてもらった言葉を紹介してくれました。「自然の流れに逆らわなかったらうまくいきま
す」
長野さん自身、知り合いに頼んで多くの出産に立ち会ってきました。その経験から確信したこ
とがあります。ソレハ赤ちゃんは自分の思いを持って自分の力で生まれてくるということです。
赤ちゃんは生まれながらに判断する力が備わっている。それを伝える手段を得るために学ぶの
だと。
ノンフィクション作家、柳田邦男さんの言葉を思いだしました。「大人になったからこそ絵本
を読んでほしい。子どものときとはまた違った深い味わいがある。絵本を読む時間を大切にし
たいと思います。 【大津支局長・塩田敏夫】
今ひとりの人のこと、扇元久栄さん
井上ひさしさんを能登川に招くにあたって、長野さんにはこの上ないお力を授かったと心に刻
んでいるが、このことでは今一人、かけがえなき人のことを思う。扇元久栄さんだ。扇元さん
に初めて電話をしたのは、1987年3月5日の深夜、写真家の漆原宏さんの紹介によるものだった。
当時扇本さんは仙台で、「仙台にもっと図書館をつくる会」の代表をされている方だった。
私が博多駅近くの財団法人の小さな図書室で働き始めて8,9年が経った頃で、人口111万2千人
(1986・昭和61年末)の大都市に市立図書館が1館しかないことの問題、市民の大半が図書館が
身近にないため、図書館を利用する(できる)市民が極めて少ない福岡市の在り方に、手を拱
いていては、ますます状況が悪くなっていると考えるようになっていた。市民として動き、行
動が必要ではないかと。仙台に電話をしてから日を経ず、扇元さんから、「つくる会」のすさ
まじい資料が送られてきた。
・「つくる会」は会を創めて年、文庫から始まったこと。
・「考える部会」「伝える部会」「広める部会」の3つの部会があること。
「つくる会」の活動の実に細やかで詳細な資料、福岡での状況を我がことのように受け止めて、
私自身が自らに問うていた問いに、柔らかに直截に応えてくださった言葉が記されていた。
一面識もない者に、その者の問いに答えて、心こめて爽やかな言葉を贈る、その時私は、扇本
さんが大好きな宮澤賢治の童話の中のせりふ、「こんなことは実に稀です」というかけがえの
ない時間を授かっていたのだった。扇元さんから深い気を吹き込まれて、私が歩みを共にする
人たちと、「福岡の図書館を考える会」を始めたのは、それから程なくのことだった。
後に幾度も、扇元さんとお会いし、手紙や電話でやり取りをする中で、扇元さんが、宮澤賢治
だけではなく、井上ひさしさんを大切な人と思われていることがわかってきた。
「私、井上さんのおっかけをしているのよ」、仙台文学館の館長をしていた井上さんの作文教
室だけではなく、井上さんの生誕の地、山形県川西町で”生活者の視点で自らの暮らしをもう
一度見つめなおそう”という井上さんの提唱で始まり、1988年から毎年1回のペースで開催さ
れた「遅筆堂文庫生活者大学校」(校長:井上ひさし、教頭:山下惣一)の講座に毎回参加さ
れていたのだと思う。図書館に関する講座では、竹内悊さんと一緒に登壇されているようだ。
(残念なことに、そのことを私は知らず、扇本さんからお話を聞き機会を逃してしまった。
このような次第で、扇元さんに能登川町での地方セミナー開催に向けての取り組みをお伝えす
ると、大変喜ばれるとともに、井上さんのご了解を得る上で、深いご助力をいただいたのだと
思う。
宮澤賢治学会イーハトーブセンター・地方セミナーのプログラムについて
たくさんの方たちのご助力を得て、中村哲さんと井上ひさしさんのご了解をいただいてから、
地方セミナーをどのような内容にするかで、まず、中村さん、そして井上さんのお話(それぞ
れ30分)、それからお2人の対談(80分)、そして、その後の会場の参加者との質疑(60分、
中村さんの各地での講演会では、質疑の時間がとりわけ面白いので、質疑の時間をできる限り
とりたいと考えて60分とした。)
講演が始まる前の30分は、①開会挨拶(町教育長田附弘子、宮澤賢治学会イーハトーブセンタ
ー荻原昌好 ②開会の辞イハトーブ童話『注文の多い料理店」序(宮澤賢治学会会員 扇元久栄
さん)③宮澤賢治・短歌四首 井上ひさし『なのだソング』 とりい しん平さん(驚くばかり
の時間だった。) ④群読『雨にも負けず』能登川町民と当セミナー参加者有志
そして
講演『医者、井戸を掘る その後』中村哲さん
講演『賢治と哲』 井上ひさしさん【ここでようやく「賢治と哲」にたどりついた!】
対談『辺境で診る 辺境から見る』中村哲さん・井上ひさしさん
参加者との対話・質疑
という次第だった。
扇元久栄さんには、開会の辞で、「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれい
にすきとおった風を食べ、桃いろのうつくしいあさの日光をのむことができます。またわたくしは、・・・」全文を詠んでいただいた。扇本さんは巻物に全文を書き記して、巻物を次々に引い
て巻紙を下にたらしながら、凛とした声で詠んでいかれた。本当は一言一句すべて、すっかり体
の中に入っていて、目にするまでもなかったのだけれども。扇元さんは全身で賢治さんを参加者
一人ひとりの目とこころに焼きつけ刻んでくださった。
30分のお話に『賢治と哲』と題を示してくださったのは井上ひさしさんだ。その演題を
お聞きして私は小躍りする思いだった。ここで「賢治と哲とひさし、と」につながる。
ただ会の進行はどうだったか。映像でたしかめていただきたい。【「図書館の風」No.49-2】
さいごに、どのような思いで地方セミナーを開催したか、「開催にあたって」と「対談」につ
いてのチラシの文章を記しておきたい。
宮澤賢治学会・地方セミナー開催にあたって 2004.5.1
2004年5月1日、琵琶湖の東岸、そほぼ中央に位置する能登川町で、宮澤賢治学会地方セミナーを
開催します。宮澤賢治が生まれた岩手県は、かつて日本の辺境とでも言うべき地でした。賢治さ
んはその辺境の地にイーハトーボという、いのち響きあう世界を見、「たしかにこの通りある世
界」として、私たちの前にさしだしています。この度の地方セミナーのテーマは「辺境で診る、
辺境から見るです。これは、実は今回の地方セミナーの講師のお一人である医師、中村哲さんの
最新の著書のタイトル名です。中村さんは、1984年パキスタン北西辺境州のペシャワールでアフ
ガン難民と接し、以後20年にわたって、パキスタン、アフガニスタンの地でライ(ハンセン病)
に苦しみ、貧困で診察をうけられない人々のために活動をおこなってきました。
20年に及ぶ中村哲さんの活動を支えてきたのは、その医療活動を支援する目的で結成された福岡
市に本部をもつペシャワール会の約12,000人の会員のボランティア活動です。中村哲さんとペシ
ャワール会の活動は、「東二病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西二ツカレタ母アレバ」
の「雨ニモマケズ」を彷彿とさせるものがありますが、中村哲さんは、こうした活動の中で、ア
フガンの地で賢治の本を読み、昨年、京都で行われた講演会で、かの地で賢治の作品を読むと、日
本の今のありいうが、その作品を通してよく見えるという趣旨のことを述べられていました。
今回の今一人の講師である井上ひさしさんと宮澤賢治との深い関りについては、井上さんのエッセ
イや戯曲「イーハトーボの劇列車」などの作品で、多くの人に知られています。
井上さんが小学校6年生の時に、「生まれてはじめて、雑誌ではなく単行本を、それも自分自身の
判断で、しかも貯めておいた小遣いで買った」のが、井上さんの蔵書第1号である「どんぐりと山
猫」であったということ。この本との出会いを、井上さんは「私の個人史における生涯十大ニュー
スのひとつ」と言われていますが、井上さんの生き方とその著作の根底には、いつも賢治の世界と
響きあうものがあるように思われます。
また、「国をあてにしない生き方から一歩先へ、モデルのない時代だからこそ、新しいモデルをわ
たしたちでつくっていく。個人から町へ、地域から国づくり」を考える「生活者大学校」の開校、
その長年にわたる活動は、まさに、「地域(辺境)で見る 地域(辺境)から見る」活動そのもの
と見えます。
この度の地方セミナーでは、「辺境で診る 辺境から見る」ことを、その生き方の根っこにおかれ
ている中村さんと井上さんをお迎えして、「辺境で診る 辺境から」とは何かを、じっくりお聞き
し、参加されたお一人ひとりが、「ほんとうの生き方」を、自ら考える場となればと考えています。
地方セミナー開催という天空からの贈り物とも思える時を与えていただいた能登川からは、この機
会あらためて出会えた賢治さんとの出会いの喜びの小さな声をお伝えできればと願っています。
さいごになりましたが、能登川町での地方せみなーの開催にあたりましては町の内外の実に多くの
方々のご助力をいただきました。心からお礼申し上げるものです。ーーー
”ほんとうの生き方”
をよりよく考える言葉が紡ぎだされる対談
このたびの中村哲さんと井上ひさしさんの対談を企画いたしましたのは、井上さんが中村さんの
活動のはやくからの支援者であり、よき理解者であるからです。井上さんはナk村さんの活動に
心からの感銘を受け、紹介する話を、すでに井上さんゆかりの地、山形県置賜農業高校でされて
います。日本の農業、戦争と平和についても深い関心を持ち、積極的に発言してこられた井上さ
んと、内戦が続くなかで20年間、闘う平和主義を貫いてこられた中村さんの”賢治”を切り口と
した対談が実現すれば、宮澤賢治の世界の広く深いひろがりが感得される対談になるとともに日
本で今を生きる私たちの生を支える労働について、平和について、又一人ひとり”ほんとうのいきっ方”をよりよく考える言葉が紡ぎだされる対談になるものと確信いたします。
2022年10月3日月曜日
「鶴見俊輔展₋Un」開催のお知らせ No.99
糸島市二丈にある「本屋アルゼンチン」で10月の一ヶ月間(土、日のみ開店)、
「鶴見俊輔展-Un」を開催されます。私自身、鶴見さんの読者の一人として過ご
してきたことで、本屋アルゼンチンの大谷直紀さんとの出会いがあり、今回の
企画にできる限りの協力をさせていただくことになりました。
まずは大谷さんによる企画展のご案内です。ーーーーーーーーーー
鶴見俊輔展-Un-開催にあたって
本屋アルゼンチンでは毎年10月に鶴見俊輔展-Un-を開催します。
今年の鶴見さんの生誕100年を口実に、1回きりではなく、毎年の
ルーティンしてしまう企みです。
私は鶴見さんの遺した言葉に救われる人がいると思います。
彼自身が戦中・戦後のけんりょく、国家、社会、何より自分自身に
苦悩し、疑い、受容を繰り返す、”揺らぎ”を味わい尽くし、年齢
を重ねても思想を科学し続けたからではないでしょうか。
とにかく、言葉と眼差しが優しい。
鶴見さんの著作は膨大で、展示しる200冊はほんの一部。
「次世代へのバトンを渡す」など惧れ多く、私自身も鶴見さんを掴み
着れているわけではありません。
それでも、この哲学者の言葉を燈してみたい。
ゆっくり、展示物に触れていただけると嬉しいです。
本屋アルゼンチン Naoki Ooya
なぜ、いま鶴見俊輔か。
「役に立ちそうなメジャーなものを、効率よく」
タイムパフォ-マンス(時間対効果)中心社会を生きています。
文字よりも写真をスクロールし、動画を倍速で摂取する日常。
何を隠そう、自分自身がその真ん中を歩いています。
本当に大切なものをとりこぼしていないだろうか。
鶴見さんは、学者や権力者ではなく、日常を営む一般人の言葉、
感情に本来掴むべき「思想」が眠っていると考えました。赤鉛筆
と青鉛筆を持ち、誰も注目もしない小規模な刊行物や社内報に一
生懸命、線を引きながら読んでいたそうです。
小さな声なき声に耳を傾け、時に停滞し、時に全身する。
誰かの小さな声は、そのまま「自分の声」でもあります。
タイパ社会にいる私たちが、まさに背けている大切な声。
糸島の本屋アルゼンチンから、鶴見さんの優しい語り口と
あり様に対話のヒント、言い換えるなら、次代に繋がる
一本の糸を紡ぎたい。
鶴見俊輔俊輔展-Un-を開催します。
ーーーーー
【概要】 鶴見俊輔展-Un-
入場 無料 / 駐車場あり /
1960年代「思想の科学」をはじめ、約200冊の鶴見さんの作品を展示します。-------
場所
本屋アルゼンチン(筑肥線大入駅徒歩1分)https//goo.gl/maps/
14s2NGpeXfamj3zDA--------ー
日時(12時~16時)※22日のみ別。
1.大規模展示 10月2日、8日、15日、16日、22日、29日、30日-----------
2.小規模展示 10月9日、23日
イベント
10月22日(土)に少人数の読書会を実施。
午前の部(10時~11時半):鶴見さんんの文章を読んで、感想交換。(大谷)
午後の部(13時∼14時半):才津原さんによる即興の鶴見さんを語る会。
ーーー--
以上、大谷さんによるご案内。
大谷さんに一文を求められて、次の案内を寄せました。ー
鶴見さんのこと (1922-2015)
才津原哲弘
鶴見俊輔さんの本を初めて手にしたのは
私が20歳を過ぎた頃だ。2015年に93歳で
逝去されて早や7年が経つが、55年をこ
える読者の一人として、鶴見さんの本は
日々、一層面白い。京都にある出版社、
”編集グループSURE”が『もうろくの春
鶴見俊輔詩集』を最初の出版物として発
行して今年で創業20周年、最新刊は”鶴
見俊輔生誕100周年記念出版”として6月
25日に発行された『日本の地下水 ちい
さなメディアから』鶴見俊輔著だ。同書
は1960年から雑誌「思想の科学」誌上で
21年間にわたって続いて連載された、日
本のさまざまな地域のサークルの雑誌評
の初の集成だ。
40年、60年前に書かれた鶴見さんの一
篇、一篇が2022年の今、なぜ、どのよう
に面白いのか、そのことを語りあう場を
糸島市二丈、筑肥線大入駅近くの「本屋
アルゼンチン」で。風、光さやかな10月
のある日に。
【追記:10月22日(土)13時~14時半】
ーいずれかの日に、ぜひ本屋アルゼンチンへ。
2022年9月28日水曜日
アーサー・ビナードさん講演会にようこそ!10.29(土) No.98
「糸島の図書館の未来を考える会」主催の初めての講演会、第1回はアーサー・ビナードさんをお迎えしま
す。以下ご案内です。ーーーーーーー
あふれだす「絵本の力」
「ありえない!」時代へようこそ
~エリック・カールと宮澤賢治といっしょにいまの世界を見つめる~
語り アーサー・ビナードさん
アメリカのミシガン州に生まれる。
ニューヨーク州の大学で英文学を学
び、卒業と同時に来日、日本語でも
詩作を始める。数々の賞を受賞。
2022.10.29.SAT
12:00 受付開始&サイン会
13:30 講演会スタート
場所 初潮旅館(糸島市二丈鹿家1735-18)
主催 糸島の図書館の未来を考える会
大人2500円 大学生・高校生1000円 中学生以下無料
〇お問い合わせ 090-7678-2048(龍国寺甘蔗)
090-1852-1102(ノドカフェ坂本)
〇注意事項
・外履き入れのご持参をお願いします。
・絵本の購入とサイン会をご希望の方はお早めにお越しください。
・乗り合わせや公共交通機関のご利用などをお願いいたします。
・ドリンクの提供(有料)のみございます。
2022年9月26日月曜日
10年前、漆原宏さんから、糸島で手渡されたもの・・・No.97
9月15日に亡くなられた漆原宏さんは全国各地で講演をされていた。住民のだれもが〈いつでも どこでも なんでも〉、生涯にわたって利用できる図書館を求める市民にとっては、漆原さんが撮られた図書館の写真からだけではなく、図書館を語る漆原さんの言葉から、さらに深い力を手渡されてきたように思う。10年前の2012年3月25日、「図書館によせる私の思い」と題して漆原さんの講演会を糸島市で行った。主催は「としょかんのたね・二丈」会場は糸島市の図書館の分館「糸島市図書館二丈館」の3階会議室だった。ご遺族のご了解を得て、ここに当日の後援会のレジュメと配布資料を公開させていただきます。
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講演会ちらしから
「図書館によせる私の思い」 漆原宏講演会------------------------------------------------
ーープロフィールーー1969年・研光社入社 社員雑誌『フォトアート』その他の編集に従事。
1975年・フリーの写真家となり現在に至る。日本写真家協会会員。1996年・『図書館雑誌』(日本図書館協会刊行の月刊誌の写真取材を始める。毎月、同誌のグラビア頁に掲載。著書に『地域に育つくらしの中の図書館』(ほるぷ出版1983)
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1976年以来36年間にわたり図書館の写真を撮り続け、日本の写真家による唯一の写真集『地域に育つくらしの中の図書館』の著者でもある。日本各地の住民のくらしに役立つ図書館づくりを講演や写真展などを通して声援。図書館がいわゆる本好きといわれる人だけのものではなく、赤ちゃんからおとしよりまで市民のすべてに欠かせないものであることを、図書館の多様な利用の仕方のお話を通して語られます。ーーー
「図書館って、こんな利用の仕方があるの?」私たち誰もが図書館を楽しく便利に「美味しく食べる」お話を伺う講演会にようこそ。本を借りに行ったことはあるけど、とういう方も。ようこそ。ーーー
もっともっと あなたの図書館となるために。
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とき 3月25日(日)13:30~15:30 / ところ 糸島市図書館二丈館3階会議室A(糸島市二丈深江1360)
参加費 無料・・・主催 としょかんのたね・二丈(☎番号 オオマツ)
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―レジュメ―(2012/03/25)ーーー主催・としょかんのたね・二丈ーーーーーーーー
これからの図書館とその利用法 ―図書館のおいしい食べ方― 漆原宏(図書館写真家)
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◎はじめに
◎図書館ってどんなとこ
◇図書館は、本質的・構造的に民主主義を志向します。―――配布資料(1)
・図書館は世界的視野で資料を選択し、地球的規模で資料を収集します。―多文化・多言語、多様性ー
・豊富な資料は、多様な選択肢を保障し、多様な価値観の形成をうながします。ーーー
・蔵書構成―比較検討―比べて考える―無料貸本屋と違うーーー
・図書館の泣き所=自衛隊、原子力発電ーーー
・IT機能整備―世界的視野、速報性、多文化・多言語、膨大な情報量、島国、※琉米文化会館ーーー
・図書館員は人類の歴史の接点に立つ仕事 ※糸島市の取り組みーーー
技術員、ボランティア、住民(それぞれが各分野の専門家)の協力ーーー
◎暮らしと仕事、そして”まち”に役立つ図書館ーーー
・図書館は、自治体が設置し、運営する―条例で定めるー
・時事・自治資料の提供 図書館法第3条7項ー
・図書館は、自治体のひとづくり、まちづくりの頭脳として機能する機関ー
※九州大学誘致、学術研究都市づくりの推進ー
☆行政支援=糸島市行政支援ー
☆ビジネス支援=今を支える企業人、社会人への資料提供―林家、農家、漁家、工場主、商店主などー
☆学校支援 学校教育と社会教育はセット―生涯学習ー体系化ーー
☆図書館利用に障害のある人々へのサービスー養護施設・高齢者施設・病院図書館・宅配ーー
◎図書館利用の生活化―住民参加、自主講座ーー
・生涯学習―①受益者負担②民間教育機関の活用③ボランティアの育成・活用ー
・図書館資料が花ひらくとき、集会室が賑わう ・・・図書館法3-6,自由の宣言 前文2-3
・▽お話会・工作会(手作り会)▽読書会▽映画界▽特設コーナー▽行事・展示▽IT技術ーーー
・利用者用(住民発信用)掲示板の設置ー
◇「図書は、暮らしの知恵袋」― 配布資料2ーー
◎図書館のおいしい食べ方(ランダムに持ち時間まで)ーー
・メニュー1- 子どもに体験―遊び、自然科学(教室)、料理(教室) ※文字は記号
(中学生―大学図書館見学=国立より私立が良い)ーー
・ 2- 新学期〈入学式 新入生 PTA〉 新年度〈入社式 新入社員〉ーー
・ 3- 暮らしを支え・創りだす住民の話=中・高校生対象(青年前期 後継者)ー
・ 4- 高齢者(生きがい=プロ集団・結婚・介護・共同生活・グループハウス)ー
・ 5- 伝統・地場産業(地域)振興―女性の参加、団塊の世代のI・Uターンーー
・ 6- 野草〈薬草〉(予防医学)、 ※糸島市=川上・川下(環境保全)ーー
・ 7-和室利用―句会・歌会、囲碁・将棋(入門、大会)、茶道、骨董、着付、ヨガ・スポーツ
(茶道、華道=民間教育機関を歩く)ー
・ 8-一枚のポスターからーー
・ 9-自然災害(地震・津波)、恩恵(防災・避難/生命誕生/温泉・旅行)ーー
・ 10-貸出用絵画-特別展示(プロ作家の個展〈絵画〉にこだわらない)ーーー
ーーーーーおわり
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レジュメをみると、漆原さんの声が耳元だけでなく胸底によみがえってくるようだ。10年前の漆原さんの声、その言葉が2022年9月の今現在の私に、今これからの私たちが踏みだす道の灯火のように思われる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
配布資料1ーーーーー―――図書館利用を生活化しよう―――ーーーーーーーーーーーーーーーーー図書館は、本質的・構造的に民主主義を志向します。ーーー
――『図書館の自由に関する宣言』、『図書館のめざすもの』の意味するもの――漆原宏
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◎人類と図書館ーーーーー
人類は、地球上の緯度・経度の位置関係より簡単に記しても熱帯・寒帯、海浜・山岳、砂漠・湿地、創元・樹林など自然環境の違いの中で多くの人種、民族が誕生し、生活しています。したがって気候風土、衣食住の違いは、人的物的交流に差異が生じ、風俗習慣、生活習慣など、社会発展に遅速が現れます。そして時代を経て区別され、差別化が表れるまでになりました。結果、地球上の諸民族、諸国民の歴史には人間の負の遺産が多く含まれています。ーーーー
しかし、その時代に生きる大多数の民衆は、幸せな人生、平和な生活環境を日々願って暮らしを営んできました。願いは子孫に託され、暮らしから生み出された知識や知恵を後世に伝える手段として、現代の図書館が形づくられてきました。ーーー私たちは、1人ひとりの顔がちがうように趣味、嗜好、価値観など主義主張とその表現手段が違います。
記憶としての口承から、保存としての記録へ、手段は多様化し、従来、図書資料としての紙となる素材は、草、木が多用されましたが、現代はフィルム、CD、DVD、HD、SDメモリーカード、USBメモリー、スマートメディア、
メモリースティック、コンパクトフラッシュ、XDピクチャーカード、などが記録媒体として加わり、保存され利用に供されるおうになるました。ーーー表現の素材としては、水、紙、竹、皮、骨、土、石、銅、鉄、銀、金、アルミ、プラスティック、ガラスなどです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎図書館は世界的視野で資料を選択し、地球的規模で資料を収集します。ーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本の公立図書館は、日本にあるからといって、日本人が創り出した資料だけを収蔵しているわけではありません。
同じ主題を人種や民族、老若男女、そして異なる価値観をこえて世界の多くの人々が各人の思考と異なる表現手段を用いて創り出しています。各主題が多角的な切り口(多文化・多言語)から扱われ、多種多様な結果が用意されていrので、各人が納得のいく結果が得られるでしょう。ーーーしたがって図書館は、世界的視野で資料を選択し、地球的規模で資料を収集します。ーーーそれは、図書館の目的のひとつ、平和で人間性豊かな」国際社会の創造に活かされます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎図書館は、本質的・構造的に民主主義を志向します。--------------------------------------------------
日本国憲法前文は、平和主義、民主主義という「人類普遍の原理」を掲げています。国民主権、基本的人権の保障による自由と平等、そして互恵、戦争を放棄し領土を尊重し、国際的協和と友好、恒久的平和と共存を実現するためです。
そして、教育基本法前文には「この(憲法)理想の実現には、根本において教育の力をまつべきものがある」とし、第一条に「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」を掲げ、第七条二項に図書館施設を設置し教育の目的の実現に努める、ことを謳っています。ーーつまり図書館は、本質的・構造的に民主主義を志向します。結果、日本国憲法の理想の実現には、図書館が不可欠です。------------------------------------------------
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◎豊富な図書館資料は、比べて考えるうえで不可欠です。ーーーー
図書館資料は、各館の収集方針に基づき蔵書構成がされます。ある主題に対し縦軸は入門書から専門書まで、横軸はその類書群が収書・配架されます。ーーーまた、レファレンス・コレクション(引く本)として、調査研究活動に提供される字書、辞典、百科事典、図鑑、年鑑、統計書、白書、ハンドブック、便覧類など、図書館員がレファレンス・サービスに用いる資料があります。ーーー人は皆、今までの認識量の範囲内で思索し模索して、調べたい主題の類書群を読み、比べて考え、さらなる知識や知恵を得て、その時点の認識量の範囲内で自己決定(判断)します。ーーー認識は量を増し頭脳に蓄えられ、主義主張となり、行為や行動へと意思表示され、個としての人格を形成してゆきます。それには、資料が豊富であることが必要です。ーーー私たちは、それらを心の糧として成長し、ひとりの生活者として、社会人としての役割(立場、職業)を担い、暮らしを営んできました。自己決定学習は、過去をふまえ、今をおしすすめ、未来をのりきる力を生み出します。ーーー-------------------------------------------------ーーーーーーーー
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◎豊富な資料は、民主主義の理念である多様な価値観と選択肢を保障します。ーーーーーーーーー
豊富な資料により比べて考える仕様が、多様な価値観と選択肢を保障します。主義主張の異なる人々が共存共生する社会を支援します。ーーー私たちは、図書館資料を人類の文化財あ(遺産)として共有し、利用します。自己決定学習は、人間が主体としての基本的権利です。―――図書館は、民主主義の根幹である基本的人権のひとつ、生涯にわたる学習を保障します。多様な価値観を持つ人々が共存共栄できる社会が民主主義であり、図書館は、民主主義を方がさせる土壌です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー---------------------------------
◎図書館は、教育機関として無料で、自己実現を可能とする学習機関です。
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教育法制にみる手段としての図書館は、図書館法第17条に利用を無料と規定しています。憲法前文と第25条に謳われる生存権の保障は、学習権の保障のうえに成り立つからです。ーー学校教育を終え、社会人としての自己学習の場を保障するひとつに図書館が位置づけられています。仕事に暮らしにこじんとして、地域活動に集団としても利用されます。---------------------------------------------------------
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◎自治・時事の資料・情報を住民に閲覧する仕事を担います。ーーーーーーーーー
条例でつくられる図書館は、自治体行政へ努めてサービスし、図書館法第3条7項に定める時事問題をも、速やかに広く、そして確かな資料と情報を併せて閲覧・提供する役割を担っています。直接選挙制度を掲げる日本にあって自治意識を形成する基盤となる機関です。ーーー戦前、国家が教育と情報を一方的に決定・管理し、国の政策を無条件に支持し、正当化するいっかんした政治を進めたことで、国民は侵略戦争に動員されていきました。国家が国民の知る権利を踏みにじった歴史への反省に立って、教育内容を一方的に当世してはならないということが、戦後の新しい教育理念として承認され、憲法・教育基本法制定の基本原則となったのです。図書館は、その教育法制のなかに教育機関として位置づけられています。ーーーその願いには、図書館理念と同調し、国際社会と協和する、平和で人間性豊かな日本社会の創造です。ーーーーー---------------------------------------------------------ーーーーーーーーーーーー
◎図書館は、地域資料の収集・提供、そして保存は重要な仕事です。ーーーーーーーーー
図書館は、当該自治体の拠って立つ歴史的背景と存在理由を郷土・地域から掘り起こし、そして行政事業で印刷化された資料など、必要とする資料は選別収集し、閲覧、保存する役割を担っています。図書館員は、地域資料の収集に意識的に取り組む姿勢が求められます。---住民が国・自治体の権利侵害行為に権利回復の行動などをおこす場合など、住民運動が発行する宣伝物を収集・整理して国・自治体の資料と比較検討出来るよう配架し閲覧に供します。---------------------------------------------------------
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◎図書館は、生きがいのある暮らしを営むためにあります。----------------------------------
図書館は、時空を越えて世界の人々と出会い、資料を媒体に人と人とが集会室で集い、明日への知恵と英気を養うところです。ーーー図書館は、暮らしや仕事に助言や着想を引き出す事が出来ます。人としての在り方や生き方を資料と対話しながら探し、確認できます。そして、趣味や娯楽を憩えるオアシスとして疲労や悩み、悲しみや挫折を癒し、明日への元気を与えてくれます。ーーー人は図書館資料を活用して、個として自らを律し、生活者として自立した市民へと成長できます。自立した市民の結びつきは、自治意識を培い、責任感と行動力をもって自治体活性化に参画・参加し、そして国政の誤りも正せます。ーーー
図書館は、住民の暮らしや仕事、そして自治体行政の頭脳として、ひとづくりの要となり、まちづくりの
核として役立ちます。---------------------------------------------------------おわり
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〈配布資料2〉---------------------------------------------------------
図書館は暮らしの知恵袋―――図書館は地域社会を活性化する―――ーーーーー
ーーー-----------------------------漆原宏(図書館写真家)ーー
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□ 図書館は、暮らしの知恵袋ーーー
私たちは、知恵を働かせて生活しています。知恵とは知識を活性化したものです。お米は炊いて食べるだけでなく、蒸してお赤飯をつくり、蒸かしてついてお餅をつくり、粉にして焼いてお煎餅をつくり、麹をつくって味噌や醤油、そしてお酒をつくります。ーー牛は肉として食べるだけでなく、乳を絞ってミルクのほかにバターやチーズをつくり、皮はなめして靴や鞄、そして副をつくります。ーーこのように私たちは、知識を知恵に活かした生活しています。ーーー知識や知恵を収蔵し、利用できる機関が図書館です。
つまり図書館は、暮らしのなかにあって、その存在理由があります。--------------------------------
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□図書館は地域社会を活性化する--------------------------------
ある図書館が封筒に「見えないものが、見える目を」としるしたように、図書館資料は、暮らしに欠かせない物事や現象の、本質とその構造を解き明かす知識や知恵、そして情報を提供してくれます。
結果は、住民一人ひとりが自ら考え、自ら判断し、そして自分の発言や行動に責任を持つ人間へと成長させてくれます。ーーー各自治体が設置し運営する公立図書館は、乳児から高齢者、そして図書館利用に障害を持つ人々、また外国人までを対象としています。社会人を主軸に学校図書館を支援する教育機関です。私たちは、図書館資料をによる学習をとおして、事業や生産、労働や福祉に必要な経営や技術の知識や技術情報、そしt趣味やレジャーに必要な知識や知恵、さらに情報を得ることができます。ーー図書館は、すべての人にひとしく資料と施設を提供してくれます。ーーー知識を知恵に活かす知恵袋として、暮らしの知恵袋として、地域住民が図書館を認識したとき、図書館は地域に根づき、地域社会は活性化します。ーーそれには、そこに住む人たちが毎日一度は歩く生活動線上に図書館を造ることです。駅前や繁華街、ビジネス街や官公庁街、住宅地域の商店街、スーパーマーケットや学校のそば、そして住宅地など人々が毎日とおり、集まる所だと立ち寄りやすいでしょう。--------------------------------
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□ 図書館とは--------------------------------
私たあちは生物が地球上に誕生してから、38億年を費やして人類へと進化し分化し、自然に順応し共生しながら今日の人間社会を築いてきました。その間、私たちの遺伝子は、何億ビットという記憶量を蓄えてきました。遺伝子が一杯になると頭脳をつくりました。しかし科学や文化は時代とともに発展し、頭脳に入りきらない知識量を生み出しました。頭脳の記憶量も一杯になったとき、人間は外部記憶装置を考えだしたのです。それが図書館です。(朝日新聞社刊、カール・セ―ガン著『コスモス』)ーーーー
脳細胞は脳神経がはりめぐらされて活かされるように、図書館資料も異なる地域、異なる文字・言語をこえて活かされるためには、組織網が必要です。町村の図書館にない資料も、自治体間や国際間で相互協力や相互貸借胸底を結んで市区立、都道府県立、そして国立や外国の図書館からも借りられます。つまり図書館は、一つひとつの資料の集合体に終わらず、すべての資料が有機的に点から線へ、線から面へ網の目のように連鎖し、連携して機能する機関で、人間が暮らしのなかからうみだした機能であり、暮らしの知恵の産物なのです。ーーー図書館資料には、一般家庭ではそろえきれない自然科学や社会・人文科学の資料が配架されています。自然科学資料は、有形、無形に存在するすべての物質に、存在の必然性があることをしるしています。ーーー自然界の自然物の一員で、唯一思考し、思索し、判断し、そして行動する人間は、全物質を支配し独占できます。しかし、自由に伐採し、捕獲し、掘削することは人類を含めた生態系を侵し、自然を死滅させ、宇宙をも破壊します。図書館資料は、すべての”生命”と自然、そして宇宙が、人間に託されていることをにんしきんさせてくれます。ーーーーー社会・人文科学資料には、人類が
「ヒューマニズムと民主主義」を目指して、さまざまな社会制度をうみだし、体験してきた歴史があります。汗と涙と、そして血を流し、自由で平和な社会を目指して、語り継ぎ、記録(文字、活字、画材、地図、楽譜、フィルム、レコード、カセット・ビデオテープ、CD、DVD,USBメモリーなど)してきました。
ーー人類は、時の流れに即して文化をうみ、資料は量が質を高め、時代を反映して文明をおこし、資料は質が更なる質を高めてきました。図書館資料は、人類の歴史とともに増殖し、人類が「生きて活動する根源の力で、生物を生物として存在させるもの」( 岩波書店刊「国語辞典〈せいめい〉参照)として不可欠となるのです。ーーーつまり、図書館資料は、存在するすべての”生命”の大切さを認識し、共存・共生
する意識を継承すべく先達が書き残してくれたものです。”生命”の大切さを書きしるしたものです。もっと極限すれば、図書館資料とは、”生命”と不可分なのです。ーーー図書館は、それらの資料を地球規模で選択し、収集し、いまの暮らしに活かしています。人類の文化遺産を共有し利用することで、”生命”を大切にする平和で人間性豊かな国際社会を創ることです。豊富な資料が住民に利用されることで、一人ひとりに多様な選択肢を保障します。そして、学習をとおして多様な価値観の形成をうながし、確固とした判断力(自己決定)を培います。自己決定権は、国民が主体としての基本的権利です。ーーーー
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□ 図書館は平和で自由な土壌のうえに開花するーーーーーーーーーー
図書館資料が人類の歴史の証といわれるのは、その一つひとつが、そ時代に生れ、その環境を生きぬき、その職業をまっとうし、そのおかれた立場にあって過去を見つめ、いまを捉え、そして未来を拓く一人ひとりの生き方の集積であり結晶だからです。その一つひとつに、著者のライフワークが思い入れとともに書き込まれています。それをいまに生きる私たちが心の糧とし、暮らしや仕事に役立て、社会や家庭を営んでいるのです。ーーしたがって図書館資料からは、暮らしや仕事の助言や着想を引き出すことができます。人としての在り方や生き方を資料と対話しながら探し、確認できます。そして、趣味や娯楽を憩えるオアシスとして、また、疲労や挫折、悩みや悲しみを癒し、あすへの元気を与えてくれます。図書館は、人それぞれの生き方と楽しみ方を導きだすことができます。また、何をどのように読んでも、読書の自由とプライバシーが保護されています。ーーしたがって図書館は、平和で自由な土壌のうえに開花します。図書館は、人類に不可欠な機関として、人類が生存するかぎり、ともに成長していくことでしょう。ーー
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□ 図書館は、人類に不可欠な機関、無料が原則--------------------------------
人は皆、この世に求められて生まれてきます。ゆえに憲法では、生存権をうたっています。ユネスコは、
1985年に「人間の生存にとって不可欠な手段である」(三省堂刊『解説 教育六法1992〉学習権宣言・国保障民教育研究所訳)として、基本的人権の一つに学習権を宣言しました。つまり、生存権は学習権の保障のうえに成り立つのです。ーーー図書館利用が無料の理由は、住民(外国人を含む)すべての学ぶ権利や知る権利をひとしく保障するうえで不可欠な機関だからです。
いつでも、どこでも、だれでも、どこからでも、どこへでも、どんな資料でも、そして会議室やホールでも、無料で借りること、人とひととのができなければならないでしょう。--------------------------------
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□ 図書館は人と人との出会いの場、集いの場--------------------------------
図書館は、個人的な疑問や仕事上の不安であれ、社会的出来事や自治問題であれ、利ます。用さである地域住民へ問題提起し、集会室を利用しての集会・文化活動へ発展的に結びつけ、数人の講師による講座の実現や情報交流の場の確保など、資料とセットされた施設の提供が可能です。いまをおしすすめ、未来に生きる私たちは、地球規模の市やでの認識と行動が求められます。現代の生活者は、図書館利用の生活化が求められています。ーーー図書館は、ほんと人との出会いに終わらず、人と人との出会いの場、つどいの場となり、いこいの場、そして地域住民の情報交換の場となります。ーーーこれからの図書館は、滞在型指向の図書館が望まれます。仕事やライフワークに週休2日制や代休、そして転職などで多くの成人男子が利用しています。また、高齢化社会を迎え仕事から解放された人が増え、以前と違い朝から館内が利用者で賑わいます。ーー居住性を考慮して造られた図書館は、ブラウジングや閲覧空間がカウンターから見えない所に設置され、図書館員の目を気にせずにすごせます。また、AV資料の試聴空間が工夫され、パソコンの使用を可能にする防音された閲覧室も用意されています。図書資料やデータベースを数日利用可能なブースも求められます。ーーー幼児は親に手をひかれ、カーペットの床に座って絵本を読んでもらい、児童は仲間と紙芝居に興じます。そして、自然の不思議や社会の仕組みに興味を深めていきます。――中・高校生は、自我に目覚め、物事に強い関心を抱き、未知の世界を知る資料を選びます。また、青年は成人期への準備期として、人としての将来を決める時期でもあります。ーーー乳児あ幼児を育てる母親たちは、育児、家庭生活ともっとも知識や知恵を必要とする時期です。出産、育児期に花開くように行動する女性たちに、保育室や収納壁に簡単な厨房設備をもつ会議室があれば、集会・文化活動にすすんで参加できます。高齢者は、よき相談者となり、伝承者となり、指導者となり、そして人生の師となって図書館利用者のよき援助者になります。ーーー図書館利用に障害のある人々には自宅配本し、入院患者へは病院サービスで支え、対面朗読では通信販売の本も読んでもらえます。そして手話や外国語ができる職員もいます。ーー読書に疲れたとき、調べものの見通しがたったときなど、一息入れて気分を入れかえたいと思うものです。そんな利用者のために、公園様の中庭があり、緑陰のベンチやテーブルで歓談や読書、そして散策ができます。ーーー軽い食事ができる喫茶室あ愛煙家のための喫煙室、そして気にしないで話が可能な団欒室が必要です。団欒室は、図書館を利用する市民の個人広告・生活情報が得られるつくりを工夫し、発・受信場所でもあります。ーーー人々は、図書館資料を媒体とし、集会室を利用してサークルをつくり、つどいます。図書館の集会機能は無料が一般的なので、資料を生かしたいろいろなサークルに利用されます。したがって、ホールや会議室のほかに会合内容にかなった集会室(会議室、和室、板の間、創作室、工作室、録音室、対面朗読室、AV編集室、茶室、研究ブース、グループ室、ボランティア作業室、厨房、そして縫製室などの専用室)がたくさん必要です。また、陳列や展示可能な空間をもつ施設が求められます。ーーー図書館利用を生活化するためには、集会室が閉館後も利用できることが望まれます。ーーー おわり
〈2022.9.26/採録〉
2022年9月18日日曜日
漆原宏さんのこと No.96
昨日、漆原宏さんのご訃報をご夫人の美智子さんから知らされた。美智子さんによれば漆原宏さんは一年寝ついて訪問看護を受けられていた由。9月15日朝方、千葉さん、大澤さん、伊藤さん達のおられる世界に旅立たれたとのこと。18日にご自宅から出棺、お「部屋には彼の写真パネルーーー彼らしい人生でした。」とのお言葉でした。
ーーーーー
(メールで送信したのは)
「漆原さんから手渡されたもの、わたしの生涯にわたっての心の奥底にあって、いつも共にあります。美智子さんとのお二人の生活が始まると、(静岡から?)お電話いただいたときのしみじみとしたお喜びの声の響き、今も耳元にあります。千葉治さん、大澤正雄さん、伊藤峻さんとの出会いと語らいの場をはじめ、(仙台の)扇元久栄さんをはじめ、どんなにかけがえのない方たちとの出会いを授かってきたか、愉しく厳しい学びの時を手渡されてきたことか!ありがとうございました。あのように漆原さんの晩年の日々を灯りのように〔灯りとなって〕伴走された美智子さんに心から感謝の思いを深くしています。」との言葉をお送りするのがやっとだった。ーーーーーーーーー
美智子さんと初めてお会いしたのは1987,8年の頃、「福岡の図書館を考える会」の「図書館の話の出前」の注文が柳川の美智子さんからあり、考える会の若き2人の友人と3人で美智子さんたちを訪ね、その日はお寺で蚊帳をつって泊めていただいたのだった。以後、「柳川の図書館を考える会」の要の人として、美智子さんの行動はめざましかった。心温かく明るくねばり強いふるまいで、福岡の図書館づくりを深く支えてくださった。漆原宏さんが博多駅近くの記念会館図書室にひょっこりやって来られたのもその頃のことだった。それから随分時を経て、静岡?からのお2人からの電話をいただいたのだった。漆原宏さん、千葉治さん、大澤正雄さん、伊藤峻さん、扇元久栄さん、その他漆原宏さんから授かった出会いの一つ一つについては他日に。
驚くばかりの ”ひょうたんランプ展〝 No.95
”どこにでもありそうな景色を描く女 ひとみ”さんの作品展 9月26日まで。
自宅から歩いて5分、龍国寺を訪ねたら、ほんとうにびっくりする展示が行われていた。
ひとみさんの絵を初めてみたのは1年前、龍国寺でだった。描かれている絵に驚いた。そこにある絵で
ひとみさんが最初に描かれた絵は、私の家から坂道を降りて数分の所、小さな古墳の側の路から前方に
広がる田んぼと空、私が出かける時は必ずその路を通り、目にする、目にとびこんでくる光景が描かれ
ていた。まさに”どこにでもある景色”が、私がはじめて目にする世界としてそこにあった。田んぼも
わきたつような雲の様子も、ふだん見るともなく見ていた世界なのに、そこにあるのは目に映るものを
写真に写るように撮ったものではなく、田んぼの水面の光、雲間の光からは生きている世界、宇宙とい
うか、いのちの世界がそこにあるように感じられ、なにか天と地から歌がきこえてくるかのようだった。
(あとから頭をよぎったのは随筆家岡部伊都子さんの”一刻一刻”というコトバだった。)ーーー
さらに驚いたのは、その時、ひろみさんの絵は描き始めて1年ばかりのものだとお聞きしたことだ。1年
にして、このような絵が描かれるとは。ーーーーーー
それから1年後、一枚一枚、一作一作、心を吸い込まれるような作品が展示された本堂の奥の一室に
明かりをけした暗い小さな部屋にそれはあった。ひとみさんが、一つひとつ形のちがうひょうたんに
描かれた作品が、一つひとつひょうたんの中の灯りを灯すごとに、一つひとつ絵と言うより、いのち
というか、宇宙というか、コスモスやリンドウ、月下美人や月や星座が現れて来て、傍らで話してく
ださるひとみさんのお話、言葉をきいていると、思わず宮澤賢治さんに見せてあげたいですね、との
言葉が口をついてでた。何とも天からの声が聴こえるような不思議なひとときだった。
部屋を出て、ひとみさんの言葉が記された柱の前に置かれた、私の手のひらにのせられる小さな小さ
な作品、そこに広がるどこまでも広く深い世界と再び対面した。ーーーーーー
家に帰りつくと、副住職(若和尚と私は読んでいる)の甘蔗健仁さんから、このたびのお寺での展示
の懇切な案内がメールで届いていた。ーーーーーーーー
幻想的な「ひょうたんランプの世界」
~カラヴィンカ龍石/どこにでもありそうな景色を描く女 ひとみ~ーーーーーーーーーーー
展示期間9月17日(土)~26日(月)9時~17時まで
会場・・・龍国寺(糸島市二丈波呂474)ーーーーーー
予約は必要ありません。23日∼25日はお彼岸で混雑が予想されます。乗り合わせをおねがいします。ーー
(健仁さんのご説明)ーーーーー
①【カラヴィンカさんのひょうたんランプ】ーーーーーーー
石器時代から道具として活用し、人類最古の栽培植物とされる「ひょうたん」。タオイズムでは
”人間と自然”の調和の象徴とされています。この多忙な現代にひょうたんのある生活を提案しています。
〔そういえば、ひとみさんのお話をお聞きしているとき、カラヴィンカさん作のひょうたんステレオ?から
静かな音楽が流れ続けていた。〕ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
②【ひとみさんのひょうたん絵画】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ひとみさんの絵には展示会を観に行く度に驚かされますが、今回は世にも美しい『ひょうたん絵画』を展示
いただきます。ーーーーーーー「ひょうたん絵画は日々描いていくなかで学んだことや描くことを通して頂
いたご縁など色々奇跡が重なって生まれた作品です。」とひとみさんは話されます。ーーーーーーー
〈注意〉23日(金)秋分の日は檀家の方のお参りが大変多いと予想されますので、一般の方は午前中は
10時まで、午後は16時以降にご来場ください。どうぞよろしくお願いいたします。ーーーーーーー
必見です‼どうぞ、ひょうたんランプの世界へ
2022年9月15日木曜日
森崎和江さん 追悼展のお知らせ No.94
本年6月15日に、満95歳で逝去された森崎和江さんの追悼展「森崎和江さんからの贈りもの」
のご案内です。---------
森崎和江さんからの贈りもの ー追悼展ー---------------------------------------------
2022年6月15日、満95歳で逝去された森崎和江さん(1927ー2022)
は、一人ひとりの読者に心深く刻まれるものを手渡されてきた方です。
森崎さんが歩んでこられた道から生まれ紡ぎだされた言葉、生き方から
読者一人ひとりがどんなに心凛とする、そして心温かくなるものを手渡さ
れてきたかを思います。森崎さんから手渡されてきたもの、森崎さんから
の贈りものを、あらためて静かに想う小さな場をと考えています。
・森崎さんのご本と写真の展示と「森崎さんを語る」お話。------
★展示 2022年9月1日(木)~10月31日(月)
ポートレート:松崎佐奈恵さん 4点--------
----------★お話 2022年10月12日(水)18時30分~20時頃--------------------------------------------------------
---------- ★場所 龍国寺
〒819-1626 糸島市二丈波呂474
Tel 092-325-0585 Fax 325-0948
ryukokuji@jyno.ocn.ne.jp
(問合せ・・・才津原 Tel090-5045-2559)
メール:itokazedayori@gmail.com
ブログ「図書館の風」www.kazedayori.jp
(同No.91は、「森崎和江さん 悼詞」)
追記
1.9月10日、西南大学で行われた森崎和江さん追悼のイベントの会場で上野朱さんにお会いした。糸島、龍国寺での
森崎さんの追悼展のことをお伝えしたら、すぐにバッグから数枚の写真をとりだされた。そして松崎佐奈恵さんを紹
介してくださった。さっそくお寺の会場の一画に松崎さん撮影の写真を展示することができた。ーーーーー
2.上野朱さんからのもう一つの思いもよらない贈り物は、『アルテリ』14号(アルテリ編集室発行、橙書店内)を
いただいたことだった。最近の毎日新聞の土曜日の書評欄に新刊の14号に、「石牟礼道子資料保存会」【この会に
は友人で、かつては大牟田市立図書館の職員だった大原俊秀さんが参加して活動している。大原さんは、その
元で共に働いた小柳屯(たむろ)さん(1930―2021・福岡県内の当時の図書会員にとっては福岡県の図書館の活動の
歴史の体現者、実践者とでもいうべき人。大原さんは、小柳さんの『木造図書館の時代・「中小レポート」前後の
ことを中心に』と『小柳屯 図書館関係レポート1956∼1995』(いずれも石風社、1999年)お発行に「図
書館問題研究開福岡支部出版委員会編の中心的役割、ほとんど大原さんが編者としての仕事をされたのではないかと
思っている。彼は退職後は三池資料の膨大の資料の整理、出版にも関わっている。】が整理して いる石牟礼さんの
遺品のなかに、森崎さんが石牟礼さんに宛てた書簡類が複数残っていて、ご遺族の了解を得て、2人の交流が伝わって
くる書簡の一部を掲載するというのだ。「風信子(ヒアシンス)文庫)から本の出前をしている前原にあるブックカ
フェ「ノドカフェ」では、熊本の橙書店から本の取り寄せをしていたので、そこから買おうと連絡したところ、現在は
取り扱っていないとのこと。『アルテリ』をおいてある書店は福岡市内でも限られているため、どうしようかと考えて
いたところだったので驚いてしまった。私がまだ14号を入手していないことを伝えると、上野さんは「自分はもう読み
ましたから」と、その大切な一冊をプレゼントしてくださったのだ。14号には森崎さんの書簡の他に「石牟礼道子さん
の日録」、「渡辺京二・日記抄」、渡辺さんと坂口恭平さんの「アルテリ対談」、池澤夏樹、田尻久子、町田康ほか、
目にしたい文章が目白押しで、何とも大切な一冊だと思われた。
3.後日、40年来の友人で写真家で、私が住む二丈のある公民館の写真教室の先生でもある吉住美昭さんから電話があり、
龍国寺での追悼展のご案内をしたら、昔たしか森崎さんの画集の撮影をしたことがあると言う。よくよくお聞きすると、
石風社から1986年(26年前だ!)に出版された『インドの風の中で』(スケッチ・文 ・森崎和江)だった。1977年
12月に、当時50歳の森崎さんが、インド仏蹟めぐりという観光旅行をされた時の短い旅の記録。帯には「インドへの
短い旅行のなかで描かれた22葉のスケッチとインドの風をつたえる」とある。発行者であり、多分、編者でもある
福元満治さんの文だと思われる。ーーーーーー
本書の末尾には「本書に収められたスケッチは全て原寸です。二点(かって栄えた都・ベナレス)を除き、彩色され
たスケッチはからーで、単色のものはモノクロで印刷しました。」とある。ーーー
電話口での吉住さんお言葉、「そう言えば、森崎さんから(写真を撮った)お礼の葉書を頂いていたなぁ、どこにい
ったか、すぐには見つからないけど。」(9月17日、記)
2022年8月31日水曜日
「図書館は人々の共有財産です」〈岸本聡子杉並区長独占告白〉 No.93
ふだん利用している地域の図書館では週刊誌は2誌しかなく月刊誌も少ない。また私の生活圏には本屋さんがないため、
私は週1回は買い出しに出かけるお店(車で10分)や、その帰途たまに立ち寄るコンビニなどで雑誌に目を通している。
8月26日だったか、ある週刊誌を見ていて、思わず、「そうだ」と、その言葉に眼をとめていた。ーー
「図書館は共有財産です。」、 「図書館をどう扱うかは自治体のリトマス試験紙です。」
『サンデー毎日』9月4日号だった。116、117頁、2頁の誌面。大きな縦の見出しで、
「無作為で選んだ市民と対話集会続ける」、また、上段の横書きの中見出しには、
「岸本聡子杉並区長が独占告白」とある。
「公共政策のスペシャリスト」の肩書の右側に本人の写真、それに並んでもう一枚の写真が「公用車を使わず自転車通勤
する姿も話題に」との紹介記事とともに掲載されている。
ーーーーー
リードの文章は、こうだ。ーーーーーーー
「6月の東京都杉並区長選で現職の田中良氏を破り、初当選を果たした岸本聡子区長(48)。出馬表明からわずか2か月
で臨んだ選挙戦で勝利を飾った。国政シンクタンクの元研究員が、地方自治で実現したい政治とは何かを聞いた。」ーー
「図書館は人々の共有財産」、「図書館をどう扱うかは自治体のリトマス試験紙」という言葉は、次のような記事のなかで
でてくる。ーーーーーーー
「前職(欧州で約20年生活し、国際政策シンクタンクの研究員として各国の公共サービスの実態などを調査)の時は自身の
著書などで「コモン」の大切さを訴えてきた。コモンとは民主的に共有、管理されるべき社会の富だ。水道や鉄道、公園と
いった社会的インフラ、報道や教育や病院、自然などの地球全体の環境までをも含んだ意味を持つ。」
「コモンの価値を、区民の日常生活にまで落とし込むことが大事です。
たとえば図書館は人々の共有財産です。具体的な建築物として人が集まる場所であり、知る権利を保障する社会インフラの
役割を持つ。図書館をどう扱うかは自治体のリトマス試験紙です。「パブリック図書館の奇跡」「ニューヨーク公共図書館
エクス・リブリス」などの素晴らしい映画がありますが、そこではスタッフは本の貸し出しだけでなく、講演会やパソコン
講座、就職支援プログラムも行う。そういう知の拠点としての文化的、社会福祉的な役割も担うのです。自治体の多くはこ
れまで公的施設を削減するなどコスト重視でした。
でも区立施設や区の職員はコストではなく、杉並の財産なのです。
現在は、全国の自治体で運営の民営化が進むが、「コモン」を守るには公営であるべきだと言う。」
「大切なのは公共施設や公共サービスを杉並区の直営でやることです。民間委託だとお金がどう動き、使われたかがわかり
づらい。限られた予算だからこそ大切に、透明性の高いやり方が必要です。」ーーーーーーー
「水道や鉄道、公園といった社会的インフラ、報道や教育や病院、自然などの地球全体の環境」は、人々の共有財産で、
「民主的に共有、管理されるべき社会の富だ」ということ。区(市)立施設や区(市)の職員はコストではなく、杉並(
それぞれの市)の財産であるということ。図書館は市民の共有財産であること、まずこのことを心深く刻みたい。ーーー
117頁には「杉並区を民主主義の学校に」との見出しのもとに、岸本氏の政策集「さとこビジョン」が選挙中も区民の声を
反映する形でバージョンアップされてきたことが記されている。「そんな政策を通じて実現したいのが、『杉並区を民主主
義の」学校にする』ことだ」という。「海外で生活する中で、日本の政治に疑問を持つことも多かった。それがこの政策の
根幹になっている」と。「日本人はどうして”政治と生活は繋がりがない”と思いこまされているのかと、常々感じていま
した。主権者教育を意図的にせず、国民に主権者であるとの感覚を持たせない、意図的な力が働いているとしか思えない。
その意識がないから投票にもいかないのでしょう。でもそのほうが、為政者にとっては都合がいい。市民と政治の関係性に
おいて緊張関係を保つというその不断の努力を、権力側も市民側もしなければいけません。自分が選んだ議員を監視し続け
るというのは、市民にとって権利であると同時に責任です。これをやらないと社会も劣化するし、民主主義も劣化してしまう。日本は世界的に見てもジェンダー後進国ですし、不平等がはびこっていますが、その理由はこういったところにあるのです」ーー(記事は鳥海美奈子記者)ーーーーーーーーーーーー
「図書館をどう扱わうかは自治体のリトマス試験紙」〈その自治体・行政の民主化度をはかるものさし〉、私の住む糸島市では、図書館はどう扱われているか、その観点からあらためて見てみよう。
当該雑誌「サンデー毎日」9月4日号を早速買って帰ったのだが、関心ある方はぜひ、図書館などで見ていただきたい。ーー
追記1.新聞の書評に。ーーー
実は「サンデー毎日」9月4日号を手にした1週間前の8月26日(土)の毎日新聞朝刊の書評欄の「話題の本」で、和田静香という人の書評を読み、図書館でまずリクエストをしようと思っていた。『私がつかんだコモンと民主主義』岸本聡子)、本の表紙の写真が載っていて、タイトルの横には、「日本人女性移民、ヨーロッパのNGOで働く」とあった。ーーー
「6月にわずか187票差で現職を破って東京・杉並区長となった岸本聡子さんによる、自身の半生を綴ったエッセイ『私がつかんだコモンと民主主義』(晶文社・1760円)を、夢中になって読んだ」が、書き出しだ。書評では図書館については何も
触れられてはいなかったが、まずはこの本を読んでみたいと思ったのだった。岸本さんのことは、それまでまったく知らず、
杉並区長に当選したばかりということも、本文で初めて知った。ーーー
追記2.そして8月25日、毎日新聞朝刊、1面下段の出版広告の右端の欄に『私がつかんだ・・・』の案内がでていた。
タイトルの上段に「8/20(土)毎日新聞の書評でさらに注目」とあり、タイトルの下には、重版決定 日本人女性移民 ヨーロッパのNGOで働く 杉並区初の女性区長による最新エッセイ! 世界とつながる 希望のポリティクスが
ここにあるーーーーーーーーこの案内で2版が出ることを知る。すでに知る人ぞ知るで、かなり話題になっているのだと。ーー
著者の他の本を調べてみると。
1.『安易な民営化のつけはどこに、先進国に広がる再公営化の動き』(イマジン出版 2018.12)ーーー
2.『再公営化という選択:世界の民営化の失敗から学ぶ』岸本聡子編 山本太郎 2019.5ーーーー
3.『日本の水道をどうする!?〈民営化か公共の再生か〉』内田聖子編著 2019.8ーーーーー
4.『水道、再び公営化!欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』(集英社新書 2020.3)ーーー
5.『ころな危機と未来の選択パンデミック・格差・気候危機への市民社会の提言』アジア太平洋資料センター編 コモンズ 2021.4ーーーーーーーーーーー
6.『最後の一滴まで/ヨーロッパの隠された水戦争」ヨルゴス・アヴゲロプロス監督。アジア太平洋資料センター 2019
ーーーーーーーーーーー
追記3.「図書館は人々の共有財産です」という言葉を見て、頭に浮かんだこと。2014年、糸島市に隣接する福岡市で起きたことを苦い思いで思いかえす。ーーーーーー
人口150万人を超える九州で最大の都市、福岡市で一番の繁華街は天神地区だ。その天神地区の西隣に大名地区がある。地下鉄
「天神駅」から歩いて10分足らず。大名地区は多数のセレクトショップや路面店、雑居ビルなどが所在する一方、かつてからの住宅地も残っていて、細く入り組んだ道路ともあいまって、天神地区とは異なった雰囲気を持つ。ーーーーー
その地区に1987年(明治6年)に創設された大名小学校があったが、開校140周年を経て2014年(平成26)、児童の減少による都心部の小中学校の再編により廃校となった。この地区でのかけがえのない公有地をどうするか、福岡市の動きは素早かったと今にして思う。廃校3年後には「旧大名小学校跡地活用プラン(平成29年3月策定9月改訂)」をふまえ、跡地活用の事業者公募を実施。30年3月、優先交渉権者を決定。当時、新聞記事やテレビのニュースなどで、その動きを知ったとき、私は福岡市民ではないけれど、「図書館砂漠・・・福岡市」と思うしかない福岡市で、市民の図書館に向けてのきっかけ、その論議の端緒ともなればとも思ったのだが。そこで聞こえてきた計画のあらましを知って驚いた。ーーーーーー
「地域活動や災害時の避難場所の役割【カモフラージュの定番の言葉、本音は後段に】国家戦略特区による規制緩和などを活用した新たな空間と雇用を生み出す福岡市の取り組み「天神ビッグバン」の西のゲートを担う場所となる。故安部氏、麻生某氏、現・福岡市長にまっすぐつながる在りよう。一人の市民として、その時思ったのは、「そこは市民みんなの土地、140年にわたり地域みんなの場であった土地」であるのにという思いだった。いったんそれを手放してしまうと、とりかえすことが難しい。お金のことだけではない、街中にあって地域の人たちがホッとする場所、次の世代の人たちにも大切な場となるような、「地域みんなの場所」となるような場づくり、それに向けての市民の関わりを大切にした地域づくりが見えない中で。ーーーーそうして眼前に立ち現われてきたのは。(これから宣伝がなされることだろう⁉)
敷地面積約10,000㎡、建築面積約5,600㎡、延床約90,000㎡。2022年12月竣工(ホテルは来春)をめざし、「オフィス・ホテル棟」(地上25階、高さ111m)「コミュニティ棟」(地上11階、高さ46m)はすでに外観を完成している。
【「オフィスホテル棟」オフィス、3階、5~16階。ーーー
ホテル17階~24 階5,6なされる00㎡、50㎡以上の客室162室(計画では)。
【「コミュニティ棟」1階公民館、老人いこいの家、多目的空間。2階テナント。3階テナント、保育所。4階オフィス。
7~11階レジデンス(19戸)
【その他】
土地の所有者とされる福岡市(ほんとうは市民から委託されたもの)のやり方、その手法をしっかり目に刻むためにも、この事業を担った「大名プロジェクト特定目的会社」5社の名前を記録しておこう。
・積水ハウス・西日本鉄道・西部ガス・西日本新聞社・福岡商事。
追記4. 2022年9月9日
『井上ひさし発掘エッセイ・セレクション/まるまる徹夜で読み通す]』(岩波書店 2022.7.14)を読んでいたら、著者が
書いた多数の推薦文の中から(この類のものが三百点弱確認)、百点を選んだ「推薦文百選」の章があった。その中に次の
一文があった。岸本さんの言葉とまっすぐ響きあう言葉。ーーーーーーーーーーーー
29 富塚三夫『国鉄再建への時刻表』
文化と文明は、人とモノの移動によって成り立つ。日本人の心を支え、移動をつかさどる大動脈を
国民が共有していることは大事である。国鉄は、公共の論理が尺度なのに、産業の論理だけ
で分割してしまうのは疑問だ。 (1982年10月 かんき出版/帯)
井上ひさしさんの声がきこえる。
2022年7月31日日曜日
うれしい小さな報告 中学校のノー(NO)部活動デー No.92
糸島市の人口は103,172人(2022年4月)で、市内に市立中学校は6校(分校1,小学校16校)あります。
福岡市の西側に隣接する糸島市は2010年1月1日、前原市(当時の人口69,200人)、二丈町(13,400人)、
志摩町(17,700人)の1市2町の合併により新市となりました。中学校は前原地区に3校、二丈地区に2校、
志摩地区に1校です。(志摩には「姫島分校」もあります)ーーーーーー
私が住んでいる所の中学校は二丈地区の二丈中学校(生徒数225人)ですが、その隣に糸島市図書館二丈
館(以下、二丈館という)があります。これは、合併の翌年、2011年10月1日に、旧二丈町、志摩町の庁
舎の一画を改築して、それぞれ二丈館、糸島市図書館志摩館(以下、志摩館という)として開館したも
のです。そのオープンに向けて、志摩の「みんな図書館つくろう会」や「としょかんのたね・二丈」、
「二丈としょかん倶楽部」、「糸島の図書館考える市民の会」などで連携して2008年以来、行政への
要望、議会での質疑を行ってきました。ーーーーー
つまり二丈中学校の隣に糸島市の図書館の分館である二丈館ができて12年になるのです。私は二丈館には
開館以来、週に1,2回は利用しています。ほとんどがリクエストした本を借りるためです。あらためて
思うと不思議なことなのですが、そうやって出かけた二丈館で、中学生を見かけることがほとんどなかっ
たのです。ーーーー
そうしたことに、疑問を抱いた保護者が現れました。驚いたのは、彼は糸島市の図書館の13歳から15歳の
(中学生)利用者の小学校区別の人口、登録者数、実利用者数、貸出冊数の3年間にわたる資料を教育委
員会に請求して調べたのです。市内のどの小学校区には何人の中学生が住んでいて、そのうち図書館の
利用カードを作っているのは何人か(登録者数)、また、カードを作った人のうち、実際に本を借りた人
は何人か(実利用者数)、こうして小学校区ごとの「登録率」、実際に利用された「利用率」、さらに
「人口(生徒)1人あたりの(年間)貸出冊数」や「登録者1人あたりの貸出冊数」が明らかになりました。
PTAの役員もしていた彼がとりわけ驚いたのは、中学校のとなりに二丈館がある、二丈中学校の生徒の利用
の甚だしい低さでした。彼はこのことをPTA の人に話すとともに、校長先生と幾度かの話の場をもちました。
中学校では部活動が盛んで学校も積極的にとりくんでいます。そうして生徒の生活を考えてだと思いますが、
1週間に1日だけ部活動をしない日(ノー部活動デー)それをを市内の中学校全校で設けています。糸島市で
それを月曜日としてきました。つまり図書館の休館日です。中学生たちが部活動がなく、いつもより早く
帰れる日は図書館は休館日でしまっているのです。ーーーーーー
校長先生との話し合いの結果、「ノー部活動デー」の日を月曜日から水曜日にかえることになりました。
また、部活のある日でも、生徒が事前に保護者に伝えておけば、学校帰りに図書館に立ち寄ることもできる
こととなりました。
これはまだ、糸島市内では二丈中学校だけのこととなっていますが、それでもとても意味ある大切な変化では
ないかと思います。一人の人の疑問から始まった小さな行動の積み重ねの力を思いました。ーーーーー
夏休み前でしたがこのことがきまって数日後、私が二丈館に出かけたとき、図書館の玄関前に10人近い制服姿
の中学生がいました。男子が2人だったか。思わず声をかけたのですが、10年以上、二丈館を利用してきて初
めて目にする光景でした。やっとというか、なんとかやってきてくれた中学生たちを手ぶらで帰さない図書館
側の取り組みを今やと待ち望む思いです。
2022年6月30日木曜日
森崎和江さん 悼詞 No.91
森崎和江さんが亡くなられた。6月15日、満95歳。6月19日の毎日新聞の朝刊で知りました。
この何年かは、ご連絡できないご様子と思われお便りなどを控えていた。
後日、ご葬儀は近親者で18日に営まれたとのお知らせ、森崎さんがすでに自らのお墓を宗像
市内の霊園に用意しておられ、8月上旬にはそこが森崎さんの安住の地となりますとのお言葉
が心に深く届くお言葉とともに記されていた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
森崎さんの言葉、ご本に出会ったのは1969年前後、53,4年前のこと、東京で私が大学2,3年
生の頃だ。そして森崎さんと初めてお会いしたのは2002年、京都駅の近くで、あるお寺が主催
した森崎さんの講演会でだった。森崎さんの読者の一人として生きてきて30数年を経てのこと
だった。100人くらいの参加者だっただろうか、講演が終わったあと、どなたも演壇に近づいて
おられない。思わず知らず私は森崎さんの前に立っていた。そしてとっさに能登川の図書館で
の講演をお願いしていた。翌年の2003年4月26日、「子どものいのちに教えられ」と題してお話
をしていただいた。2003年1月1日に発行された『月・人・石ー乾千恵の書の絵本』(乾千恵・
書、谷川俊太郎・文、川島敏夫・写真/福音館書店、こどものとも562号)の著者、乾千恵さん
の「乾千恵・書展 月・人・石」(4月2日~27日)を能登川町立図書館で開催中で、その最終
日の前日のことだった。講演会には乾千恵さん、ご両親の一さん、文子さんも大阪の島本町から
参加された。千恵さんと森崎和江さんとの出会いは私にとって何よりうれしい出来事だった。
会場においていたノートには「いのちひびくあなたの文字とわたしのからだ」と森崎さんの手で
記されていた。いのちとの出会いを求めて歩んでこられた森崎さんの文字を心に刻んだ。
そのご幾度も森崎さんと出会いの時を授かった。その一つ一つの出会いが今も鮮烈に蘇る。その
時々に、以後私にとって、かけがえなき人となる一人ひとりとの出会いを授かっていたことを、
今、改めて思い知る。
森崎和江さんの言葉、そして森崎さんその人から、これまでなんという深い励ましを授かってき
たことだろう。森崎さんの声が聴こえる。やさしい笑顔が瞼にうかぶ。
「森崎和江コレクション―ー精神史の旅」全5巻が藤原書店から2008年11月から2009年3月にかけ
て発行された。
ーーーーーーー
1 産土 UBUSUNA 〈解説〉姜信子
原郷・朝鮮とわが父母/17歳、九州へ/戦後、新たな旅立ち
ーーーーーーーーーーーーーー
2 地熱 CHIねTSU 〈解説〉川村湊
筑豊の温もり――『サークル村」『無名通信』/ヤマと闘争/地の底の声――『奈落の神々』
ーーーーーーーーーーーーー
3 海峡 KAIKYOU 〈解説〉梯久美子
島人が越えた海――与論島・沖縄/からゆきさんが越えた海/海峡の島
ーーーーーーー
4 漂泊 HYOUHAKU 〈解説〉三砂ちづる
海路残照/海の道、山の道
ーーーーーーーーーー
5 回帰 KAIKI 〈解説〉花崎こう平
いのちへの旅/生きつづけるものへ
ーーーーーーーーーーーーーー
各巻に月報がつけられているが、2009年1月に配本された第3巻に一文をよせた。
言いつくせぬ感謝の念をこめて。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いのちの声に生かされて 2009.1
初めて森崎和江さんのお名前を眼にしたのは鶴見俊輔さんの文章の中でだった。四十数年前のことだ。
高校卒業後、住み込みで新聞配達のアルバイトを東京葛飾で一年、福岡で一年した後、池袋からの私
鉄沿線の椎名町駅近くの新聞販売所に住み込んで、目白にある大学に通い始めたのは一九六七年四月、
ベトナム戦争と、それと向きあい重なる形で、大学での学生運動が激しさを増そうとしていた時だっ
た。ーーー
大学では学部も単位も関係なく面白いと思う講義だけをきいた。単位に関係があっても面白くないと
思った講義は一度、あるいは数度で受講することをやめた。講義で初めてきく本の名前、著者の中か
らこれはと思うものを大学図書館のいつか定席となっていた座席で読んだ。本の向こうから幾人もの
人が、私にとって近しい大切な人として立ち現れてきた。ーーー
そうした中、私は他の大学にも勝手に講義を聴きに出かけるようになっていた。早稲田大学でのこと
だった。教室の外でデモをする学生たちのシュプレヒコールの声やピッピと鳴る笛の音が聞こえる中、
早稲田では珍しく教室が数百人の学生でいっぱいになる講義に出会った。講師は数日前に明らかにな
ったばかりの、アメリカ空母イントレピッドからの四人の兵士の脱走について、今、このことの意味
することを考え語らずして抗議の意味はないと、それから何回かの講義時間の中でこのことについて
話された。久野収さんだった。私はそれまで久野さんのことは何も知らなかった。久野さんが私が通
っている大学の哲学科の専任講師であることを知った私は、ゼミ以外のすべての講義をきくことにし
た。久野さんの本を読み始めてすぐ、鶴見さんの本を手にすることとなった。鶴見さんの生き方、そ
こから発せられる言葉は私の生き方、在りようを深く照らしだすように思われた。私にとって、以後
四十年をこえる著者との出会いだった。ーーー
大学図書館に『思想の科学』のバックナンバーがあることがわかり、創刊号から読み始めた。その何
号であったか、鶴見さんのある文章が目にとまった。鶴見さんが谷川雁さんと会った時、谷川さんか
ら聞いたという話。九州には中村きい子、森崎和江、石牟礼道子という三人の優れた書き手がいると
いう言葉で、私は初めて森崎さんのお名前を知ったのだった。最初に手にした森崎さんの本が何であ
ったか思いだせない。しかし森崎さんの文章から立ち上がってくる声が私の心に染みこむように響い
たのだと思う。いのちからいのちへの声、いのちの声としかいう他ないものが私の胸底で鳴り響き、
私の中に生きることにむけての何かを点じてくださったのだと、今にして思う。当時、二十歳前後の
私はぼんやりと、自分の中には根がないと感じ、時折、野垂れ死に志願という言葉が頭をかすめ、い
つか日本の外へという思いを生きていた。日本の外に何かがあるわけではないと確信しつつ。ーーー
森崎さんの文章〔コトバ〕、森崎さんの生き方は、そんな私を強く打ったのだと思う。
日本と言うくにへの深い違和を生き、その欠如をこそ自らの生きる足場として思い定め、いのちの
母国を探して歩んでこられた森崎さん、その凛とした、厳しい歩みの中から、溢れるように染みでて、
その声に触れる人をまるごとつつみこむ、その深々とした温かさを思うと言葉を失ってしまう。
まっくらな地の底で後山(あとやま)として生きたおばあさんや、からゆきさんと対するときの森崎
さんの対され方からまっすぐに伝わってくるもの。与論島、沖縄、韓国の声ならぬ声。ほのおの笛音。
大学卒業後、私は何ともいい加減な経緯で千葉県内のある市立図書館で図書館員として働き始めた。
市の公務員として採用されたのだが、二年経ったら辞めるのだと思い定めてのことだった。先に目当
てがあってのことではなかった。階段を上るのではなく、まず降りることから。それは私にとって深
く考えてのことではなく、自然な思いであったが、そんな思いの無意識のどこかに、森崎さんの筑豊
での日々の営みから発せられるいのちの声が響いていたかもしれない。以来、今日まで意識すること
なく、その声に生かされてきた自分であったことを今、あらためて思う。ーーー
不思議な縁が連なって、その後、いくつかの図書館で働く場をさずかった。最後の仕事場となった琵
琶湖の畔の小さな図書館では、鶴見さん、森崎さんから、町の内外の人たちと共に、お話をお聞きす
る場を授かった。天からの贈り物のような、信じがたい時間だった。
この度の著作集の発行の裏方で上野朱さんが力を尽くされたこと、うれしい限りです。
朱さん、森崎さん、本当にありがとうございました。 (さいつはら・てつひろ/農業)
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7月、「ノドカフェ」への本の出前では、感謝と追悼のおもいをこめて、主に森崎和江さんのご本と、
森崎さんと縁しある方たちの本を持って行った。私の手元に数冊の本があるが、この期間中には、そ
れらも持参したい。また私自身も、ノドカフェの棚を利用する方たちとともに、その棚の本を利用さ
せてもらおうと思っている。〔7月3日~8月末まで。2ヶ月間の出前です〕
2022年5月4日水曜日
はつしお としょかん開館 5月5日 No.90
はつしお としょかん 開館
玄海灘に面した糸島市の西の端、JR鹿家駅から歩いて7分、国道202号線沿いにある初潮旅館の一角に
“はつしおとしょかん“が5月5日に開館します。絵本をみんなで持ちより、みんなで楽しむシェア図書館。
子どもも大人も楽しめる絵本を、すばらしい海の眺めのもとでお楽しみください。
糸島の図書館の未来を考える会協賛です。
・5月5日~7日 開館記念の催し色々
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プログラム
5月5日(木)10時~16時
・オープニングパフォーマンス
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3日間、風信子(ヒアシンス)文庫は本の出前をしています。 劇団もぐら:ライブペインティング
・絵本さんぽ(館13時内のいたるところで読み聞かせ。ミツケテネ!
・ワークショップ
1.フェルト絵本 10:30~12:30
2.Dr.キーダの実験教室13時~
〇マルシェいろいろ;キッチンカー有り。
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5月6日(金)
・絵本さんぽ(読み聞かせ、いたるところで)サガシテネ!
・ワークショップ
・Dr.キーダの実験教室13時~
〇マルシェいろいろ;キッチンカー有り。
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5月7日(土)
・ワークショップ
1.フェルト絵本10:30~12:30(各3人)
2.いとしま絵本ハーモニー10:30~12:00
3.Dr.キーダの実験教室13時~
・クローズド・パフォーマンス 13:30~15:30
鹿家バンビハウス&グリーンコート;
鹿家音頭、鹿家小唄
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3日間、風信子(ヒアシンス)文庫は本の出前をしています。
2022年4月25日月曜日
公開質問状への回答 No. 89
2022(令和4)年1月30日に開票された糸島市長選挙、市議会議員選挙で、糸島の図書館の未来を考える会から出された公開質問状に対して、次のような回答があった。【市長選立候補者2名のうち1名、市議選立候補者28名のうち10名の回答があった。各候補者の回答の内容は考える会のホームページをご覧ください。----------
https://kayumu0216.wixsite.com/my-site-1 (糸島の図書館の未来を考える会)
令和4年1月 30 日:糸島市長・市議会議員選挙~
糸島の図書館の未来を考える会
1
立候補者29 名中 11 名が回答ーーーーーーーー―ー
1、図書館は利用していますか。(該当するもの全てに○をつけて下さい。)
(利用している・利用していない)
利用している 7 /
利用していない 0 /
利用したことがある 1 /
あまり利用していない 2 /
無回答 1 /
2、主にどこの図書館を利用していますか。(該当するもの全てに○をつけて下さい。)
(前原館、二丈館、志摩館)
前原 8 /
二丈 3 /
志摩 3 /
無回答 1 /
3、どれぐらいの頻度で利用していますか。(該当するもの全てに○をつけて下さい。)
(1 週間に 1 回、2週間に1回、1ヶ月に1回、半年に1回、1年に1回、利用しない、
行ったことがない)
・2 週間に 1 回 2 /
・1 か月に 1 回 5 /
・半年に 1 回 1 /
・1 年 1 回 3 /
・無回答 1 / ーーー
4、どのように図書館を利用していますか。(該当するもの全てに○をつけて下さい。)
(本の貸出し、調べもの、リクエスト、レファレンス、催しへの参加、展示物の鑑賞、
会議質の利用、学習室の利用、その他〈 〉)
11人のうち7人=64%(6割利用) /
8人のうち3人=38%(4割の利用) /
8人のうち6人=75%(8割の利用) /
・分館は本館の約 4 割の利用。 /
・分館全体では本館の約 8 割を利用している。身近に分館があることの有効性を示している。/
・2 週間に 1 回と月に 1 回の利用を日常的に利用しているととらえることができる。日常的利用/
11人のうち7人=64% /
回答いただきまし候補者の皆様 (敬称:略)
●市長候補:岸塚由将 ●市議会議員候補:中尾浩昭、松月よし子、長田秀樹、畑中鶴見、藤井芳広、岩永数昭、
佐藤倫子、近藤征生、後藤宏爾、伊藤千代子
2
※レファレンス・・・図書館の資料を使い調べもののサポートをするサービス
・貸出 3 /
・調べもの 6 /
・リクエスト 1 /
・レファレンス 2/
・催し 0 /
・展示 1 /
・会議室 0 /
・学習室 1 /
・無回答 1 /
5、現在の図書館により行きたくなる機能やサービスがあるとすればそれは何でしょうか。
(特に該当するもの 2 つに○をつけて下さい。)
(音楽やゆったりできるソファーのある居心地の良い空間、カフェなどの飲食ブース、大
人向けの読書会・講演・ワークショップ、図書館コンシェルジュの導入、CDやDVDの
充実、新刊が多くあること、パソコンの使用を許す、雑誌のタイトルを増やす、
その他( )
・居心地の良い空間 6 /
・飲食ブース 4 /
・大人向け講演会 2 /
・コンシェルジュ 1 /
・CD/DVD 2 /
・新刊 4 /
・パソコン 5 /
・雑誌タイトル 2 /
・良書の充実、本との偶然の出会いを楽しめるようになる。
・行きたくなる図書館では、居心地の良い空間があれば高齢者に限らず「居場所づく
り」の一つとしての取り組みも考えられませんか?
・カフェなど提案は全部必要と思います。誰もが気軽に行けるのが必要では。
※図書館コンシェルジュとは来館者に本の楽しさ、面白さを伝えるべく本の情報や資料
の提供を行う人のこと。
・図書館サービスの基本である貸出・リクエスト・レファレンスが少ないことに驚きました。
・街づくりと図書館/議員活動と図書館が結びついていないと思われます。
【リクエスト】とは、図書館に未所蔵の本であっても図書館が取り寄せ、利用者が貸出せるサービスです。
【レファレンス】とは、調べたいことや探している資料などの質問について、必要な資料・情報をご案内するサービス
です。
①「居心地の良い空間」が最も多く求められている。/
②「パソコンの利用」一般利用者でもこの要望は多い。インターネットを使う人が多い現代には必須ではないか。/
③「飲食ブース」も居心地の良い空間につながること。/
④「新刊」は利用者にとっては一番の魅力。/
※「雑誌タイトル」利用者にとって雑誌のタイトル数が多いことも図書館の魅力のひとつ。/
3
6、利用者の中には子ども連れだと声を出すので、図書館に行きづらいと言う方がいますが、
子ども連れでも安心して行ける図書館にするためにはどんな工夫が必要でしょうか。
(例、間仕切りのある部屋をつくる、少しのおしゃべりは許容する、静かに読みたい人の部屋をつくる、その他〈 〉)
・ 間仕切りのある部屋をつくる 3 /
・少しのおしゃべりは許容する 6 /
・静かに読みたい人の部屋を作る 3 /
・図書館は「人が集う場所、ひとと出会う場所」というコンセプトを職員も、利用者も理
解する。本に関するおしゃべりは歓迎する。
例)ひらがなが読めるようになった子が、背表紙を読む。「ママ―この本、借りてい
い!」とか、親が小さい声で子どもに本を読むとか。
・子どもの読書経験を増やすという視点から考えると、図書館は日常の延長にあってほし
いので、賑やかで良いのではないでしょうか。
・子ども達と一緒に楽しめる場を作ることが必要だと思います。
・図書館の職員が過度に注意しないようにする。子どもは声を出して当然だという文化を共有する。
・少し位ざわついても良いのでは。
7、わからない事があったら何を利用して調べますか。
(該当するもの全てに○をつけて下さい。)
(人に聞く、インターネットを使う、本で調べる、図書館のレファレンスサービスを利用する、その他〈 〉)
・人に聞く 3 /
・インターネット 8 /
・本 6 /
・レファレンス 2 /
・無回答 1 /
・公共施設の保有している情報を公開させる。弁護士、大学教授等の専門家に直接アクセスする。
・「少しのおしゃべりは許容する。」が最も多かった。図書館は誰でも利用できる場所であるこ
とを念頭に置いて考えたい。
・静かに読みたい人は学習室を利用することもできるのではないか。
・レファレンスの利用の少なさが残念です。
・書籍とネットからの情報には質の違いがあります。
・素晴らしいと思います。
4
●先月より今月5日まで糸島市は「糸島市読書ふれあい推進計画(案)」についてパブリッ
クコメントを募集しました。
その中の課題について質問致します。
8、開館時間ついて
※ 開館時間 10~18 時まで(日曜、休日は 17 時まで)
休館日 毎週月曜日、館内整理日(毎月第 4 水曜日)、年末年始 12/28~1/4)、
特別整理期間(毎年 1 回 15 日以内)
(該当するもの全てに○をつけて下さい。)
A)(今のままで良い、改善すべきだ)
今のままでよい 2
改善すべき 9
a)「改善すべきだ」と答えた方に質問します。
どのような改善を求めますか。(御意見をお書き下さい。)
(例、週に1回でも閉館時間を 20 時まで延長する、朝9時から開館する、
3館の休みを別の日にする、学校が休みの時はできるだけ開館する)
・本に触れる機会を増やすには開館時間をのばした方が良いと考えます。例えば、学校の長
期休暇中は朝9時から、仕事・部活帰りに寄れるように 20 時まで。
・正規職員を増やし、サービスの提供時間を伸ばすべきです。働く人が利用しにくい状況です。
・(週に1回でも閉館時間を 20 時まで延長する、朝9時から開館する、3館の休みを別の日
にする、学校が休みの時はできるだけ開館する)上記はすべて取り組むべきだと考えます。
その上で状況を見ながらさらに拡大延長することを検討すべきと考えます。
・図書館は「知的インフラ」であり、多くの人が活用できるようにすることを大前提とし
てとらえる。
・週に 1 回でも閉館時間を延長する。
【レファレンス】とは、調べたいことや探している資料などの質問について、必要な
資料・情報をご案内するサービスです。
さらに、図書館には【レフェラルサービス】(利用者の求める質問に対して、図書館
にない情報や人を紹介するサービス)があります。/
11人のうち9=82%
・仕事や部活帰りに寄れるようにする。
・週に 1 度は閉館時間の延長を。利用者の切実な声だと思います。
5
・学校の長期休暇の時はできるだけ開館する。今年度、小学生の子どもの冬休みの期間に、
図書館も休みが多かったため残念でした。
9、自力での来館が難しい方へ図書館サービスを提供するにはどうしたらよいと思いますか。
(御意見をお書き下さい。)
(例、移動図書館を利用する)
・ICT を駆使した利用 1 /
・移動図書館 7 /
・郵便を使う 2 /
・分館をつくる 1
・(移動図書館を利用する。)例のとおりです。保育所や地域を回って本を届けていた移 動図書館、 文化のシンボル
とも言うべきパピルス号を廃止したことは市の宝物をドブに捨てたようなもの。復活すべき。明るい音楽を流しながら
農村を走る姿が忘れられません。
・豊島区立図書館のような要介護1相当以上の方、身体障害者手帳1級から5級をおもちのかたに。無料がいい。
・図書館の分館を増やし、移動図書館を増やす。
・移動図書館を復活させる。それに移動しづらい方への福祉、見守り、買い物支援サービスを追加し地域振興につなげる。
10、図書館の利便性を広く周知していくにはどうしたらよいでしょうか。(御意見をお書き下さい。)
(例、図書館の新刊情報や催しについてメールだけでなく回覧板で回す、地域の活動を図書館で紹介する・もしくはその
機会を増やす)
・市のホームページを使って、図書館の魅力をもっと具体的に楽しく知らせる。
市主催の読作文・作画コンクールや本にまつわる家族、人との感動的なふれあいメッセージの募集。それをまとめて本にして発行する。 /
・楽しめる図書館にすること /
・図書館から各コミュニティセンターにセンター便りに掲載する。
また、市の広報誌、任意団体などの会報誌に掲載要請する、シニアクラブでは年に 3 回発行(毎回 7300 部) /
・新刊情報や催しについてメールだけでなく回覧板で回す。 /
・「移動図書館」との意見が多い。市内の「どこでも」「だれでも」という視点からも移動図書館は有効。また糸島市は
移動図書館のノウハウを既に持っている。 /
・「郵便をつかう」場合は、費用を個人が持つか図書館がもつかという問題がある。 /
6
・利用者の満足度を高めることが重要で、そのために利用者懇談会を復活し、利用者の声を聴き、今の利用者の利便性を
高めることが重要だと考えます。 /
・乳幼児健診や子育て支援センターで伝える。 /
・いとハピと連携し、情報提供を行う。 /
11、「(図書館の)存在を知らない」という現状を改善するためにはどうしたらよいでしょうか。
(御意見をお書き下さい。)
(例、小中高生に学校で図書館の出前講座をする、授業の一環として図書館で調べもの学習をする、図書館で定期的に
「利用の仕方」について説明する、文化部や運動部の発表の場というように学校を巻き込んだ取組をする、先生が図書
館を利用する、高齢者施設を巡回する。)
・授業の一環として図書館で調べもの学習をする。4 名 /
・図書館をお知らせする案内標識や看板を充実させる。ネットや SNS を使って周知する。
図書館でマルシェやアートフェスなどのイベントをする /
・放課後児童クラブ的な機能が現実的はないか。 /
・社協との連携。 /
・出前講座も必要では、授業の一環として図書館での授業もありでは。 /
・地域に身近なところに公立図書館をつくることが親しんでもらう 1 番の近道です。移動 図書館はその第一歩です。 /
・「学習室の利用」は図書館の存在自体をしってもらうチャンスであり、もっと利用しやすいようにし、さらに読書にも
つなげます。 /
・小学校のうちに自然とおぼえてもらう。家族が本を届けてくれる方は良いのですが。高齢 者施設は蔵書が少ないので
図書館巡回は必要でしょう。 /
・自分が小学生のころ、図書館は心の休まる所だった。司書の先生〈正規職員〉は 1 日そこにいて私たち子どもの話を
よく聴いてくれた。 /
・伊万里市の図書館のように図書館をまちづくりの中心に位置づけ、各学校の図書室とも連携し、マンパワー、予算の
充実をはかること。 /
・以上の意見に加え、図書館の基本的なサービスを具体的に知らせていくことが必要だと考えます。
例えば、図書館は全国の図書館とつながっています。未所蔵の図書であってもリクエストすれば借りられます。
また図書館には調べものをサポートしてくれるサービス(レファレンス)があります。
国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」でも調べることができます。
例えば「坐骨神経痛 体操」と入力すれば、数冊の本が紹介されます。
暮らしの中に図書館を!
7
・例に挙げられている「授業の一環として図書館で調べ学習」のように図書館の使い方と同
時に図書館の魅力を伝える。読書は自分の世界を広げるきっかけになることをしってもらう。
・乳幼児健診や子育て支援センターで出前講座を行う。その際、「図書館は子どもと来ても
安心」な状態になっておくこと。
・1 歳になったら図書カードを作ることを推奨する。
・楽しい講演会やワークショップの開催。
・学習室、会議室の利用 PR。
12、学生の不読率の増加について、どのような改善策があるでしょうか。(御意見をお書き
下さい。)
(例、学校図書館と糸島市の図書館が連携して本の貸出しをする。移動図書館が保育
園や幼稚園、小学校に巡回する。移動図書館を児童クラブに巡回する。)
・学校図書館と糸島市の図書館が連携して本の貸出しをする。2
移動図書館が保育園や幼稚園、小学校に巡回する。 2
移動図書館を児童クラブに巡回する。 2
・学校帰りに図書館に寄れるようにする。
・最近 TikToker のけんごさんが話題になりましたが、彼のような BookToker が最近話題
の本を興味深くすすめ、中高生(特に女子)が大きな影響をうけ本をかなり読んでいま
す。ところが肝心の学校図書購入費はあまりに少なく、そこで紹介されているような本
はきわめて少ししかありません。古い本しかないのに「達成率 100%」と自慢している
のでは問題です。子ども達が興味を持つ本がすぐに読めるよう予算を増すべきです。
・小学校を巡回する。
(例、学校図書館と糸島市の図書館が連携して本の貸出しをする。移動図書館が保育園や幼
稚園、小学校に巡回する。移動図書館を児童クラブに巡回する。) /
・上記の意見に加えて、小さいころから本に触れることができる環境、身近に図書館がある環
境つまり実際に本が手に取れること・借りられることが重要だと思います。その意味では「移
動図書館」は本が借りられる(リクエストもレファレンスも)ことに加え、図書館の存在を知
ってもらう機会にもなる。 /
8
・例の通りと思います。絵本の素晴らしさ楽しさは自分が子育てしてはじめて知りました。
本にまつわる様々なイベントを開催する。絵画や劇場、スポーツなどの文化と合せて広く
豊かな視点で本の楽しさを紹介する。 /
・伊万里市の図書館のように図書館をまちづくりの中心に位置づけ、各学校の図書室とも連
携し、マンパワー、予算の充実をはかること。(問 11 より) /
・漫画も含め子供達の読みたいものを準備する。 /
・子どもたちにとって1番身近な存在である学校図書館の蔵書の充実。 /
・親が読書の意義を理解する。 /
・学校図書館が「貸し出し数」で評価するのではなく、発達段階にあった読書をしている
かどうか、子どもの知的好奇心を満たし、人生の選択が広がり、知の蓄積ができる本を
準備し、進められているかを評価する。子どもが「本を読むって面白い」と思えるよう
になっているかどうか。 /
・個人的な話だが、私の小学生の子どもは、学校図書室の司書さんが大好き。「こんな本あ
るよ。読んでみたら?」とよく進めてくれるそうで、その本との出会いにより、知識が増
えている。 /
13、携帯、ゲーム、Youtube といった室内かつ個人で完結する余暇活動が読書と競合になっ
ていると思いますが、その中でも読書を選んでもらう工夫について
(御意見をお書き下さい。)
・電子書籍のような「室内かつ個人で完結する」余暇は市場規模でみれば 10 年前の 20 倍
以上にのびており、BookToker のような存在とあわせて考えると必ずしも悲観する必要
はないと思います。ただ、読書への身近な体験がまず大きなキッカケとして必要であり移
動図書館をはじめ身近な図書館サービスはかなりキッカケとして重要と考えます。 /
・ビブリオバトルのような楽しめるイベントをさらに増やしていく。小説や詩などを書く人
をふやすために大会や賞イベントなどを行う。若者に人気の作家 のトークイベント等を開催する。
・孫が「充電も wi-fi もいらないいちばん手軽な娯楽」と言っているこの言葉はひとつのキ
ーワードになるのではないでしょうか。/
・上記のように蔵書の充実と学校司書の役割は非常に大きいと思います。/
・小郡市図書館では図書館と学校が連携した取り組みとして「小郡市学校図書館支援センタ
ー」が設置され、「学習支援」「読書推進」として支援図書の貸出しや図書館見学を受け入れ
ている。これらのことは学校図書館が持つ機能が、学習活動の場で十分に発揮されるよう
に、先生方や学校図書館関係者を支援しています。/
9
・「本を読むって面白い」という体験を小さいころから蓄積しておくこと。 /
14,図書館サービスの柱として糸島市図書館が掲げていた市内『どこでも』『誰でも』利
用できる図書館サービスについては依然として校区(地域)による利用の格差(添付資料
①)があります。このことについては、まず移動図書館による運行を始めながら全域サー
ビスの体制を整備していくことが必要だと考えますがお考えはいかがですか。
※この質問は 4 年前の選挙の際にも質問のあった項目です。
(1)必要だ (2)必要でない (3)その他( )
・ 必要だ 9 /
・ 必要でない 1 /
・その他 1 /
15、学校図書館の図書費については、国から毎年、小、中学校の学校図書館の図書費として
交付されていた『第 5 次学校図書館図書整備(等)5 カ年計画』が今年度で終了します。
来年度からの新たな内容は 1 月末に公表されることになっています。(文部科学省総合教
育政策局・照会)平成 30 年から令和 3 年までの直近の 4 年間、糸島市が小、中学校の図
書費として予算化したのは、交付額の 20%台から30%台でした。 学校図書館が子ども
たちに役立ち、魅力的な場であるためには、図書の充実にかかっています。
2022 年度から新たな計画が始まった場合、交付額の 100%を少なくとも予算措置するこ
と(添付資料②)が必要だと考えますが、お考えはいかがですか。
(1) 必要だ (2) 必要でない(3) その他
・必要だ 4 /
・ 必要でない 1 /
・その他 3 /
・? 2 /
・ 無回答 1 /
その他
・学校図書館の図書の充実の必要性を市民と共有して、予算措置の割合を高める働きかけをするのが大切だと考えます。
11人のうち9=82%
・まず実際に利用できることが肝心。「本をよみなさい」というのではなく、本が手に届くところにある環境を
つくること。
10
・肝心の学校図書購入費はあまりに少なく、そこで紹介されているような本はきわめて少し
しかありません。子ども達が興味を持つ本がすぐに読めるよう予算を増すべきです。
・学校の図書室は僕でも眉をひそめる位です。本の補充不足。
<予算措置率 100%の意味について>
・これは文科省が第 5 次「学校図書館図書整備等 5 カ年計画」(2017~2021 年)を策定し、「各学
校における学校図書館図書基準の達成を目指すのに加え、児童生徒が正しい情報に触れる環境を整
備する観点から、古くなった本を新しく買い替えることを促進します。」としています。
⇒古い本を買い替えることによって図書の充実を図ることを目的として予算が組まれています。
しかし、その予算が糸島市では充分に活かされてこなかった。この五年間での予算措置率は 2017
年より順に 29.4%、53.8%、55.6%、63.5%、59.0%です。
(ただし、下線付きの%は司書の人件費も含むため純粋な図書費ではありません。)
●ここで県内の予算措置率(平成 19 年度)を例に挙げます。
・予算措置率は全国平均 78%、福岡県内の平均は 97.1%であり、糸島市は予算措置率がき
わめて低い状態にあります。図書の充実に力を入れている自治体は 100%以上の予算をつ
けていることをご確認ください。
・糸島市は昨年 12 月より今年の 1 月まで「糸島市読書ふれあい推進基本計画(案)」のパブ
リックコメントを募集していました。その中の課題でも中高生の不読率の増加が課題となっています。
図書の充実は重要です。
・また 2022 年より第 6 次「学校図書館図書整備等 5 カ年計画」(添付資料①)が始まります。
(以下、5 カ年計画の概要資料より)
11
16、現在、教育委員会は学校教育のデジタル化を進め小・中学校の生徒に1人1台タブレッ
トを配布しています。国立国会図書館では資料のデジタル化を進めていて個人でタブレット
等を通して活用ができるようになっています。この「図書館向けデジタル化資料送信サービ
ス」(添付資料③④)に昨年 12 月1日より糸島市図書館3館(本館、二丈館、志摩館)が参
加館となり、このサービスを利用できるようになりました。
図書館側のメリットとして、
a)インターネット上に公開している資料とあわせて、200 万点以上のデジタル化資料の閲
覧・複写を利用者に提供できます。
b)図書館間貸出しサービスの対象とならない資料(和雑誌、発行年代の古い和図書など)も
利用できます。
c)資料の郵送に掛かる時間や返却期限等の制約がなく、いつでも利用できます。
このデジタル化資料送信サービスを
(1)利用したことがある (2)利用していない (3)その他
・利用したことがある 1 /
・ 利用していない 8 /
・その他 1 /
・無回答 1 /
・必要に応じてしている。 /
・知りませんでした。素晴らしい取り組みだと思います。/
https://dl.ndl.go.jp/
・県内でもこのサービスの参加館になっているところは少ないです。議員の方だけでなく市民の多くが
このサービスの内容や使い方を知らないと思われます。市民への周知を幅広く行うことが必要!
12
以上をまとめると、
① 「だれでも」利用できる図書館にするためには移動図書館を走らせることが最も効果的だと思
います。移動図書館が保育園、幼稚園、小学校、高齢者施設等へ巡回すれば、課題であった図書館
の周知も間違いなく進むでしょう。幼い頃から手の届くところに本があることが図書館の利用者を
増やすことにつながります。
② 図書館が「居心地のよい場所」となること。図書館は本を借りるだけでなく、音楽を聴いた
り、催しに参加したり、人と出会う場所です。子ども連れでも安心して行けるようにするべきでは
ないでしょうか。またパソコンの使用できる環境や飲食ブースの設置、日常的に利用できるための
閉館時間の延長が望まれています。
③ 市民にしっかりと伝えること3点。
(ア)図書館の基本となる使い方 /
(イ)未所蔵のものであっても借りることができること(リクエスト) /
(ウ)調べものをサポートしてくれるサービス(レファレンス) /
④ 本の充実を。
文科省は学校図書館の古い本の入れ替えに予算を充てています。来館者にとって大切なのは、
新刊が入っていること、良書があることです。
この度の回答より沢山のアイデアをいただきました。ここに挙げられたアイデアは何もお金のか
かるものばかりではありません。少しの工夫で図書館は大きく変わります。糸島の図書館がより利
用しやすく、老若男女、様々な立場の人々にとって有意義であたたかな場所となることを心より願
っております。
大変お忙しい選挙の中、回答いただきました皆様に心より御礼申し上げます。また今後も糸島の
図書館の充実に市民の一人としてお力添えいただければと思います。またこの公開質問状の回答一
覧は糸島市の図書館、新聞社等にも配布させていただきます。
以上
豊田の原稿2 No.92ー1
「図書館の発見」をめぐって
豊田市の図書館の今とこれからを考える
町田市立図書館と比較して
〈インタビュー〉
才津原哲弘 竹内 純子
添付資料
〈Ⅰ〉大分県の図書館振興策について (p52~) 5頁
〈Ⅱ〉調布市立図書館について (p58~) 10頁
〈Ⅲ〉『大沢家庭文庫 50年記念誌』栗山規子 2020.12 (p68~) 9頁
〈Ⅳ〉「図書館サービスの望ましい基準と豊田市図書館の比較2017(平成29)年度」p76
〈Ⅴ〉「基本的な指標の確認から」 (資料Ⅳの解説)p77
〈Ⅵ〉「都道府県別設置率・中学校区設置率・貸出密度・登録率」2017(平成29)年度p78
〈Ⅶ〉「伊万里市民図書館の望ましい基準値(目標値)との比較」2016(平成28)年度)p79
〈Ⅷ〉「いとしま としょかんしんぶん」No.1 (1)~(4) (p80~83)4頁
「編集・デザイン」の大松くみ子さんは、「としょかんのたね・二丈」の会の名付け親であり、初代の世話役。
〈Ⅸ〉「糸島市立図書館のこれからについての提言」(1) 2018.6.4 (p84~85)
(2)「糸島市長選・公開質問状に対する回答」及び「添付資料」p86
〈ⅹ〉「岡山県立図書館の取り組み」【添付なし。下記資料1冊が参考資料】
『情報化時代の今、公共図書館の役割とは 岡山県立図書館の挑戦』菱川廣光
大学教育出版 2018:なぜ岡山県立図書館が、全国の都道府県立図書館で、入館者、貸出冊数がトップになっているか、その苦闘の経緯、基本とする考え方が克明に書かれている。滋賀県立図書館の実践に深く学び、県立図書館のあり方を鮮やかに指し示している。「基本を大切にする図書館」240~243p参照。
なぜインタビューになったか
竹内 豊田市の図書館を考える市民の会では、2018(平成30)年6月10日に豊田市中央図書館で、才津原さんに九州、福岡県の糸島市から来ていただき講演会を開催しました。市民の会の予定では、その講演録と才津原さんより先に、会で講演していただいたアーサー・ビナードさんの講演録とをあわせて1冊の冊子をつくる考えで、それにとりかかりましたが、才津原さんの講演の録音状態が悪く、テープ起こしができませんでした。このため才津原さんには、事情をお伝えして、新たに文章で何枚かの原稿を書いていただけないかお願いしたのです。
才津原 そうですね。最初はたしか原稿5、6枚ということでお引き受けをし、書き始めた
のですが、いざ書き始めると、これはとても5、6枚ではおさまらず、長い原稿になると思われました。何を書くかを考えて、今、豊田市の図書館が直面していると、私に思われる問題に焦点をあてて書こうと考えました。それは私が住んでいる地域の図書館のもっとも大きな課題と同じ問題でもありました。
竹内 具体的に言うと、どういうことですか。
才津原 詳しくはあとでお話ししたいと思っていますが。
豊田市は面積が918㎢、名古屋市の約3倍、愛知県内で最も広く、東京23区(627.6㎢)や京都市(827.8㎢)よりも広い広大な都市ですが、図書館は中央図書館1館しかありません。子ども図書室、コミュニティセンター図書室3,交流館28,合計32のサービスポイントがありますが、組織上これらは図書館の分館ではありません。分館でないため、専任の職員は配置されておらず、どのサービスポイントでも、予約や調べごとの相談ができ、同じサービスが受けられるシステムとしての図書館がありません。
豊田市の図書館の問題は、市民だれでもの身近に図書館がないこと、市民の身近に図書館
がない図書館砂漠ともいえる状態の中で、図書館を日常的に利用できない多くの市民がいること、移動図書館や分館網がまったく整備されていないため、どの地域でも、図書館としての同じサービスを受けられない状態であること、そして、何よりの問題は、市民の身近に図書館をつくっていくための市の計画的な取り組みがなされていないことではないかと思います。
また、豊田市の図書館が直面している問題―市民の身近に図書館がないというのは、私が住んでいる糸島市の問題でもありますが、全国の図書館の状況をみると、それは全国各地の図書館が抱えているもっとも切実な問題であり、根が深い問題であることに思い至り、それが一体どういう問題であるかを、この際、市民の会のみなさんと、ともに考えてみたいと思ったのです。その結果、当初お聞きしていた分量の10倍をこえる長い原稿となってしまい、ご迷惑をおかけした次第です。その後、色んな経緯がありましたが、新たな原稿に替えてインタビューでやりましょうということになったのですね。
原稿を読んだ感想をおくる
竹内 その原稿を市民の会の有志で読みましたが、その内容のあらましはどのようなものか、話していただけますか。
才津原 そのお話の前にまず、豊田市の図書館を考える市民の会のみなさんがその長い原稿を読むため、なんと2日間にわたって集まられ、さらにそれに参加されたお一人お一人が、読み終えての感想のお手紙をあわせて送ってくださいました。そのことにほんとうに驚きました。原稿を書いた私への感謝の思いを、一人一人がそれぞれの言葉で伝えることで示そう、そのようにみんなで話あってのことと書かれていました。私の拙い原稿をこのように読んでくださり、お一人お一人からお便りをいただきましたこと、ほんとうに感動しました。まずそのお礼を申しあげさせていただきます。
原稿のあらましは
竹内 それでは、そのあらましを。
才津原 かなり長い原稿ですので、ここではいくつかの点にしぼってお話したいと思います。全体は8章からなっています。
第1章が「図書館は何をするところだろう」〈図書館の発見〉、これには、私自身の「図書館の発見」についても触れています。
2章が『本の予約』って何だろう、3章が「図書館が図書館として機能するために欠かせないこと」、4章が「望ましい基準のこと」
そして5章が本論である「“望ましい基準”から豊田市をみると」
そして6章「地域に図書館があるということ」(1、苅田町立図書館の活動から)、7章「苅田町立図書館・・・後日談、町長が変わって起きたこと」、
そして8章「さいごに(現状を知ることから)」となっています。
これに添付資料10点を加えています。ここでは主に1章と5章についてお話できればと思います。
タイトルは、そこにこめられた思いは
竹内 その前に、そのことに関わると思いますが、全体のタイトルは?
才津原 よく聞いていただきました。タイトルは『図書館の発見― 図書館は何をするところか。“地域に図書館がある”とは、どういうことか ― 豊田市立図書館の今と、これからを考える(町田市立図書館との比較)』という、これもまた長いものになってしまいました。
竹内 長いタイトルには、どんな思いが?
才津原 私が普段利用している図書館や各地の図書館のことを考える時に、まず思い知らされるのは、自治体によって、そこで行われている図書館サービスの内容や、サービスの態勢、それを支える司書を核にした職員体制(専門、正規の図書館長の不在)に、とても大きな格差があるということです。自治体間の格差がきわめて甚だしいということです。都道府県ごとに、あるいは一つの県内の各図書館をみても、それが、同じ図書館という看板を掲げているのに疑問を覚えるほどです。
なぜ、このような格差があるのか、その格差が正されないままであるのは何故だろうと、私は考え続けてきましたが、私はその主な理由は「図書館は何をするところか」についての「図書館の発見」がいまだ行政の中で、また市民一人ひとりの中でしっかりと行われていないからではないかと考えています。「図書館は何をするところか」がだれもの自明のことになっていないのではと思っています。
竹内 それで“図書館の発見”というタイトルになったのですね。
2冊の本、『図書館の発見』の「まえがき」を読むことから、そして前川さんのこと
才津原 そうですね。先ほど、根の深い問題だと言ったことに関わりますが、このため本文では、「図書館は何をするところか」「図書館はだれのためのものか」をあらためて考えるため、日本の公立図書館の歩み、特に戦後、1950年の「無料利用の原則」や「図書館の働き・図書館サービスの内容」を初めて明記した「図書館法」の公布、施行以降の歩みを振り返ることから始めています。そしてそのことを考える資料として、まず2冊の本の「まえがき」を読むことから始めたいと考えたのです。
竹内 『図書館の発見』というタイトルの本が2冊あって、それぞれの「まえがき」から読み始めるいうことですね。
才津原 そうですね。こんどの原稿のタイトルの「図書館の発見」は1965年に、東京の三多摩の日野市で、1台の移動図書館から図書館を始め、翌年2台目の移動図書館を運行するとともに、順次5つの分館をつくり、1973年に中央図書館、さらに1977年に6館目の分館である市政図書室をつくった日野市立図書館の初代館長の前川恒雄さんが、石井敦さんとの共著で出版された本のタイトルでもあります。
最初の本が日野市立図書館の開館8年後の1973(昭和48)年に、そしてそれから33年後の2006(平成18)年の2回にわたって出版されています。最初にでたのが『図書館の発見 市民の新しい権利』で、ついで日野市立図書館開館後41年目に書かれた本のタイトルは『新版 図書館の発見』となっています。なぜ、『図書館の発見』というタイトルとしたかは、旧版の「まえがき」に明確に述べられています。ぜひ、一読していただければと思います。新版は石井敦さんの健康上の理由から、旧版『図書館の発見』をもとに、石井敦さんと打ち合わせをかさね、前川恒雄さんが執筆しています。
石井さん、前川さんのこと
才津原 少し長くなりますが、お2人を紹介するため、新版の奥付を読んでみます。
「石井敦 1925年、神奈川県生まれ。神奈川県立神奈川図書館、東洋大学社会学部教授を経て、東洋大学名誉教授。主な著書『日本近代公共図書館史の研究』(日本図書館協会)
以下略。
前川恒雄 1930年、石川県生まれ。日野市立図書館長、滋賀県立図書館長、甲南大学文学部教授。主な著書『われらの図書館』(筑摩書房),『移動図書館ひまわり号』(筑摩書房;絶版:夏葉社・復刊)『前川恒雄著作集』(出版ニュース社)など』
以上が奥付によるものです。
前川さんの自伝について
才津原 ここで、前川さんの私たちへの最後の書ともいえる本について、少しお話したいのです。私にとっては、このように遅くってなってしまったインタビューですが、「見るべきものを見て」から、インタビューに臨みなさい、とのどこからかの声のようにも思えるのです。
前川さんの最新刊は、夏葉社から昨年、2020年12月に出版された『未来の図書館のために』です。この本の内容、そしてこれがどのように生まれたかは、前川さんの「一図書館人の思い出」の「あとがき」、そして末尾の前川さんの長女、前川文さんの「あとがき」から知ることができます。まず、前川さんの「あとがき」から。
「この著作は、藤澤和男氏が、私が思い出を語るのを録音してくれ、それを藤澤氏、石嶋日出男氏、田代守氏の三人がテープおこしをして文章に直してくれ、私が多少手を加えたものである。私の最後の著作を形にしてくれた三氏には感謝に堪えず、言うべき言葉もない。」
そして文さんの「あとがき」
「90歳近くなっても、同じ話を何度も言うことなどなかった父が、(略)嬉しそうに繰り返し」文さんに話された言葉。
「お父さんが自伝のようなものを書いたら、三人の友だちが、自分たちが出版する、と言ってくれてるんだ」
驚いたのは、文さんの三人への深い感謝の思いを伝える言葉に続く文章です。
「この自伝は一般書籍として本屋に並ぶ類いのものではなく、三人が自腹でお金を出し合って出版し、父の願いを叶えようとしてくれているのだと知ったのは、もっと後のことだった。」
それで、わかったのです。この本の出版を私に最初に教えてくれたのは竹内さんでしたね。
私はいつも利用している糸島市の二丈館でリクエストをし、購入は夏葉社の本を注文できる市内の小さな小さなブックカフェ「ノドカフェ」でしようと思っていたのです。前川さんの本だから、注文すればいつでも手に入ると考え、自宅でやっている「風信子(ヒアシンス)文庫」から、2か月ごとに「ノドカフェ」に本の出前をする時に注文をしようと考えていたのですが、注文するのが遅くなってしまったのです。そして注文してからのご返事に仰天したのです。夏葉社の島田潤一郎さんの話では、品切れで増刷の予定はないとのことでした。それから慌てて探しはじめたのです。県内の大きな書店や、これはと思う書店にもなく、ネットでも見つからず、ようやく滋賀県彦根市の「半月舎」という、1度だけお訪ねしたことがある小さな素敵な本屋さんで見つけることができたわけです。思いついて、全国の図書館の所蔵状況を調べてみると、所蔵していない図書館が多いのに驚きした。
(2021.3.21現在、県立図書館を含む。福岡県13/54館中、佐賀5 /18,長崎1/20、熊本3/26、大分4/17、宮崎2/20、鹿児島0/31、沖縄0 /26 ;愛知13/49 :福岡・愛知県立は未所蔵。
豊田市立は所蔵:カーリル―ローカルによる)
こんど、新しく出版された自伝を読んで改めて思ったことは、前川さんの足跡をたどることは、戦後の日本の図書館の歴史をふりかえることで、読者がそれぞれの歴史的ともいえる現場に自分の身をおいて、歴史的な時空をともにすることでもあると思いました。そしてそれは現在、私たちが直面している問題がどういうことであり、それに対してどのように対するか、市民の誰もが利用できる図書館のあり方を考えている私たちにとって、実に大きな深い示唆やヒントを手にすることにつながることだと思いました。それで、ここでは、前川さんの歩みを、竹内さんをはじめ、豊田のみなさんとたどってみるということを強く意識しながら、私の原稿の内容の一端をお話できればと思っています。そのことが、「図書館の発見」とはどういうことかにつながるのではと思ったのです。
もし前川さんの本をまだ読んでいない方がおられましたら、多くの著書の中からまず『移動図書館ひまわり号』をお勧めしたいと思います。この本は1988年に筑摩書房から出版されていましたが絶版になり、2016年に、1冊1冊心をこめて出版している夏葉社から復刊されています。以後のお話では、そのことを体感させられるエピソードをできるだけ紹介しながらお話したいと思っています。
前川さんと石井さんとの出会い
才津原 『未来の図書館ために』では、「日野市立図書館がめざしたもの」など、前川さんの生涯にわたる図書館のお仕事や自治体をこえての活動の核心が語られていますが、これまでの著作では知ることが出来なかったことが率直に語られていて、まさに前川さんが、読者一人ひとりに手渡す最後の言葉と自覚されていることが伝わってきます。
2冊の『図書館の発見』の共著者である石井敦さんとの出会いについては、1951年に、文部省の図書館職員養成所に入学した前川さんは、次のように述べています。
「養成所では、一学年上の石井敦さんが学生のリーダーで、あらゆる面でめざましい活躍
をしていた。石井さんは私に特に目をかけてくれ、相談したり一緒に行動したりした。石井さんとはその後五十年、亡くなるまで、兄弟の仲でともに歩むことができたことは、ただ感謝するばかりである。」
図書館の活動の歴史を振り返るとき、このような偶然のような人と人との出会いがその後、とても大きな意味というか、大きな力になっていることを知らされますが、まさにそのような出会いであったのではと思われます。
滋賀県でも画期的な仕事
竹内 前川さんは日野市だけではなく、滋賀県でも仕事をされているのですね。
才津原 そうですね。前川さんの生涯の足跡をたどるとき、滋賀県での実践を通して、図書館の活動をさらに底広いものにした取り組みに目をみはります。
前川さんは日野市で1974年から助役をしたあと、1980年、当時の武村正義滋賀県知事に強く幾度も要請されて、滋賀県立図書館長として1980年から1991年3月の定年まで務めました。また「武村知事の後任の稲葉稔知事は、就任早々から」前川さんを信頼し、知事の全庁への訓示で、「県立図書館の活動をほめ、全庁でこのように働くようにと訓示した」こともありました。
「日野市立図書館長として、有山(日野)市長とともに、日本における図書館革命の先頭に立」ち(『図書館運動五十年―私立図書館に拠ってー』浪江虔 日本図書館協会 1981
)、「図書館は何をするところか」を市民に明らかにする道を切り開いた前川さんは、滋賀県立図書館長としての10年間で、県立図書館の改革に力をつくし、こんどは「県立図書館は何をするところか」を鮮やかに指し示す活動を行うとともに、1980年当時、滋賀県は50の自治体のうち市や町の図書館は6館だけという、全国で最低位の図書館の状況から、滋賀県の公立図書館の利用度が全国でもっとも高い地域となる道を開いたのです。
竹内 『未来の図書館のために』は幸い、豊田市の図書館は所蔵しているようですので、私も読んでみたいと思います。
当初の原稿の話にもどりますが、その原稿では2冊の『図書館の発見』の前書きを読むことから始めたといわれましたが、『図書館の発見』の新版、旧版の「まえがき」について、さらにここで話されたいことがありますか。
「きわめて特異な経過をたどってきた日本の図書館」の歴史
才津原 そうですね。新版の「まえがき」のなかに、「きわめて特異な経過をたどってここまできた日本の図書館」という言葉を、現在の日本の図書館間でサービスに驚くばかりの大きな格差があることに深く関わるキーワードだと私は考えています。
竹内 「特異な経過」とは、どういうことですか。
才津原 一言でいえば、図書館の無料利用の原則がなかった戦前はもとより、1950年の図書館法制定以降の日本の公立図書館がたどってきた特異な経過、歩みのことです。その特異さとは、図書館法制定以降この70年間にわたって、図書館の整備、振興について国は積極的にすすめてこなかったということです。反対の方向に力を注いだと思われるほど、驚くばかりに、一貫してと思えるほど、国は図書館に力をいれてこなかった。前向きどころか、後向きの状態が50年、70年をこえて延々と続いている、そのことを「特異な経過をたどってきた」と、私は受けとめています。
竹内 具体的にはどういうことですか
国の施策の問題点、3つ。 2つ目「補助金廃止の問題」から
才津原 たくさんあるのですが、ここではこれまでの国の対応、施策の問題点について3点をあげたいと思います。1つ目は「望ましい基準」の問題、2つ目が国の補助金廃止の問題、そして3つ目が「指定管理者制度」導入の問題です。話す順序としては、「望ましい基準」については少し長くなると思いますので、2つ目の補助金廃止の問題からお話したいと思います。また「指定管理者」の問題は、豊田市の図書館の課題のところでお話しさせていただこうと思います。
竹内 国の補助金の廃止というのは、どういうことですか。
才津原 国の補助金の廃止の問題についてですね。
1950年の図書館法により、館長が司書資格をもつことなどを条件に国が建設費の補助金を交付することが規定されました。図書館も公民館も同じ「社会教育整備補助金」というものですが、国が戦後作らせた公民館への補助金と図書館のそれを比較すると、その割合は「10対1、ひどいときには20対1と大きく開いている」(『未来の図書館のために』)状態でした。これは2018年度の公立公民館数14171館に対し、図書館数が3226館で、公民館が図書館の4.4倍の館数になっている実態と見合っていると考えられます。国の社会教育行政の力点がどこに置かれてきたかを示すものであると思います。(1960年:公民館2万201館、図書館数629館〈市区立425,町184、村20〉『日本の図書館 1961』)
図書館にはそうした規定はありませんが、公民館はより住民の身近に配置するという規定があり、それがすでに62年前に実施されてきたことによるものだと思われます。(「公民館の設置及び運営に関する基準」1959.12.28文部省告示98号)
2020(令和2)年度の全国の公立小学校数は1万9217校、公立中学校数は9291校です。図書館は全国の小学校区の17%、中学校区の35%であるのに対して、公民館は全国の小学校区の74%、中学校区の135%に設置されていることになります。詳しくはあとで触れますが、私は住民のだれもが図書館を利用できるためには、住民の身近に、住民の生活圏に図書館が必要であると考えています。具体的には中学校区に1館の図書館、「中学校区設置率100%」が「身近に」を保障する要件だと考えています。(追記:インタビューの後半に至り、公民館のあり方から示唆をうけ、町村については再考する必要があると考えています。)
補助金制度はあったものの
才津原 お話したように、補助金の施策はできたのですが、「図書館への補助金の額は微々たるもの」でした。例えば私が図書館開設準備室長として関わり、1990年に開館した
福岡県の苅田町立図書館(人口3万3千人、1982㎡)の場合、建設費は7億7920万円で、国庫補助は7200万円で、建設費の9%が国の補助でした。また、やはり準備室から関わり、1997年に開館した滋賀県の能登川町立図書館(人口2万3千人、図書館・博物館4051㎡、うち博物館986㎡)は建設工事費17億6800万円でした。町の一般会計が70億台できびしい財政の町でしたから、建設費の90%を自主財源で行うことは難しく、国の補助金より町の負担がはるかに少ない「地方総合債」という起債で行いました。
このように、国の補助金がきわめて低かったため、「社会教育整備補助金」以外の財源で図書館の建設をする自治体が増えたこともあって、「館長の司書資格の規定は空文化し、守らない図書館が圧倒的に多くなり、1998年に補助金は公民館と共に完全に廃止され、1999年には図書館法の規定も削除」されてしまいました。(前掲書より)
1999(平成11)年7月8日に成立した「地方分権の推進を図る為の関係法律の整備等に関する法律」によって、図書館法も改正され、「国の補助金を受ける場合には図書館長は司書
有資格者である」こととした図書館法第19条が削除されたわけです。これは、補助金を受ける場合でも、図書館長に司書有資格者をすえるかどうかは、各自治体の裁量によるべきものとしたのです。国が意図する「地方分権の推進」がどんなものであるかを示すものだと思います。菅原峻さんの言葉がよみがえってきます。
「図書館長は、図書館サービスの最高責任者であって、単に施設や人事の管理者ではありません。図書館サービスの方向を示し、職員群の先頭にたって指導し、市民へのサービスを全とうする責任を負っています。図書館法では、第13条の2で「館長は、館務を掌理し、
所属職員を監督して、図書館奉仕の機能の達成に努めなければならない」と規定しています。「図書館奉仕の機能の達成に努め」るためには、図書館学を修得し、経験を積み、かつこのまちの文化を発展させることができる人材が望まれます。」
忘れることができないこと・・・補助金廃止の理由
才津原 忘れることができないのは国が図書館の建設費の補助をやめるとした理由です。
図書館や公民館の補助金は正式には「公立社会教育整備補助金」といいましたが、図書館
の補助をやめるのは、「図書館整備率が50%をこえ、全国総合開発計画にいうナショナルミニマムに達し、その存在価値が低下したから」だというのです。
問題はそこでいう50%の中身です。設置率が50%をこえたとしても、まだ自治体の半分が図書館がない状態で補助金をうちきるというのです。しかも、1999年度の全国の市区(東京23区)町村立図書館の設置率は50%になってますが、その内訳をみると、市区立が97%(694市区中675;未設置は34市)ですが、町村は37%の設置率で2558町村のうち951の町村しか図書館を設置しておらず、1607の町村では図書館そのものがない状態でした。さらに町、村で見ると、町の設置率は1990町のうち図書館があるのは859町で43.2%、村はさらにきびしく568村のうち92村の設置で16.2%でした。町の設置率が43%、村の設置率はわずか16%であるのに、市区を加えた全体では50%の設置になったから、シビルミニマムに達したというのです。
〔石牟礼道子さんの水俣病被害者救済特別措置法(2010)についての言葉を想起。
「50 %に達したので、打ち切り」に重ねて読みました。忘れて、すませないように。
池澤 屁理屈の典型ですけど。
石牟礼 はい。何と道義のない、姿勢のない、徳性もない、国民に対して一かけらの情愛のない政府。外国に対しても恥ずかしくないのかと思う。
池澤 ほんとうにそう。 (2012年5月20日)
【『みっちんの声』石牟礼道子 池澤夏樹 河出書房新社 2021.2 / p.145】 ]
私が住んでいる所は、当時人口1万3千人の二丈町で、全国に図書館がない町村1607町村の中の一つの町でした。この地域に図書館が開館したのは、2010年1月に前原市、二丈町、志摩町の1市2町が合併して糸島市となった翌年の2011年10月、旧・二丈町役場、志摩町役場の一画を改装して、二丈館、志摩館が開館してからことです。1950年に図書館法が制定されてから実に61年後、世代で言えば2世代後のことです。
(合併前の前原市:移動図書館開館1998年12月、前原市図書館開館2005年11月)
市も町も村も地方自治体として平等であるものですが、国は町村を市と平等なものと考えていないのではと思わざるをえません。国には過疎地特例債など、財政がきびしい地方自治体への施策を講じていますが、ナショナルミニマムというのであれば、図書館が未設置の自治体や、分館が未整備の自治体に対する施策を立案して実施することは、国の責務であり、喫緊の課題だと思います。図書館は学校と同じで、地域の人を支え、育て、地域を引き継ぐ次世代の子どもたちを育み育てる地域の基本施設で、市町村のすべて、どんな地域にも必要な、欠くことのできない施設であるからです。財政がきびしいからと言って、学校のない自治体は日本全国どこにもありません。
竹内 うーん、驚いてしまいますね。
また国の補助金の廃止と、補助の条件である館長の規定の削除が関連しているとは知りませんでした。
「館長の規定」、その「削除」が意味すること
才津原 そうですね。先ほど言いましたように、図書館建設費補助金は微々たるものものでした。先に述べましたが、私が準備室から関わって1990年5月に開館した福岡県の苅田町立図書館(人口3万3千人、1832㎡)の場合は、建設費7億9000万円、国庫補助7200万円で、建設費の1割弱でした。建設費の補助金だけでなく、職員や施設等の他の交付条件もきわめて低いものでしたが、館長が司書の資格を持っていることが、補助金の交付条件であったことは大切な意味をもっていました。それは図書館が一定水準のサービスをするには、有資格で経験のある館長が必須であり、必要であることを意味していたからです。前川さんは、その規定の削除を、図書館法の大切な理念を揺るがすものだと指摘しています。国の図書館政策の大きな後退で、その後の館長の配置に大きな影響をもたらしています。
竹内 自治体によっては館長が司書の資格をもたなくてよいとするところがでてきたわけですね。
才津原 そういうような動きを実際にもたらしてしまったわけです。苅田町では、図書館の設置条例のなかに、館長が有資格であることを規定していましたが、開館当時の町長が退職してからのことですが、その要の条文を削除してしまいました。一方、苅田町で条例をつくるときにもっとも参考にした東京都の東村山市立図書館のように、図書館協議会や市民の力で、その規定を守り維持しいている図書館もあります。
それでは問題ある国の対応、施策の三つめの指定管理者制度の問題については、豊田市の図書館の課題ということで後で語り、一つ目の「望ましい基準」の問題にかえりたいと思います。
「望ましい基準」って何だろう
竹内 「望ましい基準」ですね。
才津原 図書館法の第7条の2に「設置及び運営上の望ましい基準」というのがあります。読んでみますね。
「文部科学大臣は、図書館の健全な発達を図るために、図書館の設置及び運営上望ましい基準を定め、これを公表するものとする。」という条文です。
今から20年前の文章ですが、当時、大阪府立中之島図書館の司書だった前田章夫さんは、
「公立図書館の基準と補助金」という論文のはじめで次のように書いています。(『図書館法と現代の図書館』塩見昇・山口源次郎編著 日本図書館協会 2001.2)
「図書館法の中で、これほど図書館関係者に期待をかけられ、またその期待に背いてきた条文はないだろう。本体ともいうべき「基準」が法制定後五〇年を経過した現在もなお、文部科学大臣告示という形では公示されておらず、いわば「空文」状態に置かれてきた。しかし、それでもなお図書館関係者には希望を抱かせる条文である。」
図書館法の制定にあたった、当時文部省の社会教育課長の西崎恵氏が述べているのですが、図書館は地方公共団体、つまり自治体が条例に基づいて設置するもので、地方公共団体の義務でないばかりか、設置に際しての認可制度も廃されている。従って、図書館奉仕、図書館サービスすね。図書館サービスの機能を達成するために、ぜひとも要求される基本的諸条件がみたされない惧れが多分にある。このため、全国一律に参照しうる基準を設けて
その惧れを取り除こうとしたものだと。
繰り返していいますと、図書館をつくるか、つくらないかは自治体の判断、考えによるので、義務設置ではないから、つくらないからと言って法律違反ではない。しかし、どのような図書館をつくるかを各自治体の判断のままにまかせていたら、全国でそれぞれ図書館という看板をかかげながら、てんでんばらばらのサービス、自治体間の非常に大きなサービスの格差が生まれるだろう。そうならないために、いやそうさせないために、人口規模に応じて、全国の自治体が図書館の設置、運営にあたって参考になる基準、「望ましい基準」をつくって公示することにしたわけです。どの地域の、どの図書館でも一定水準以上の図書館サービスを行っていく上で、とても大事な考え方であり、条文であったと思います。
「望ましい基準」の公示が行われたのは ふたたび「基準」って何だろう
竹内 その公示はいつ行われたのですか。
才津原 驚かないでくださいね。いや、驚くべきということでしょうか。実に1950年の図書館法制定から51年後の2001年7月のことです。その後2012年12月に全面改正されて公示されています。
竹内 わー、51年間も基準なしできたのですか。
才津原 そうですね。51 年間もですね。ただ実際にはこの間に「望ましい基準」をつくるためのいくつかの動きはあったのです。
国が図書館づくりに後向きだったことを示す実例のこと
竹内 どのような動きですか。
才津原 「望ましい基準」の作成については、日野市立図書館が1台の移動図書館で開館した2年後の1967年7月、はじめて社会教育審議会の小委員会の報告があって、文部大臣に答申されましたが、それは都道府県教育委員会の社会教育課長に送られましたが、なぜか告示されないままでした。その5年後、あらためて基準作成がはじまり、図書館専門委員会で審議し、1972年9月に施設文科会長に報告されました。ところがその案は文部省の係官によって書きかえられ、翌年社会教育審議会にかけられ承認されましたが、これまた公示されませんでした。このため、「公立図書館の望ましい基準案」は、1972年専門委案と1973年施設文科会案の2案があります。しかし、分科会案は、担当した前川さんの経過報告によると、1972年9月の委員会報告に対し、「分部省でほとんど全面的に書きかえられたため、ねばって最大限の訂正をしたが、基本体制とサービス網が欠落したことは、どうも仕方がなかった」ということです。(『図書館雑誌』67巻10号、1973年10月号))
一体、文部省が切り落とし削除した基本体制とサービス網とは何か。ここで、読んでみたいと思います。「市町村立図書館」の項に関するものも併せて紹介します。意味のある、内実を備えた「基準」とはどんなものかをよく示す「基準」であると思われるからです。
公立図書館の望ましい基準案・・・(専門委員会案)
委員会案は、基本的態勢、市町村立図書館、都道府県立図書館の三つに分けて基準を定めている。
基本的態勢
(1) すべての国民が、市町村の設置する“図書館の直接的サービス圏におかれるべき”こと
(2) “都道府県ごとに、わが国における主要な出版物のすべて、およびその他住民の多種多様な必要を充たしうる資料”の利用を可能ならしめること
(3) 図書館相互および公民館・博物館等との協力連携
(4) 図書館の専門職員の重要性、その待遇に対する配慮
(5) 資料を“責任をもって選択すべきこと、適切な整理、配置、利用方法をとること
市町村立図書館に関しては、
(1) 市町村は、本館・分館・移動図書館からなるサービス網によっておおわれなければならない
(2) 貸出が市町村立図書館の最も基本的な業務であり、住民の役立つためのサービスの
水準は、
年間貸出冊数 人口の2倍 (1960年の貸出密度 人口当たり0.25冊)
貸出登録人員 人口の15% (1960年の登録率 2.33%)
(3) 貸出冊数の半数またはそれ以上が児童図書であることが望ましい
(4) 最低必要な年間増加冊数
市立図書館 人口千人あたり125冊以上(注:人口の8分の1以上)
町村立図書館 2,000冊以上
(5) 専門職員の数は、市立図書館 人口7,500人につき1人
町村立図書館 5人以上
非専門職員の数は、専門職員の数の2分の1程度 など
(『日本図書館学講座Ⅳ 公共図書館』森耕一 雄山閣)
文部省が「望ましい基準」から削除したのは、「すべての国民が、図書館の直接的サービス
圏におかれるべきこと」「市町村は、本館・分館・移動図書館からなるサービス網によっておおわれなければならない」でした。いずれも、「総論」、「市町村立図書館」の一番目におかれ、委員会として最も重視した規定であったと思います。
「住民の生活圏内に、身近に図書館を」の否定を文部省が自ら行ったということであったと思います。
国の考え方、姿勢をあらためて確認する
才津原 それから26年後の1988(昭和63)、文部省社会教育審議会社会教育施設分科会で、『新しい時代(生涯学習・高度情報化社会の時代)に向けての公共図書館の在り方について』という「中間報告」をだしていますが、「市町村における図書館整備が大きな課題である。」
「住民に対するサービスの向上のためには、既存のサービスの体制の充実と未整備地域におけるサービス体制の強化が必要である。特に、未整備地域におけるサービス体制の強化に当たっては、まず当該市町村が自助努力をすることが前提となる。」〈東京都の図書館政策のように、全体のサービス水準をあげるような誘導的な基準とするという観点はみられない〉「国及び地方公共団体は、・・・公共図書館の整備を計画的に進めていく必要がある。」
その際、特に重点的な施策として、「第一は、図書館整備地域の拡大である。図書館サービスの拡大に当たっては、第一に大切なことが図書館の適正配置である。まず、図書館が整備されていない市町村への設置を促進する必要がある。整備市町村においては、核となる図書館の充実を図るとともに、住民の利用を考慮した分館等の設置を進めていく。」
この「中間報告」によっても、なんら具体的な成果もないまま、このような国の考え方、姿勢がその後、かわることなく2001年の「望ましい基準」の初めての公示まで、延々と続いていくわけです。
「図書館の適正な配置」とは何か、その具体的な内容を明らかにせず、また国の誘導的で、有効性のある政策の必要性についてはなんら論議も提案もない報告であると思いますが、そのような国の姿勢、立ち位置を正しく把握しておくことが大切だと思います。
公民館の配置基準はどうなっているか 市でも農村地帯は小学校区に
才津原 ただ文部省、現在の文部科学省が、社会教育施設の適正な配置ということについて、これまでなんら施策を講じなかったわけではありません。
すでに1964(昭和34)年、日野市立図書館の開館1年前のことですが、「公民館の設置及び運営に関する基準」を告示して、「公民館を設置する市町村は、・・・当該市町村の通学区域(略)人口(など)を勘案して、(略)対象となる区域を定めるものとする。」
と定め、翌年の1965年、各都道府県教育委員会あての通達で、
「公民館の事業の主たる対象となる区域については、一般的にいえば、市にあっては中学校の通学区域、町村にあっては小学校の通学区域を考慮することが実態に即すると思われる。しかし市にあっても農村地帯などについては、小学校の通学区域とし、市街地などについては人口密度、ないし利用者数に応じて中学校の通学区域より狭い区域とするなど他の諸条件をも勘案し、実状に即して定めることが望ましい。なお、いままでの公民館活動の実績によれば、公民館を中心として、16平方キロメートル以内の場合に利用上の効果が最も高くなっている。」としています。
「図書館の適正配置」を考える際、豊田市でも糸島市でも、市の中に広い農村地帯がありますが、その際、中学校区ではなく、小学校区になければ、日常的な利用が困難な地域があることが実感される地域に住む市民にとっては、住民の「身近に」分館の必要性を訴えるときに、「小学校区に」と求める重要な根拠の一つと考えていいのではと思います。
あらためて、基準ってなんだろう
竹内 市でも地域の状況によっては小学校区に必要だという規定ですね。
才津原 そうですね。それでもう一度、基準って何だろうと考えてみたいのですが、図書館だけでなく、私たち市民の生活を守り支える上で、社会的なそれぞれの場で、基準をつくり、その基準をさらに高めていくことは、ほんとうに大切なことですね。最近の例では小学校の児童数を2021年度から5年かけて1クラス、現在の40人から35人になるように法律の改正をしましたが、この時の法案の名前が、かなり長いものですが、「公立教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案」でした。「標準」なんですね。「標準」とは「基準」のことですね。新聞によっては「義務教育標準法改正」と報じたところもありましたが、この「標準」の改正により、今後5年間で1万3574人の教職員が配置されることになっています。
竹内 まさに私が働いている現場で、ほんとうに大きな変革ですが、これにより全国どこでも、1クラス35人学級になるわけですね。
才津原 そうですね。全国どこでも同じにですね。しかし、図書館の「望ましい基準」については51年間も基準なしにきたわけです。1世代30年といいますから、51年というのは非常に長い、2世代に近い期間、おじいさん、おばあさんの時から基準がないということです。少年、少女だった人がおじいさん、おばあさんになったときに基準がつくられた。このため、図書館法の制定に当たった文部省の西崎氏が危惧した通り、全国で図書館間で、非常に大きな格差が生まれて今日に至っているわけです。
全国の図書館のうち本物の図書館は5%
才津原 初めて「望ましい基準」が公示された2001年の前の年、2000年に菅原峻(たかし)さんが、全国の図書館のあり様をみて、「本物の図書館」といえるのは、全体の5%しかないと述べています。(日本の図書館は3つのタイプに分けられる。①図書館という看板の下がった役所;全体の半分以上、②無料の貸本屋;残りの70~80%、③本物の図書館;全体の5%、しかも当初③であっても、①②化していくケースが珍しくない。「図書館にはDNAが大事なのです。」『アミューズ』2000.1.26)
これまで、何度も図書館間のサービスに実に大きな格差がある、これが同じ図書館という名前を名乗ることこができるのだろうかと言ってきましたが、その格差の甚だしさが一体どれほどのものかを端的に示す言葉だと思います。全国の図書館の95%、ほとんどが「本物の図書館」とはいえない、というのですから。
竹内 菅原さんはどんな方ですか。
才津原 菅原峻(たかし)さんは1926年北海道の生まれで、戦後は北海道八雲町の公民館の仕事、日常的には図書室の仕事をしていましたが、図書館の勉強をしようと1951(昭和26)年に文部省の図書館職員養成所に入り、卒業後、日本図書館協会に入り、昼間は調査部(全国の図書館の調査)の仕事をしながら、夜は法政大学に通っています。ここで1951年という年が、今から思うと日本の戦後の図書館の歴史を振り返るとき、特別な年であったように思います。先に前川恒雄さんが石井敦さんと養成所で出会い、「その後五十年、亡くなるまで、兄弟以上の仲でともに歩」まれたことを話しましたが、(『未来の図書館のために』)菅原さんは1951年、図書館職員養成所(文部省)の学科試験を受けた場所で、1科目が終り休憩で廊下にでた所で、偶然に前川さんに出会うのです。以来、「養成所のニ年間、前川君とは一番親しい仲でした。(略)彼は苦学力行、なにせ酒屋でアルバイトをしたから文字通りの力行ですよ」と、後年インタビューの中で語っています。(「境界人、菅原峻の途中総括 助言者という選択」〈「ずぼん」⑥ポット出版 1999:以後の内容も〉
このように、1951年図書館職員養成所で前川さんは、菅原峻、石井敦、そしてさらに砂川雄一氏に出会うのです。この年の養成所の同期生の中にいた砂川氏は、前川さんが1974年に日野市で課長職だったときに助役に任命されたとき、後任の図書館長を託した人です。養成所以来の友人で、その人柄を信頼してのことでした。砂川氏は日野市立図書館の館長になって、移動図書館の運転もされたとのことですが、ここでも天の配剤とも思える人の出会いの不思議さを思います。
菅原峻さんのこと
才津原 菅原さんのことをもう少しお話したいと思います。
菅原さん、前川さんたちは1953年に文部省図書館職員養成所を卒業し、同年4月に菅原さ
んは社団法人日本図書館協会に勤務。25年間協会に勤務して、1978年3月図書館計画施設研究所を創設、日本で最初の「図書館コンサルタント」として活躍し、全国の100館をこえる図書館の基本計画の作成やすぐれた図書館建築の誕生に力をつくしました。また、年4回「としょかん」を発行するとともに、日本各地の図書館づくりにかかわり、全国の図書館づくりの得がたい相談役として活動を続けました。先に菅原さんの「本物の図書館は全体で5%しかない」という発言を紹介しましたが、これまでの菅原さんの経歴から伺われるように菅原さんは、全国の図書館を調査する最前線の現場で仕事をし、全国の図書館の状況を知るとともに、だれよりもたくさんの現場を歩いて図書館の計画づくりや設計に関り、どんなにしっかりした図書館の基本計画をつくっても、計画通りに図書館を始めることが如何に難しいかを体感した人の発言であることに留意したいと思います。
私自身のことですが、もし菅原さんのお仕事と菅原さんとの出会いがなければ、苅田町の図書館はまったく違ったものになっていたと思います。1987年ごろ、「福岡の図書館を考える会」を梅田順子さんたちと始めて定例会をしていた時、私が偶々手にした埼玉県の『鶴ヶ島町図書館基本計画』(コピー)は、私が図書館の基本計画というものを初めて見て、計画書の重要さを知らされたもので、苅田町の図書館の基本構想をつくるときに、おおいに参考にしたものですが、そのときはその計画書の作成に菅原さんが関わっていたことは知りませんでした。また、1988年12月1日から苅田町の図書館準備室で働き始める以前、私は設計事務所についてまったく知るところがありませんでした。その時、図書館建築の経験があり、図書館の建築に強く深い思いをもついくつかの設計事務所を町に紹介してくださったのが菅原さんでした。こうして、当時、山手総合計画研究所の寺田芳朗氏と出会うわけです。苅田で仕事を初めてほどなく、第1回目の寺田さんの設計案が届き、すぐに横浜の事務所を訪ねたのは12月9日のことだったように思います。その日に山手の事務所で打ち合わせをし、寺田さんが設計した大磯町立図書館を見学し、(夜、外国人船員が来るバーに案内され、そこで聞いた寺田さんのお話が心に刻まれています。)翌日、大和市と藤沢市、そして11日には、開館準備中の埼玉県朝霞市の準備室を訪ねて、大澤正雄さんにお会いして、大きな収穫を授かっています。苅田に帰ってすぐの13日には、寺田さんが模型をもって来町され、まだうち合わせが十分でない中での、すばやい動きに戸惑いを覚えたものでした。今から思うとよくわかるのですが、苅田町を巡る状況の中で、苅田町の図書館の開館予定の時期が、次の町長選挙の日時から逆算されてのことだと思いますが、寺田さんに与えられていた時間は、図書館開設準備室が設置されてから、翌年の3月末までの、わずか4か月しかなかったのです。基本設計をつくるということが、どんなにすさまじい作業、仕事であるか、そのことを私は深く知ることなく、寺田さんに対したのだと思います。よく知っていれば、4ヶ月で基本設計をお願いするということはできなかったと思います。今にして思えば、寺田さんだからこそ、あの信じがたい短期間で、考えに考え、力をつくして基本設計をなされたのだと思います。寺田さんは、私たちに、思考停止することなく、自ら自分で考えることを求めて、彼のいう「設計競技(協議)は格闘技だ」という時間を手渡してくれたのです。苅田町の図書館が開館して、「空間が持つ力」というものを、私ははじめて体感したように思います。私にとって、建築家との生まれて初めて出会いであったと思います。
苅田町立図書館の設計をされた後、寺田さんは寺田大塚小林計画同人を始めて代表をされ、数多くのすぐれた図書館を設計しています。苅田町以後、伊万里市や沖縄県名護市、滋賀県愛知川町(現・愛荘町)、そして今は合併して諫早市となった、私の大好きな長崎県多良見町の図書館や千葉県君津市、埼玉県小川町、そして福島県南相馬市の図書館などですね。
竹内 どれもぜひ見学してみたい図書館ですね。
才津原 私も南相馬市をはじめ、まだ訪ねたことがない、そして訪ねたいと思っている図書館が何館もあるのですが、ぜひ見学されるといいですね。いずれも建築はもちろんですが、図書館の運営の面でもとても深い学びを得る図書館だと思います。
菅原さんの話にかえりますが、菅原さんとは、福岡の図書館を考える会で講演をお願いしたりしていましたが、菅原さんと苅田町とは、正式な契約的なことはなかったのですが、菅原さんは、苅田町での設計協議の最後の場に参加されたばかりでなく、1990年5月の苅田町立図書館開館後も、九州に来られた時は折々、苅田町に立ち寄られ、当時の沖勝治町長、増田浩次図書館長と親交を深めて、苅田町の図書館に深い力を送り続けてくださいました。『としょかん』(No.33 1990.7.15)の紙上では、次のように町長の言葉の紹介をしてくださっています。
「福岡県苅田町(人口3万3千人)に、新しく図書館が誕生し5月11日開館しました。
計画に助言し設計者を推薦した関係で開館式に招かれ、町民の喜びに接することができました。苅田町は芳しくない事件でしばしば新聞に登場したのですが、新しい町長さんが、図書館を作って町の名誉を挽回したいとおっしゃっていました。そして、図書館を利用して「ものごとを考えること町民になってほしい」と言われたのが心に残っています。」建築は面積2千平方弱です。明るく楽しい雰囲気で、本を囲んでさまざまな読書席や閲覧席があり、建築としても注目されるでしょう。いずれ紙上でもご紹介したいものです。
〔実際に翌年の『としょかん』(No.36 1991.5.15)で、「苅田町(福岡県)の図書館を訪ねて」〈諫早市びぶりおの会〉と題して、5頁にわたり紹介〕
《前川さんが日本図書館協会にきた経緯》
竹内 前川さんはどんな経緯で日本図書館協会にはいったのですか。
才津原 そうですね、今からそのことをお話したいと思っていました。これから話すそのお話に、「前川さんが・・・経緯」を小見出しにして強調したのは、先の菅原さんへのインタビューで、聞き手が「前川さんが協会に来ていなかったら、図書館の歴史は大きく変わっていたでしょうね」と菅原さんに言っているからです。前川さんが協会の職員になったのは日本の図書館の歴史を変えることになる出来事であったと言っているんですね。
前川さんが協会に入ったのは菅原さんの推薦によるものでした。菅原さんが日本図書館協会で仕事を始めて7年後、協会で事務局の柱となる仕事を担っていた武田さんという職員が突然退職し、協会の総務から調査、編集・出版の仕事がすべて菅原さんの肩にかかるようになり、菅原さん一人ではやれない状況になったとき、どうしようかと考えて頭に浮かんだのが前川さんでした。事務局長の有山崧(たかし)さんに相談したら、「君がいいなら」と。その後、有山さんは金沢に出かけていって前川さんに会い、前川さんが協会にくることになったのです。前川さんが、「としょかん」(No.65. 1998.8.15 )によせた文章の一節を読んでみます。
「1960年に、私は七尾市立図書館から日本図書館協会事務局に移った。これは菅原峻さんの誘いがあってのことだが、私は東京での生活に自信がなく迷っていた。その時に、事務局長の有山さんが石川県まで来てくれ、「今の協会には君が必要なんだ」と言ってくれた。こんなことを言ってくれる人に従わないようでは、男ではないという気持ちで東京へ出た。」
29歳の前川さんと、当時日本図書館協会の事務局長、(その後、日野市立図書館が開館して
4か月後の1965年8月に、53歳で日野市の市長になった)48歳の有山崧さん(1911.11 .18~1969.3.16 / 任期半ばの57歳で逝去)との出会いは個人の出会いにとどまらない、その後の日本の図書館の歴史に新たな時代を刻む端緒となったのです。
「基準」は民間で作られてきた・・・「中小レポート」
竹内 人と人との出会いが新しい時代をつくりだしていく、ほんとうに出会いから始まっているのですね。
才津原 そしてその出会いの場所が日本図書館協会であったということですね。その後の協会の歩みをみると、前川さん、菅原さんのお2人が言われていることですが、日本図書館協会は、ある時まで、日本における図書館づくり運動の運動体であったということですね。ずーっと遅れてきた私にとっては、初めて耳にする衝撃的な言葉でした。私は日本図書館協会から刊行される本の多くに、深い力を手渡されてきましたが、私自身は『図書館雑誌』を毎月購入する一会員としての関りだけで、協会を運動体と明確に意識することなく過ごしてきていたからです。
前川さんは「運動」ということについて、それを「ある見識を持った方たちが、ある方針をだす。そしてその方針を基にして図書館をなんとか動かしていく。そしてそれを社会全体に認めさせる。そういう意味の運動ですね。そういう意味の、ものごとが動いていくというような意味の運動論を持った主体があったのですが、今それはなくなったと私は思っています。そのことが現在の困った状況を作っていると思います。」と、2000年5月、京都でおこなわれた講演会で述べています。(「この時、何をすべきか『市民の図書館』三〇年たって」)
有山崧さんと「基準」づくり
有山さんは1949(昭和24)年から日本図書館協会の事務局長として働いていましたが、あまりにも貧しく、利用も極端に少ない日本の図書館の現状を変革するため、「中小公共図書館の運営基準」の作成にとりかかることを考えていました。1960年、有山さんは協会に入ったばかりの前川さんに機関紙「図書館雑誌」の編集、図書館調査(『日本の図書館』の編集)の仕事とともに、協会内に設置する運営基準作成のための委員会の立ち上げと委員会の事務を担当するよう命じます。委員会の正式な名前は「中小公共図書館運営基準委員会」です。基準を検討する委員会ですね。
委員会は1960(昭和30)年から3カ年(実質的には2年半)の月日をかけ、有山さんが選んだ7人の中央委員(委員長清水正三氏42歳の他6名の委員はいずれも30代の気鋭の論客)
と、49人の地方委員(実地調査員委員)が、北海道から九州までの代表的な中小図書館12館の詳細な調査と59館の軽い調査、そして3人の外国事情調査委員がアメリカ、イギリスその他の外国事情の研究を積み上げて報告書をまとめています。こうして1963年に刊行された報告書の名称は『中小都市における公共図書館の運営』、通称『中小レポート』(または『清水レポート』)と呼ばれています。ここでいう中小都市とは、人口5万から20万が想定されています。(5大市を除く市町村立図書館)
特に初年度の実地調査は、資料によって優れていると思われる館を選び、12館のうち最初の岡谷市立図書館には委員全員で行き、その時に行った徹底的な調査方法が以後のレールをしいたと言われています。その後の11館の調査は中央委員1人と地方委員数人、それに前川さんが行って、2泊3日の間ほとんど徹夜の報告と議論をし、地方委員には優れた研修の機会になったと思う、と全部の調査に参加した前川さんは述べています。
竹内 前川さんは全部の調査に参加しているのですね。
才津原 そうですね。その調査の徹底ぶりは「かまどの灰まで調べる」と評されるほどのものでした。調査を終えて、中央委員が分担して執筆した原稿を委員長の清水正三さん(京橋図書館長)と前川さんが、内容の調整、表現の統一を図り、相当おおはばな修正加筆をしてできあがった報告書であるということです。
竹内 中小レポートというのですね。どんな内容ですか。
才津原 報告書の本論の前の「はしがき」の中に「この報告書の使い方・報告書の目的」という説明の中で次のように書かれています。
「この運営基準は、「基準」という語から連想される、単に数量的な基準ではなく、具体的な図書館運営の指針として、中小公共図書館で使われるものと考えられている。この報告書は基準の案として作成されたものである」
これは「基準」について考える時に、大事な点だと思います。「単に数量的な基準ではなく」というのは、「数量的な基準を含みつつ」、あわせて、「具体的な図書館運営の指針」となるものを「基準」だとしている点です。「指針」とは「方針」のことであり、「方針」とは「進んで行く方向、目ざす方向、進むべき路」のことですね。この「基準」は「図書館運営の目ざすべき方向」を指し示したある「考え方」の提示、提案であるということです。
図書館の運営の指針と数量的な基準について
竹内 『中小レポート』についてもう少し聞かせてください
才津原 『中小レポート』は、その後の日本の公共図書館に計り知れない影響を与えたといわれていますが、『中小レポート』の提案、主張の大きな柱と数量的な基準について、4つをあげてみます。
まず、「考え方」の提示
(1) 公共図書館の基本的、本質的機能は資料の提供である。
図書館法では、図書館で行うサービスを8項目にわたって詳細に例示していますが、これらの各サービスを貫く最も本質的なサービスは資料の提供であるとしたのです。
(2)「中小公共図書館こそ公共図書館のすべてである」
「都道府県立、国立の図書館は、中小図書館をバックアップする機能をもっている」
(3) 報告書の構成は、「奉仕(サービス)」から始まっていて、図書館の業務はすべて
市民へのサービスのためにあり、図書館の理論はカウンターから生まれ、発展するものであること。「市民一人一人がその実際的利用を通して、身体でその有用性を
把握してもらうべく努力しなければならない」、説教や宣伝より実際のサービスこそ
出発点である。
そして、4番目が数量的基準の提示です。
(4) 以上のサービスを実行するための条件として、年間購入冊数がもっとも重要な要件であるとして、人口5万人の市で、最低5,750冊の年間購入が必要であると算定し、当時の書籍の価格を乗じて約263万円が最低の図書費であるとしました(人口の8分の1)。「この額はあまりに高すぎる」と、この金額を算出し、討議した委員自身が驚いた金額でした。図書の耐用年数を増やし単価をおさえて計算しても、結果はそれほど変わらない。
「多少手直ししてもたいして変わらないということは、これしかない、これが正しいということでしょうね」「だとすると、いまの図書館は最低以下の図書費しかもっていないということになるのかな」こうして「この額は最低額である」と繰り返し強調しています。「そのうえで、住民に失望感を与えるあまりにも小さい図書館は、むしろつくるべきではないと言い切った」。しかし、それだけの年間増加冊数をもつ図書館は都道府県立・大都市立を含めて、45館しかありませんでした。当時、県立
図書館の年間購入費の平均は200万円でした。
(『移動図書館ひまわり号』、『新版図書館の発見』)
竹内 その後の経過というか展開はどうだったのですか
『中小レポート』の主張をうらづけたものは
才津原 そうですね。図書館協会では、『中小レポート』の発刊後、全国数か所でこの報告書をテキストにした研究会がもたれましたが、この報告書は多くの図書館員に励ましと希望を与える一方で「絵にかいた餅だ」という強い批判もだされました。『移動図書館ひまわり号』はその状況を次のように書いています。
「理論の正しさは一応認められても、現実とかけ離れた水準の数値が、ぜひとも必要なものとして納得されるのは相当にむつかしいことだった。しかし、この数値は公共図書館のなすべき方向に基づいて作られたものだから、それが納得されないことには、逆に基本的な方向まで疑われかねない状況であった。ここで、誰かが『中小レポート』の正しさを実際に証明しなければならなかった」
そして、『中小レポート』の考えかた、その思想を取り入れて、『中小レポート』の主張、理論の正しさを、目に見える形で示したのが1965年、1台の移動図書館から図書館を始めた日野市立図書館の実践でした。日野市では、最初に移動図書館1台だけの図書館として出発し、翌年、「動かない図書館がほしい」という児童の声に応えて都電の廃車を利用した小さな分館をつくり、それから順次分館をつくって、8年後には、移動図書館2台、分館6館、本館というシステムとしての図書館をつくっていきましたが、それをつくりだした力は、市民の利用であったと思います。
また、移動図書館1台でスタートしたとき、図書館の設置条例の中に、「日野市立図書館は、中央図書館および分館によって構成される」という条文をいれていたことも、図書館が動いていく方向をしっかり見定めて、サービス全体を成長させるという考えのもとに、スタートしたことがうかがわれると思います。
竹内 いよいよ日野市立図書館のスタートですが開館してからの当初からの市民の利用はどんなものでしたか。
才津原 ここでも『移動図書館ひまわり号』を読んでみますね。
「移動図書館1台の日野市立図書館は、巡回するたびに利用が増え、みるみる予想をはるかに超えた貸出しとなりました。2年目の最初の分館、都電の廃車を使った電車図書館の1年間の貸出しは約8万冊で、これは当時、大都市の中央館なみの数字でした。」
竹内 それから『市民の図書館』の出版につながっていくのですね。
『市民の図書館』の刊行
才津原 日野市立図書館の実践をふまえて1970年、日本図書館協会から刊行されたのが『市民の図書館』です。協会では日野のような図書館を少しでも増やそうと、協会内に「公共図書館振興プロジェクト」を組織して、中小図書館のための具体的な業務の指針をつくることにとりかかります。原案は、児童サービスの項は清水正三氏、残りを前川さんが、日野市立図書館の実践と理論をベースにまとめ上げたものを、図書館員であった8人の委員が徹底的な討論をし、一部書き換えて『市民の図書館』として発刊したものです。このことから、『市民の図書館』は児童サービスの項をのぞき、実質的には前川さんの著作といえるものでした。
この本はその後の図書館の発展に決定的な役割を果たした、といわれています。それは、公共図書館の役割から具体的な業務まで、一貫した考えで貫かれていて、「いま、何をすべきかの重点を示した、一種の作戦の書」でした。その中身は、現在の図書館がいかに貧しいか。特にこの時代は図書費の少なさがあらゆる困難の原因であることを説き、サービスができるための条件をどうすれば獲得できるかを書き、目標を掲げ自信をもって進むよう励ましています。そして、全力を挙げるべき重点を3つあげています。
(1) 市民の求める本を、自由に気軽に貸出すこと。
(2) 児童の読書要求に応え、徹底的にサービスすること。
(3) すべての人が図書館サービスをうけられるように、全域にサービス網をはりめぐらすこと。
そして、基準がでてきます。
「このようなサービスを実行するための基準として、人口の2倍の年間貸出冊数、人口の8分の1の年間購入冊数が掲げられ、」これは、利用が伸びるための最低の臨界点と考えた数値であるとされました。なお、『市民の図書館』の増補版が1976(昭和51)年に刊行され、「付 その後の発展、ほか」の章が加えられていますが、これは菅原峻氏が書いたものです。
澤田正春さんのひとこと
才津原 『市民の図書館』で私にとって忘れられないのは、前川恒雄さんが滋賀県立図書館長をやめられた時、後任に北海道の置戸町の図書館長や教育長をしていた澤田正春氏を指名されましたが、その澤田さんから、県立図書館の館長室でお聞きした言葉です。1991年に澤田さんが滋賀にきて県立図書館長として県内の図書館づくりにも尽力され、1998年に退任される直前のことだったと思います。澤田さんは、とてもお忙しい日々を過ごされていたので、館長室を訪ねたのは澤田さんの在任中、数回だけでした。
滋賀県の図書館は、1980年に前川さんが滋賀県立図書館長として招へいされた時、県内の図書館は50の自治体のうち6館しかなく、全国で最低位の状態でした。前川さんは県立図書館の改革とともに、滋賀県内の図書館づくりに力をつくしましたが、その際もっとも大事なことと考えたのが館長の確保でした。前川さんは県内の自治体の長や教育長や教育委員会などに図書館の重要性と設置を強く呼びかけていましたが、図書館がなかった自治体で図書館づくりの動きが始まった時、まず行ったのが、図書館開設準備の責任者で図書館開館後は館長となる人を、その自治体に紹介することでした。北海道を含め他府県から多くの司書が滋賀にきて準備室長、そして図書館長として、職員の確保と図書館の充実に力をつくしましたが、その状況を「滋賀の人さらい」と言われたことがありました。滋賀県内には図書館そのものが50自治体中4館しかない時代が長く続き、そのサービスの内容もとても貧しい状態にあったため、県内で館長候補となる人を見つけることは難しかったからです。このため県外の各地で図書館づくりに力をつくしていた司書を滋賀に呼び寄せたからです。改めて考えてみると、澤田さんの招へいはその極み、その象徴であったといえるかもしれません。澤田さんは広大な面積の置戸町で日野を抜いて全国一、貸出しの多い実績を何度も実現したばかりでなく、町づくりに関わる図書館の新たな深い可能性を全国の図書館員と図書館のことを考える市民(住民)に知らしめた人です。そしてこのような人選をし、それを実現させることができるのは前川さんの他にいなかった。
その澤田さんが退任間際に話されたのは、「『市民の図書館』を毎年、年の初めに読んでいるんだ」ということでした。私が驚いたのは、『市民の図書館』は『中小レポート』と同じく、その対象を人口5万以上の自治体を想定して書かれていますが、澤田さんは人口5千人の小さな町の置戸町でも、『市民の図書館』の方法でと考えて実践した人であったからです。
『市民の図書館』は貸出しと児童サービスと全域サービスの3つにまず重点をおいた図書館の運営を呼びかけましたが、この本の刊行後50年が経っても、全域サービス、「どこでも」「「だれでも」は未だしの状態で、現在のもっとも大きな課題であると思います。そこへの道はまだ遥か先にある中で、『市民の図書館』は今もなお、大きな力を秘めて、読者である私たちの前にあると、澤田さんが語ってくださったように思っています。
「基準」が大きな効果を発揮した実例
才津原 これまでお話したように、国は図書館の振興について積極的な施策をとることがありませんでした。そうした中で日本図書館協会が果たした実例の一端を『中小レポート』や『市民の図書館』の刊行をめぐってお話してきましたが、「基準」について考えるときには、「基準」というものが、実際に力を発揮した時にもつ「基準」の役割、その力の大きさを知ることも大事な点ではないかと思います。
竹内 そういう観点から「基準」をみることは大切ですね
才津原 その具体的な例は、国ではなく、自治体、つまり都道府県や市町村の政策でみることができます。ここでは東京都と滋賀県、そして東京の調布市の例でお話したいと思います。
東京都の図書館政策 杉捷夫(としお)さんの大きな働き
竹内 東京都のものはどんな内容ですか。
才津原 まず、東京都の図書館政策についてお話してみます。
1967(昭和42)年、美濃部亮吉氏が東京都知事になり、1969(昭和44)年1月、フランス文学の杉捷夫(としお)氏が東京都立日比谷図書館長に専任しました。そして杉氏が日比谷図書館長に就任したのを契機に、知事と都内の区市立図書館長との懇談会が開かれ、美濃部知事は「図書館は票にならないが、やらねばならない仕事だから」と発言し、その結果、図書館振興プロジェクトチームが発足しました。これは都庁の主要部局の幹部を網羅したもので、市立と区立の館長が1人ずつ加わり、市立からは前川さん、区立からは清水正三氏が委員となります。前川、清水の2人とも、『中小レポート』の作成の中心になってきた人です。自治体の長である知事が現場の声をしっかり聞くことができたときに、どんなに大事な政策が生まれ大きな成果を生みだすか。また、ここでも、清水、前川氏を選ぶことができる人がそこにいたこと、そのことをあらためて思います。(1980年、滋賀県立図書館長となった前川さんは県知事と滋賀県内の図書館長との毎年1回の懇談の場を実現しています。1985年から始まり、昨年はコロナ禍で中止になりましたが、武村正義知事のあと、稲葉稔、國松善次、嘉田由紀子、そして現在の三日月大造知事に至るまで行われています。このような事例は、他府県では行われていないと思います。)
竹内 杉捷夫という人の名前がでましたけど。難しい字ですが、敏捷の捷で「とし」と読むのですね
才津原 そうです。「杉としお」さんですね。
杉捷夫という人が果たしたことについては 『移動図書館ひまわり号』で詳細に語られてていますが、都立図書館長がどんな人で、何をするかで事態が大きく変わる実例をそこに見ることができます。
都立図書館長になった杉氏は挨拶にと日野市立図書館を訪れ、都立図書館長の初めての来館とその人柄で前川さんを感激させています。その後前川さんと出会ったときに「三多摩の館長の皆さんとお会いする機会をつくってください。出かけますから」と言って、数週間後には三多摩の館長会議に参加して、図書館が直面している問題や日比谷図書館の体質を改善してほしいという声に真剣に耳を傾け、「どこまでできるかわからないが、できるだけ努力しましょう」と誠実に答えてくださったと前川さんは記しています。
その後、杉館長は1年半もねばって、かつて日野の図書館の発足を準備した社会教育特別委員をつとめ、理論家として知られていて、当時私立大学の事務長をしていた森博氏を都立図書館の整理課長に迎えています。都庁が管理職を民間から採用することは、きわめて稀であった時のことです。杉館長のもとで日比谷図書館は少しずつ変わっていって、市町村立図書館に本を貸すようになります。
竹内 都立図書館、豊田市でいえば、愛知県立図書館が県内の市町村の図書館に本を貸していなかったということですね。
才津原 そうですね、それまで都立図書館は市町村の図書館に本を貸していなかったのです。都立図書館にしかない本を読みたい時は、都立図書館に行かなければならなかったのです。これは全国のほとんどの府県立図書館がそうだったということです。
また、前川さんは杉館長から、「図書館振興政策のためのプロジェクトチームをつくることになった」と聞かされた時、「前川さんもチームのメンバーになってくださるでしょうね」と言われ、前川、清水の2人が参加するプロジェクトチームの発足に至ったわけです。
竹内 プロジェクトチームでも、お2人の力は大きかったようですね。
政策を立案する委員会――委員の構成、だれが委員になるかがポイント
才津原 そうですね。このチームには、都庁内の教育、企画、財政、人事、区市町村担当の部課長、それに都立、区立、市町村立図書館の代表が加わり、都立からは日比谷図書館庶務課長の佐藤正孝、区立代表が清水正三、市町村立代表が前川恒雄となったのですね。委員会の会議を重ねる中で、「思いきった政策を積極的に立案しようということになり、原案を作成するための小委員会を作ります。」メンバーは、教育庁企画の永井、企画調整局の山西、そして、日比谷図書館の佐藤、京橋図書館の清水、それに日野市立図書館の前川の5名でした。
竹内 お話を聞いていると、小委員会の立ち上げが重要なことだったようですね。
才津原 そうですね。決定的なことだったと思います。なぜいま、52年前に設置された都庁内の委員会について、少し詳しくお話しているかというと、これまで国や自治体でおびただしい数の委員会や審議会などが作られてきていますが、その原案をつくるのが、委員ではなく、行政側の事務局の職員だったり、委員が書いたとしても、行政側の意向の中でしか書かない事例が決して少なくないと思われる現状が、今に続いてあるからです。事務局まかせには決してせず委員が責任をもって自ら書く、その実例がここにあるからです。
注目されるのは、何を原案の柱とするか、本づくりでいえば目次でしょうか、それをまず、5人の討議で決めていることです。『移動図書館ひまわり号』174頁ですが、ちょっと読んでみます。
「まず、全体を「総論」「市町村立図書館」「区立図書館」「都立図書館」で構成すること、長期の施策と当面の施策の二本立てにすること、館数は自治体の広さに、規模はその人口に対応すること。蔵書数、年間購入冊数、施設の面積、職員数について基準の数値を示すことなどを決めた。そして、分担して一次案を作り、それを持ち寄って調整し、さらに二次案を作るというふうに繰り返していった。」
「図書館政策の課題と対策」とは
こうしてできた小委員会案をプロジェクトチームに提案したところ、「総論」の文章がお役所風だなどの意見がでて、前川さんが「全く自分の文章に書き改め」、チーム会議にはかり
認められて報告書「図書館政策の課題と対策」ができあがったということです。
竹内 では、その内容を聞かせてください。
才津原 それではまず総論から。
「総論」では“くらしの中へ図書館を”を掲げ、「都民の求める資料の貸出しと児童へのサービスを当面の最重点施策とする」、また“都民の身近に図書館を”では、「大きい図書館を少し造るのではなく、都民の身近に数多くの地区図書館を造り、誰でも使えるようにする」このため、700メートル圏内にサービスポイントを設ける。
この700メートル圏内というのが、とても大切な規定で、調布市でのその後、800メート
ル圏内という規定に大きな影響を与えたのではないかと思います。
「児童館、青年館、公民館、福祉センターの図書室は区市立図書館の分室とし、サービスを向上する」と銘記しています。(豊田市の交流センターの位置づけを考える時にヒントになるのではないでしょうか。)実際に日野市では社会教育センターの図書館と百草台児童図書館が市立図書館の分館になっています。
図書館は社会の基本施設
才津原 次に「図書館は社会の基本施設である」ということについて少しお話したいのですが。
竹内 どういうことか、簡単にお話いただければ。
才津原 まず、図書館は学生や好事家だけのものではなく、「市民生活に必要な、基礎的な社会施設」であるという考えを強く打ちだしたということです。基礎的な社会施設というのは社会の基本施設ともいえますが、「だれもが」「どこに住んでいても」日常的に利用できるものであることが、基本施設であることの意味することです。財政が厳しいという理由で学校を取りやめることがないのと同じ意味合いで、すべての住民の生涯にわたる学びを保障し、住民・市民の学校である図書館は社会の基本施設であるとの考えを報告の要にすえたのです。そのような考えに立てば、「東京都の図書館がいかに貧しい状況にあるか、そして行政が何をしなければならないかがはっきりします。」
2番目に、「『中小レポート』から日野市立図書館へと発展してきた、貸出しを基本にするという方向は、全国的にはまだ一部のものでしかありませんでしたが、報告書ははっきりと新しいサービスの方向にそって書かれ、その後の東京都の図書館の発展は、これによって3年間を経て方向づけられ、日本の図書館の進路に重大な影響を与えた」ということです。
そして3番目が図書館の基準の提示です。それは「図書館がサービスを行う時に必要な条件を基準として示し、図書館をこの条件まで引きあげるという、東京都の意思表示」でした。その後「図書館政策の課題と対策」の政策化は難しい局面もありましたが、それを乗り越えて東京都の中期計画にくりいれられ、一応「課題と対策」の線で実行されました。
竹内 何だか息詰まるような展開があったのではないかと思いますが、補助金の内容はどんなものだったのですか。
才津原 図書館の建設費と図書費の補助が主なものです。建設費については特別区(23区)は全額、市町村にたいしては建設費の2分の1の補助金。また図書費については、開設後3年間にに購入する図書購入費の2分の1の補助金でした。
竹内 建設費の補助は特別区は全額ですか。また市町村は半額の補助なんですね。
才津原 そうですね。都と区の間では、財政調整制度というものがあり、それに基づく調整額に全額が加算されています。市町村には半額の補助ですが、国の補助金は1割弱でしたから、それからみると、国の5倍以上の補助金ということになります。
また、「基準」という点から見た図書館の「整備目標」に注目したいと思います。実際には建設目標ですが、23区並びに人口密度の高い市については、当面(10年以内)4k㎡(半径1.14km)の地域に1館、人口密度の低い市と町については6k㎡(半径1.4km弱)の地域に1館、さらに市と町のなかで人口密度の希薄な地域は移動図書館の活用によって奉仕目標の達成を目指すとしたことです。活動の重点とすべき貸出目標については、貸出登録率を20%(当時2.5%)、年間の貸出冊数を人口の4倍(当時0.26冊)としていて、この当面の目標の達成を10年以内として、将来の目標については欧米先進国の標準的水準である登録率は30%以上、貸出し冊数は人口1人当り7~10冊を目標としています。
また、蔵書の充実目標を掲げていて、当面は人口当り1冊(当時都民1人に0.23冊)とし、このうち地区図書館の基本となる蔵書は、過去5年以内に出版された図書を基本にし、中心図書館の基本図書は過去10年以内に出版された図書を基本とするとし、将来の充実目標は欧米の水準の人口1人当り2冊の達成をめざすものとしています。このように数値の目標を明示していることが、「基準」が基準として、実際的な力を発揮できるかどうかの要点、勘所だと思います。
そしてこれらの奉仕目標や施設の整備目標、そして蔵書の充実目標にそって、建設すべき地区図書館の規模をエリア内の人口に応じて8つのタイプの図書館を建設することを標準、つまり「基準」として、その整備をすすめる必要があるとしています。
こうして 1971(昭和46)年から始まった図書館政策によって、特別区では地区図書館の建設が急速にすすめられ、多摩の市や町では、計画に準拠した地区館や中心図書館の建設や図書資料の充実が特別区と同じく急速に進められて、図書館サービスが飛躍的に発展する契機となったのですが、1976(昭和51)年にこの補助事業は、実質5年間で中段されてしまいます。前年の1975年に始まったオイルショックとそれに伴う不況の到来で、東京都の財政が急激に悪化したことによるものです。このようにわずか6年で中段されましたが、その後も多摩の市と町の図書館の建設は急速にすすみ、全国の図書館から注目される程の急速な成長とサービスの実績を築いたのでした。(『東京の近代図書館史』佐藤政孝;以下同様)
竹内 本当に内容のある図書館政策が中断されたことはとても残念ですが、それでも、図書館づくりの大きな勢いを作り出した政策だったのですね。その他に何か言われることがありますか。
才津原 これまでお話したように、中期計画では、奉仕目標や施設の整備目標、そして蔵書の充実目標などについては、「課題と対策」の内容を織り込むことができたのですが、肝心の人の面の充実課題については、1969年の図書館振興プロジェクトでは、その開設の目的が、図書館の建設と蔵書の充実を主体とする物の面の整備充実計画を策定することにあったこともあり、「司書の採用制度の確立は早急に実現すべき必要な課題である」と、課題の提起にとどまったのです。このことがとりわけ23区における現在の非常にきびしい職員体制になっている大きな要因であると思います。図書館の数はふえ、利用も飛躍的にたかまり利用度、人口当たりの貸出は47都道府県で一番高くなっているけれども、職員体制は惨憺たる状況という23区の現況に。
中期計画が何をもたらしたか、この結果、三多摩を中心に昭島、国立、東村山など本格的な図書館を誕生させ、“これが公共図書館だ”というイメージの定着化と、日本の図書館を前進させる牽引車の役割を果たすことになりました。(石井敦『社会教育施設のあり方』「権利としての図書館」1976)
数字で、その成果をみると
才津原 中期計画は1971(昭和46)年から1976(昭和51)年3月までの実質5年で中断しましたが、中期計画が始まる前年の1970(昭和45)年から、中断されて2年後の1978(昭和58)年までの9年間を比較すると、区立図書館は68館から105館に(1.5倍)。市町村立は14館から83館に(約6倍)増加し、人口100人当たりの年間貸出冊数は、区立が44冊から216冊へ(約5倍)、市立が53冊から364冊へと(約9倍)急上昇。「東京都はそれまで、人口当たりの数値では低位にあったが、この政策の実行後はつねに首位に立ち(一時期、滋賀県が首位に)、日本の公共図書館の目標になっています。」
『市民の図書館』とともに50年前に始められた東京都の図書館政策、「課題と対策」と「中期計画」は、「基準」についての考え方、その具体例、論議の仕方をはじめ、実に多くの豊かな示唆を、図書館の充実を願い考える市民に、今も手渡してくれる生きたテキストであると改めて思います。
1987年、福岡の図書館を考える会で市民がつくる市の図書館政策『2001年われらの図書館 ―すべての福岡市民が図書館を身近なものとするために―』づくりに取りかかった時、大きな示唆をうけたのが、「課題と対策」であったことを思いだしました。
なお、「図書館政策の課題と対策」が当面の目標とした東京の図書館の数値は、7年後の1987年に実現しています。(①蔵書(1人当たり)の目標2冊➡2冊、②登録率の目標20%➡20%、③貸出冊数(1人当たり)4冊➡4.12冊。
となっています。
竹内 計画で目標とした数値をしっかり実現しているのですね。50年前の過去の例というだけではなく、今の今、大いに役に立つ先例ということですね。
滋賀県の図書館振興策 今も県の振興策の手本
竹内 それでは、あと2つ。滋賀県の図書館振興策と調布市の図書館政策については?
才津原 そうですね。滋賀の振興策についてお話する前に、その前段のことをお話しておきたいと思います.
話が前後しますが、これは前川さんから県立図書館長を引きついだ澤田正春さんが、1995(平成7)年10月に滋賀県で開催された全国公共図書館奉仕部門研究集会の講演で、「滋賀県の図書館振興策」を語る冒頭での発言だったのですが、「滋賀県が動き出したのは、県教委の中に文化部ができまして、文化行政推進のひとつの柱に図書館振興を位置づけたということが出発点でした。その中核に上原恵美さん(現・滋賀県政策監)がおられた。この方がおられたということが、滋賀県の図書館の基礎を行政の面から支えていくうえで非常に大きかったと思います。」さらに、「そして県全体の図書館振興推進の要として、前川恒雄氏に日野市から来ていただいたのです。これが滋賀県の図書館づくりを決定的なものにしたと思います。」と述べています。
上原さんは1979(昭和54)年7月に文化振興課長となりますが(1968年労働省入省、1978年滋賀県商工労働部観光物産課長・出向)、そこでの課題が県立図書館の建設と開館準備でした。武村正義県知事から、まず県立図書館長を探すよう命じられ、図書館のことでは門外漢であった上原さんは県立図書館の役割を検討するため、「滋賀県図書館振興対策委員会」を立ち上げ、6名の特別委員による、3日間の研修会を設置することから仕事を始めています。
そして武村正義県知事から、課長の最初の仕事として、県立図書館長を探すことを命じられていた上原さんは、図書館界の事情をまったく知らないなかで、研修会の講師の1人だった森耕一氏に相談したところ、同じく講師の1人だった前川さんが候補にあがり、一度は日野市長に断られたものの、あきらめず1980年4月、前川さんの館長就任への道をひらいたのです。その後も滋賀県の振興策づくりで、前川さんとともに大きな働きをされます。のちに「政策監」という副知事と同じくらいの位置づけの場で仕事をされたことからもうかがわれますが、行政的手腕に秀でた人が、振興策づくり、その後の滋賀県の図書館づくりの要にいたということです。
ここでも人ですね。人のつながり、ヒトの連なり。
滋賀県民→武村正義→上原恵美→森耕一→前川恒雄→(滋賀に全国各地から)澤田正春→・・・
竹内 それでは滋賀県の図書館の振興策についてのお話を
才津原 前段の話が長くなってしまいましたが、「基準」とそれに関わって、自治体の図書館政策が実際に大きな力を発揮した2つ目の実例ということで、滋賀県の振興策についてですね。
先ほど話しましたように、ここでも、前川さんから始まっているのですね。ただ、これまで前川さんの足跡に沿って話してきましたが、これは決して前川さんを超人、スーパーマンのように考えてのことではありません。前川さんがぶつかり、切り開いてきた道は、前川さんたちの考えとその実践に共鳴し賛同して、思いを同じくした一人ひとり、無数の図書館員や市民の人たちの行動によってであることは言うまでもありません。このことは前川さん自身が語ってもおられることです。「日野を例外にしない、日野に続く町田や府中の動き」、そして全国各地の動きがその道を切り開いてきたと。その上で滋賀県の場合ですね。
竹内 私たち市民の活動もということですね。それでは滋賀のお話を。
滋賀県の図書館振興策の特徴は
才津原 滋賀県の図書館振興策は何かひとつの要綱なり、まとまった冊子がある訳ではありません。前川さんが滋賀県立図書館の館長として着任した翌年の1981(昭和56)年に
滋賀県の各種補助政策がスタートしていますが、県の市町村立図書館振興の各種施策や県立図書館の市町村立図書館に対するバックアップ体制、そして未設置町村への様々な働きかけ、それに応える市町村の図書館設置、これらが有機的につながったものが滋賀県の図書館振興策です。
見逃せないのは、補助政策の立案、実施に至るまでの取り組みです。当時、滋賀県内の図書館の設置率は、全国で下から2番目で、利用も最下位に近い状態でした。
先ほどの話にかさなりますが、滋賀県では1979(昭和54)年に、滋賀県内の図書館の整備、振興を図るため、県内外の図書館の専門家を委員に招いて「滋賀県図書館振興対策委員会」を設置して翌年の3月に『図書館振興に関する提言』‘80をまとめ、新しい図書館の存り方と県の図書館振興にかける強い姿勢を県内の自治体に示しています。委員会には県の関係部署の職員の他に6名の特別委員を選んでいます。
東京都の図書館政策の原案の作成に関わった佐藤政孝(東京都立中央図書館管理部長)、前川恒雄(日野市企画財政部長)の他に、伊藤昭治(神戸市立中央図書館奉仕係長)、森耕一(京都大学)、栗原嘉一郎(筑波大学)、小田泰正(京都産業大学)の各氏など、図書館活動の最先端で活動する図書館員や研究者を選んでいて、その人選に目をみはります。上原さんの力を思います。委員会からだされる報告が中身あるものになるだろうことが期待される委員の構成だと思われます。
この提言に基づいて具体化されたのが1981年に始まった各種補助施策で、(1)図書館建設に対する施設整備補助、(2)移動図書館車の購入補助、(3)図書購入補助の3点を柱としています。
この補助施策は「基準」の働き、それが力を発揮するためには、どのような考え方や、しかけが必要かを教えてくれる内容をもっています。なんであれ「基準」ができれば、それで、物事や事態が前にすすむ、あるいは解決の方に向かうわけではありません。これで安心というわけではない、そういう事例は少なくありません。「基準」そのものの中に、「基準」が力をもつためのしかけが必要なのです。「基準」は力をもってこそ、「基準」の意味があるのだと言えます。
滋賀県の施策では、図書購入費の一定水準の継続的な確保が図書館活動を支えるもっとも大事だとの考えから、1972年の「公立図書館の望ましい基準(案)」(専門委案)に示された人口当たりの年間購入冊数を基準に、それを上回った図書館に購入費の3分の1を補助するもので、図書館の基礎的条件である図書資料の充実を誘導する明確な意図をもったものでした。
「公立図書館の望ましい基準(案)」は、前川さんも委員として関わってできたとき、国はそれを公示しなかったため、自治体によっては、それは(案)であって「基準」ではないとして無視するところと、その「基準(案)」を運営の指針や、図書館のサービス目標に取り込むところとに分かれ、大多数が取りこまずにきてしまった経緯があります。そうした中で滋賀県では、補助政策の中の正式な「基準」として、「基準(案)」(専門委案)を活用したということです。
そこには県当局ならびに県立図書館の「看板だけの図書館ならつくらない。設置のペースは遅くとも、確実に住民の期待に応える図書館をつくっていく」という確固たる考え、理念があったということです。
『未来の図書館のために』のなかで、「市町村に対する図書館設置と図書費補助のスタート」となった」補助政策について、「上原恵美文化振興課長と相談して補助要綱を決めたが、私の思うとおりに作られた。県内の設置率をあげても意味はなく、内容がある水準以上でなければならないことを説いて、施設建設費、移動図書館購入費、図書費にそれぞれ三分の一補助することとし、次のような条件をつけた。
① 図書館法の「最低基準」を満たしていること。
【「館長は、専任且つ有給の者」「増加冊数」「司書数」「延べ面積」の明示】
② 移動図書館の積載冊数は千冊以上であること。
③ 図書館の開館時の図書については、二万冊以上の図書を用意し専任の司書をおくこと。
④年間購入冊数は人口の八分の一以上であること。
これにより一九八一年以後次から次へと図書館が増えていった。」 (66頁)
一度つくったら、それで終わりではない
才津原 さらに一度つくった補助政策を県内の情勢の推移をふまえて改正し、さらに充実した政策としていることです。
竹内 一度つくって、それで終わりではないのですね。
才津原 補助政策が実施されて10年がたち、図書館の設置が小規模の自治体に波及してきたため、「小さな自治体にこそ、一定レベルの規模と蔵書を確保した図書館が必要である」との判断から、開館時における図書購入費の開館時補助(開館時2万冊以上の蔵書)、建物の延べ床面積の下限設定(延床面積600㎡以上の施設に対してのみ建設費補助をおこなう)を追加しています。これも新設される図書館の一定水準のサービスを確保するうえで、重要な基準の設定です。
この補助施策により、人口1万人前後の小さな自治体で、延床面積千数百㎡、開館時蔵書4~5万冊の図書館が続々開館し、活発な図書館サービスを展開しています。」(『滋賀の図書館』「滋賀の図書館10年を検証する」滋賀県公共図書館協議会 平成7・1995:以下も同書による)
また、先に滋賀県の図書館振興策は、「ひとつの要綱なり、まとまった冊子があるわけではない」といったのは、次のような県当局の取り組みをさしてのことです。
滋賀の「県当局が補助施策とともに取り組み、大きな成果をあげたのが、未設置自治体に対する設置への啓発です。県では(補助施策をつくってからの)10年間、図書館振興を担当する県教委文化振興課が市町村長、教育長を対象とした図書館振興に関する研修会の実施や、啓発資料として『市町村図書館の建設に向けて』‘88(昭63)」の配布、滋賀県の図書館振興をさらに発展させるための『滋賀県図書館振興懇談会』’88(昭63)の設置(『湖国の21世紀を創る図書館整備計画』‘88(昭63.10)として報告)など、行政レベルでの様々な機会を利用して市町村に図書館設置をすすめ、お金を出すだけではなく、「こういう図書館をぜひつくってほしい」ということを、積極的に働きかけたことも図書館振興にとって大切な取り組みであったと考えられます。
しかも図書館という建物をつくってくださいというだけでなく、住民に利用される図書館にするには専門職の司書の配置が重要であること、とりわけ館長には、経験のある専門家が必要であること、図書館計画は専門職館長のもとですすめることがよい図書館をつくる秘訣であること等の助言が、専門職館長のもとでの新設館のめざましい利用状況を目の当たりにして、自治体首長の図書館に対する意識を変えるのに有効に働いたと考えられます。
このような滋賀県の振興策をはじめとする活動が何をもたらしたかをよく表しているのが、専任職員の司書有資格者率(正規職員のうち司書の資格をもつ職員の割合)と貸出密度(人口当たり年間貸出点数)です。中学校区設置率(1つの自治体の図書館数と公立中学校数の割合、図書館数÷公立中学校数×100)もあわせて紹介します。2017年度の数値ですが、
1.「専任職員有資格者率」①位、滋賀県82.9%、②岡山県75.2%、㊶東京都40.3%
2.「貸出密度」①東京都8.3点、②滋賀県7.2、③大阪府6.1
3.「中学校区設置率」①富山県68%、②東京都63.4%、⑤滋賀県48%
ちなみに、中学校区設置率が一番高い富山県の貸出密度は4.6となっていて、図書館数は多くても、図書館利用の要である貸出は東京の55%、約半分強の数値になっています。これは、ただ図書館数が多ければよいのではなく、施設の規模(床面積)や、年間購入冊数、そして職員の態勢などが、よく利用される図書館になるための重要な要件であることを示すものと思われます。
東京都の図書館政策も滋賀県の振興策も、「単に補助金を交付するだけではなく、館長や職員に司書資格を求めています。(それを補助金の交付条件にしています)図書館の発展のためには、単に金だけではなく、いかに職員が重要であるかが分かっていたからです。」
そこが肝心要なのですね。
竹内 東京は貸出密度は全国で1番高いといっても、職員体制では大きな問題を抱えているのですね。専任職員で司書の資格を持つ人の割合が、滋賀県の約83%にたいし、東京は は約40%と、なんと半分以下なんですね。
滋賀の補助政策は東京都の図書館政策が実施されて10年後に、東京都の政策の核心に学びながら、つくられていったように思いますが、他府県ではこのような取り組みは行われてきたのでしょうか。
才津原 府県により、個別的な取り組みは行われていますが、残念なことに東京や滋賀に学び、府県内全体の図書館のサービスを底上げし、高めていく取り組みは十分には行われていません。その意味では、30年前に始められた滋賀県の取り組みは、県や市の図書館の政策や計画を考える時、今も大切なヒントを得る生きた実例だと思います。
大分県の図書館振興策(『報告書』、前川氏が委員長) 1995年
実は私が苅田町立図書館を退職する間際に、大分県でそのような振興策を作ろうという動きがあり、前川さんが委員長で、県外からは当時長崎県の森山町立図書館準備室長の渡部幹雄さんと私も加わって、「大分県公立図書館振興策検討委員会」が設置され『報告書』が出されています。その委員会の「報告書」の内容の通りに、政策化されて実施されていれば、大分県の図書館ばかりでなく、九州、日本の図書館を変えるものになっていたのではないかと思う内容でしたが、残念ながら、補助条件の一番大事な点(図書館長が専任、正規、専門職であること)が削除され、図書費の補助期間も、『報告書』では10年間だったものが、3年間となって施行されてしまいました。その結果がどうなったかは、その後の大分県の在りようが語っていると思いますが、『報告書』で示された「考え方」や「基準」の内容は、今も、これからの県の振興策を考える時の大事な「たたき台」になるものと考えています。前川さんが、これからの図書館を考える私たちに手渡し、遺してくださった生きた知恵袋であるとも思っています。その内容、経緯については、添付資料①で紹介したいと思います。
竹内 それでは、自治体が大きな効果を発揮した市のケース、調布市のことを。
なぜ調布市なのか 調布市の図書館政策
才津原 やっと調布市にたどりつきました。長い話となって、ここまでつきあっていただき申し訳ありません。ただ私としてはこの際、今考えていることをさらに、できる限り考えてお話してみようと、竹内さんの問いに導かれてここまできたように思います。
なぜ、調布市なのか。これについては、最初の原稿(以下、「初稿」という)の第8章「さいごに」に書きました、「竹内悊(さとる)さんからの贈りもの」を、全文引用して、ここで紹介させていただきたいと思います。竹内さんと同じお名前ですが、初稿が終盤にさしかかっていた時に出版された竹内悊さんの『生きるための図書館― 一人ひとりのために』(岩波新書 2019.6.20)に触れて書いたものです。なぜさいごにお話するのが調布市立図書館なのか、そのことを竹内悊さんのご本が語っているからです。
あのように長くなってしまった初稿を読んでくださる方は少ないと思います。それがどんなものか、その一端をお伝えするとともに、初稿で私が豊田市のみなさんにお伝えしたいと考えていたことが、そこに結語としてあるように考えるからです。
「竹内悊(さとる)さんからの贈りもの」 〈初稿からの引用です〉
この原稿は「図書館は何をするところか」、「図書館の発見」(とは何か)をめぐって書き始めたのですが、原稿の終盤にとりかかっていた6月下旬、竹内悊さんの『生きるための図書館 ― 一人ひとりのために』(岩波新書 2019.6.20)が刊行されました。この書は私にとってまさしく待望の一書で、私がこの原稿で考え書こうとしているものが何であるかを照らしだすものでした。
「図書館とは何だろう」と考える読者一人ひとりへの、そして豊田市のみなさんへの、1927年生まれの著者からのこの上ない贈りものとも思われました。私自身、読者の一人として、このような著者と同時代に生き、その深い思索から生まれる簡明、簡潔な言葉、文(章)
を手にすることができる有り難さに思いを深くしました。一人の読者を深く励ましてやまない、そして一つひとつのことに気づきを促す竹内さんの声がこの本の随所から聞こえてきます。
6章からなる1章1章、ほんとうに目を見開かされる思いと、よく考えるとは、考えを深めるとはこういうことかと、驚きながら読み進めましたが、なんと第1章は、「地域の図書館をたずねて」で、「1 自宅から歩いたところの図書館に」から始まっています。
私が(今、書いているこの)原稿で豊田のみなさんにお伝えしたいと考えていた「分館とは何か」(地域のどこに住んでいても、誰でも利用できる全域サービス網の中での分館とはどういうものか)が、そこに明瞭に書かれています。
竹内さんは〈全国に三二〇〇を超える公立図書館の中で、「こういうところが身近にあったら」と思える地域の図書館はどこだろうか、と相談をして、まずここをとなった〉図書館を訪ねたのです。
〈三月の末、刺すような北風のやんだ日〉、〈東京の西部、多摩地区の市立図書館分館〉でした。〈この日はつい数年前まで近くの市立図書館長であったSさんに同行を依頼して、朝八時半から午後四時までを館内で過ごし、いろいろなことを見聞きしました。そして「今日、ここに来てよかった!」というさわやかな思いで、この図書館を後にしました。以下は、私たちの印象とメモからの報告です。〉
分館で過ごす利用者の様子や職員の働き、「人の目には見えない仕事」。
司書と嘱託職員との意思の疎通の円滑さが分館運営に活きている様から、「この市は、図書館で働くひとの能力と資質を大事にしていますから、それがサービスに現れるのです。」
「歩いて来られるところにあることが大事です」と思わせる分館についての文章についで、
この分館のある市全体の図書館について書かれています。
この市の人口は豊田市の約54%(約半分の)「人口23万余り、22平方キロメートルの中に
公立小学校20校、私立小学校2校、公立中学校8校、そのほかに公私立の高等学校や大学があります。そこに中央図書館と分館10館、つまり図書館は中学校区に1つ、そして人口からみれば2万人に1つあることになります。これは誰でも自宅から歩いて10分以内、つまり800メートルに1つの図書館という市の計画が実現したからです。
市立図書館の蔵書は、2015年現在137万点【豊田市173.5万:2017年度;以下同様】です。これは市民1人あたり5.9点【4.1】にあたります。貸し出しは年間264万点【豊田市315万点】、市民1人あたり11.4【7.4】です。この年の全国平均は5.5ですから、その2.1倍というのは、全国的にみて、市民がよく図書館を利用していることになります。
ここでは、こういう貸し出し状況が10年以上も続いています。この状況を支えている図書館の資料購入費は、市民1人あたり395円【214円】です。
中央図書館は市の中心部にあって、午前9時から午後8時半まで開館。 (略)
図書館の正職員は62人(うち司書有資格者44人)、専門嘱託員は155人、全員3交代制で勤務しています。(2016年度)」 (※注:漢数字を算用数字に変更)
以上、『生きるための図書館 ― 一人ひとりのために』からの引用ですが、この市立図書館は、調布市立図書館です。本書では意図的に名前が伏せられています。
それはつぎの理由によるものです。
「図書館の名前は伏せました。ここに引いた実践を優れた条件に支えられた特別な事例であって及び難いものではなく、一つの支えとして各図書館の充実がはかられることを期待したからです。」
ほんとうに、ここから歩んでいきたいと考えます。
調布市立図書館といえば、私自身の心に刻まれていることがあります。今から28年前の1991(平成3)年9月の調布市議会で、当時の市長が中央図書館を含む「(仮称)市民文化
プラザ」の管理運営を第三者機関に委託することを検討していると表明されたことが事態の発端であったのではないかと思います。調布市の市民や図書館員はもとより、とりわけ三多摩や東京の図書館員や、図書館に心よせる周辺自治体の市民に大きな衝撃を与える出来事でした。そして全国の図書館員や市民にも。
1993年3月議会で市は委託の方針を表明、それから1995(平成7)年9月の中央図書館
の直営による開館まで、実に様々なことがあったのだと思われます。その当時に開かれた、図書館の委託問題を考える集いで、調布市民の一人の女性が発言された言葉を、私はある冊子で読みました。
その人は「私はこれまで調布市の素晴らしい図書館サービスを本当に満足して受けてきました。今、考えますにそのような私の図書館との関わり方が、図書館の委託の問題を生み出しているのでは」と。
竹内さんは、前述したある「市の図書館」の概要の説明に続いて、1966(昭和41)年に開館したその図書館が開館「以来50年、さまざまな難関を乗り越えてき」て、その図書館サービスの積み重ねの中から、この図書館の基本方針がうまれました。」と記し、この基本方針は、「市全体での理解」が必要で、「図書館の中だけではなく、市役所も、議会も、市民も、市民生活のために必要なものと理解し、市の機関の一つとして維持・発展させる体制が必要です。これは図書館からの不断の働きかけと、サービスの蓄積、それに注目する人々の支援が不可欠ですし、図書館員個人も、図書館に勤めて市民のために」働きます。・・・」
と記しています。
先の委託を考える集会での一人の女性の発言を、竹内さんの「図書館からの不断の働きかけと、サービスの蓄積、それに注目する人々の支援が不可欠です」に重ねて読んで、あらためて、豊田市の図書館を考える市民の会の活動の大切さを痛切に感じています。
ここでは、『生きるための図書館 ― 一人ひとりのために』について、ほんの一端しか触れることができませんでしたが、「市民一人ひとり、そしてみんなの図書館」を市民が手にするために、図書館への深い理解と底深い元気を手渡されるこの本を伴侶として、考える会のみなさんとともに歩んで行きたいと考えています。
以上が当初に書きました原稿、初稿の末尾の文章です。
なお、インタビュ―が終りに近づいたさなか、竹内悊さんから、ある文庫の50年記念誌を
贈っていただきました。まさにこのインタビューのさいごの時を照らしだす灯のような冊子でした。(「大沢家庭文庫 50年記念誌」)竹内悊さんからの「もう一つの贈りもの」については、添付資料の〈Ⅲ〉で紹介させていただきます。
調布市立図書館の図書館計画(分館網計画)
竹内 それでは、才津原さんの長い長いお話、高いお山の頂まで、あと少しという感じですが、調布市立図書館について、さらにお話したいことがあれば。
才津原 日野市立図書館が開館した次の年の1966(昭和41)年6月に開館した調布市立図書館は、早くも翌年の1967(昭和42)年に、市民の身近なところに図書館をつくり「いつでも」「どこでも」「だれでも」利用できる図書館にしていくため、第一次図書館計画を策定しています。この計画は1963(昭和38)年の『中小レポート』を参考に、はじめは半径1.5㎞圏にという分館網をつくるという計画でした。1969(昭和44年)には、分館の第1号の国領分館が開館しましたが、この上ないタイミングで始まった(1970・昭和45年)「東京都の図書館政策」(建設費の2分の1,開設後3カ年の図書購入費の3分の1の補助)が、調布市の分館の整備を進める上で実に大きな力となりました。この間、『東京都の図書館政策』を背景に、第二次図書館計画(1970・昭和45:人口2万人、半径1㎞圏に1つの図書館、市民1人当り1.5冊の蔵書)、そして1972(昭和47)年には第三次図書館政策を策定して、私にとっては目が覚めるような、明解な3原則が提起されたのでした。
1.半径800mに1つの図書館
2. 人口20,000人に1つの図書館
3. 2つの小学校区に1つの図書館
この第三次計画は1973(昭和48)年には一部修正されて、1976(昭和51)年度までに中央館と10の分館を建設するという計画になっています。こうして「様々な難関を乗り越えて」1995(平成7)年の新中央館開館までの歩みとなるのです。
自治体が住民がだれでもわかる明確な目標を掲げ、基準を定めて、計画を作成し、その計画を着実に実行していく、そして事態の進行、状況の変化をふまえて、さらに計画を充実したものにしていく。そうして生まれるものが何であるか。調布市立図書館の歩み、その実践は、明解な3原則とともに、今の今、私たちがどこからとりかかるか、何をすべきかを、その豊かな実例の数々で示して、私たちの目の前にあるように思います。
以上で調布市立図書館の話を終えることにします。
調布市立図書館については、少し長い添付資料【Ⅱ】を用意しましたので、あとで目を通していただければと思います。
「望ましい基準」から豊田市図書館をみると
才津原 やっと最後の章にたどりつきました。竹内さん、ほんとうに長時間ここまでつきあって下さりありがとうございます。これまでの話でポイントとなる点は、お話してきたと思いますので、それをふまえてお話できればと思っています。
一体に、その人の住んでいる地域、市や町や村の図書館が、住民にどれだけ利用されているのかを知るのに、単に貸出し点数や登録者の総数をみるだけではよくわからないと思います。例えば2017年度の豊田市図書館の1年間の貸出し点数は315万3千点でした、と言われても、それが高い数値であるのか、低いものであるのか、どういうことを意味する数値であるのかを判断することは難しいですね。それを考えるには“ものさし”が必要です。
竹内 豊田市の図書館の活動がどんなものか、写しだす鏡ですね。
才津原 そうですね、「ものさし」は自分の姿を映しだす鏡と言えますね。
図書館の活動の実態を照らしだす「ものさし」でもある「望ましい基準」は、図書館法が制定されて51年後の2001年にようやく公示されましたが(2012年、全面改正)、そこには、「理念、考え方」は提示されたものの、「基準」を具体化していくために重要な「指標」や「数値目標」は示されませんでした。つまり「数値目標」を示さず、それを実現するための国の財政的措置もとられなかったわけです。このため、せっかく「望ましい基準」が公示されても、現実的には公立図書館の現況を変える動きを生み出さなかったのです。
竹内 わー、何ということでしょう。51年たってようやく公示された「望ましい基準」なのに。
才津原 ほんとうにそうですね。このため、2006年に文部省の「図書館の存り方検討協力者会議」が指標を定め、政令指定都市と特別区を除いて、全国の図書館を設置する市町村を人口段階別に、貸出し上位10%の図書館の平均数値を具体的な「数値目標」(実際には「基準値」)として提示し、以後『図書館雑誌』(日本図書館協会)の5月号に「貸出上位の公立図書館の整備状況」(以下、『比較表』という。)と題して毎年掲載されています。(2020年は事情により未掲載)
この「基準値」はそれぞれの図書館の現況を把握し、その図書館のこれからの目標を定める時の大切な基準、そして「ものさし」となるものですが、かつて、1972年に「望ましい基準(案)」(「図書館専門委員会案」)が示された時と同じ対応が、図書館の現場でみられました。つまり伊万里市民図書館のように、各地の図書館の綿密な調査をした上で、「基準値」を参考にして図書館協議会で検討して目標を設定する図書館と、私が住む糸島市での議会答弁にみられるように、それは、協力者会議の「案」であって、「望ましい基準」ではないとして、何ら基準づくりの参考にしない多数の図書館とに。(『伊万里市民図書館の望ましい基準』、毎年『図書館通信』初夏号で「伊万里市民の望ましい基準値(目標値)との比較」として市民に公表)
豊田市図書館の活動をみるのに、この「基準値」を「ものさし」とすることは、豊田市図書館が直面している課題を明らかにするとともに、これから豊田市図書館が目ざすべき方向、目標を定めることにつながることだと思います。
竹内 豊田市でも、この「基準値」を使っていくということですね。
才津原 そしてこの「基準値」とともに、町田市立図書館を、もう一つの「ものさし」として、あわせて活用することが、より豊田市の図書館の実態を照らし出すことになると私は考えています。 【添付資料 Ⅳ,Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ 】
なぜ、町田市立図書館を比較の対象にするのか
竹内 なぜ町田市の図書館なのでしょうか。
才津原 まず、私がこれから述べるのは、『日本の図書館2018』(日本図書館協会)の統計を使っていることをお話した上で、つまり実際は2017(平成29)年度の数値ですが、(『図書館雑誌』2019年5月号)、なぜ町田市立図書館か、次の5点をあげたいと思います。
1. 人口は豊田市の42万4千人に対して、町田市は42万9千人と、人口段階別では両市は、「人口30万~」(30万人以上)に属し、ほぼ同規模の人口であること。
2. 人口段階別には、14のグループに分けていて、「人口30万~」で、図書館を設置している市は51市です。この51市のうち、貸出密度(住民1人当たりの貸出資料数)上位10%の市は、吹田市、町田市、豊中市、藤沢市、枚方市、高槻市の6市です。
町田市はこの上位10%に入る、人口同規模の市ではトップクラスの利用度であること。
3. 1965年に開館した日野市立図書館が切り開いた「図書館革命」とも呼ばれた、多摩地域の図書館と共に歩んできた図書館であること。
4. 町田市は「中学校区設置率」(公立中学校数と図書館数が同数であるときを100%とする)は40%(市立中学20校、図書館数8館:自動車図書館数3台)で、「中学校区に図書館を」という点では、まだ大きな課題はありますが、全域サービスを目指して活動していること。
5. 貸出密度が高い図書館の、指数ごとの平均値(基準値)だけを「ものさし」にするのではなく、具体的に参考になる図書館を特定して比較すると、より具体的に考えることができるため。
以上が、町田市を比較の対象として選ぶ理由です。
竹内 町田市は人口は豊田市と同じくらいで、人口30万人以上のグループにはいり、利用度も高く、移動図書館や分館による、市内どこに住んでいても、市民が誰でも利用できるサービスを目指して活動している図書館であるということですね。
「基準値」と「町田市立図書館」を「ものさし」として見ると
才津原 そうですね。それでは「基準値」と「町田市立図書館」を「ものさし」にして、豊田市の図書館をみると、どんなことが見えるかということですね。
市民一人ひとりが図書館を利用するもっとも一般的な方法は「貸出」です。そして図書館がどれだけ市民に利用されているか,市民の暮らしの中への図書館の定着度を表わすもっとも基本的な指標が貸出密度(人口当たり貸出点数)で、国の内外で基準の指標とされています。『比較表』の標題が「貸出密度上位の公立図書館の整備状況」であることからも明らかなように、「貸出(密度)」を第1の基準にして作成されています。
2017年度の1年間の豊田市図書館の貸出は315万3千点で、貸出密度は7.4でした。
人口30万人以上の図書館の貸出密度の上位10%の図書館(「基準値」)は「貸出点数」が351万8千点(100の位を四捨五入)、「貸出密度」が8.9でしたから、豊田市の到達度は、「貸出点数」で90%、「貸出密度」では83%となっています。一方、町田市立図書館の貸出点数は378万点、貸出密度は8.8でしたから、到達度は「貸出点数」は107%、「貸出密度」は99%ということになります。町田市立図書館は「貸出点数」では「基準値」をこえ、豊田市を62万7千点上回っています。
年間貸出し60万点というのは、どんな数値か
竹内 町田市の図書館は豊田市より年間の貸出しが62万7千冊多いということですが、
この差をどのように考えたらいいでしょうか。
才津原 1年間の貸出が60万冊(点)という数字がどういう数字であるか、私にとってはある具体性を感じる数値です。私は5つの公共図書館で働いてきましたが、4つ目の図書館が、北九州市の南側に隣接した人口32400人の苅田町でした。1988年12月1日、準備室発足時から働きはじめ、1990年5月の開館から1995年3月まで勤務し、4月からは滋賀県の人口2万3000人の能登川町の図書館、博物館の準備室に移るまで、苅田町では図書館開館後、まる5年を過ごしました。苅田町の図書館計画では、開館時の目標を人口の25%(登録率)、町民1人当り6冊(1990年度の貸出密度の全国平均は2.17冊でしたから、全国平均の約3倍)、開館から5年後の目標を登録率33%,町民1人当り7.92冊(年間26万2千冊)としていました。
【1988年1月、「福岡市の図書館を考える会」刊行の『2001年われらの図書館―すべての福岡市民が図書館を身近なものとするために―』では、全国の図書館を設置している自治体1027市区町村のうち、貸出密度6以上は35自治体、8以上は6自治体、10をこえているのは、北海道訓子府町(12.5)と千葉県浦安市(10.1)の2つの自治体のみ、福岡市は1.6】
しかし、町民の図書館に寄せる期待の大きさは私たちの想定をはるかに超えるものでした。初年度の1990年度は11か月間の開館でしたが、5年後の目標を初年度から大幅にこえた貸出密度9.79、以後、1991年12.51、92年14.24、93年15.24、そして私の苅田での最後の年、1994年度は16.58で、57万3千冊の貸出し、登録率は71.5%でした。そして退職2年後の1996年には貸出密度は17冊をこえ、60万5千冊と、はじめて60万冊をこえる貸出となっているのです。【町立図書館が開館するまでは公民館図書室(205㎡):登録率6%、貸出密度1】
昨日までは、図書館を利用していなかった住民の多く方たちが、図書館が生まれるとたちまち、ずっと以前から利用していたように、すっかり馴染んで図書館を利用されている様に心動かされる日々でした。
竹内 何か、勢いというか、すごいスピードですね。
才津原 ほんとうに。先ほど話しましたように、図書館の計画では初年度の登録率25%、貸出密度6とし,5年後を登録率33%、貸出7.82としていましたが、登録が50%をこえたのが、開館して1年4か月後のことで、開館2年目は登録が53.3%、貸出し密度は12.51でした。
千葉県の浦安市立図書館は1982(昭和57)年に移動図書館からはじめ、分館そして本館の開館をへて3年目で登録率50%に到達していましたから、苅田まちでは私たちの計画、予想をはるかにこえる早さであったと思います。
開館準備期間1年6カ月を含めて私がいた7年の間に、本館の他、3つの分館と移動図書館による組織網を整備した苅田町の取り組みによるものですが、私自身は、いまだ利用していない町民(未登録28.5%)への取り組みやハンディキャップサービスをはじめ、図書館としてはようやくスタートラインに立てたかなという思いでした。
いずれにしても、人口3万4千人ほどの町で、60万冊の貸出し(貸出密度18冊)というのは行政が、住民が「どこに住んでいても」「だれでも」利用できる図書館づくりに焦点を定めて本気で取り組み、図書館網を整備してシステムとしての図書館づくりに力をつくしてようやく生まれたものだと思います。それはどの地域でも、そのように利用する住民がいるということでもあります。利用度が低い地域があるとすれば、それは住民の読書に対する関心の高さ、低さによるのではなく、行政の取り組み方にその原因があるのだと思います。60万冊というのは、人口3万4000人の町で実際に貸出しされた数値であり、どの地域でも、そのような図書館の利用を求める住民がいるということでもあります。
人口は同じくらいなのに、なぜ町田市より62万冊も利用が少ないのか。
竹内 2017年度の豊田市図書館の市民1人当りの貸出しは7.4でしたから、62万7千冊を7.4で割ると、84,729、約8万5千です。これは豊田市の人口42万4千人の20%、1/5にあたる数値で、これだけの豊田市民が利用できていないと、みることができるわけですね。62万冊というのは、豊田市では8万5千人が利用する、いや、利用できていない数値なんだと。それでは、62万冊という差を生みだしている要因はなんでしょうか。
才津原 わー、62万冊という数値は、いまだ図書館を利用できていない8万5千人の豊田市民がいることだというように、数字を私たちの体で体感できるように考えていくことは、とても大切ですね。
町田市との差、62万7千点というのは、豊田市の年間貸出点数の20%、1/5になる大きな数値です。「貸出密度」でみると、豊田市の到達度83%に対して、町田市は99%で16%の格差があることになります。
62万冊の差というのは、とても大きな格差といえますが、先ほど話ましたようにこれは、豊田市の市民が町田市の市民より、読書に対する関心がより低いことから起こっているのではまったくないということです。
豊田市の中央館は床面積が12,567㎡で町田市の中央館5,262㎡の2.4倍と大きな図書館でですが、中央館の貸出をみると、豊田市が143万8,000点、町田市が141万5,000点と大きな差はありません。豊田市の中央館と32か所のサービスポイントの貸出(171万5,000
点)との割合をみると、中央館が46%、サービスポイントが54%となっています。サービスポイントの方が多いのですね。つまり、市民の身近にある所での利用が多いわけです。一方、町田市では中央館と7つの分館(236万7,000点)との割合は37%と63%です。町田市でも中央館以外、つまり分館の貸出が多くなっていますが、中央館以外の貸出が、豊田市では54%であるのに対し町田市では63%です。両市の中央館の貸出しの差は2万3千冊と大差はありませんでしたから、62万冊の差を生み出しているのは、中央館以外の図書館のありかたです。
分館網が整備されているかどうか、豊田市のサービスポイントは分館ではなく、職員(司書)も配置されておらず、予約、リクエストやレファレンスなどに応えるものではないという実態がこの格差を生みだしているのです。
「貸出」は図書館サービスの全体を象徴するもの、とは
才津原 これまで、豊田市と町田市の貸出点数の差ということで話してきましたが、私は貸出(点数)だけを問題にしているのでは、まったくありません。「貸出」は図書館サービスの核であるというのは、「貸出」が図書館サービス全体を象徴するものでもあるということです。つまり、「貸出」は予約やリクエスト、レファレンスサービスや図書館での様々な集会・活動に直接つながっていると私は考えています。ここでは、「予約・リクエストサービス」と「図書館間借り受け」について、ふれたいと思います。
「予約・リクエストサービス」について
豊田市の予約件数は21万8700件で、「到達度」は32%、うち中央館が全体の90%の19万4700件で、31のサービスポイント(子ども図書室を除く)では24500件で、全体の2%でした。豊田市の「貸出密度」の到達度83%に対して、予約件数の到達度32%の低さが際立っています。
町田市は63万4000件で、豊田市の3倍の件数です。到達度は84%と豊田市の2.6倍です。
中央館は17万6000件で、全体の28%、分館が45万7900件で全体の72%を占めています。中央館では豊田市が18700件多くなっていますが、中央館以外では、豊田市の24500件に対し町田市の45万7900件とその差は43万3400件と圧倒的な格差となっていて、豊田市と町田市の予約件数の「到達度」32%と84%の大きな格差をもたらしているのが、中央館以外の図書館のあり方によること(分館網の未整備・その必要性)を、一層明確に示しています。
分館は中央館に比べると、はるかに小さなスペースですが、開架図書の冊数や新館購入冊数がより少なくても、それが身近にあって、いつでも利用でき、読みたい本や探している本の相談に対応する司書がいれば、貸出しは勿論、予約の利用が高まることを町田市の実績が示しています。
一人ひとりの利用者の求める資料を確実に提供し、市民の「なんでも」を保障する予約サービスは、「貸出し」サービスの根幹をなすものですが、その「予約サービス」は分館において一層、その役割、効果が発揮されることを示していると思います。豊田市の2%に対し、町田市では分館での利用が72%を占めているのですから。実数をみても、町田市の
分館は豊田市の中央館の2.6倍、サービスポイントの18倍の件数になっています。それは、
豊田市においても、それぞれのサービスポイントで本来利用のある件数であるといえると思います。
「図書館間借り受け」について
竹内 それでは「図書館間借り受け」について、あまり聞かない言葉ですが。
才津原 「図書館間借り受け」というのは、図書館にリクエストされた本のうち、図書館に未所蔵で、その本が絶版や品切れ等の理由で購入できない場合、その本を所蔵している図書館(国立国会図書館や、県の内外の公立図書館;図書館によっては、大学図書館や研究機関等)から相互貸借で借り受けることです。リクエスト・サービスに欠かせないものです。
豊田市の「図書館間借り受け件数」は1,695点で、町田市の10,969点の15%でした。
「予約件数の到達度の比較」(豊田市32%÷町田市84%×100=38%)よりさらに低い、町田市とは一桁違うきわめて低い数値になっています。このことは、「図書館にない本でも、
何でも」利用できるリクエスト・サービスが、市民にまだ広く伝わっていないのではないか、また図書館がそれを図書館の基本的な仕事としてとらえ、館長、職員が図書館の指針として一体となってとりくんでいるだろうかという疑問を抱かせる「借り受け件数」であるように思います。
竹内 以上で「図書館間借り受け」について話していただきましたが、他には。
才津原 まことに申し訳ないことですが先に「竹内悊さんからの贈りもの」を初稿から引用しましたが、初稿のさいごに、豊田市の皆さんにお伝えしたいと考えていたことを記していたのを思いだしました。再び初稿のさいごの章(「8.さいごに」)を引用させてください。
【以下、初稿からの引用です】
8.さいごに
⊡現状を知ることから
豊田市の図書館のこれからを考える時、まず知りたいのは、豊田市の小学校区ごとの貸出密度です。小学校区ごとの、市民一人当たり年間貸出点数です。本来、この指数は豊田市の図書館サ-ビスの「どこでも」「だれでも」がどうなっているかを示すもっとも基本的な指標であり毎年、図書館が作成している各年度の「事業概要」(図書館によっては、「年報」「要覧」「図書館の概要」などと表記)で、利用の実態を把握する基本的な統計として作成、公表されるべきものだと考えます。糸島市では、例年の『糸島市立図書館の概要』には記載されていないため、毎年教育委員会に請求して、その数値をもとに、糸島市の地図に小学校区ごとに貸出密度の数値を書きこんでいます。結果は、校区による利用度の大きな格差が一目瞭然にたち現れるものとなりました。そうして今、取り組んでいるのは、この利用の大きな格差の実態を、市民と行政に目に見える形で提示していくことです。現状を知ることから、市民として今、何をなすべきかがたち現れてくるように思います。
【資料資料 Ⅷ 「いとしま としょかんしんぶん」No.1 ⅷ(1)~(4)】
その一つが『望ましい基準』を活用した取り組みです。これまで述べてきたように、図書館法制定後50年経った2001年に公示され、2012年に改正された『望ましい基準』は「数値目標」を定めず、公示されてから18年間経つ中で、必ずしも各地の図書館づくりの中で大きな力となったとは言えない“眠れる基準”とも言える現状があります。しかしながら伊万里市民図書館のように、基準にこめられた考え方を自らのものとし、伊万里市の図書館の現状と課題をふまえて伊万里市民図書館の目標を計画年次とともに策定した取り組みは、豊田市や糸島市の図書館が直面している、市民の身近に図書館がないあり方を変えて、市民“一人ひとり、そしてみんなの図書館”としていくための範となる手立てを示しているように考えます。
とりわけ資料9『望ましい基準』の2項目(1.総則 「設置の基本」、2.公立図書館;管理運営)は重要な規定で、この規定に則った図書館の取り組みを、市民として市に求めることが肝要です。
・ 図書館設置の基本は、住民の生活圏、利用圏を考慮して、分館、移動図書館による全域サ-ビス網の整備に努めること。
・ 基本的運営方針の策定・公表
・ 運営方針に則った図書館サービス、運営に関する適切な指標の選定と目標の設定。
事業年度ごとの事業計画の策定と公表
・ 基本的運営方針並びに指標と目標及び事業計画の策定に当たっては、利用者及び住民の要望並びに社会の要請に十分留意すること。
・ 運営の状況に関する点検及び評価等
また、「館長」については
・2001(平成13)年の「望ましい基準」では、「市町村立図書館」の項目の中で、
(8)職員
① 館長は、図書館の管理運営に必要な知識・経験を有し、図書館の役および任務を自覚して、図書館機能を充分発揮させられるよう不断に努めるものとする。
② 館長となるものは、司書となる資格を有する者が望ましい
・2012(平成24)年12月19日、告示された「望ましい基準」では
4. 職員
(一)職員の配置等
① 市町村教育委員会は、市町村図書館の館長として、その職責に,かんがみ、図書館サービスその他の図書館の運営及び行政に必要な知識・経験とともに、司書となる資格を有する者を任命することが望ましい。
【以上で引用終り】
となっています。その職責とは、「図書館サービスの最高の責任者」であることをふまえて、館長の配置をすることが、要のことです。館長と職員の配置の問題は、指定管理者制度導入の要の問題で、この「望ましい基準」をしっかり活用していくことが大切だと思います。
なお、すでにご覧になっているかもしれませんが、『図書館の設置及び運営上の望ましい基準 活用の手引き』(日本図書館協会 2014)は、役に立つ冊子だと思います。まだご覧になっていない場合は、図書館で予約、リクエストを。
指定管理者制度について
竹内 いよいよさいごのお話、指定管理者の問題についてですね。
2016年2月、市長の施政方針で「豊田市中央図書館への指定管理者制度の導入準備を開始する」という発表を突然知らされた市民は、2016年4月に〈豊田市の図書館を考える市民の会〉を発足して、署名活動や指定管理について学ぶ学習会や講演会、市議会への請願書の提出、そして市議会議員や教育委員に手紙をだすなど、導入計画の凍結・再検討を求めて活動してきましたが、2017年に指定管理者が導入され、今日に至っています。
今回のインタビューのさいごのテーマになりますが、このことについて。
才津原 豊田市では2017年度から、市民のみなさんの反対にも関わらず、指定管理者が導入されているのですね。指定管理者制度の何が問題かについては、多くの方がその問題点を指摘されていますが、私は2点にしぼってお話したいと思います。
私が考えています指定管理者制度の問題点を次にあげたいと思います。
1. 雇用の形態
指定管理者の図書館では、おおむね5年ごとの契約期間になっています。そこで働いている職員は5年たった時、続けて働くことができるかどうかまったくわからないわけです。
指定管理を受託した会社は営利企業です。市から支払われる委託料のうち、人件費をのぞく施設の維持管理費を含めた物件費は、直営であろうと、民間の指定管理であろうと、多く変わるものではありません。指定管理者の会社が収益を得るのは、おおむね人件費として支払われた委託料から得るほかない仕組み(構造)だと考えられます。そこで市が算定した指定管理者の図書館で働く職員の給与は市の正規職員より低い額になっていることは間違いありませんが、その低額になった額から、受託会社が一定の金額をとり、その削減されたものが職員の給料となっていると思われます。ここでは、2回にわたる給与の減額、削減があると考えられます。1度目は市による、2度目は受託会社による。
こうした労働条件の下でも、その仕事を選ぶ理由の主たるものは、応募する人の多くが運営の形態がどうであれ、図書館で働くことに喜びややりがいを持たれているからではないかと思います。指定管理者制度は、そうした人たちの思いに乗っかったしくみだと思います。
ただ、この制度だと、5年先に継続して働ける保障はありませんし、先の先までの保障はなく、仮にたまたま1,2回継続して働けたとしても、10年先15年先に、例えば家族をもっても家族を養うことができる給与や労働条件が保障されるわけではなく、一生の仕事として継続してやっていくにはとても厳しい状況であり制度であると考えられます。実際的には2回、3回と、10年、15年と働き続けることのできる人が少ない職場になると考えられます。
図書館で働く専門職員としての司書が、司書としての力を身につけることができるのは、日々資料と利用者と、地域と社会を知る継続的な学びと仕事(経験)の蓄積を通してです。ある図書館が利用者にとって、信頼できる魅力的な図書館であるかどうかは、司書を核とした職員の働きにかかっています。指定管理者制度は職員が継続的に働くことを、実質的にさせないしくみであり制度です。1人ひとりの職員の力、職員集団の力を育て続けることを許さないしくみ。これは納税者である市民として、大切な税金を有効に使わない、生きたお金の使い方ではないと言うほかありません。
福岡市で新しく開館した分館の1つが指定管理者の図書館となり、先日ようやく見学をしてきました。図書館の入り口には、利用者の声に対する、図書館からの回答がすぐに目に
つくようにおかれていて、一つ一つの市民の声にていねいで、温かな回答が記されていました。館内をみても司書の方たちの、積極的な楽しいとりくみが随所にあり、その心のこもった利用者との応対に心打たれるものがありました。私は福岡市民ではありませんが、
彼女たち(すべて女性の職員であったと思います。)の働きぶりをみるにつけ、1市民であれば、彼女たちの日々の経験の蓄積が、市民にとって役立つ力となるように、何ができるかを考えていかねばと思ったことでした。私は福岡市に隣接した糸島市に住んでいますが
人口150万人をこえる大都市である福岡市の図書館の在りようは、糸島市の図書館の在りようと無縁ではありません。数年前から福岡市民の人たちと“「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡”の活動を始めて、「指定管理者制度の問題」と向き合っているところです。
2.図書館に指定管理者を導入することは、今、その図書館が直面している図書館の課題を置き去りにして、現在ある図書館だけのサービスで良いとするやり方であるということです。
図書館は市民が必要とする情報や資料の提供を通して、すべての市民の生涯にわたる自己学習を保障する機関です。このため市民が「いつでも」「どこでも」「だれでも」「なんでも」利用できる「システムとしての図書館」づくりが、どの地域にあっても図書館の目指すところであり、行政の責務ですが、とりわけ「どこでも」は全国の中学校区設置率が34%(2017年度)であることにうかがわれるように、日本の公立図書館では、そこへのはるかな途上にあります。豊田市の図書館においては、広大な市域に市立図書館が1館しかなく、図書館網の整備は喫緊の課題です。図書館が身近にないため、日常的に図書館を利用できない多くの市民がいるからです。これに取り組むには、まず現状をしっかりとらえ、教育委員会はもとより市の力を結集しての計画的な取り組みが欠かせません。指定管理者の導入は、豊田市の図書館が直面している最大の課題から目をそらし、その問題に市として関わらないという選択で、すべての市民に自己学習の場と機会を保障する行政の重大な責務の放棄ともいえるものだと思います。
豊田市では図書館管理課はありますが、現場にはおかれておらず、指定管理者の図書館は、市の中に図書館のことがわかり、豊田市の図書館の今とこれからを考える市の職員を育てず、持たないことになってしまいます。指定管理者の導入は、日々資料や利用者と接し、地域を歩き、市民と地域の課題を考え続ける現場を市の職員が失うことであると思います。図書館は今の世代の人だけではなく、次の世代の人に引き継いでいくものです。図書館で働く職員が一人ひとりの市民に役立つ図書館をめざして、誇りをもって力をつくせる図書館を手渡していかなければならないと思います。
さいごのさいごに
はじめは意識していなかったことですが、初稿も、このインタビューも前川恒雄さんの足跡をたどりなおすことから始めています。そして今思わず知らず、前川さんの歩みのはじまり、その源流にやっとたどりついたのだろうかと感じています。最後に日野市立図書館が昭和40(1965)年9月21日に移動図書館「ひまわり号」で貸出し業務を開始して2年が経った時、2年間の業務の報告書を刊行しています。
『業務報告 昭和40・41年度』(日野市立図書館 昭和42年3月 非売品)から
いくつかの言葉を紹介させていただきたいと思います。いささか長いのですが、私がこのインタビューの中でお話してきたことの要点が54年前に刊行された『業務報告』の中に、
しっかりと述べられているように思います。豊田市の図書館の今とこれからを考える手がかりがそこにあると思われるからです。
日野市を豊田市に適宜読みかえていただければと思います。
(以下抄録)
1 日野市立図書館の方針
日野市立図書館はどういう図書館か
日野市立図書館は日野市民の図書館である。日野市民の図書その他の資料に対する
要求を公的に保障する機関が市立図書館である。市民一人ひとりが 10冊20冊の図書をバラバラに買う代わりに、それを何万冊という蔵書をもつ図書館にまとめ、より効率のよい、より深いサービスを受けられるようにしたものが市立図書館なのである。健康保険制度が肉体の健康における社会保障であるように、精神や教養の面での社会保障が
図書館であるといえる。
また市立図書館は市民の知的欲求を資料の提供という形で支えている、自由で民主的な社会に欠くことのできない機関である。市民がそれぞれ自らを高め、自由な思考と
判断ができるようにならなければ、本当の民主主義の社会は実現しない。市民がこのような自己形成への道を歩むための資料を提供し、判断の材料を調えるのが図書館である。そうしてこれが市長のめざす、市民の手による市政の基礎となるものである。
図書館はその働きによって、今まで本に親しまなかった人を読書へ誘い、新しい未知の世界への扉を開けることができる。これは図書館が「読め読め運動」をして読書をおしうりすることではない。図書館が市民の身近に、豊富な魅力ある図書を揃えて、市民と密着した仕事をするならば、それだけで読書は野火のように広がるであろう。人間は本質的に知識を求めるものだからである。特に将来の日本を背負う児童・青少年に読書の習慣をつけ、人間形成の基礎を培うことは、図書館の最も重要な働きである。
日野市立図書館の運営方針
Ⅰ 貸出しの重視
図書館サービスにはいろいろな働きがある。図書の貸出し、レファレンス(調査研究を援助する仕事)、集会活動などである。日野市立図書館では、これらのサービスの中、図書の貸出しを最も基本的な、初歩的な業務であり、他のサービスの基礎であると考える。レファレンスは貸出しでは十分な解決にはならない調査研究をする利用者のためであるから、公共図書館として必ずしなければならない業務であるが、貸出しを不十分にしたままでレファレンスを行うと、レファレンスの内容が曲がってしまう恐れがある。集会活動や行事は、図書を市民に提供するためにあるのであって、行事そのものが目的ではない。 (略)
市民の図書館である以上、市民にはだれでも平等に図書を利用してもらうようにしなければならない。 (略)
図書館という以上は、市民の求める図書は“何でも”貸出すことができなければならない。これは大変困難な課題であるが公共図書館のアルファでありオメガである。この課題を果たすため、市民の読みたい本はリクエストしてもらい、あらゆる手段で入手し要望に応えている。現在入手不可能な図書は他の図書館から借りる例も多く、国立国会図書館の蔵書も当館を通じて利用することができるのである。また、市民の要求に最も合った図書が何であるか、どんな図書があるかを案内する「読書案内」も図書館の重要な働きである。
一方、当館では読書のおしつけはしない。求められない図書を配って回るようなことは
一切行わない。市民の自主的な判断で、自由な選択が行なわれるよう援助するのが図書館である。
日野市立図書館は現在、図書の貸出しに殆ど全力を挙げているが、これだけが図書館の業務だと思っているのではない。何もかもやろうとして小さな力を分散するよりも、まず最も重要な、そして将来のスプリングボードとなり得る仕事に集中すべきだと考えているのである。
Ⅱ 全域へのサービス
日野市内のどこに住んでいようと、同じように図書館を利用できなければ市立図書館とは言えない。買い物かごを下げ、げたばきで利用できる図書館であって、始めて「市民の図書館」と言えるのである。このためには市内の各所に分館や移動図書館の駐車場が必要になる。いずれにせよ、これらは簡易な施設であり、ここに大量の図書を用意しておくことはできない。しかし、この簡易な施設で市民のあらゆる要求に応えなければならない。この課題を解決する方法は、これらの分館や移動図書館が単独で働くのではなく、一つの組織の第一線のサービスポイントとして働くことである。水道の蛇口をひねれば貯水池から水が流れてくるように、分館や移動図書館の駐車場に図書が必要に応じて配分される態勢が必要なのである。 この組織と態勢が日野市立図書館であって、一つの建物が図書館ではない。
日野市立図書館の設置条例第二条に「図書館は中央図書館と分館によって構成される」とあるのは、このような組織としての図書館を想定したものである。
Ⅲ 資料が第一
図書館は、図書その他の資料によって市民の役に立つ業務をするのであるから、図書館にとって最も重要な要素は資料である。いくら立派な建物を建てようと、中に十分な資料がなければ、厚化粧をした栄養不良の娘のような図書館になり、市民の役には立ち得ない。日野市立図書館は、外観はたとえ悪くても本当に市民の役に立つ働きができる図書館でありたいと思っている。このためには、何よりもまず新鮮な図書をできるだけ豊富に揃えておくことが第一である。一に図書、二にも図書、そして三にも図書である。
図書館サービスの目標は「何でも、いつでも、どこでも、誰にでも」であると言われる。
日野市立図書館は、この目標を現実のものとするため、市民に本当に役に立つ図書館となるために働きたいと考えている。
以上
才津原 『業務報告』が刊行されて6年後の昭和48(1973)年に発行された、石井敦氏との共著『図書館の発見』は副書名が「市民の新しい権利」です。“新しい”とは、それまで、権利としての実態をもたなかったということだと思います。また「市民の権利」は市民一人一人が、その権利を自ら行使することで、その実体をもつものであり、その第一歩は日野市立図書館は日野市民の図書館である、〈豊田市立図書館は豊田市民の図書館である〉として、市民一人一人が市民の図書館に向けて歩みだすことから始まると、著者が市民に伝えている言葉であると思います。
竹内さん、ほんとうに長時間にわたってつきあっていただきありがとうございました。このように長い時間がかかってしまい、ほんとうにご迷惑をおかけしました。
考える市民の会の代表の杉本さん、事務局の篠田さんをはじめ、市民の会の皆さまによろしくお伝えください。
竹内 ほんとうに長時間お疲れ様でした。よくここまでたどりつけたと思います。ありがとうございました。
添付資料
〈Ⅰ〉大分県の図書館振興策について 5頁
〈Ⅱ〉調布市立図書館について 10頁
〈Ⅲ〉「大沢家庭文庫 50年記念誌」 9頁
〈Ⅳ〉「図書館サービスの望ましい基準と豊田市図書館の比較 2017(平成29)年度」
〈Ⅴ〉「基本的な指標の確認から」 (資料Ⅳの解説)
〈Ⅵ〉「都道府県別 設置率・中学校区設置率・貸出密度・登録率」2017(平成29)年度
〈Ⅶ〉「伊万里市民図書館の望ましい基準値(目標値)との比較」2016(平成28)年度)
〈Ⅷ〉「いとしま としょかんしんぶん」No.1 (1)~(4) 4頁
「編集・デザイン」の大松くみ子さんは、「としょかんのたね・二丈の会の名付け親であり、初代の世話役。
〈Ⅸ〉「糸島市立図書館のこれからについての提言」(1),(2) 2018.6.4
添付資料〈Ⅰ〉大分県の図書館振興策について。
大分県が県立図書館の新館開設準備にとりかかるさなか、「大分県公立図書館振興策検討委員会」が設置されたのは、大分県内の図書館員に働きかけて「ネットワーク研究会」を立ち上げ、何度も滋賀通いをしていた県立図書館員の尽力によるものではないかと思います。
大分県内の委員は大分県立図書館協議会会長西村武人氏、同協議会委員で別府大学助教授佐藤允昭氏、大分県立図書館長宮本高志氏の3名、そして前川委員長、渡部幹雄氏と才津原の6名でした。わずか3回の委員会でしたが、2回目の委員会での討議案を渡部さんと私の2人が担当することになり、ほぼ提案した案通りの報告書が作成されました。(「大分県公立図書館の振興策に関する報告書―豊の国一村一館への道」平成7年1月12日)
これは、東京都や滋賀県の振興策に学ぶとともに、小規模自治体の極めて多い大分県の現状を踏まえて、小規模自治体により手厚いというか、小規模自治体に必要な助成をする内容となっていました。図書購入費と建築費の補助がその内容ですが、図書購入費の補助については、人口3万人以上の市町村と、3万人未満の市町村に分けて補助率を、人口のより少ない小規模自治体である3万人未満の自治体の方を高くしています。
この補助の内容は、東京都や滋賀県に学んで、その基準を一層高める内容としたものでしたので、その内容を具体的にお話しておきたいと思います。
② 補助対象 図書購入費
③ 補助率 1/2~1/5
ア. 人口3万人以上の市町村
・ 新設から3年間 3分の1
・ 4年から5年目 4分の1
・ 6年目から10年目 5分の1
イ. 人口3万人未満の市町村
・新設から3年間 2分の1
・4年から5年目 3分の1
・6年目から10年目 4分の1
④ 補助限度額 なし
⑤ 補助期間 10年間
人口の少ない小規模の自治体には、より高い補助が必要であるという考え方、それを実際に数値で(補助率の相違)で表し規定とすることが要点だと思います。また、ここでも補助をうけるための条件、「補助条件」がもっとも大事なことで、「整備基準」を充たしていることをその条件としています。
肝心かなめの「整備基準」 補助を受けるための条件とは
この「整備基準」は、これまでに日本でつくられた「基準」のなかで、「開架冊数」「建物面積」「職員」について、もっとも高い基準となっています。
実際の「報告書」では、「別紙」として記載されているものですが「公立図書館の整備基準」の内容は6点あり、
1.開架蔵書冊数 40,000冊以上 (※滋賀県2万冊以上)
2.建物面積 延べ800㎡以上 (※滋賀県 600㎡以上)
3.専門職員数
人口3,000人未満 2人
3,000人以上 7,500人未満 3人
7,500人以上 30,000人未満 4人
30,000人以上 90,000人未満 4人に、3万人を超える人口7,500
に1人を加える。
90,000万人以上12人に、90,000人を超える人口15,000人当たり1人
を加える。
但し、この他に必要に応じ非専門職員を配置する。
4.年間購入冊数 最低 4,000冊以上
人口1,000人当り160冊以上
人口150,000以上においては25,000冊以上
5.雑誌購入タイトル数
人口25,000人未満 100誌以上
25,000人以上40,000人未満 150誌以上
40,000人以上 200誌以上
6.新聞購入数 人口25,000人未満 5紙以上
25,000人以上 10紙以上
上記の職員は専任、正規職員であること。
なお、CD、ビデオ、その他の視聴覚資料は、その利用がますます増大すると思われる。必要に応じて十分に準備しておく必要がある。
『報告書』の中から、いくつかの大事な点を
以上が整備基準の全文ですが、「報告書」の本文には、大切な「考え方」の提示と最も重要な補助の条件や「図書館設置に関する行政的援助」の方法が具体例をあげて書かれています。
「考え方」の提示の1つは、「2市町村立図書館に対する県の支援方策」
「a. 市町村立図書館振興の方針」に明確に示されています。
「図書館先進県は必ずしも設置率が高い県ではない。個々の図書館の水準が高い県である。
図書館振興を図るには、一つでも二つでも「これが図書館だ」といえる図書館を作り、それをモデルとして、住民に役立つ図書館を広げていくことが、結果として真の図書館振興につながるであろう。
図書館は、ある水準以上の条件を持たなければ利用は期待できず、経費が無駄になる。ある水準を超えると利用が爆発的に増え、経費が有効に生きていることが誰の目にもあきらかになる。図書館振興の目標はこの水準を全ての図書館が超えるようにあらゆる手段で誘導することである。」
そのための、肝心な「補助の条件」とは
そのためには、県の財政的支援と、その補助の条件がきわめて重要です。先の文章の続きを読んでみます。
「b. 県の市町村に対する財政的支援
県は市町村がある水準以上の働きができる図書館を維持するため、一定の条件のもと、財政的支援をすべきである。これはまた、県の支援が無駄にならないための保障である。
ア. 補助の条件
(1) 地方公共団体が直接運営する、図書館法第2条に定める公立図書館であること。
(2) 図書館の館長は、図書館法題条に規定された司書となる資格を有する者であること。
(3) 図書館の建物延べ面積、職員数、年間購入冊数が、本報告別紙の基準に示した数以上であること。
イ.資料費補助
拡充による、新たな補助制度とする。
ウ.建設費補助
図書館の建設に当っては、「過疎地域等振興プロジェクト推進事業費補助金」の活用が望まれる。しかし、これによって図書館振興が不十分な場合は、図書館建設のための新たな補助制度が必要である。
ウ.その他の援助
移動図書館車の購入および書肆情報ネットワークに接続するためのコンピュータの設置に対し、有効な一定額を財政措置することが望まれる。
滋賀県での実践が生かされた行政的援助の実際 方法の例示
注目されるのは、滋賀県で力をつくして取り行われた行政的援助の実践が、具体的に取り
こまれていることです。
C.図書館設置に関する行政的援助
県教育委員会は図書館設置を促進するため、さまざまな場で市町村に対しその施策の普及説明をはかるべきである。その方法を例示すれば、次のようなものがある。
(1) 年度当初の市町村教育委員会に対する施策説明会における説明。
(2) 市町村長、教育長、企画担当者などに対し、あたらしい図書館についての理解を
を深めるための会合の開催。
(3)図書館振興あるいは設置の機運のある市町村に対し、県教育委員会の担当部課長、県立図書館長などによる個別の説得。
D.図書館の運営に関する援助
市町村立図書館の運営、あたらしいサービスの展開などについて、県立図書館の支援が必要である。この場合、あくまで市町村立図書館の主体的な立場を尊重し、それぞれの館に見合った援助を心がけるべきである。
そのために、県立図書館が市長村立図書館の実情を把握していることと、県立図書館協議会の活発な論議と活動があることが、必須の条件である。
〈 前川さんの声が聞こえてくるように思われます〉
【県立図書館は何をするところか】が明解に述べられているのは
3.県立図書館と市町村立図書館との連携、ネットワーク
a. 県立図書館の基本的役割
県民が必要とする資料、情報を確実に提供するために、県内の公立図書館が連携し、緊密な協力体制のもとで、いずれの図書館をも通じて、どの図書館の資料をも入手できる
ネットワークの構築が不可欠である。
特に県立図書館は、全県民が利用する全県民のための図書館であり、この目的は直接来館する人々に対するサービスだけでは達成されない。「第一線にあって、住民からの様々の図書館サービスに対する要求を受けとめている市町村立図書館からの求めに対し、積極的にこたえることにより、県立図書館は全県民にサービスすることが可能となる。県立図書館は、市町村立図書館への支援を通してのみ、設置の趣旨に適うサービスを提供することができるのである。」(「県立図書館の役割と実践」文部省 1994)
(以下 略)
しかし実際に実施された「大分県公立図書館整備費補助金交付要綱」では、
②補助率 補助対象経費の1/2
③補助限度額 10,000千円(単年度)
④補助期間 3年間 (「報告書」では10年間)
⑤補助事業の対象となる図書館は別表に掲げる整備基準を満たすものとする。
※ 「報告書」の人口3万人以上,以下による補助率(1/2~1/5)の区別をやめ、一律に。
また、【報告書】の「整備基準」と比較すると、
1.「開架蔵書冊数 40,000以上」、「雑誌購入タイトル数」、「新聞購入紙数」の削除
2.「専門職員数」では「報告書」にあった「但し、この他に必要に応じ日専門職員を配置する。」を削除し、さらに、「報告書」の「上表の職員は、専任、正規職員であること。」を「専門職員とは、司書及び司書保の資格を有し、専任かつ正規の職員(館長を含まない。)をいう。」としている。
「館長」の規定の変更については、「報告書」で最も大切な、基本とした規定であったものが変更(削除)されたことになります。この「要綱」がこのようになった経緯は不明ですが、「報告書」がだされる前後の1995年4月から、苅田町から滋賀県能登川町に移り住んだ私には、しばらく大分県からの連絡もなく、かなりたって「要綱」の内容を知った頃、あわせて、「振興策検討委員会」の立ち上げと、大分県立図書館の新館準備の中心になっていたと思われる県の職員が図書館から異動になったことを知らされ、長いこと連絡がとれない状態が続きました。こうしたことに驚いた私は、滋賀県の図書館長や関西の図書館員の幾人かに、そのことを伝えるとともに、その年の秋に大分県で図書館の全国大会が開催されることになっていたので、その大会で平松大分県知事に、その状況を伝えるべく動きましたが、結果的には全国大会では「県の振興策を考える分科会」が開催できただけで、県知事に直接、声を伝えることはできませんでした。(分科会では、山口県周東町の山本哲生氏、塩見昇氏、才津原などが報告)
前川さんは、『未来の図書館のために』のなかで、次のように書いています。
「大分県の図書館振興策
大分県の平松守彦知事から、前川を呼んで県内の図書館振興策を作るようにとの指示があったとのことで、その委員会の委員長になった。委員に後に滋賀県の町立図書館長になった(澤田正春滋賀県立図書館長の推薦で)人が二人いた。この二人の強い意見で、相当
高い条件をクリアした市町村に補助するという政策を作った。この政策が功を奏したかどうか、よくわからない。」 (92頁)
前川さんの所にも、大分県からのしっかりした経過報告がされていなかったのではと思われます。
添付資料〈Ⅱ〉調布市立図書館について
調布市立図書館が開館の翌年の1967年から刊行してきた刊行物・資料のおびただしさと、その優れた内容に驚きます。どれもこれも紹介したいものがたくさんありますが、私自身が仰天した資料のいくつか。
〈1〉『数字で見る図書館活動』1974年 (以後毎年発行)
〈2〉『図書館運営の組織化―フローチャート』1974年
50数年前、調布の図書館をいきなり訪ねた時、『買い物かごをぶら下げて』創林社 1979)の著者である萩原祥三館長が対してくださった対応が心に刻まれています。この冊子はたしかその時にいただいた何冊もの貴重な資料の1冊で、“図書館では、このように仕事をするのか”と驚いたことがあります。萩原祥三とはどういう人か、まったく知らずにお会いしたのですが、そのとき何かたしかなものを手渡されていたことを今にして思います。
〈3〉『昭和50年度 事業計画書』1975
調布市立図書館における刊行物がなんであるか。なぜ延々と、力をつくしてつくられ続けてきているか。萩原祥三さんの言葉に繰り返し耳を傾けたい。今、図書館員であるヒト、一人ひとりの前におかれた言葉であるように思います。
「はじめに
事業計画書作成の意義 図書館長 萩原 祥三
昭和50年度一年の活動計画がこの小冊子によって明らかにされる筈である。読者(といっ
ても我々は多くを期待できないが)が充分想像力をもっておられれば、この文書から調府
市という自治体における、図書館を中心とする住民の知的活動の一端が明らかにされると
思う。大部分の図書館ではこの種の文書を作っていないし、十年一日の如く、同じ作業の
繰り返しに終始している向が多い。情報社会といわれる今日尚、図書館が市民権を充分獲
得していない理由の一端が、この辺にも存在している。なぜ我々は文書によって我々の活
動を明記するのか。図書館という職場は、自らの仕事を計画化し、新しい分野を確立し、
それらの内容を具体化するために文書化するという手続きをとらない限り、本の貸借とい
う単純行為は、全く駅における切符切りと選ぶ所はなくなる。駅における切符の効用は乗
降という乗客の行為で終る。乗客は空間移動によって満足を得られれば済む。切符の痕跡
は、売上高という金額に堆積されて、究極的には利潤という単純な一数字で表示される。
駅の切符販売が無意味というわけではない。それらの労働は勿論社会的効用をもつ。社会
的な効用という点では、図書館の本の貸借と径庭はないかも知れない。貨幣論的尺度にお
いてはそうである。
然し、専門職と自らも誇りをもち、図書館という知的労働に従事する人たちは、この貨幣
論的効用を納得するであろうか。現代の図書館界では、とりわけ「専門職制度」が声高く
叫ばれている。叫ばれている割には、全く安易な、一種の労組的身分保障論のようなもの
に終始し、真の専門家論が厳しく論議されない。この辺にもまた別な現代図書館の市民権
が認められない原因の一つがある。市民権を認めさせるのは主として図書館側の努力がも
っとつみ重ねられなければならない筈である。近代市民革命の歴史をみても、決して安易
な途によって、近代市民は出現したわけではない。我々はもっともっと歴史を学ぶ必要が
ありはしないか。
さて、もし図書館の職場が貨幣論的な労働価値で割り切れないものありとすれば、その価
値は内在的な日常の仕事の中に求められねばならないだろう。知的な価値をうむ労働とは
いかなるものかを、専門職は身を以て実践しなければならない筈である。価値創造的な知
的労働がいかなるものかを、勿論単純に定義できるものではない。然し少なくともそこに
視点を据えて、かからなければ始めから問題にならない。
事業計画も外からみれば活字のつまった紙切れにすぎない。然しこれが専門職の実践とい
う錬金術師の手にかかるとき、必ずや時代にかかれる光芒を放つ筈である。それが図書館
の事業というものである。
(目次)
はじめに
Ⅰ 基本方針
Ⅱ 整備事業計画
施設 蔵書(資料) 職員組織
事務改善 広報 視聴覚
Ⅲ 各館別事業計画
おはなし会 小学生読書会
中学生読書会 地域講演会
Ⅳ 講座 講演会等全市的事業
Ⅴ 市民の自主的サークル活動
読書会 ブック・クラブ
Ⅵ 貸出制度
Ⅶ その他(資料)
以上
(以下に、そのいくつかを紹介)
Ⅱの整備事業計画
1. 施設整備計画(・・・より、以下、同様に、一部紹介)
(1) 調布市立図書館の概要と特色
昭和41(1966)年4月、調布市立図書館中央館が調布駅前に設置され、6月に
開館してから、今までに9館の図書館が開館した。
調布市では、移動図書館車を巡回させる方式ではなく、はじめから、市内の全ての地域に図書館(分館)を設置する、いわゆる“分館網方式”をとった。
人口2万人に一つの図書館
半径800mの円周内に一つの図書館
二つの小学校区に一つの図書館
という三原則を充たすように計画し、市民の日常生活圏内に、“買物籠を下げて気軽に行ける図書館”を作るように計画し、その実現をすすめてきた。
更に、市民の自主的な学習団体を積極的に援助、育成し、図書資料による調査と研究を更に集会室での集団討議にかけるという社会機能を活用するように努めてきた。これは自己教育としての生涯学習の実践と、新しい社会におけるコミュニティ形成を目指すものである。
今年度に若葉分館が開館することによって、一段とサービス地域が広がり、全市の80%(面積比)を網羅できることになる。
残る分館未設置地区は、染地地区と佐須地区の2か所のみとなり、この地区にも間もなく分館が設置されて、極めて近い将来“分館網システム”が完成することになる。そして、これらの分館網を有機的に結ぶ機能を有する本格的中央館(本館)の建設が期待されるのである。
(以下、建設計画、2館の分館と新中央館の面積等)
Ⅲ 各館別事業
1.基本的考え方
“いつでも、どこでも、だれでも、気軽に利用できる図書館”を実現するには、
イ、 市内全地域に図書館(分館)を設置する。
ロ、 職員体制をととのえ、資質をたかめる。
ハ、 市民のあらゆる年齢階層が参加できる、良いプログラムを用意する。
以上の三点、つまり施設、指導者、事業があいまってより良い計画が継続的に実施されなければならない。
(以下、略)
Ⅳ 全市的な事業
市民の学習意欲を誘発し、具体的学習活動の機会を提供する。
1. 講演会
(1) 中央講演会
日頃、接する機会のない各界の専門家を調布市に招き、講演会形式の事業を開催する。
今年度は、時局問題、経済問題、文化評論を含めて、現代世相とその流れを市民と共に考えるため、複数の講師よって開催する。
講師・期日等は、時期を追ってきめていく。
(2) 地域講演会
各小、中P・T・A,自治会とうの要請を速やかにとらえ、共催の型式でおこない、地域の文か活動をもりあげていく。
2. 講座
ひとつのテーマについて、学習を深めていくため、講座を開催する。
(1) 児童文学講座
〇今年度は、「赤い鳥」時代から「第二の赤い鳥」時代といわれる現代の創作童話・民話などの、児童文学の流れを学習し、理解を深める。
講座を系統的に行い、人と作品について、児童図書研究会、子どもの本を読む会、児童文学研究会へと発展させていく。
講師 大川悦生 大石真 前川康男 永井萌二 松谷みよ子 の各氏を予定
対象 一般市民
(2) 著者を囲む読書会
現代の文学作品を、よりよく理解するために、すぐれた著者と著書に触れ、作品のねらいや人生観について話し合い、読書のよろこびをあじわう。
期日 年間6回随時開催
対象 読書会会員、一般市民
講師 丸谷才一 臼井吉見 半村良 井上光晴 金達寿 の各氏の予定
3. 研究会
職員の資質の向上をはかるとともに、広く関係者の参加を求め、市民と職員によって、質の高い事業を系統立ててすすめるため、各研究会をもつ。(会の詳細は、略。名称のみ以下に)
(1) おはなし研究会
(2) 児童図書研究会
(3) 近代文学研究会
4.その他 (以下、名称のみ、内容は略)
(1) 文学散歩同好会
(2) 名画鑑賞会
(3) 子ども映画界
(4) 地域映画界
各・小中学校PTAおよび福祉施設(二葉学園・調布学園等)の要請にもとずき、共催し、
地域や施設に奉仕する。
地域団体の要請により随時おこなう。
地域団体と共催する。
Ⅴ 市民の自主的なサークル活動
1. 基本的な考え方 【「基本的な考え方」を明示すること・・肝心要のこと‼】
市民のさまざまな文化的要求を受けとめ、育てるために、次の事項の整備をする。
(1) 市内のどこの地域でも参加できるように、読書活動を広める。
(2) さまざまな思考や趣向に合わせた多種多様な活動を用意する。
(3) サークル本来のすがたである自主的運営をめざして、世話人を中心にして事業を実施し、サークルの育成をかかる。
(4) サークルそうごの情報交換を密にし、相互研修の場とするため、連絡会を定期的に開催しる。
(5) 各サークルの学習活動をささえるために、指導者の派遣(あっせん・紹介)や、
資料の提供等をおこなう。
(6) 自主的学習の成果をひとつにまとめ、地域コミュニティの育成をはかる。
(注)各分館の事業が、人間のライフ・サイクルに併せてプログラムを用意するのに対し、ここでは地域的広がりと、内容の多様化をめざしている。
2. ブック・クラブとは
市民が、それぞれの学習活動の成果のうえにたって、主体的に組織づくりをすすめ、やがて“学習住民運動”の中核となるための具体的方法として、現在図書館を中心に学習活動をしている人びとの連帯組織づくりをすすめる。
(1) 会則
この会は、日ごろ、図書館をりようしている者、あるいは図書館を活動の拠点としたサークルに参加している者が、大きなひとつの輪をつくり、おたがいを友としてはげましあいながら、みずからを戒め、高め、新しい地域社会を造ろうとするものであります。
名称 1.この会は“調布ブッククラブ#といいます。
事務局 2.この会の事務局は、調布市立図書館中央館内に置きます。
会員 3・この会の主旨に賛成し、クラブの活動に参加できる人はだれでも会員として加入できます。
4.会費は年間500円(連絡費)です。
但し、サークルの運営費は別に定めます。
(略)
(私の目を引いたのは、)
(2) 図書館とブック・クラブの関係
これらのサークルが図書館を中心に活動することについて、いろいろな考えがある。それを大別すると、
「図書館は、住民に対する資料の提供にとどまるべきである。」
(静止的機能)というものと、
「住民の図書館利用を積極的に援助し、各種の自主的教育活動を組織することによって、住民の組織づくりに協力すべきである。」(動態的機能)という意見の二つがある。
調布市立図書館は、後者の考え方のうえに立って組織づくりをすすめている。
この提案は、図書館の後援会などという考え方とはまったく次元の異なる、生活の上に立った新しい構想である。
市民が自からを取り戻す市民運動とは何を意味するのか、私たちの生活にとってどんな意味をもたらすのか、このことを市民が皆んなで考え合うときがきている。
その具体的な行動のひとつとして、図書館(行政)と平等な関係の市民組織をつくることによって、幅広い文化活動を市民自からが主体的におこない、言葉だけでなく、市民と図書館が一体となった図書館活動(自己教育)を推進することができる。
3. 読書会
当館が感慨事業の中で最も力をそそいでいるものは、地域読書会の育成であり、地域読書会に対する協力である。読書会じゃ、図書を課題として相互に話し合うことにより、自己の意見を確立し、人を理解していくことに目的がある。
調布市における読書会活動の現況は活発であり、成人の地域読書会は20団体以上ある。各サークルあたりおおむね10人~30人の参加者で、月1回ないし2回活動している。
4. 創作グループ
図書館を中心に、さまざまなサークルが誕生し、活動を継続している。なかでも、俳句短歌、詩、等の創作グループは、その数も多く歴史も永いことが大きな特色である。
図書館は情報の提供にとどまることなく、これらの自主的サークル活動に積極的に協力していく。これは地域文化の創造に対する図書館の実践的試みである。
・ 句会(8)、短歌の会(4)、詩の会、SFを語る会、小説、随筆、詩などを創作し、同人誌で発表する会、絵画教室、野鳥、野草の会
【4】『調布市立図書館50年の歩み』平成30(2018)年3月刊行。
『調布市立図書館の歩み20年の歩み』を1987(昭和62)年に刊行し、以後5年ごとに、25、30、35、40,45、50年の歩み、とこれまで7冊を刊行しています。
手元に25年、30年、そして『50年の歩み』(平成30・2018;407頁)がありますが、400頁をこえる資料の厚みにではなく、実に豊かな内容に驚きます。
図書館の仕事とは何であるか、(全域サービス網、児童サービス、ハンディキャップサービスとは何か・・・)を一つひとつの膨大な実践の記録で生き生きと示しています。ぜひ手にしてほしい1冊です。それぞれ関心のあるテーマの章を読み合って、語りあうのものもいいと思います。図書館でリクエストを。
『50年の歩み』では、目次の前に、市長、教育長、図書館長、図書館協議会委員長、元図書館長の、5人が開館50周年によせての言葉があります。調布市立図書館の図書館網の基礎となった第1号の分館国領分館が誕生した時の、荻原祥三館長の言葉を、元館長の座間直壮(なおよし)氏が伝えています。
「我々は(中略)出発点において、ひどいハンディキャップを負わされて歩み始めなければならなかった、今だにこの初期の後遺症に苦しみつづけている。然し日本の図書館はどこでも乏しい予算と人員に悩まされつづけている。この劣悪な条件にもかかわらず、
我々は怯むことなく現状打開に努力しつづけなければ、図書館の未来の展望はひらけてこない。我々の実践活動は特別なことではなかった。中小レポートが願いを込めて示してくれた途をひとつひとつたどりつづけただけであった。今日では、貸出しも、次第に
建設されていった分館網によって延びてきたし、初期条件の中から作られたグループ活動は更に大きく発展した、多面的な活動を展開している。まだやらねばならぬこと、やりたいことは山積しているが、極めて限られた人員の許では思うに任せない。図書館活動は考えるよりも先に実行することが大切である。その実行した結果が、次の手段を教えてくれる。このことも私が中小レポートに学んだことである。」
(『図書館雑誌』1978年7月号 日本図書館協会)
分館建設 道半ばの時点で 初代館長 萩原祥三氏のことば
調布市では分館の8館目までを7年間でつくりあげています。8館目の若葉分館の開館に
あたっての初代館長荻原祥三氏の言葉を、同じく元館長の座間氏が紹介しています。
(『調布市立図書館報』第48号)〔1975年4月、若葉分館児童室のみ開館、7月全面開館〕
「若葉分館が近く開館の運びとなった。感無量なものを憶える。調布市に図書館がはじめて出現した昭和41年(1966年)当時、おそらく今日の調布市の図書館の姿を想像し
得たものはないであろう。図書館網の整備においても、その活動の内容においても、図書館職員の情熱においても、我々は自負してよい地点を確立しえた。だれが今日の現状をつくりだしたのか。一口に言えば、時代の流れであり、歴史が主人公であろう。この歴史を築いたものの中に、勿論市長の行政官としての英断、市議会の進歩的な理解、図書館職員の努力も含まれる。と同時に歴史を造りあげようとする市民の意欲と行動を挙げなければならない。この力と流れは、市民の日常生活の中に融けて流れ込んでいるから、決して目に見える形では現れない。然しこの胎動を見つけることができなければ、民衆運動にかかわりをもち、民衆の中に形成される文化創造の芽をのばすことは不可能である。(略)
財政貧困の調布市において、我国の図書館界の後進性に挑戦し、その低い活動の常識を破り、(中略)到達点に達し得られたのは、蓋し、唯一つ、我々が、市民の為に奉仕し、文化百年の計を考え、市民のための、市民による、市民図書館像をもっていたから、成し得たことであろう。(略)
然し乍ら、我々の到達点は、実は欧米の進んだ図書館に比較する時、また、図書館のあるべき姿に照らす時、まだ、ほんの出発点にたったにすぎないのである。図書館として為さねばならぬ本格的な仕事には、何一つ満足に手をつけていないのである。幸い市民の深い理解、議会の温かい支持、市民の大きな期待と参加、加うるに未来に富んだ
熱心な職員を擁する調布図書館の未来は、困難な地方財政や様々な矛盾を超えて、未来が約束されていると信ずる。」
座間氏は、「むすびに」の中で、この50周年記念誌の原稿依頼を受けた時、座間氏としては初代館長の萩原祥三氏に執筆を依頼できればと考えたと記しています。初代館長は座間氏を含む職員の先頭に立って、今日の調布市立図書館の基礎を作り上げ、多くの歴史をつくり、現在もその思想と活動は脈々と引き継がれているからであると。
しかし、現在93歳という高齢のため、そのことはかなわず、座間氏が引き受けることにしたと。このため、調布市立図書館の創設期に絞って、その時々に萩原氏が自身の想いを書き残してきた多様な「ことば」を紹介しながら、座間氏の想いを綴ることにしたと。
そして、更に次のように記しています。
「萩原氏の「ことば」は、当時を知る貴重な記録であると同時に、現在の図書館を考えるうえで決して陳腐なものではなく、将来に向かって通用するものである。
50周年の節目を迎えた今、過去の記録を再度読み返し、現在の図書館の仕事や役割について考え、あらゆる場面で「図書館は何を為すべきか」を自らに問うことが図書館員(司書)
の専門性ではなかろうか。改めて思う。」と。
ここには、先に紹介した3『昭和50年度 事業計画書』の中の「事業計画書作成の意義」で、萩原氏が記している「何故我々は文書によって我々の活動を明記するのか。」
それは、「自らの仕事を計画化し、新しい分野を確立し、それらの内容を具体化するために
文書化するという手続きをとる」のであると昭和50年、1975年に記された考え方が見事に継承されているのを見ることができるように思います。
〔座間氏の文章の末尾に、編者によると思われる、「萩原祥三氏は平成29年5月に逝去されました。」〕
「萩原祥三氏とはどんな人か」、その人と、行動の仕方がうかがわれるエピソードを『50年の歩み』の「コラム」から紹介したいと思います。
「調布市図書館の歩み」の章の「2.動き始めた分館網計画」のなかに3つ、掲載されているコラムのひとつ。
【コラム】 萩原館長の試み~「落書帖」に書かれた言葉~
旧中央図書館が開館した当時は、「本を借りるところ」というよりは「学生の勉強部屋」というイメージが強く、2階の学生閲覧室はいつも満員の状態でした。本ではなく、場所しか利用しない学生への対策を検討した結果、“若者の主張の場”を提供することになり、昭和43年12月14日、2階ホールに「落書帖」という大判のノートを置きました。
「現在を見つめ、それを超えるもの このノートの扉に吐きたいものを書きなぐれ!
ペンでよし 鉛筆でよし マジックインクでよし それは諸君の武器でもある。
いや、人間は書くということを通じて、自己を表現し、 自己を変革してきた。
その書くという行為が、諸君の人間形成の基底に存在する。
どんなことを書いてもよい。ただし、自己を低める品格のない言葉は慎め。
人の悪口とか、図書館の悪口とかそんなものからは、互いに得るものはない。
自己を凝視しつづけ、自己のうちに、たまってくる、何ものかを吐き出せ。そこに諸君がある。そういうことに役立つのであれば、この一片のノートには、多くの学ぶべき言葉が積み重ねられてゆくだろう。
それは、われわれと諸君との貴重な共有財産となり、記念碑となってゆく。(原文ママ)
【当時の落書帖と、萩原氏の直筆の文字の写真を掲載】
ノートにはさまざまなことが綴られました。文字通りただの“落書き”もありますが、中には「三億円事件」に関する考察、学生運動に対する批判、東西冷戦についての意見など時代をかんじさせるものや、偉人の名言・格言や哲学的問い、青春とは、恋愛とは、・・・といった悩みまで、若者らしい生き生きとした言葉が溢れています。
落書帖を置いた2日後の業務日誌には、ある職員がこんなことを書いています。
「“落書帖”の記事より、現代の学生の考え方、学生像への我々の理解度、把握の点について話し合う。
図書館としての難しさを感ずる。時代の流れを把握し、時代を先見する眼をやしなうことの必要、館長の言われた“自由”についての勉強を感じた。
エーリッヒ・フロムの“自由からの逃走”をもう一度読んでみようと思う。」(原文ママ)
置いたきっかけは学生対策でしたが、利用者を知ることで、職員の奮起につながったようです。
(以上)
添付資料〈Ⅲ〉『大沢家庭文庫 50年記念誌』
・発行日 2020年12月
・代表者 栗山規子
〒181-0015 三鷹市大沢5-13-6 / 0422-31-5768
・編集 栗山規子 牛久保ゆう子、大久保あや子、栗山比弓、山本紀子、倉田清子
(以下、「記念誌という」)
この「記念誌」をここに紹介するのは
1. このたびのインタビューでは、まったく触れていない、しかし大切なテーマ、内容を示してくださるものであるため。
2.1960年代末に始まった住民による図書館づくり運動は「70年代を通じて全国的に
野火のように広がった」とされていますが、「その運動をすすめた主な担い手は「子どもと本の豊かな出会いを願う文庫の母親たちでした。」『大沢家庭文庫』は、まさにその運動がどのようなものであったかを生き生きと伝えてくれます。「基準」との関りでは、「仙台市にもっと図書館をつくる会」の『21世紀に向けた図書館構想』など、各地で図書館構想や図書館計画が運動の中で住民によって作られています。その中には「基準」という観点からも、参考になるものが多くあると考えられますが、これについては、「福岡の図書館を考える会」の事例を簡単に述べただけで、まったく触れていないことを、「記念誌」から、改めて知らされた次第であること。
3.「記念誌」を読むと、「文庫」とは、どんなものかが鮮やかに伝わってきます。そこに集う子どもも大人も、文庫での時間が一人ひとりの生活の一部になって、本と人、人と人との出会い、ふれ合いから生まれる「ぬくもり」「あたたかさ」(「手のひらのぬくもり、あたたかさ」)が、深い元気をみんなに手渡しています。
これから市民のだれもが行けるところに、市民の身近に、その地域の分館のあり方を考えていこうとするとき、『大沢家庭文庫 50年記念誌』は、「こんなところが近くにあれば」という分館の具体的なイメージを読者に強く深く喚起する一冊であると考えます。
4. このため、大沢家庭文庫の歩みと活動の実際をできるだけ詳しくお伝えしたいと考え、引用を含めて長い紹介となってしまいました。
大沢家庭文庫のはじまり
東京都の三多摩、三鷹市の南西端、野川沿いの緑多きところに、大沢家庭文庫がある。「春は色とりどりの花が、秋は野鳥や甘い柿の実が目も心も、時にはお腹も楽しませてくれます。」
栗山規子さんが、大沢家庭文庫を始めたのは1968年12月のことでした。近隣の日野市立図書館が開館(1965年)して3年後、隣の市の調布市立図書館が開館(1966年)して2年後のことでした。
アメリカとの戦争が終わって20年くらいの頃、栗山さんは大学を出て、小学校の教師になりました。「日本はすっかり焼け出され、子どもの本もようやく福音館の「こどものとも」や岩波の本が少しずつ出はじめた頃でした。」栗山さんは「少ない給料の中から本を買っては学校の本棚に並べていました。」「授業中に子どもたちによく読み聞かせをしていました。」「どんな本が子どもたちにとって楽しいのかを知ることもでき」ました。
結婚して長男が1963年に生れ、2年後に三鷹市大沢に家を建て、学校には遠いため行かれず、やめなければなりませんでした。1966年には長女が生まれ、自宅には「子どもの友だちが来て本を読むととても喜ばれました。」
「地域活動に積極的に関わっていた父の影響もありました。父は集会所に本を集め子ども達に読ませたいと提案し、自分でも子どもの本を買って寄贈していました。」その頃学生であった栗山さんは、「本を並べるだけではだめなのだ。手渡す人が大切なのだということを知ります。」
「母がとっていた『婦人の友』の1965年ころの記事の中に、坪田譲二氏の司会で文庫をしていらっしゃる方々の座談会を読み、文庫をやってみたいと思いました。準備も勉強もせずに、家の子どもの絵本を読んだり貸したりしていた延長として、自然発生的に始めてしまいました。」
「こどもといっしょになってひとつの絵本に読みひたる楽しみを味わっていくうちに、この子どもたちがもっと良い本を広く読んでいくようになってほしい・・・わが家の本を貸し出していこうかと考えるようになりました。そして1968年12月栗山宅の手持ちの本に市立図書館から団体貸し出しを受けて、文庫をはじめました。りんご箱に包み紙をはって本箱とし、四帖半の子ども部屋に並べての開始でした。」(「大沢家庭文庫25年のあゆみ」)
こうして一つの家庭で始められた文庫がなぜ、どのように50年をこえて活動を続けてきたのだろう。
記念誌のページを開き「児童図書研究会東京支部ニュース」への寄稿(2000~2001)の「こどもと文庫」の栗山さんの文章や、「文庫のあゆみ」を記した『壁新聞』(1968年~1993年、子どもたちの手書きの絵が満載)、そして文庫連絡会『輪を広げる文庫活動』への1994年度から2018年度までの15年間、毎年1年間の文庫のようすを生き生きと知らせる活動の報告、さらには「卒業生からのメッセージと思い出のひとコマ」「50周年記念のお祝いの様子」(『大人たちの会』&『子どもたちの日』)、そしてさいごに目をみはる「文庫のみんながよんだ絵本・語ったおはなしなどの記録」(羽沢小学校の「おはなし会」より 2004~2018年度の文庫「記録ノート」より)をゆっくりみていくと、50年を超えた活動を支えたものがくっきりと姿を現してきます。
子どものときに、家の近くにこんな文庫があったら、
こんな居場所があったらどんなにいいだろう‼
こどもにとってはもちろん、大人にとっても。
文庫のある1日をのぞいてみると
「1995年度のあゆみ」より、この時の世話人の1人、福島頼子さんの報告。
「今文庫に来ている子は、幼稚園児から小学校3年生までが多く、本の貸出しや読み聞かせ、おはなし会などをしています。高学年になっても来てほしいという思いから、ながーいおはなしの日も始めました。でも、いつもイイコで聞いているばかりではありません。
けんかや取りっこも起こります。そんな中で「子どもの力」を感じることがあります。
ある日、迷路の本を園児二人と小学生二人、それに私の五人が借りたいということになりました。そこで車座になり順番を決めることにしました。「ジャンケン」「小さい順」「もうう読んだ人は最後」と、子どもたちから案がでました。その都度、「それでいい?」と聞くと、「ずるい!」「・・・?」など、なかなか全員が納得する方法が見つかりません。皆借りたいのです。一度は抱え込んで部屋を出ていった子が戻って来て、また話し合う内、「借りたい人!といった時に、一番早く手を挙げた人に貸す」というのに五人が賛成しました。そこで、そばにいた子に審判を頼んで、私が借りることになりました。(こういう事になると、張り切ってしまって。)
ところが、年少のEちゃんが泣き出してしまいました。他の子が「もう決まったのだから」と言っても泣きやまず、「あたし帰る!」と言いだしました。私も一瞬どうしようかと思ったのですが、世話人の一人が、「じゃあ気を付けてね、さよなら。」と、すっきり言ってくれました。Eちゃんは、「文庫なんかもう来ない」と出ていくので、「また来てね、さよなら」と、私も言いました。Eちゃんは門の外でウロウロしていました。栗山さんが、「泣きながら帰ると危ないね」と話していると、子ども達は外へ飛び出して行き、「おばちゃん、その本を貸してあげて」と、戻ってきました。本を渡すとまた飛び出していき、部屋にいた子もみんな外へ。しばらくして、Eちゃんは本を抱えて戻って来て、「この本、貸して」と言ったので、一番手はEちゃんになりました。
「こうしたら?」と世話人達は何も言わなかったけれど、子ども達で解決していく力と、ほっておけない優しさを感じました。そして大人は見守っていくだけだなぁと。」
心にとびこんでくるエピソードがどのページからも (世話人の声に耳をすますと)
「金曜日の3時から5時・・・・・・・
“文庫”という空間に流れるこの2時間は子どもたちの心の中に、記憶の中に、どのように積み重なっているのでしょう・・・。おはなしを聞くときのワクワク感や絵本の頁をめくるときのドキドキ感は、本当に、ちいさな、ちいさな思いなのに、大人になってもしっかり覚えていたりするものです。そして、“文庫”は子どもたち一人一人が、自分のペースで本と友達になることができる不思議な力を持っているように思います。
昨年の12月20日、文庫では、少し早めのクリスマス会が開かれました。司会を担当した私は、子どもたちの斜め前に座って、絵本の読み聞かせやおはなし、人形劇などの出しものを見聞きしながら、ときどき、視線を子どもたちに向けることができました。そのおかげで、新米の“文庫のおばちゃん”である私は、やわらかな冬の陽射しにやさしく包まれた子どもたちが、だんだんと、おはなしの世界に引き込まれていくときのなんとも素敵なキラキラとした瞳に出会うことができ、逆に吸い込まれそうになって、圧倒されながらも、とても幸せな気持ちになれたのです。
そんなことを年明けの世話人会で話したとき、「そうなのよ・・・だから、やめられないのよ」と、口をそろえておっしゃられた語り手の方たちのその瞳もまた、キラキラと輝いていて、文庫の魅力の奥深さを改めて感じさせられました。
1週間のうちの“2時間”が、これからも子どもたちにとって、楽しいひとときであることを願いつつ、一人でも多くの子どもたちのあの“瞳”に出会えたらいいなと思います。
(「1996年度のあゆみ」より 山村知子さんお報告)
どの報告にも、目が留まることしばし 少しだけの紹介です!(抜粋です)
(「1997年度のあゆみ」から 長谷川直子さんの報告)
《文庫は大繁盛》
遠路はるばる府中から通ってくる親子組も増え、栗山さん宅のリビングも隙間がなくなるほどにぎやかな文庫になる時もしばしば。子どもの顔と名前がなかなか覚えられない程です。
① ・・近くに図書館もあるけれど、文庫へ行って本を借りよう・・・
② ・・だれか人がいるから、文庫に行こう・・・
③ ・・今日は、おはなしの日だから文庫へ行こう・・・
子どもにとって、文庫に通う意味は様々だが、生活の一部になっているのでしょうね。(略)
親子4人で、文庫に通い始めて4年。私達家族にとっても、文庫は生活の一部になっています。本やおはなしとの出会い、色々な人との出会い、どれも貴重なものです。子どもたちも大きくなって来ると、いつまでいっしょに通えるか分かりませんが、・・・文庫のホッとする空間と、時間をなるべく長く、いっしょに持ちたいと思っています。
「2003年度のあゆみ」〈抜粋・・・栗山さんの報告〉
4月 大沢家庭文庫の活動に文部科学大臣賞受賞の方。
4月23日「子ども読書の日」に「子どもの読書活動優秀実戦団体表彰」
受賞に当り、栗山さんの言葉。
「長い間充実した活動を続けてこられたのは、こどもたちにエネルギーをもらい、周囲のみなさんや家族に支えられてきたおかげ。これからも文庫を通して、子どもたちの心に本への信頼と人への信頼を育て、ほんやおはなしの楽しい世界をわかちあっていけたらいいと思います。」
三鷹市の広報でも「大沢家庭文庫」35年間の活動に文部科学大臣賞として、紹介の記事。
「本のほかにもおはなしや工作・実験、野川での野鳥観察、闇鍋パーティーもある「大沢家庭文庫」は近所の子どもたちの大好きな場所となり、それから35年、毎週文庫の日になると子どもが集まり続けました。この間、世話人の「おばちゃん」として協力したお母さん方や地域の人は90人。中には学生のときに世話人をして後に図書館学を学び、現在ニュヨークで児童図書館員として活躍する方や、子ども時代に文庫に通い、母となり世話人の仲間に入った方、子育てを終え、今度はお孫さんを文庫に連れて再び世話人をしている方もいます。・・・」 (2003年5月18日号)
5月 突然の夫の入院手術。掃除だけして病院へ飛び出す私の後を、世話人さんたちがしっかり子どもたちとむきあってくれ、新入会者も多い月でした。
11月 最終日は庭で火を焚き、恒例の魔女鍋。50人余りの親子がおはなし会の後、魔女の
髪の毛や、目玉や脳みその入った熱々のスープで心もおなかもほかほかに。
年があけてⅠ月~3月
夫の病状が悪化。自宅で最期まで看取る決意をし、夫の「文庫は続けなさい」との言葉に励まされて、告別式の翌日休庫しただけで、3月19日の「卒業生を祝う会」までやり通すことができました。激動の一年でしたが、子どもたちの笑顔と文庫世話人の皆さんの後ろ盾があったからこそ、この一年を歩めたと感謝で胸を熱くしています。
三鷹市の広報で紹介されたニューヨークで児童図書館として活躍する人については「2004年度のあゆみ」で世話人の吉田知雅子さんが紹介。
「大沢家庭文庫(文庫のよさは手作りの味)
「36年前に栗山さんが大沢の地に文庫を開いて以来、たくさんの人が世話人として文庫のお手伝いをしてきました。文庫に来る子どもたちの平均年齢は年々低くなっていくのに、世話人たちの平均年齢は容赦なく高くなっていきます。今では、世話人ではなく「魔女たち」と呼ばれているとかいないとか。そんな歴代の世話人達の中に、現在、アメリカの公立図書館で司書をされている大橋暢子さんがいます。彼女はアメリカに渡ってずいぶんたちますが、日本に里帰りするたびに大沢家庭文庫に立ち寄ってくださいます。その彼女が「としょかん100号」に寄稿された文章の中で大沢家庭文庫にふれています。図書館員としての彼女の思いが伝わるとても素敵なものでしたので、その一部をここに紹介させていただきます。」
「公共図書館の児童図書館員としてもっとも基本は何かと思い返すと、それは子どもが本を読む喜びを見出す手伝いをすることです。私の場合、いつも心のよりどころになるのは、
大学生の時にお世話になった東京の三鷹市の栗山さんとお仲間の方々が今も続けていらっしゃる「大沢家庭文庫」です。地域に図書館施設の完備されていないところから生まれた家庭文庫運動かもしれませんが、テクノロジーが発達してちょっと「非人間的」になってきているところのある公共図書館の時代にも、図書館とは違った味、手作りがあります。子ども一人ひとりが物語や本を通して得るものはインフォメーションばかりではありません。昔ながらのストーリーテリングや読み聞かせを大切にしながら、テクノロジーを上手に使っていけるようになりたいものです。 (文:大橋暢子さん 「としょかん」100号より抜粋:【『ニューヨークスタテン島便り』大橋暢子、図書館施設研究所1996;初出季刊〈としょかん〉1993年2月~1996年5月】
時間を少しさかのぼると 小さな声をあげる発見が
「1994年度のあゆみ より」 栗山規子さんの報告
【古八幡での文庫】
家庭文庫には家庭の事情がつきものです。昨年我家を建て替えることになり、約9か月間古八幡の集会所を借りて文庫を開きました。一番近いアパートに移り住み、文庫の度に皆で本や事務用品を運びました。村外れの寄合所風の平屋で、空き地では子ども達がサッカーに歓声をあげ、しゃぼん玉大会や、折り染め遊びものびのびとできました。チマチマと本を読むだけでなく、異年齢集団でドーッと遊べてとてもよかったというのが世話人達の思いでした。それに中と外とに目配りが必要で、若い方も巻き込んでいつの間にか、文庫の協力者がふえていきました。ただ、子どもたちの関心が本から離れたように思えましたが、新鮮な目で本を見直しているように感じられるのです。
又、本を半年以上もしまいこんでおくのも惜しいので、24世帯のお宅に預かっていただき
各々のご家庭で利用したり、ミニ文庫をして頂いたのも思いがけないプラスでした。私にとっては、この一大事業をどう乗り切るか頭の痛いことでしたが、すんでみると多くの方の知恵と力を感じ、これこそ「文庫の力」なのだと感激で胸が熱くなるのでした。
《目を瞠った、小さな報告》
【堀田美代子さんのこと】
「この変則的な時期に、元図書館情報大学副学長竹内先生のご紹介で、掘田さんが毎週文庫に来られました。彼女は日系3世のアメリカ人で、文庫をテーマに博士論文を書こうという方です。児童図書館員としての経験も長い方で、本場の英語で絵本を読んで下さり、大人も子どもも美しいリズムに酔いしれました。紙芝居や自作のパネルシアターもして下さり、控えめながら折にふれて見えるプロの姿勢に、世話人達は学ぶところ大でした。秋には講演をお願いして、ご自身の読書歴やアメリカと日本の図書館の違いを語っていただき、深い印象を残されました。
【卒業生を送るおはなし会と茶和会】
「今年の六年生たちは随分大勢でよく文庫に来た子達です。四年五年とお泊り会を計画しやりとげる力もあり、彼らの卒業を祝いたいおばちゃん達は、3月のおはなし会への招待状を出しました。当日国分寺に引っ越したJ君も含めて17名が集まり、小さい子達と共にお話を楽しみ、世話人達手作りのおやつを囲んで思い出話に花が咲きました。お泊り会でのきもだめし、本の楽しさを知った思い出の一冊等 話がつきませんでした。
人と人とのふれ合いのぬくもりに支えられ励まされ、この一年も過ぎていきました。」
そうして、“図書館”との出会い
―文庫とは何か、図書館とは何かを考え続けて―
【大沢コミュニティセンター建設をきっかけに】
1999年9月16日三鷹市文庫連絡会講習会での講演記録より
「1973年大沢に三鷹市第1号のコミュニティセンターができることになり、どんな施設を望むか住民が考える研究会が、行政主導で組織されました。図書館ができると聞いた私は、素晴らしい図書館を夢見て、図書分科会に加わりました。三番目の子どもがまだ1才でしたのに、なぜか会のまとめ役となり当時三多摩に次々と建設された新しい理念に基づいた図書館を見学してまわり、話し合っては記録をまとめ、市との交渉にあたりました。そこで文庫5年目にして改めて文庫とは何か、図書館とは何かを考えるきっかけを与えられました。
当時住民自治を目指して、住民協議会が施設の管理運営をするという方式は、日本中の脚光をあびましたが、図書館とは何かを学べば学ほど、専門性が必要な図書館は、住民自治で住民がやるものではないと解りました。
当時の館長さんは大変良く解った方で力になっていただきましたが、コミュニティ対策担当の方々に解っていただくには、私の言葉も力も足りませんでした。
1974年いよいよオープンの頃、コミュニティ対策本部室長に呼ばれ、文庫として図書室に入って欲しいといわれましたが、図書館分館にしたい思いは断ち難く、お断りしました。
けれども住民としてできる範囲で協力したいと思い、日野市の図書館長〔注:前川恒雄さんですね〕に聞いた図書館友の会をまねて、図書室友の会と銘打って大沢地域のお仲間と一緒にさまざまな活動をしました。
この年三鷹の文庫活動をする人たちで文庫連を発足したときも、私の心の底にはようやく図書館とは何かを解り合える場ができるという思いがありました。」
【図書館をめぐる人たちとの出会い】
1972年三鷹図書館主催の講座で、文庫の話をしてくださった日本親子読書センター代表の斎藤尚吾先生と出会い、早速高尾山で開かれた親子読書研究集会に出向き、その後何年間も図書館問題の分科会で、図書館界のリーダー格の先生方や、館長さん達と膝を合わせて意見を交換する幸いを得ました。そこで日本の図書館界を新しい方向へリードする方達が、名もない文庫のおばさん達を対等に扱ってくださる謙虚さに感動しました。また、戦後の民主主義の成果でしょうか、各地で図書館運動に情熱を注ぐ文庫のおばさんと呼ばれる人達の底力にも圧倒されました。その後、文庫連の図書館の勉強会に、図書館界の色々な方々をお招きして、図書館とは何かを学ぶことができました。
図書館とは、さまざまな情報、知識、文化を誰もが平等に得ることができる場であり、その図書館があってこそ、民主主義も、地方自治も育ち、根付くと私は思います。本を読むことは、自分の頭で考えることであり、判断力を持つことで、それは民主主義の土台です。
本を読まない社会、読めない社会にしてはいけないと思うのです。
【文庫連の図書館運動】
1975年清水正三先生の「明日の図書館を考える」という講演をお願いしました。文庫連としては、新しい図書館のイメージを(三鷹市の)行政トップの方々や議員さん、行政委員さん達に聞いてもらいたいと、あちこちに案内を出しました。その時きてくださった社会教育委員会の委員長から「図書館五か年計画を考えているところだから意見を出すように」言われました。私はそれまで繰り返し読んでいた石井敦・前川恒雄著『図書館の発見』をヒントに三鷹図書館の将来像を急いでまとめ、文庫連の皆で話し合って、長文の要望書を提出しました。
このことを皮切りに「文庫への市費助成の請願運動」をはじめ、「学校図書館に人を」の運動に至るまで、文庫連は声をあげ続けてきました。
―どんな文庫にしたいのか―
こうして外での活動は広がるばかりで子育ては勿論、文庫も手抜きだらけでした。まず子どもの本を読む時間がありません。本の情報は、もっぱら我が子と文庫の子に頼っていました。とにかく文庫の時間に息せききって帰ってきてそこにいるだけでした。けれども、文庫は分かち合う関係でありたいお願いました。
大人も子どもも世話人仲間も、教える側、教えられる側という関係をつくらない。先生はいらないと思っています。もちろん、先生と呼ばれる文庫もあっていいのです。私は「おばちゃん」と呼ばれたいと思うだけです。〔注:「メダカの学校;だーれが生徒か、先生か・・・」〕
文庫には宗教と政治を持ちこまないというのも鉄則としてきました。
文庫は私の道楽だから夫の稼ぎでなく、せめて姿勢だけでも私の稼ぎでやりたいと思ってずっとアルバイトを続けていました。
始めた当初は、文庫の事務的なことは私がやって、他の世話人さん達には楽しんでもらおうと思い決めていたのですが、最近体力的にその通りにできなくなってきました。世話人さん達に助けられてかろうじて続けています。今までに80人あまりの世話人の方達がかかわってくださいました。なかには子どもの時文庫に通い二児の母となった今、大活躍の方もいます。ICUの学生だった時に来てくれるようになり、就職しても毎週文庫に通い続けこどもたちに慕われ、その後司書資格を取りアメリカ大学院へ留学し、今ニューヨー
ク図書館のスタテン島分館で働いている方もいます。大勢の方達に支えられてきた幸せを思います。(略・おはなし会について) (以上)
添付資料Ⅳ 「図書館サービスの望ましい指標と豊田市図書館の比較」
添付資料Ⅴ
「 基本的な指標の確認から、2017(平成29)年度でみると(豊田市と町田市)」
(「資料Ⅳ」の解説)
※ 参照;(資料2)『図書館サ-ビスの望ましい指標と豊田市図書館の比較』2017年度
※『比較表』は、1「人口」から25「中学校区設置率」まで、25の指標で作成しています。
1の「人口」と(統計数値が不明な14「新聞年間購入種数」の2つの指標を除いた23の
指標のうち、豊田市が「望ましい指標(基準値)」をこえているのが10。(そのうちの1つは、「委託・派遣職員数」235%、「専任職員」0)
1.人口 (豊田市42万4千人):(町田市42万9千人)でほぼ同規模。
2.図書館数(豊田市1館と32のサ-ビスポイント):(町田市8館、自動車図書館3台、2つのサ-ビスポイントで、図書館数や自動車図書館で大きな違いがみられます。
3.職員 (豊田市、委託職員84):(町田市;専任職員58〈うち司書25〉;非常勤・臨時127)と図書館数と職員体制で、格段の違いがあります。
4.貸出点数(豊田市315万3千点、うち32のサービスポイントは171万5千点で、全体の54%の貸出):(町田市378万千点)で62万7千点、町田市が上回っています。
5.貸出密度(市民一人当たり貸出点数)は(豊田市7.4で、「望ましい指標8.9」に対する到達度は88%):(町田市8.8;到達度99%)で、貸出では町田市が豊田市の113%の指数となっています。
6.予約件数(豊田市21万8,700;到達度29%):(町田市63万4,000;到達度84%)
町田市は豊田市の2.8倍の件数で41万5,300上回っており格差が際立っています。
7.図書館費 (豊田市の5億5,571万9千円;到達度91):(町田市の7億5,200万6千円;到達度124、町田市の図書館費には職員の人件費は含まれていませんので、これを含めると到達度は、更に高くなります。町田市の人件費を含めていない図書館費でも、豊田市の1.35倍の図書館費です。
8.資料費(予算額)では、(豊田市9,083万円;うち32のサービスポイント3,264 万円で資料費全体の36%;到達度123%):(町田市4,581万6千円;到達度62%)と豊田市が4,456万4千円、上回る予算額、到達度は、町田市の2倍。
9.市民一人当たり資料費は、(豊田市214.2円で、「望ましい指標188.2円」の到達度114%):(町田市106.8円、到達度57%)と町田市の1,9倍。
10.中学校区設置率(豊田市4%、図書館1、中学校28):(町田市40%、図8、中学校20)
※全体的にいえば、豊田市は資料費、年間購入冊数は多いが、利用度が低い。
・2017年度の豊田市の比較表を見る時には、1「施設」(No.1~4),2「職員」(No.5~9),
3「資料」(No.10~14)、4「利用者」(『比較表』のNo.15~17)、の図書館を構成する4つの要素と、これらの活動を支える税金による経費、5「図書館費」(予算No.19~24 )という5つの要素に分けてみていただきたい。
添付資料Ⅵ 「都道府県別 設置率・中学校区設置率・貸出密度・登録率
添付資料Ⅶ 「伊万里市民図書館の望ましい基準値(目標値)との比較」
添付資料Ⅷ―(1)
「いとしま としょかんしんぶん」(糸島の図書館を考える市民の会) 1頁
Ⅷ―(2)
Ⅷ―(3)
Ⅷ―(4)
添付資料 Ⅸ―(1)
2018年6月4日
糸島市立図書館のこれからについての提言
糸島市長 月形 祐二 様
糸島市の図書館を考える市民の会
松浦 里絵
梅川 萬智子
才津原 哲弘
1. 市内のどこに住んでいても、だれでも利用できる全域サービス計画の策定を。
ご回答では貸出密度(人口当たり貸出点数)の低い校区があることから、「まずは目標値である5.6冊を全ての校区でクリアすることが重要と考えており、今後とも子ども読書活動の充実や読書週間の定着に力を注いでいきたい。」とのことでした。「全ての校区で5.6冊をクリアすること」は、ほんとうにとりわけ重要なことだと考えます。
5.6冊をいつの時点でクリアするのか、目標達成年次を明示した取り組みが必須であると考えます。
児童へのサービス充実の取り組みは、言うまでもなく大切なことですが、貸出密度が、とりわけ低い主たる要因は、図書館が住民の生活圏から遠いことにあります。その最大の要因に焦点を当てた取り組みをしないと目指す効果は期待できないのではないでしょうか。子どもたちに読書をすすめようとしても、身近で借りることができなければ読むこともできません。
市会議員20名中、12名から回答をいただき、その内7名が、「政策的対応(実態を把握し計画をたてての対応)が必要」との回答でした。「どこに住んでいても」「だれでも」利用できるあり方は、図書館サービスの肝心要の大切なサービスであると考えますが、それを実現していくためには真剣な、力と知恵をつくしての取り組みが求められます。その第一歩が目標達成年次を市民の前に明らかにする取り組みだと考えます。また、計画策定に当たっては市民の声を聞く場を持っていただきたいと考えます。
2. 図書館サービスや図書館の運営に関する指標と目標を「目標基準例」を参考に、もっと積極的に取り入れること。「数値目標」については達成年次を明示して計画的に取り組むこと。
ご回答では、「現行のままでよい。「蔵書冊数」「貸出冊数」 図書館サービスの充実
を図っていく上では、現行の「蔵書冊数」「貸出冊数」「満足度」の推移の見極めが重要と考えている」でした。図書館の利用者にとって、資料(図書、雑誌、視聴覚資料)の最大の魅力である資料の新鮮度や多様さに係る、「図書年間購入点数」「雑誌購入タイトル数」「資料費」等は、とりわけ重要な指標で、これらは「蔵書計画」(年次計画)に基づいて計画的に収集していくことが重要で、これらがどうなっているかを知ることは、その図書館のサービスを評価する上で欠かせないものさしでもあります。
この指標を、2点と「満足度」だけとすることは、「サービスの向上を生み出す指標と目標」をなおざりにすることになるのではないでしょうか。
議員12名中、7名が「取り入れる」の回答でした。「指標、目標及び事業計画の策定に当たっては、利用者及び住民の要望並びに社会の要請に十分留意するものとする。」と『望ましい基準』で定められていますが、改めて『望ましい基準』に則った
対応を求めるものです。
3. 指標や目標を適切に選んで増やし図書館の計画を糸島市長期総合計画に入れるること。
ご回答は「その他( 総合計画では、蔵書冊数、貸出冊数、満足度という形で数値目標を掲げて図書館サービスの充実を図ることとしている)」でした。
図書館サービスを充実、向上させていくためには、職員計画や蔵書計画をたて、全域サービスの整備をしていくなど、財政措置を伴います。市民が求める資料の提供を通して、すべての市民の生涯にわたる自己学習を保障する図書館の役割の重要性に鑑み、長期計画の中に組みこんで計画的に取り組んでいくことが肝要だと考えます。
4. 学校図書館の図書費については、『学校図書館図書整備(等)5カ年計画』で交付されている総額、100%を少なくとも予算措置すること。
ご回答では「その他(学校図書館に求められる機能を考慮し、蔵書数のみでなく総合的に判断していく。)でした。
なんといっても、こどもの世界を豊かにする本があってこその図書館です。『5カ年計画』は29年4月から第5次にはいりましたが、この20年間、糸島地区の学校図書館の予算措置率は驚くばかりに低い状態が続きました。平成24年度からの6年間でみると交付額の総額82,983,000円に対し、糸島市が予算化したのは、30,452,000円で、
予算措置率は36.7%、29年度の交付額は1,726万円、うち予算計上額は508万2千円で、予算措置率は30%をきって、29.4%でした。子どもの本代というので、厳しい財政の中でも、200%を超える予算措置率の自治体が県内にある中で、20年間にわたって極めて低い予算措置が続いてきたことを考えれば、「少なくとも」100%の予算措置を
という次第です。 以上
さいごに。
この度の公開質問の、第4問で、これまで糸島市では他館からの借用が、県内の図書館と国立国会図書館からに限られていたことについて。ご回答は②の「なんでも」の観点から、借りれるように、予算措置をする。」でした。待ちに待った嬉しい回答でした。早速、友人、知人に知らせました。
添付資料 Ⅸ―(2)「市長選挙・公開質問状に対する回答」2018.1.18
及び「添付資料」小学校区別貸出密度・図
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