2022年4月25日月曜日

公開質問状への回答 No. 89

2022(令和4)年1月30日に開票された糸島市長選挙、市議会議員選挙で、糸島の図書館の未来を考える会から出された公開質問状に対して、次のような回答があった。【市長選立候補者2名のうち1名、市議選立候補者28名のうち10名の回答があった。各候補者の回答の内容は考える会のホームページをご覧ください。---------- https://kayumu0216.wixsite.com/my-site-1 (糸島の図書館の未来を考える会) 令和4年1月 30 日:糸島市長・市議会議員選挙~    糸島の図書館の未来を考える会 1  立候補者29 名中 11 名が回答ーーーーーーーー―ー 1、図書館は利用していますか。(該当するもの全てに○をつけて下さい。) (利用している・利用していない)   利用している 7   / 利用していない 0 / 利用したことがある 1 / あまり利用していない 2 / 無回答 1 / 2、主にどこの図書館を利用していますか。(該当するもの全てに○をつけて下さい。) (前原館、二丈館、志摩館) 前原 8 / 二丈 3 / 志摩 3 / 無回答 1 / 3、どれぐらいの頻度で利用していますか。(該当するもの全てに○をつけて下さい。) (1 週間に 1 回、2週間に1回、1ヶ月に1回、半年に1回、1年に1回、利用しない、 行ったことがない) ・2 週間に 1 回 2   /  ・1 か月に 1 回 5 /  ・半年に 1 回 1 /  ・1 年 1 回 3 / ・無回答 1       / ーーー 4、どのように図書館を利用していますか。(該当するもの全てに○をつけて下さい。) (本の貸出し、調べもの、リクエスト、レファレンス、催しへの参加、展示物の鑑賞、  会議質の利用、学習室の利用、その他〈 〉) 11人のうち7人=64%(6割利用) / 8人のうち3人=38%(4割の利用) /  8人のうち6人=75%(8割の利用) / ・分館は本館の約 4 割の利用。 / ・分館全体では本館の約 8 割を利用している。身近に分館があることの有効性を示している。/ ・2 週間に 1 回と月に 1 回の利用を日常的に利用しているととらえることができる。日常的利用/ 11人のうち7人=64%  / 回答いただきまし候補者の皆様 (敬称:略) ●市長候補:岸塚由将 ●市議会議員候補:中尾浩昭、松月よし子、長田秀樹、畑中鶴見、藤井芳広、岩永数昭、 佐藤倫子、近藤征生、後藤宏爾、伊藤千代子 2 ※レファレンス・・・図書館の資料を使い調べもののサポートをするサービス ・貸出 3 / ・調べもの 6 / ・リクエスト 1 / ・レファレンス 2/ ・催し 0    / ・展示 1    / ・会議室 0   / ・学習室 1   / ・無回答 1   / 5、現在の図書館により行きたくなる機能やサービスがあるとすればそれは何でしょうか。 (特に該当するもの 2 つに○をつけて下さい。) (音楽やゆったりできるソファーのある居心地の良い空間、カフェなどの飲食ブース、大 人向けの読書会・講演・ワークショップ、図書館コンシェルジュの導入、CDやDVDの 充実、新刊が多くあること、パソコンの使用を許す、雑誌のタイトルを増やす、 その他( ) ・居心地の良い空間 6  / ・飲食ブース 4     / ・大人向け講演会 2   / ・コンシェルジュ 1   / ・CD/DVD 2       / ・新刊 4        /  ・パソコン 5      / ・雑誌タイトル 2    / ・良書の充実、本との偶然の出会いを楽しめるようになる。 ・行きたくなる図書館では、居心地の良い空間があれば高齢者に限らず「居場所づく り」の一つとしての取り組みも考えられませんか? ・カフェなど提案は全部必要と思います。誰もが気軽に行けるのが必要では。 ※図書館コンシェルジュとは来館者に本の楽しさ、面白さを伝えるべく本の情報や資料 の提供を行う人のこと。 ・図書館サービスの基本である貸出・リクエスト・レファレンスが少ないことに驚きました。 ・街づくりと図書館/議員活動と図書館が結びついていないと思われます。 【リクエスト】とは、図書館に未所蔵の本であっても図書館が取り寄せ、利用者が貸出せるサービスです。 【レファレンス】とは、調べたいことや探している資料などの質問について、必要な資料・情報をご案内するサービス です。 ①「居心地の良い空間」が最も多く求められている。/ ②「パソコンの利用」一般利用者でもこの要望は多い。インターネットを使う人が多い現代には必須ではないか。/ ③「飲食ブース」も居心地の良い空間につながること。/ ④「新刊」は利用者にとっては一番の魅力。/ ※「雑誌タイトル」利用者にとって雑誌のタイトル数が多いことも図書館の魅力のひとつ。/ 3 6、利用者の中には子ども連れだと声を出すので、図書館に行きづらいと言う方がいますが、 子ども連れでも安心して行ける図書館にするためにはどんな工夫が必要でしょうか。 (例、間仕切りのある部屋をつくる、少しのおしゃべりは許容する、静かに読みたい人の部屋をつくる、その他〈 〉) ・ 間仕切りのある部屋をつくる 3 / ・少しのおしゃべりは許容する 6 / ・静かに読みたい人の部屋を作る 3 / ・図書館は「人が集う場所、ひとと出会う場所」というコンセプトを職員も、利用者も理 解する。本に関するおしゃべりは歓迎する。 例)ひらがなが読めるようになった子が、背表紙を読む。「ママ―この本、借りてい い!」とか、親が小さい声で子どもに本を読むとか。 ・子どもの読書経験を増やすという視点から考えると、図書館は日常の延長にあってほし いので、賑やかで良いのではないでしょうか。 ・子ども達と一緒に楽しめる場を作ることが必要だと思います。 ・図書館の職員が過度に注意しないようにする。子どもは声を出して当然だという文化を共有する。 ・少し位ざわついても良いのでは。 7、わからない事があったら何を利用して調べますか。 (該当するもの全てに○をつけて下さい。) (人に聞く、インターネットを使う、本で調べる、図書館のレファレンスサービスを利用する、その他〈 〉) ・人に聞く 3   / ・インターネット 8  / ・本 6       / ・レファレンス 2   / ・無回答 1      / ・公共施設の保有している情報を公開させる。弁護士、大学教授等の専門家に直接アクセスする。 ・「少しのおしゃべりは許容する。」が最も多かった。図書館は誰でも利用できる場所であるこ とを念頭に置いて考えたい。 ・静かに読みたい人は学習室を利用することもできるのではないか。 ・レファレンスの利用の少なさが残念です。 ・書籍とネットからの情報には質の違いがあります。 ・素晴らしいと思います。 4 ●先月より今月5日まで糸島市は「糸島市読書ふれあい推進計画(案)」についてパブリッ クコメントを募集しました。 その中の課題について質問致します。 8、開館時間ついて ※ 開館時間 10~18 時まで(日曜、休日は 17 時まで) 休館日 毎週月曜日、館内整理日(毎月第 4 水曜日)、年末年始 12/28~1/4)、 特別整理期間(毎年 1 回 15 日以内) (該当するもの全てに○をつけて下さい。) A)(今のままで良い、改善すべきだ) 今のままでよい 2 改善すべき 9 a)「改善すべきだ」と答えた方に質問します。 どのような改善を求めますか。(御意見をお書き下さい。) (例、週に1回でも閉館時間を 20 時まで延長する、朝9時から開館する、 3館の休みを別の日にする、学校が休みの時はできるだけ開館する) ・本に触れる機会を増やすには開館時間をのばした方が良いと考えます。例えば、学校の長 期休暇中は朝9時から、仕事・部活帰りに寄れるように 20 時まで。 ・正規職員を増やし、サービスの提供時間を伸ばすべきです。働く人が利用しにくい状況です。 ・(週に1回でも閉館時間を 20 時まで延長する、朝9時から開館する、3館の休みを別の日 にする、学校が休みの時はできるだけ開館する)上記はすべて取り組むべきだと考えます。 その上で状況を見ながらさらに拡大延長することを検討すべきと考えます。 ・図書館は「知的インフラ」であり、多くの人が活用できるようにすることを大前提とし てとらえる。 ・週に 1 回でも閉館時間を延長する。 【レファレンス】とは、調べたいことや探している資料などの質問について、必要な 資料・情報をご案内するサービスです。 さらに、図書館には【レフェラルサービス】(利用者の求める質問に対して、図書館 にない情報や人を紹介するサービス)があります。/ 11人のうち9=82%   ・仕事や部活帰りに寄れるようにする。   ・週に 1 度は閉館時間の延長を。利用者の切実な声だと思います。 5 ・学校の長期休暇の時はできるだけ開館する。今年度、小学生の子どもの冬休みの期間に、 図書館も休みが多かったため残念でした。 9、自力での来館が難しい方へ図書館サービスを提供するにはどうしたらよいと思いますか。 (御意見をお書き下さい。) (例、移動図書館を利用する)  ・ICT を駆使した利用 1  / ・移動図書館 7       / ・郵便を使う 2       / ・分館をつくる 1  ・(移動図書館を利用する。)例のとおりです。保育所や地域を回って本を届けていた移  動図書館、 文化のシンボル   とも言うべきパピルス号を廃止したことは市の宝物をドブに捨てたようなもの。復活すべき。明るい音楽を流しながら   農村を走る姿が忘れられません。  ・豊島区立図書館のような要介護1相当以上の方、身体障害者手帳1級から5級をおもちのかたに。無料がいい。  ・図書館の分館を増やし、移動図書館を増やす。  ・移動図書館を復活させる。それに移動しづらい方への福祉、見守り、買い物支援サービスを追加し地域振興につなげる。 10、図書館の利便性を広く周知していくにはどうしたらよいでしょうか。(御意見をお書き下さい。) (例、図書館の新刊情報や催しについてメールだけでなく回覧板で回す、地域の活動を図書館で紹介する・もしくはその  機会を増やす) ・市のホームページを使って、図書館の魅力をもっと具体的に楽しく知らせる。 市主催の読作文・作画コンクールや本にまつわる家族、人との感動的なふれあいメッセージの募集。それをまとめて本にして発行する。 / ・楽しめる図書館にすること / ・図書館から各コミュニティセンターにセンター便りに掲載する。 また、市の広報誌、任意団体などの会報誌に掲載要請する、シニアクラブでは年に 3 回発行(毎回 7300 部) / ・新刊情報や催しについてメールだけでなく回覧板で回す。 / ・「移動図書館」との意見が多い。市内の「どこでも」「だれでも」という視点からも移動図書館は有効。また糸島市は 移動図書館のノウハウを既に持っている。 / ・「郵便をつかう」場合は、費用を個人が持つか図書館がもつかという問題がある。 / 6 ・利用者の満足度を高めることが重要で、そのために利用者懇談会を復活し、利用者の声を聴き、今の利用者の利便性を 高めることが重要だと考えます。 / ・乳幼児健診や子育て支援センターで伝える。 / ・いとハピと連携し、情報提供を行う。 / 11、「(図書館の)存在を知らない」という現状を改善するためにはどうしたらよいでしょうか。 (御意見をお書き下さい。) (例、小中高生に学校で図書館の出前講座をする、授業の一環として図書館で調べもの学習をする、図書館で定期的に 「利用の仕方」について説明する、文化部や運動部の発表の場というように学校を巻き込んだ取組をする、先生が図書 館を利用する、高齢者施設を巡回する。) ・授業の一環として図書館で調べもの学習をする。4 名 / ・図書館をお知らせする案内標識や看板を充実させる。ネットや SNS を使って周知する。 図書館でマルシェやアートフェスなどのイベントをする / ・放課後児童クラブ的な機能が現実的はないか。 / ・社協との連携。 / ・出前講座も必要では、授業の一環として図書館での授業もありでは。 / ・地域に身近なところに公立図書館をつくることが親しんでもらう 1 番の近道です。移動 図書館はその第一歩です。 / ・「学習室の利用」は図書館の存在自体をしってもらうチャンスであり、もっと利用しやすいようにし、さらに読書にも つなげます。 / ・小学校のうちに自然とおぼえてもらう。家族が本を届けてくれる方は良いのですが。高齢 者施設は蔵書が少ないので 図書館巡回は必要でしょう。 / ・自分が小学生のころ、図書館は心の休まる所だった。司書の先生〈正規職員〉は 1 日そこにいて私たち子どもの話を よく聴いてくれた。 / ・伊万里市の図書館のように図書館をまちづくりの中心に位置づけ、各学校の図書室とも連携し、マンパワー、予算の  充実をはかること。 / ・以上の意見に加え、図書館の基本的なサービスを具体的に知らせていくことが必要だと考えます。 例えば、図書館は全国の図書館とつながっています。未所蔵の図書であってもリクエストすれば借りられます。 また図書館には調べものをサポートしてくれるサービス(レファレンス)があります。 国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」でも調べることができます。 例えば「坐骨神経痛 体操」と入力すれば、数冊の本が紹介されます。 暮らしの中に図書館を! 7 ・例に挙げられている「授業の一環として図書館で調べ学習」のように図書館の使い方と同 時に図書館の魅力を伝える。読書は自分の世界を広げるきっかけになることをしってもらう。 ・乳幼児健診や子育て支援センターで出前講座を行う。その際、「図書館は子どもと来ても 安心」な状態になっておくこと。 ・1 歳になったら図書カードを作ることを推奨する。 ・楽しい講演会やワークショップの開催。 ・学習室、会議室の利用 PR。 12、学生の不読率の増加について、どのような改善策があるでしょうか。(御意見をお書き 下さい。) (例、学校図書館と糸島市の図書館が連携して本の貸出しをする。移動図書館が保育 園や幼稚園、小学校に巡回する。移動図書館を児童クラブに巡回する。) ・学校図書館と糸島市の図書館が連携して本の貸出しをする。2 移動図書館が保育園や幼稚園、小学校に巡回する。 2 移動図書館を児童クラブに巡回する。 2 ・学校帰りに図書館に寄れるようにする。 ・最近 TikToker のけんごさんが話題になりましたが、彼のような BookToker が最近話題 の本を興味深くすすめ、中高生(特に女子)が大きな影響をうけ本をかなり読んでいま す。ところが肝心の学校図書購入費はあまりに少なく、そこで紹介されているような本 はきわめて少ししかありません。古い本しかないのに「達成率 100%」と自慢している のでは問題です。子ども達が興味を持つ本がすぐに読めるよう予算を増すべきです。 ・小学校を巡回する。 (例、学校図書館と糸島市の図書館が連携して本の貸出しをする。移動図書館が保育園や幼 稚園、小学校に巡回する。移動図書館を児童クラブに巡回する。)  / ・上記の意見に加えて、小さいころから本に触れることができる環境、身近に図書館がある環 境つまり実際に本が手に取れること・借りられることが重要だと思います。その意味では「移 動図書館」は本が借りられる(リクエストもレファレンスも)ことに加え、図書館の存在を知 ってもらう機会にもなる。 / 8 ・例の通りと思います。絵本の素晴らしさ楽しさは自分が子育てしてはじめて知りました。 本にまつわる様々なイベントを開催する。絵画や劇場、スポーツなどの文化と合せて広く 豊かな視点で本の楽しさを紹介する。 / ・伊万里市の図書館のように図書館をまちづくりの中心に位置づけ、各学校の図書室とも連 携し、マンパワー、予算の充実をはかること。(問 11 より) / ・漫画も含め子供達の読みたいものを準備する。 / ・子どもたちにとって1番身近な存在である学校図書館の蔵書の充実。 / ・親が読書の意義を理解する。 / ・学校図書館が「貸し出し数」で評価するのではなく、発達段階にあった読書をしている かどうか、子どもの知的好奇心を満たし、人生の選択が広がり、知の蓄積ができる本を 準備し、進められているかを評価する。子どもが「本を読むって面白い」と思えるよう になっているかどうか。 / ・個人的な話だが、私の小学生の子どもは、学校図書室の司書さんが大好き。「こんな本あ るよ。読んでみたら?」とよく進めてくれるそうで、その本との出会いにより、知識が増 えている。 / 13、携帯、ゲーム、Youtube といった室内かつ個人で完結する余暇活動が読書と競合になっ ていると思いますが、その中でも読書を選んでもらう工夫について (御意見をお書き下さい。) ・電子書籍のような「室内かつ個人で完結する」余暇は市場規模でみれば 10 年前の 20 倍 以上にのびており、BookToker のような存在とあわせて考えると必ずしも悲観する必要 はないと思います。ただ、読書への身近な体験がまず大きなキッカケとして必要であり移 動図書館をはじめ身近な図書館サービスはかなりキッカケとして重要と考えます。 / ・ビブリオバトルのような楽しめるイベントをさらに増やしていく。小説や詩などを書く人 をふやすために大会や賞イベントなどを行う。若者に人気の作家 のトークイベント等を開催する。 ・孫が「充電も wi-fi もいらないいちばん手軽な娯楽」と言っているこの言葉はひとつのキ ーワードになるのではないでしょうか。/ ・上記のように蔵書の充実と学校司書の役割は非常に大きいと思います。/ ・小郡市図書館では図書館と学校が連携した取り組みとして「小郡市学校図書館支援センタ ー」が設置され、「学習支援」「読書推進」として支援図書の貸出しや図書館見学を受け入れ ている。これらのことは学校図書館が持つ機能が、学習活動の場で十分に発揮されるよう に、先生方や学校図書館関係者を支援しています。/ 9 ・「本を読むって面白い」という体験を小さいころから蓄積しておくこと。 / 14,図書館サービスの柱として糸島市図書館が掲げていた市内『どこでも』『誰でも』利 用できる図書館サービスについては依然として校区(地域)による利用の格差(添付資料 ①)があります。このことについては、まず移動図書館による運行を始めながら全域サー ビスの体制を整備していくことが必要だと考えますがお考えはいかがですか。 ※この質問は 4 年前の選挙の際にも質問のあった項目です。 (1)必要だ (2)必要でない (3)その他( ) ・ 必要だ 9  / ・ 必要でない 1 / ・その他 1 / 15、学校図書館の図書費については、国から毎年、小、中学校の学校図書館の図書費として 交付されていた『第 5 次学校図書館図書整備(等)5 カ年計画』が今年度で終了します。 来年度からの新たな内容は 1 月末に公表されることになっています。(文部科学省総合教 育政策局・照会)平成 30 年から令和 3 年までの直近の 4 年間、糸島市が小、中学校の図 書費として予算化したのは、交付額の 20%台から30%台でした。 学校図書館が子ども たちに役立ち、魅力的な場であるためには、図書の充実にかかっています。 2022 年度から新たな計画が始まった場合、交付額の 100%を少なくとも予算措置するこ と(添付資料②)が必要だと考えますが、お考えはいかがですか。 (1) 必要だ (2) 必要でない(3) その他 ・必要だ 4   / ・ 必要でない 1  / ・その他 3     / ・? 2       / ・ 無回答 1    / その他 ・学校図書館の図書の充実の必要性を市民と共有して、予算措置の割合を高める働きかけをするのが大切だと考えます。 11人のうち9=82% ・まず実際に利用できることが肝心。「本をよみなさい」というのではなく、本が手に届くところにある環境を  つくること。 10 ・肝心の学校図書購入費はあまりに少なく、そこで紹介されているような本はきわめて少し しかありません。子ども達が興味を持つ本がすぐに読めるよう予算を増すべきです。 ・学校の図書室は僕でも眉をひそめる位です。本の補充不足。 <予算措置率 100%の意味について> ・これは文科省が第 5 次「学校図書館図書整備等 5 カ年計画」(2017~2021 年)を策定し、「各学 校における学校図書館図書基準の達成を目指すのに加え、児童生徒が正しい情報に触れる環境を整 備する観点から、古くなった本を新しく買い替えることを促進します。」としています。 ⇒古い本を買い替えることによって図書の充実を図ることを目的として予算が組まれています。 しかし、その予算が糸島市では充分に活かされてこなかった。この五年間での予算措置率は 2017 年より順に 29.4%、53.8%、55.6%、63.5%、59.0%です。 (ただし、下線付きの%は司書の人件費も含むため純粋な図書費ではありません。) ●ここで県内の予算措置率(平成 19 年度)を例に挙げます。 ・予算措置率は全国平均 78%、福岡県内の平均は 97.1%であり、糸島市は予算措置率がき わめて低い状態にあります。図書の充実に力を入れている自治体は 100%以上の予算をつ けていることをご確認ください。 ・糸島市は昨年 12 月より今年の 1 月まで「糸島市読書ふれあい推進基本計画(案)」のパブ リックコメントを募集していました。その中の課題でも中高生の不読率の増加が課題となっています。 図書の充実は重要です。 ・また 2022 年より第 6 次「学校図書館図書整備等 5 カ年計画」(添付資料①)が始まります。 (以下、5 カ年計画の概要資料より) 11 16、現在、教育委員会は学校教育のデジタル化を進め小・中学校の生徒に1人1台タブレッ トを配布しています。国立国会図書館では資料のデジタル化を進めていて個人でタブレット 等を通して活用ができるようになっています。この「図書館向けデジタル化資料送信サービ ス」(添付資料③④)に昨年 12 月1日より糸島市図書館3館(本館、二丈館、志摩館)が参 加館となり、このサービスを利用できるようになりました。 図書館側のメリットとして、 a)インターネット上に公開している資料とあわせて、200 万点以上のデジタル化資料の閲 覧・複写を利用者に提供できます。 b)図書館間貸出しサービスの対象とならない資料(和雑誌、発行年代の古い和図書など)も 利用できます。 c)資料の郵送に掛かる時間や返却期限等の制約がなく、いつでも利用できます。 このデジタル化資料送信サービスを (1)利用したことがある (2)利用していない (3)その他   ・利用したことがある 1 /  ・ 利用していない 8   /  ・その他 1       / ・無回答 1       / ・必要に応じてしている。 / ・知りませんでした。素晴らしい取り組みだと思います。/ https://dl.ndl.go.jp/ ・県内でもこのサービスの参加館になっているところは少ないです。議員の方だけでなく市民の多くが このサービスの内容や使い方を知らないと思われます。市民への周知を幅広く行うことが必要! 12 以上をまとめると、 ① 「だれでも」利用できる図書館にするためには移動図書館を走らせることが最も効果的だと思 います。移動図書館が保育園、幼稚園、小学校、高齢者施設等へ巡回すれば、課題であった図書館 の周知も間違いなく進むでしょう。幼い頃から手の届くところに本があることが図書館の利用者を 増やすことにつながります。 ② 図書館が「居心地のよい場所」となること。図書館は本を借りるだけでなく、音楽を聴いた り、催しに参加したり、人と出会う場所です。子ども連れでも安心して行けるようにするべきでは ないでしょうか。またパソコンの使用できる環境や飲食ブースの設置、日常的に利用できるための 閉館時間の延長が望まれています。 ③ 市民にしっかりと伝えること3点。 (ア)図書館の基本となる使い方 / (イ)未所蔵のものであっても借りることができること(リクエスト) / (ウ)調べものをサポートしてくれるサービス(レファレンス) / ④ 本の充実を。 文科省は学校図書館の古い本の入れ替えに予算を充てています。来館者にとって大切なのは、 新刊が入っていること、良書があることです。 この度の回答より沢山のアイデアをいただきました。ここに挙げられたアイデアは何もお金のか かるものばかりではありません。少しの工夫で図書館は大きく変わります。糸島の図書館がより利 用しやすく、老若男女、様々な立場の人々にとって有意義であたたかな場所となることを心より願 っております。 大変お忙しい選挙の中、回答いただきました皆様に心より御礼申し上げます。また今後も糸島の 図書館の充実に市民の一人としてお力添えいただければと思います。またこの公開質問状の回答一 覧は糸島市の図書館、新聞社等にも配布させていただきます。 以上

豊田の原稿2  No.92ー1

      「図書館の発見」をめぐって             豊田市の図書館の今とこれからを考える 町田市立図書館と比較して 〈インタビュー〉             才津原哲弘  竹内 純子   添付資料  〈Ⅰ〉大分県の図書館振興策について      (p52~) 5頁  〈Ⅱ〉調布市立図書館について         (p58~) 10頁  〈Ⅲ〉『大沢家庭文庫 50年記念誌』栗山規子 2020.12 (p68~) 9頁  〈Ⅳ〉「図書館サービスの望ましい基準と豊田市図書館の比較2017(平成29)年度」p76 〈Ⅴ〉「基本的な指標の確認から」 (資料Ⅳの解説)p77 〈Ⅵ〉「都道府県別設置率・中学校区設置率・貸出密度・登録率」2017(平成29)年度p78  〈Ⅶ〉「伊万里市民図書館の望ましい基準値(目標値)との比較」2016(平成28)年度)p79  〈Ⅷ〉「いとしま としょかんしんぶん」No.1 (1)~(4) (p80~83)4頁     「編集・デザイン」の大松くみ子さんは、「としょかんのたね・二丈」の会の名付け親であり、初代の世話役。 〈Ⅸ〉「糸島市立図書館のこれからについての提言」(1) 2018.6.4 (p84~85)    (2)「糸島市長選・公開質問状に対する回答」及び「添付資料」p86 〈ⅹ〉「岡山県立図書館の取り組み」【添付なし。下記資料1冊が参考資料】 『情報化時代の今、公共図書館の役割とは 岡山県立図書館の挑戦』菱川廣光     大学教育出版 2018:なぜ岡山県立図書館が、全国の都道府県立図書館で、入館者、貸出冊数がトップになっているか、その苦闘の経緯、基本とする考え方が克明に書かれている。滋賀県立図書館の実践に深く学び、県立図書館のあり方を鮮やかに指し示している。「基本を大切にする図書館」240~243p参照。 なぜインタビューになったか 竹内 豊田市の図書館を考える市民の会では、2018(平成30)年6月10日に豊田市中央図書館で、才津原さんに九州、福岡県の糸島市から来ていただき講演会を開催しました。市民の会の予定では、その講演録と才津原さんより先に、会で講演していただいたアーサー・ビナードさんの講演録とをあわせて1冊の冊子をつくる考えで、それにとりかかりましたが、才津原さんの講演の録音状態が悪く、テープ起こしができませんでした。このため才津原さんには、事情をお伝えして、新たに文章で何枚かの原稿を書いていただけないかお願いしたのです。 才津原 そうですね。最初はたしか原稿5、6枚ということでお引き受けをし、書き始めた  のですが、いざ書き始めると、これはとても5、6枚ではおさまらず、長い原稿になると思われました。何を書くかを考えて、今、豊田市の図書館が直面していると、私に思われる問題に焦点をあてて書こうと考えました。それは私が住んでいる地域の図書館のもっとも大きな課題と同じ問題でもありました。 竹内 具体的に言うと、どういうことですか。 才津原 詳しくはあとでお話ししたいと思っていますが。 豊田市は面積が918㎢、名古屋市の約3倍、愛知県内で最も広く、東京23区(627.6㎢)や京都市(827.8㎢)よりも広い広大な都市ですが、図書館は中央図書館1館しかありません。子ども図書室、コミュニティセンター図書室3,交流館28,合計32のサービスポイントがありますが、組織上これらは図書館の分館ではありません。分館でないため、専任の職員は配置されておらず、どのサービスポイントでも、予約や調べごとの相談ができ、同じサービスが受けられるシステムとしての図書館がありません。 豊田市の図書館の問題は、市民だれでもの身近に図書館がないこと、市民の身近に図書館 がない図書館砂漠ともいえる状態の中で、図書館を日常的に利用できない多くの市民がいること、移動図書館や分館網がまったく整備されていないため、どの地域でも、図書館としての同じサービスを受けられない状態であること、そして、何よりの問題は、市民の身近に図書館をつくっていくための市の計画的な取り組みがなされていないことではないかと思います。 また、豊田市の図書館が直面している問題―市民の身近に図書館がないというのは、私が住んでいる糸島市の問題でもありますが、全国の図書館の状況をみると、それは全国各地の図書館が抱えているもっとも切実な問題であり、根が深い問題であることに思い至り、それが一体どういう問題であるかを、この際、市民の会のみなさんと、ともに考えてみたいと思ったのです。その結果、当初お聞きしていた分量の10倍をこえる長い原稿となってしまい、ご迷惑をおかけした次第です。その後、色んな経緯がありましたが、新たな原稿に替えてインタビューでやりましょうということになったのですね。 原稿を読んだ感想をおくる 竹内 その原稿を市民の会の有志で読みましたが、その内容のあらましはどのようなものか、話していただけますか。 才津原 そのお話の前にまず、豊田市の図書館を考える市民の会のみなさんがその長い原稿を読むため、なんと2日間にわたって集まられ、さらにそれに参加されたお一人お一人が、読み終えての感想のお手紙をあわせて送ってくださいました。そのことにほんとうに驚きました。原稿を書いた私への感謝の思いを、一人一人がそれぞれの言葉で伝えることで示そう、そのようにみんなで話あってのことと書かれていました。私の拙い原稿をこのように読んでくださり、お一人お一人からお便りをいただきましたこと、ほんとうに感動しました。まずそのお礼を申しあげさせていただきます。 原稿のあらましは 竹内 それでは、そのあらましを。 才津原 かなり長い原稿ですので、ここではいくつかの点にしぼってお話したいと思います。全体は8章からなっています。 第1章が「図書館は何をするところだろう」〈図書館の発見〉、これには、私自身の「図書館の発見」についても触れています。 2章が『本の予約』って何だろう、3章が「図書館が図書館として機能するために欠かせないこと」、4章が「望ましい基準のこと」 そして5章が本論である「“望ましい基準”から豊田市をみると」 そして6章「地域に図書館があるということ」(1、苅田町立図書館の活動から)、7章「苅田町立図書館・・・後日談、町長が変わって起きたこと」、 そして8章「さいごに(現状を知ることから)」となっています。 これに添付資料10点を加えています。ここでは主に1章と5章についてお話できればと思います。 タイトルは、そこにこめられた思いは 竹内 その前に、そのことに関わると思いますが、全体のタイトルは? 才津原 よく聞いていただきました。タイトルは『図書館の発見― 図書館は何をするところか。“地域に図書館がある”とは、どういうことか ― 豊田市立図書館の今と、これからを考える(町田市立図書館との比較)』という、これもまた長いものになってしまいました。 竹内 長いタイトルには、どんな思いが? 才津原 私が普段利用している図書館や各地の図書館のことを考える時に、まず思い知らされるのは、自治体によって、そこで行われている図書館サービスの内容や、サービスの態勢、それを支える司書を核にした職員体制(専門、正規の図書館長の不在)に、とても大きな格差があるということです。自治体間の格差がきわめて甚だしいということです。都道府県ごとに、あるいは一つの県内の各図書館をみても、それが、同じ図書館という看板を掲げているのに疑問を覚えるほどです。 なぜ、このような格差があるのか、その格差が正されないままであるのは何故だろうと、私は考え続けてきましたが、私はその主な理由は「図書館は何をするところか」についての「図書館の発見」がいまだ行政の中で、また市民一人ひとりの中でしっかりと行われていないからではないかと考えています。「図書館は何をするところか」がだれもの自明のことになっていないのではと思っています。 竹内 それで“図書館の発見”というタイトルになったのですね。 2冊の本、『図書館の発見』の「まえがき」を読むことから、そして前川さんのこと 才津原 そうですね。先ほど、根の深い問題だと言ったことに関わりますが、このため本文では、「図書館は何をするところか」「図書館はだれのためのものか」をあらためて考えるため、日本の公立図書館の歩み、特に戦後、1950年の「無料利用の原則」や「図書館の働き・図書館サービスの内容」を初めて明記した「図書館法」の公布、施行以降の歩みを振り返ることから始めています。そしてそのことを考える資料として、まず2冊の本の「まえがき」を読むことから始めたいと考えたのです。 竹内 『図書館の発見』というタイトルの本が2冊あって、それぞれの「まえがき」から読み始めるいうことですね。  才津原 そうですね。こんどの原稿のタイトルの「図書館の発見」は1965年に、東京の三多摩の日野市で、1台の移動図書館から図書館を始め、翌年2台目の移動図書館を運行するとともに、順次5つの分館をつくり、1973年に中央図書館、さらに1977年に6館目の分館である市政図書室をつくった日野市立図書館の初代館長の前川恒雄さんが、石井敦さんとの共著で出版された本のタイトルでもあります。 最初の本が日野市立図書館の開館8年後の1973(昭和48)年に、そしてそれから33年後の2006(平成18)年の2回にわたって出版されています。最初にでたのが『図書館の発見 市民の新しい権利』で、ついで日野市立図書館開館後41年目に書かれた本のタイトルは『新版 図書館の発見』となっています。なぜ、『図書館の発見』というタイトルとしたかは、旧版の「まえがき」に明確に述べられています。ぜひ、一読していただければと思います。新版は石井敦さんの健康上の理由から、旧版『図書館の発見』をもとに、石井敦さんと打ち合わせをかさね、前川恒雄さんが執筆しています。 石井さん、前川さんのこと 才津原 少し長くなりますが、お2人を紹介するため、新版の奥付を読んでみます。 「石井敦 1925年、神奈川県生まれ。神奈川県立神奈川図書館、東洋大学社会学部教授を経て、東洋大学名誉教授。主な著書『日本近代公共図書館史の研究』(日本図書館協会) 以下略。 前川恒雄 1930年、石川県生まれ。日野市立図書館長、滋賀県立図書館長、甲南大学文学部教授。主な著書『われらの図書館』(筑摩書房),『移動図書館ひまわり号』(筑摩書房;絶版:夏葉社・復刊)『前川恒雄著作集』(出版ニュース社)など』 以上が奥付によるものです。 前川さんの自伝について 才津原 ここで、前川さんの私たちへの最後の書ともいえる本について、少しお話したいのです。私にとっては、このように遅くってなってしまったインタビューですが、「見るべきものを見て」から、インタビューに臨みなさい、とのどこからかの声のようにも思えるのです。 前川さんの最新刊は、夏葉社から昨年、2020年12月に出版された『未来の図書館のために』です。この本の内容、そしてこれがどのように生まれたかは、前川さんの「一図書館人の思い出」の「あとがき」、そして末尾の前川さんの長女、前川文さんの「あとがき」から知ることができます。まず、前川さんの「あとがき」から。 「この著作は、藤澤和男氏が、私が思い出を語るのを録音してくれ、それを藤澤氏、石嶋日出男氏、田代守氏の三人がテープおこしをして文章に直してくれ、私が多少手を加えたものである。私の最後の著作を形にしてくれた三氏には感謝に堪えず、言うべき言葉もない。」 そして文さんの「あとがき」 「90歳近くなっても、同じ話を何度も言うことなどなかった父が、(略)嬉しそうに繰り返し」文さんに話された言葉。 「お父さんが自伝のようなものを書いたら、三人の友だちが、自分たちが出版する、と言ってくれてるんだ」 驚いたのは、文さんの三人への深い感謝の思いを伝える言葉に続く文章です。 「この自伝は一般書籍として本屋に並ぶ類いのものではなく、三人が自腹でお金を出し合って出版し、父の願いを叶えようとしてくれているのだと知ったのは、もっと後のことだった。」 それで、わかったのです。この本の出版を私に最初に教えてくれたのは竹内さんでしたね。 私はいつも利用している糸島市の二丈館でリクエストをし、購入は夏葉社の本を注文できる市内の小さな小さなブックカフェ「ノドカフェ」でしようと思っていたのです。前川さんの本だから、注文すればいつでも手に入ると考え、自宅でやっている「風信子(ヒアシンス)文庫」から、2か月ごとに「ノドカフェ」に本の出前をする時に注文をしようと考えていたのですが、注文するのが遅くなってしまったのです。そして注文してからのご返事に仰天したのです。夏葉社の島田潤一郎さんの話では、品切れで増刷の予定はないとのことでした。それから慌てて探しはじめたのです。県内の大きな書店や、これはと思う書店にもなく、ネットでも見つからず、ようやく滋賀県彦根市の「半月舎」という、1度だけお訪ねしたことがある小さな素敵な本屋さんで見つけることができたわけです。思いついて、全国の図書館の所蔵状況を調べてみると、所蔵していない図書館が多いのに驚きした。 (2021.3.21現在、県立図書館を含む。福岡県13/54館中、佐賀5 /18,長崎1/20、熊本3/26、大分4/17、宮崎2/20、鹿児島0/31、沖縄0 /26 ;愛知13/49 :福岡・愛知県立は未所蔵。 豊田市立は所蔵:カーリル―ローカルによる) こんど、新しく出版された自伝を読んで改めて思ったことは、前川さんの足跡をたどることは、戦後の日本の図書館の歴史をふりかえることで、読者がそれぞれの歴史的ともいえる現場に自分の身をおいて、歴史的な時空をともにすることでもあると思いました。そしてそれは現在、私たちが直面している問題がどういうことであり、それに対してどのように対するか、市民の誰もが利用できる図書館のあり方を考えている私たちにとって、実に大きな深い示唆やヒントを手にすることにつながることだと思いました。それで、ここでは、前川さんの歩みを、竹内さんをはじめ、豊田のみなさんとたどってみるということを強く意識しながら、私の原稿の内容の一端をお話できればと思っています。そのことが、「図書館の発見」とはどういうことかにつながるのではと思ったのです。 もし前川さんの本をまだ読んでいない方がおられましたら、多くの著書の中からまず『移動図書館ひまわり号』をお勧めしたいと思います。この本は1988年に筑摩書房から出版されていましたが絶版になり、2016年に、1冊1冊心をこめて出版している夏葉社から復刊されています。以後のお話では、そのことを体感させられるエピソードをできるだけ紹介しながらお話したいと思っています。 前川さんと石井さんとの出会い 才津原 『未来の図書館ために』では、「日野市立図書館がめざしたもの」など、前川さんの生涯にわたる図書館のお仕事や自治体をこえての活動の核心が語られていますが、これまでの著作では知ることが出来なかったことが率直に語られていて、まさに前川さんが、読者一人ひとりに手渡す最後の言葉と自覚されていることが伝わってきます。 2冊の『図書館の発見』の共著者である石井敦さんとの出会いについては、1951年に、文部省の図書館職員養成所に入学した前川さんは、次のように述べています。 「養成所では、一学年上の石井敦さんが学生のリーダーで、あらゆる面でめざましい活躍 をしていた。石井さんは私に特に目をかけてくれ、相談したり一緒に行動したりした。石井さんとはその後五十年、亡くなるまで、兄弟の仲でともに歩むことができたことは、ただ感謝するばかりである。」 図書館の活動の歴史を振り返るとき、このような偶然のような人と人との出会いがその後、とても大きな意味というか、大きな力になっていることを知らされますが、まさにそのような出会いであったのではと思われます。 滋賀県でも画期的な仕事 竹内 前川さんは日野市だけではなく、滋賀県でも仕事をされているのですね。 才津原 そうですね。前川さんの生涯の足跡をたどるとき、滋賀県での実践を通して、図書館の活動をさらに底広いものにした取り組みに目をみはります。 前川さんは日野市で1974年から助役をしたあと、1980年、当時の武村正義滋賀県知事に強く幾度も要請されて、滋賀県立図書館長として1980年から1991年3月の定年まで務めました。また「武村知事の後任の稲葉稔知事は、就任早々から」前川さんを信頼し、知事の全庁への訓示で、「県立図書館の活動をほめ、全庁でこのように働くようにと訓示した」こともありました。 「日野市立図書館長として、有山(日野)市長とともに、日本における図書館革命の先頭に立」ち(『図書館運動五十年―私立図書館に拠ってー』浪江虔 日本図書館協会 1981 )、「図書館は何をするところか」を市民に明らかにする道を切り開いた前川さんは、滋賀県立図書館長としての10年間で、県立図書館の改革に力をつくし、こんどは「県立図書館は何をするところか」を鮮やかに指し示す活動を行うとともに、1980年当時、滋賀県は50の自治体のうち市や町の図書館は6館だけという、全国で最低位の図書館の状況から、滋賀県の公立図書館の利用度が全国でもっとも高い地域となる道を開いたのです。 竹内 『未来の図書館のために』は幸い、豊田市の図書館は所蔵しているようですので、私も読んでみたいと思います。 当初の原稿の話にもどりますが、その原稿では2冊の『図書館の発見』の前書きを読むことから始めたといわれましたが、『図書館の発見』の新版、旧版の「まえがき」について、さらにここで話されたいことがありますか。 「きわめて特異な経過をたどってきた日本の図書館」の歴史 才津原 そうですね。新版の「まえがき」のなかに、「きわめて特異な経過をたどってここまできた日本の図書館」という言葉を、現在の日本の図書館間でサービスに驚くばかりの大きな格差があることに深く関わるキーワードだと私は考えています。 竹内 「特異な経過」とは、どういうことですか。 才津原 一言でいえば、図書館の無料利用の原則がなかった戦前はもとより、1950年の図書館法制定以降の日本の公立図書館がたどってきた特異な経過、歩みのことです。その特異さとは、図書館法制定以降この70年間にわたって、図書館の整備、振興について国は積極的にすすめてこなかったということです。反対の方向に力を注いだと思われるほど、驚くばかりに、一貫してと思えるほど、国は図書館に力をいれてこなかった。前向きどころか、後向きの状態が50年、70年をこえて延々と続いている、そのことを「特異な経過をたどってきた」と、私は受けとめています。 竹内 具体的にはどういうことですか 国の施策の問題点、3つ。  2つ目「補助金廃止の問題」から 才津原 たくさんあるのですが、ここではこれまでの国の対応、施策の問題点について3点をあげたいと思います。1つ目は「望ましい基準」の問題、2つ目が国の補助金廃止の問題、そして3つ目が「指定管理者制度」導入の問題です。話す順序としては、「望ましい基準」については少し長くなると思いますので、2つ目の補助金廃止の問題からお話したいと思います。また「指定管理者」の問題は、豊田市の図書館の課題のところでお話しさせていただこうと思います。 竹内 国の補助金の廃止というのは、どういうことですか。 才津原 国の補助金の廃止の問題についてですね。 1950年の図書館法により、館長が司書資格をもつことなどを条件に国が建設費の補助金を交付することが規定されました。図書館も公民館も同じ「社会教育整備補助金」というものですが、国が戦後作らせた公民館への補助金と図書館のそれを比較すると、その割合は「10対1、ひどいときには20対1と大きく開いている」(『未来の図書館のために』)状態でした。これは2018年度の公立公民館数14171館に対し、図書館数が3226館で、公民館が図書館の4.4倍の館数になっている実態と見合っていると考えられます。国の社会教育行政の力点がどこに置かれてきたかを示すものであると思います。(1960年:公民館2万201館、図書館数629館〈市区立425,町184、村20〉『日本の図書館 1961』) 図書館にはそうした規定はありませんが、公民館はより住民の身近に配置するという規定があり、それがすでに62年前に実施されてきたことによるものだと思われます。(「公民館の設置及び運営に関する基準」1959.12.28文部省告示98号) 2020(令和2)年度の全国の公立小学校数は1万9217校、公立中学校数は9291校です。図書館は全国の小学校区の17%、中学校区の35%であるのに対して、公民館は全国の小学校区の74%、中学校区の135%に設置されていることになります。詳しくはあとで触れますが、私は住民のだれもが図書館を利用できるためには、住民の身近に、住民の生活圏に図書館が必要であると考えています。具体的には中学校区に1館の図書館、「中学校区設置率100%」が「身近に」を保障する要件だと考えています。(追記:インタビューの後半に至り、公民館のあり方から示唆をうけ、町村については再考する必要があると考えています。) 補助金制度はあったものの 才津原 お話したように、補助金の施策はできたのですが、「図書館への補助金の額は微々たるもの」でした。例えば私が図書館開設準備室長として関わり、1990年に開館した 福岡県の苅田町立図書館(人口3万3千人、1982㎡)の場合、建設費は7億7920万円で、国庫補助は7200万円で、建設費の9%が国の補助でした。また、やはり準備室から関わり、1997年に開館した滋賀県の能登川町立図書館(人口2万3千人、図書館・博物館4051㎡、うち博物館986㎡)は建設工事費17億6800万円でした。町の一般会計が70億台できびしい財政の町でしたから、建設費の90%を自主財源で行うことは難しく、国の補助金より町の負担がはるかに少ない「地方総合債」という起債で行いました。 このように、国の補助金がきわめて低かったため、「社会教育整備補助金」以外の財源で図書館の建設をする自治体が増えたこともあって、「館長の司書資格の規定は空文化し、守らない図書館が圧倒的に多くなり、1998年に補助金は公民館と共に完全に廃止され、1999年には図書館法の規定も削除」されてしまいました。(前掲書より) 1999(平成11)年7月8日に成立した「地方分権の推進を図る為の関係法律の整備等に関する法律」によって、図書館法も改正され、「国の補助金を受ける場合には図書館長は司書 有資格者である」こととした図書館法第19条が削除されたわけです。これは、補助金を受ける場合でも、図書館長に司書有資格者をすえるかどうかは、各自治体の裁量によるべきものとしたのです。国が意図する「地方分権の推進」がどんなものであるかを示すものだと思います。菅原峻さんの言葉がよみがえってきます。 「図書館長は、図書館サービスの最高責任者であって、単に施設や人事の管理者ではありません。図書館サービスの方向を示し、職員群の先頭にたって指導し、市民へのサービスを全とうする責任を負っています。図書館法では、第13条の2で「館長は、館務を掌理し、 所属職員を監督して、図書館奉仕の機能の達成に努めなければならない」と規定しています。「図書館奉仕の機能の達成に努め」るためには、図書館学を修得し、経験を積み、かつこのまちの文化を発展させることができる人材が望まれます。」 忘れることができないこと・・・補助金廃止の理由 才津原 忘れることができないのは国が図書館の建設費の補助をやめるとした理由です。 図書館や公民館の補助金は正式には「公立社会教育整備補助金」といいましたが、図書館 の補助をやめるのは、「図書館整備率が50%をこえ、全国総合開発計画にいうナショナルミニマムに達し、その存在価値が低下したから」だというのです。 問題はそこでいう50%の中身です。設置率が50%をこえたとしても、まだ自治体の半分が図書館がない状態で補助金をうちきるというのです。しかも、1999年度の全国の市区(東京23区)町村立図書館の設置率は50%になってますが、その内訳をみると、市区立が97%(694市区中675;未設置は34市)ですが、町村は37%の設置率で2558町村のうち951の町村しか図書館を設置しておらず、1607の町村では図書館そのものがない状態でした。さらに町、村で見ると、町の設置率は1990町のうち図書館があるのは859町で43.2%、村はさらにきびしく568村のうち92村の設置で16.2%でした。町の設置率が43%、村の設置率はわずか16%であるのに、市区を加えた全体では50%の設置になったから、シビルミニマムに達したというのです。 〔石牟礼道子さんの水俣病被害者救済特別措置法(2010)についての言葉を想起。 「50 %に達したので、打ち切り」に重ねて読みました。忘れて、すませないように。  池澤 屁理屈の典型ですけど。  石牟礼 はい。何と道義のない、姿勢のない、徳性もない、国民に対して一かけらの情愛のない政府。外国に対しても恥ずかしくないのかと思う。 池澤 ほんとうにそう。                (2012年5月20日)   【『みっちんの声』石牟礼道子 池澤夏樹 河出書房新社 2021.2 / p.145】 ] 私が住んでいる所は、当時人口1万3千人の二丈町で、全国に図書館がない町村1607町村の中の一つの町でした。この地域に図書館が開館したのは、2010年1月に前原市、二丈町、志摩町の1市2町が合併して糸島市となった翌年の2011年10月、旧・二丈町役場、志摩町役場の一画を改装して、二丈館、志摩館が開館してからことです。1950年に図書館法が制定されてから実に61年後、世代で言えば2世代後のことです。 (合併前の前原市:移動図書館開館1998年12月、前原市図書館開館2005年11月) 市も町も村も地方自治体として平等であるものですが、国は町村を市と平等なものと考えていないのではと思わざるをえません。国には過疎地特例債など、財政がきびしい地方自治体への施策を講じていますが、ナショナルミニマムというのであれば、図書館が未設置の自治体や、分館が未整備の自治体に対する施策を立案して実施することは、国の責務であり、喫緊の課題だと思います。図書館は学校と同じで、地域の人を支え、育て、地域を引き継ぐ次世代の子どもたちを育み育てる地域の基本施設で、市町村のすべて、どんな地域にも必要な、欠くことのできない施設であるからです。財政がきびしいからと言って、学校のない自治体は日本全国どこにもありません。 竹内 うーん、驚いてしまいますね。 また国の補助金の廃止と、補助の条件である館長の規定の削除が関連しているとは知りませんでした。 「館長の規定」、その「削除」が意味すること 才津原 そうですね。先ほど言いましたように、図書館建設費補助金は微々たるものものでした。先に述べましたが、私が準備室から関わって1990年5月に開館した福岡県の苅田町立図書館(人口3万3千人、1832㎡)の場合は、建設費7億9000万円、国庫補助7200万円で、建設費の1割弱でした。建設費の補助金だけでなく、職員や施設等の他の交付条件もきわめて低いものでしたが、館長が司書の資格を持っていることが、補助金の交付条件であったことは大切な意味をもっていました。それは図書館が一定水準のサービスをするには、有資格で経験のある館長が必須であり、必要であることを意味していたからです。前川さんは、その規定の削除を、図書館法の大切な理念を揺るがすものだと指摘しています。国の図書館政策の大きな後退で、その後の館長の配置に大きな影響をもたらしています。 竹内 自治体によっては館長が司書の資格をもたなくてよいとするところがでてきたわけですね。 才津原 そういうような動きを実際にもたらしてしまったわけです。苅田町では、図書館の設置条例のなかに、館長が有資格であることを規定していましたが、開館当時の町長が退職してからのことですが、その要の条文を削除してしまいました。一方、苅田町で条例をつくるときにもっとも参考にした東京都の東村山市立図書館のように、図書館協議会や市民の力で、その規定を守り維持しいている図書館もあります。 それでは問題ある国の対応、施策の三つめの指定管理者制度の問題については、豊田市の図書館の課題ということで後で語り、一つ目の「望ましい基準」の問題にかえりたいと思います。 「望ましい基準」って何だろう 竹内 「望ましい基準」ですね。 才津原 図書館法の第7条の2に「設置及び運営上の望ましい基準」というのがあります。読んでみますね。 「文部科学大臣は、図書館の健全な発達を図るために、図書館の設置及び運営上望ましい基準を定め、これを公表するものとする。」という条文です。 今から20年前の文章ですが、当時、大阪府立中之島図書館の司書だった前田章夫さんは、 「公立図書館の基準と補助金」という論文のはじめで次のように書いています。(『図書館法と現代の図書館』塩見昇・山口源次郎編著 日本図書館協会 2001.2) 「図書館法の中で、これほど図書館関係者に期待をかけられ、またその期待に背いてきた条文はないだろう。本体ともいうべき「基準」が法制定後五〇年を経過した現在もなお、文部科学大臣告示という形では公示されておらず、いわば「空文」状態に置かれてきた。しかし、それでもなお図書館関係者には希望を抱かせる条文である。」 図書館法の制定にあたった、当時文部省の社会教育課長の西崎恵氏が述べているのですが、図書館は地方公共団体、つまり自治体が条例に基づいて設置するもので、地方公共団体の義務でないばかりか、設置に際しての認可制度も廃されている。従って、図書館奉仕、図書館サービスすね。図書館サービスの機能を達成するために、ぜひとも要求される基本的諸条件がみたされない惧れが多分にある。このため、全国一律に参照しうる基準を設けて その惧れを取り除こうとしたものだと。 繰り返していいますと、図書館をつくるか、つくらないかは自治体の判断、考えによるので、義務設置ではないから、つくらないからと言って法律違反ではない。しかし、どのような図書館をつくるかを各自治体の判断のままにまかせていたら、全国でそれぞれ図書館という看板をかかげながら、てんでんばらばらのサービス、自治体間の非常に大きなサービスの格差が生まれるだろう。そうならないために、いやそうさせないために、人口規模に応じて、全国の自治体が図書館の設置、運営にあたって参考になる基準、「望ましい基準」をつくって公示することにしたわけです。どの地域の、どの図書館でも一定水準以上の図書館サービスを行っていく上で、とても大事な考え方であり、条文であったと思います。 「望ましい基準」の公示が行われたのは  ふたたび「基準」って何だろう 竹内 その公示はいつ行われたのですか。 才津原 驚かないでくださいね。いや、驚くべきということでしょうか。実に1950年の図書館法制定から51年後の2001年7月のことです。その後2012年12月に全面改正されて公示されています。 竹内 わー、51年間も基準なしできたのですか。 才津原 そうですね。51 年間もですね。ただ実際にはこの間に「望ましい基準」をつくるためのいくつかの動きはあったのです。 国が図書館づくりに後向きだったことを示す実例のこと 竹内 どのような動きですか。 才津原 「望ましい基準」の作成については、日野市立図書館が1台の移動図書館で開館した2年後の1967年7月、はじめて社会教育審議会の小委員会の報告があって、文部大臣に答申されましたが、それは都道府県教育委員会の社会教育課長に送られましたが、なぜか告示されないままでした。その5年後、あらためて基準作成がはじまり、図書館専門委員会で審議し、1972年9月に施設文科会長に報告されました。ところがその案は文部省の係官によって書きかえられ、翌年社会教育審議会にかけられ承認されましたが、これまた公示されませんでした。このため、「公立図書館の望ましい基準案」は、1972年専門委案と1973年施設文科会案の2案があります。しかし、分科会案は、担当した前川さんの経過報告によると、1972年9月の委員会報告に対し、「分部省でほとんど全面的に書きかえられたため、ねばって最大限の訂正をしたが、基本体制とサービス網が欠落したことは、どうも仕方がなかった」ということです。(『図書館雑誌』67巻10号、1973年10月号)) 一体、文部省が切り落とし削除した基本体制とサービス網とは何か。ここで、読んでみたいと思います。「市町村立図書館」の項に関するものも併せて紹介します。意味のある、内実を備えた「基準」とはどんなものかをよく示す「基準」であると思われるからです。 公立図書館の望ましい基準案・・・(専門委員会案) 委員会案は、基本的態勢、市町村立図書館、都道府県立図書館の三つに分けて基準を定めている。 基本的態勢 (1) すべての国民が、市町村の設置する“図書館の直接的サービス圏におかれるべき”こと (2) “都道府県ごとに、わが国における主要な出版物のすべて、およびその他住民の多種多様な必要を充たしうる資料”の利用を可能ならしめること (3) 図書館相互および公民館・博物館等との協力連携 (4) 図書館の専門職員の重要性、その待遇に対する配慮 (5) 資料を“責任をもって選択すべきこと、適切な整理、配置、利用方法をとること 市町村立図書館に関しては、 (1) 市町村は、本館・分館・移動図書館からなるサービス網によっておおわれなければならない (2) 貸出が市町村立図書館の最も基本的な業務であり、住民の役立つためのサービスの 水準は、 年間貸出冊数 人口の2倍  (1960年の貸出密度 人口当たり0.25冊)   貸出登録人員 人口の15%  (1960年の登録率 2.33%) (3) 貸出冊数の半数またはそれ以上が児童図書であることが望ましい (4) 最低必要な年間増加冊数 市立図書館 人口千人あたり125冊以上(注:人口の8分の1以上)   町村立図書館  2,000冊以上 (5) 専門職員の数は、市立図書館 人口7,500人につき1人            町村立図書館 5人以上    非専門職員の数は、専門職員の数の2分の1程度 など   (『日本図書館学講座Ⅳ  公共図書館』森耕一 雄山閣)    文部省が「望ましい基準」から削除したのは、「すべての国民が、図書館の直接的サービス 圏におかれるべきこと」「市町村は、本館・分館・移動図書館からなるサービス網によっておおわれなければならない」でした。いずれも、「総論」、「市町村立図書館」の一番目におかれ、委員会として最も重視した規定であったと思います。 「住民の生活圏内に、身近に図書館を」の否定を文部省が自ら行ったということであったと思います。 国の考え方、姿勢をあらためて確認する 才津原 それから26年後の1988(昭和63)、文部省社会教育審議会社会教育施設分科会で、『新しい時代(生涯学習・高度情報化社会の時代)に向けての公共図書館の在り方について』という「中間報告」をだしていますが、「市町村における図書館整備が大きな課題である。」 「住民に対するサービスの向上のためには、既存のサービスの体制の充実と未整備地域におけるサービス体制の強化が必要である。特に、未整備地域におけるサービス体制の強化に当たっては、まず当該市町村が自助努力をすることが前提となる。」〈東京都の図書館政策のように、全体のサービス水準をあげるような誘導的な基準とするという観点はみられない〉「国及び地方公共団体は、・・・公共図書館の整備を計画的に進めていく必要がある。」 その際、特に重点的な施策として、「第一は、図書館整備地域の拡大である。図書館サービスの拡大に当たっては、第一に大切なことが図書館の適正配置である。まず、図書館が整備されていない市町村への設置を促進する必要がある。整備市町村においては、核となる図書館の充実を図るとともに、住民の利用を考慮した分館等の設置を進めていく。」 この「中間報告」によっても、なんら具体的な成果もないまま、このような国の考え方、姿勢がその後、かわることなく2001年の「望ましい基準」の初めての公示まで、延々と続いていくわけです。 「図書館の適正な配置」とは何か、その具体的な内容を明らかにせず、また国の誘導的で、有効性のある政策の必要性についてはなんら論議も提案もない報告であると思いますが、そのような国の姿勢、立ち位置を正しく把握しておくことが大切だと思います。 公民館の配置基準はどうなっているか  市でも農村地帯は小学校区に 才津原 ただ文部省、現在の文部科学省が、社会教育施設の適正な配置ということについて、これまでなんら施策を講じなかったわけではありません。 すでに1964(昭和34)年、日野市立図書館の開館1年前のことですが、「公民館の設置及び運営に関する基準」を告示して、「公民館を設置する市町村は、・・・当該市町村の通学区域(略)人口(など)を勘案して、(略)対象となる区域を定めるものとする。」 と定め、翌年の1965年、各都道府県教育委員会あての通達で、 「公民館の事業の主たる対象となる区域については、一般的にいえば、市にあっては中学校の通学区域、町村にあっては小学校の通学区域を考慮することが実態に即すると思われる。しかし市にあっても農村地帯などについては、小学校の通学区域とし、市街地などについては人口密度、ないし利用者数に応じて中学校の通学区域より狭い区域とするなど他の諸条件をも勘案し、実状に即して定めることが望ましい。なお、いままでの公民館活動の実績によれば、公民館を中心として、16平方キロメートル以内の場合に利用上の効果が最も高くなっている。」としています。 「図書館の適正配置」を考える際、豊田市でも糸島市でも、市の中に広い農村地帯がありますが、その際、中学校区ではなく、小学校区になければ、日常的な利用が困難な地域があることが実感される地域に住む市民にとっては、住民の「身近に」分館の必要性を訴えるときに、「小学校区に」と求める重要な根拠の一つと考えていいのではと思います。 あらためて、基準ってなんだろう 竹内 市でも地域の状況によっては小学校区に必要だという規定ですね。 才津原 そうですね。それでもう一度、基準って何だろうと考えてみたいのですが、図書館だけでなく、私たち市民の生活を守り支える上で、社会的なそれぞれの場で、基準をつくり、その基準をさらに高めていくことは、ほんとうに大切なことですね。最近の例では小学校の児童数を2021年度から5年かけて1クラス、現在の40人から35人になるように法律の改正をしましたが、この時の法案の名前が、かなり長いものですが、「公立教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案」でした。「標準」なんですね。「標準」とは「基準」のことですね。新聞によっては「義務教育標準法改正」と報じたところもありましたが、この「標準」の改正により、今後5年間で1万3574人の教職員が配置されることになっています。 竹内 まさに私が働いている現場で、ほんとうに大きな変革ですが、これにより全国どこでも、1クラス35人学級になるわけですね。 才津原 そうですね。全国どこでも同じにですね。しかし、図書館の「望ましい基準」については51年間も基準なしにきたわけです。1世代30年といいますから、51年というのは非常に長い、2世代に近い期間、おじいさん、おばあさんの時から基準がないということです。少年、少女だった人がおじいさん、おばあさんになったときに基準がつくられた。このため、図書館法の制定に当たった文部省の西崎氏が危惧した通り、全国で図書館間で、非常に大きな格差が生まれて今日に至っているわけです。 全国の図書館のうち本物の図書館は5% 才津原 初めて「望ましい基準」が公示された2001年の前の年、2000年に菅原峻(たかし)さんが、全国の図書館のあり様をみて、「本物の図書館」といえるのは、全体の5%しかないと述べています。(日本の図書館は3つのタイプに分けられる。①図書館という看板の下がった役所;全体の半分以上、②無料の貸本屋;残りの70~80%、③本物の図書館;全体の5%、しかも当初③であっても、①②化していくケースが珍しくない。「図書館にはDNAが大事なのです。」『アミューズ』2000.1.26) これまで、何度も図書館間のサービスに実に大きな格差がある、これが同じ図書館という名前を名乗ることこができるのだろうかと言ってきましたが、その格差の甚だしさが一体どれほどのものかを端的に示す言葉だと思います。全国の図書館の95%、ほとんどが「本物の図書館」とはいえない、というのですから。 竹内 菅原さんはどんな方ですか。 才津原 菅原峻(たかし)さんは1926年北海道の生まれで、戦後は北海道八雲町の公民館の仕事、日常的には図書室の仕事をしていましたが、図書館の勉強をしようと1951(昭和26)年に文部省の図書館職員養成所に入り、卒業後、日本図書館協会に入り、昼間は調査部(全国の図書館の調査)の仕事をしながら、夜は法政大学に通っています。ここで1951年という年が、今から思うと日本の戦後の図書館の歴史を振り返るとき、特別な年であったように思います。先に前川恒雄さんが石井敦さんと養成所で出会い、「その後五十年、亡くなるまで、兄弟以上の仲でともに歩」まれたことを話しましたが、(『未来の図書館のために』)菅原さんは1951年、図書館職員養成所(文部省)の学科試験を受けた場所で、1科目が終り休憩で廊下にでた所で、偶然に前川さんに出会うのです。以来、「養成所のニ年間、前川君とは一番親しい仲でした。(略)彼は苦学力行、なにせ酒屋でアルバイトをしたから文字通りの力行ですよ」と、後年インタビューの中で語っています。(「境界人、菅原峻の途中総括 助言者という選択」〈「ずぼん」⑥ポット出版 1999:以後の内容も〉 このように、1951年図書館職員養成所で前川さんは、菅原峻、石井敦、そしてさらに砂川雄一氏に出会うのです。この年の養成所の同期生の中にいた砂川氏は、前川さんが1974年に日野市で課長職だったときに助役に任命されたとき、後任の図書館長を託した人です。養成所以来の友人で、その人柄を信頼してのことでした。砂川氏は日野市立図書館の館長になって、移動図書館の運転もされたとのことですが、ここでも天の配剤とも思える人の出会いの不思議さを思います。 菅原峻さんのこと 才津原 菅原さんのことをもう少しお話したいと思います。 菅原さん、前川さんたちは1953年に文部省図書館職員養成所を卒業し、同年4月に菅原さ んは社団法人日本図書館協会に勤務。25年間協会に勤務して、1978年3月図書館計画施設研究所を創設、日本で最初の「図書館コンサルタント」として活躍し、全国の100館をこえる図書館の基本計画の作成やすぐれた図書館建築の誕生に力をつくしました。また、年4回「としょかん」を発行するとともに、日本各地の図書館づくりにかかわり、全国の図書館づくりの得がたい相談役として活動を続けました。先に菅原さんの「本物の図書館は全体で5%しかない」という発言を紹介しましたが、これまでの菅原さんの経歴から伺われるように菅原さんは、全国の図書館を調査する最前線の現場で仕事をし、全国の図書館の状況を知るとともに、だれよりもたくさんの現場を歩いて図書館の計画づくりや設計に関り、どんなにしっかりした図書館の基本計画をつくっても、計画通りに図書館を始めることが如何に難しいかを体感した人の発言であることに留意したいと思います。 私自身のことですが、もし菅原さんのお仕事と菅原さんとの出会いがなければ、苅田町の図書館はまったく違ったものになっていたと思います。1987年ごろ、「福岡の図書館を考える会」を梅田順子さんたちと始めて定例会をしていた時、私が偶々手にした埼玉県の『鶴ヶ島町図書館基本計画』(コピー)は、私が図書館の基本計画というものを初めて見て、計画書の重要さを知らされたもので、苅田町の図書館の基本構想をつくるときに、おおいに参考にしたものですが、そのときはその計画書の作成に菅原さんが関わっていたことは知りませんでした。また、1988年12月1日から苅田町の図書館準備室で働き始める以前、私は設計事務所についてまったく知るところがありませんでした。その時、図書館建築の経験があり、図書館の建築に強く深い思いをもついくつかの設計事務所を町に紹介してくださったのが菅原さんでした。こうして、当時、山手総合計画研究所の寺田芳朗氏と出会うわけです。苅田で仕事を初めてほどなく、第1回目の寺田さんの設計案が届き、すぐに横浜の事務所を訪ねたのは12月9日のことだったように思います。その日に山手の事務所で打ち合わせをし、寺田さんが設計した大磯町立図書館を見学し、(夜、外国人船員が来るバーに案内され、そこで聞いた寺田さんのお話が心に刻まれています。)翌日、大和市と藤沢市、そして11日には、開館準備中の埼玉県朝霞市の準備室を訪ねて、大澤正雄さんにお会いして、大きな収穫を授かっています。苅田に帰ってすぐの13日には、寺田さんが模型をもって来町され、まだうち合わせが十分でない中での、すばやい動きに戸惑いを覚えたものでした。今から思うとよくわかるのですが、苅田町を巡る状況の中で、苅田町の図書館の開館予定の時期が、次の町長選挙の日時から逆算されてのことだと思いますが、寺田さんに与えられていた時間は、図書館開設準備室が設置されてから、翌年の3月末までの、わずか4か月しかなかったのです。基本設計をつくるということが、どんなにすさまじい作業、仕事であるか、そのことを私は深く知ることなく、寺田さんに対したのだと思います。よく知っていれば、4ヶ月で基本設計をお願いするということはできなかったと思います。今にして思えば、寺田さんだからこそ、あの信じがたい短期間で、考えに考え、力をつくして基本設計をなされたのだと思います。寺田さんは、私たちに、思考停止することなく、自ら自分で考えることを求めて、彼のいう「設計競技(協議)は格闘技だ」という時間を手渡してくれたのです。苅田町の図書館が開館して、「空間が持つ力」というものを、私ははじめて体感したように思います。私にとって、建築家との生まれて初めて出会いであったと思います。 苅田町立図書館の設計をされた後、寺田さんは寺田大塚小林計画同人を始めて代表をされ、数多くのすぐれた図書館を設計しています。苅田町以後、伊万里市や沖縄県名護市、滋賀県愛知川町(現・愛荘町)、そして今は合併して諫早市となった、私の大好きな長崎県多良見町の図書館や千葉県君津市、埼玉県小川町、そして福島県南相馬市の図書館などですね。 竹内 どれもぜひ見学してみたい図書館ですね。 才津原 私も南相馬市をはじめ、まだ訪ねたことがない、そして訪ねたいと思っている図書館が何館もあるのですが、ぜひ見学されるといいですね。いずれも建築はもちろんですが、図書館の運営の面でもとても深い学びを得る図書館だと思います。 菅原さんの話にかえりますが、菅原さんとは、福岡の図書館を考える会で講演をお願いしたりしていましたが、菅原さんと苅田町とは、正式な契約的なことはなかったのですが、菅原さんは、苅田町での設計協議の最後の場に参加されたばかりでなく、1990年5月の苅田町立図書館開館後も、九州に来られた時は折々、苅田町に立ち寄られ、当時の沖勝治町長、増田浩次図書館長と親交を深めて、苅田町の図書館に深い力を送り続けてくださいました。『としょかん』(No.33 1990.7.15)の紙上では、次のように町長の言葉の紹介をしてくださっています。 「福岡県苅田町(人口3万3千人)に、新しく図書館が誕生し5月11日開館しました。 計画に助言し設計者を推薦した関係で開館式に招かれ、町民の喜びに接することができました。苅田町は芳しくない事件でしばしば新聞に登場したのですが、新しい町長さんが、図書館を作って町の名誉を挽回したいとおっしゃっていました。そして、図書館を利用して「ものごとを考えること町民になってほしい」と言われたのが心に残っています。」建築は面積2千平方弱です。明るく楽しい雰囲気で、本を囲んでさまざまな読書席や閲覧席があり、建築としても注目されるでしょう。いずれ紙上でもご紹介したいものです。 〔実際に翌年の『としょかん』(No.36 1991.5.15)で、「苅田町(福岡県)の図書館を訪ねて」〈諫早市びぶりおの会〉と題して、5頁にわたり紹介〕 《前川さんが日本図書館協会にきた経緯》 竹内 前川さんはどんな経緯で日本図書館協会にはいったのですか。 才津原 そうですね、今からそのことをお話したいと思っていました。これから話すそのお話に、「前川さんが・・・経緯」を小見出しにして強調したのは、先の菅原さんへのインタビューで、聞き手が「前川さんが協会に来ていなかったら、図書館の歴史は大きく変わっていたでしょうね」と菅原さんに言っているからです。前川さんが協会の職員になったのは日本の図書館の歴史を変えることになる出来事であったと言っているんですね。 前川さんが協会に入ったのは菅原さんの推薦によるものでした。菅原さんが日本図書館協会で仕事を始めて7年後、協会で事務局の柱となる仕事を担っていた武田さんという職員が突然退職し、協会の総務から調査、編集・出版の仕事がすべて菅原さんの肩にかかるようになり、菅原さん一人ではやれない状況になったとき、どうしようかと考えて頭に浮かんだのが前川さんでした。事務局長の有山崧(たかし)さんに相談したら、「君がいいなら」と。その後、有山さんは金沢に出かけていって前川さんに会い、前川さんが協会にくることになったのです。前川さんが、「としょかん」(No.65. 1998.8.15 )によせた文章の一節を読んでみます。 「1960年に、私は七尾市立図書館から日本図書館協会事務局に移った。これは菅原峻さんの誘いがあってのことだが、私は東京での生活に自信がなく迷っていた。その時に、事務局長の有山さんが石川県まで来てくれ、「今の協会には君が必要なんだ」と言ってくれた。こんなことを言ってくれる人に従わないようでは、男ではないという気持ちで東京へ出た。」 29歳の前川さんと、当時日本図書館協会の事務局長、(その後、日野市立図書館が開館して 4か月後の1965年8月に、53歳で日野市の市長になった)48歳の有山崧さん(1911.11 .18~1969.3.16 / 任期半ばの57歳で逝去)との出会いは個人の出会いにとどまらない、その後の日本の図書館の歴史に新たな時代を刻む端緒となったのです。 「基準」は民間で作られてきた・・・「中小レポート」 竹内 人と人との出会いが新しい時代をつくりだしていく、ほんとうに出会いから始まっているのですね。 才津原 そしてその出会いの場所が日本図書館協会であったということですね。その後の協会の歩みをみると、前川さん、菅原さんのお2人が言われていることですが、日本図書館協会は、ある時まで、日本における図書館づくり運動の運動体であったということですね。ずーっと遅れてきた私にとっては、初めて耳にする衝撃的な言葉でした。私は日本図書館協会から刊行される本の多くに、深い力を手渡されてきましたが、私自身は『図書館雑誌』を毎月購入する一会員としての関りだけで、協会を運動体と明確に意識することなく過ごしてきていたからです。 前川さんは「運動」ということについて、それを「ある見識を持った方たちが、ある方針をだす。そしてその方針を基にして図書館をなんとか動かしていく。そしてそれを社会全体に認めさせる。そういう意味の運動ですね。そういう意味の、ものごとが動いていくというような意味の運動論を持った主体があったのですが、今それはなくなったと私は思っています。そのことが現在の困った状況を作っていると思います。」と、2000年5月、京都でおこなわれた講演会で述べています。(「この時、何をすべきか『市民の図書館』三〇年たって」) 有山崧さんと「基準」づくり 有山さんは1949(昭和24)年から日本図書館協会の事務局長として働いていましたが、あまりにも貧しく、利用も極端に少ない日本の図書館の現状を変革するため、「中小公共図書館の運営基準」の作成にとりかかることを考えていました。1960年、有山さんは協会に入ったばかりの前川さんに機関紙「図書館雑誌」の編集、図書館調査(『日本の図書館』の編集)の仕事とともに、協会内に設置する運営基準作成のための委員会の立ち上げと委員会の事務を担当するよう命じます。委員会の正式な名前は「中小公共図書館運営基準委員会」です。基準を検討する委員会ですね。 委員会は1960(昭和30)年から3カ年(実質的には2年半)の月日をかけ、有山さんが選んだ7人の中央委員(委員長清水正三氏42歳の他6名の委員はいずれも30代の気鋭の論客) と、49人の地方委員(実地調査員委員)が、北海道から九州までの代表的な中小図書館12館の詳細な調査と59館の軽い調査、そして3人の外国事情調査委員がアメリカ、イギリスその他の外国事情の研究を積み上げて報告書をまとめています。こうして1963年に刊行された報告書の名称は『中小都市における公共図書館の運営』、通称『中小レポート』(または『清水レポート』)と呼ばれています。ここでいう中小都市とは、人口5万から20万が想定されています。(5大市を除く市町村立図書館) 特に初年度の実地調査は、資料によって優れていると思われる館を選び、12館のうち最初の岡谷市立図書館には委員全員で行き、その時に行った徹底的な調査方法が以後のレールをしいたと言われています。その後の11館の調査は中央委員1人と地方委員数人、それに前川さんが行って、2泊3日の間ほとんど徹夜の報告と議論をし、地方委員には優れた研修の機会になったと思う、と全部の調査に参加した前川さんは述べています。 竹内 前川さんは全部の調査に参加しているのですね。 才津原 そうですね。その調査の徹底ぶりは「かまどの灰まで調べる」と評されるほどのものでした。調査を終えて、中央委員が分担して執筆した原稿を委員長の清水正三さん(京橋図書館長)と前川さんが、内容の調整、表現の統一を図り、相当おおはばな修正加筆をしてできあがった報告書であるということです。 竹内 中小レポートというのですね。どんな内容ですか。 才津原 報告書の本論の前の「はしがき」の中に「この報告書の使い方・報告書の目的」という説明の中で次のように書かれています。 「この運営基準は、「基準」という語から連想される、単に数量的な基準ではなく、具体的な図書館運営の指針として、中小公共図書館で使われるものと考えられている。この報告書は基準の案として作成されたものである」 これは「基準」について考える時に、大事な点だと思います。「単に数量的な基準ではなく」というのは、「数量的な基準を含みつつ」、あわせて、「具体的な図書館運営の指針」となるものを「基準」だとしている点です。「指針」とは「方針」のことであり、「方針」とは「進んで行く方向、目ざす方向、進むべき路」のことですね。この「基準」は「図書館運営の目ざすべき方向」を指し示したある「考え方」の提示、提案であるということです。 図書館の運営の指針と数量的な基準について 竹内 『中小レポート』についてもう少し聞かせてください 才津原 『中小レポート』は、その後の日本の公共図書館に計り知れない影響を与えたといわれていますが、『中小レポート』の提案、主張の大きな柱と数量的な基準について、4つをあげてみます。 まず、「考え方」の提示 (1) 公共図書館の基本的、本質的機能は資料の提供である。   図書館法では、図書館で行うサービスを8項目にわたって詳細に例示していますが、これらの各サービスを貫く最も本質的なサービスは資料の提供であるとしたのです。 (2)「中小公共図書館こそ公共図書館のすべてである」 「都道府県立、国立の図書館は、中小図書館をバックアップする機能をもっている」 (3) 報告書の構成は、「奉仕(サービス)」から始まっていて、図書館の業務はすべて 市民へのサービスのためにあり、図書館の理論はカウンターから生まれ、発展するものであること。「市民一人一人がその実際的利用を通して、身体でその有用性を 把握してもらうべく努力しなければならない」、説教や宣伝より実際のサービスこそ 出発点である。 そして、4番目が数量的基準の提示です。 (4) 以上のサービスを実行するための条件として、年間購入冊数がもっとも重要な要件であるとして、人口5万人の市で、最低5,750冊の年間購入が必要であると算定し、当時の書籍の価格を乗じて約263万円が最低の図書費であるとしました(人口の8分の1)。「この額はあまりに高すぎる」と、この金額を算出し、討議した委員自身が驚いた金額でした。図書の耐用年数を増やし単価をおさえて計算しても、結果はそれほど変わらない。 「多少手直ししてもたいして変わらないということは、これしかない、これが正しいということでしょうね」「だとすると、いまの図書館は最低以下の図書費しかもっていないということになるのかな」こうして「この額は最低額である」と繰り返し強調しています。「そのうえで、住民に失望感を与えるあまりにも小さい図書館は、むしろつくるべきではないと言い切った」。しかし、それだけの年間増加冊数をもつ図書館は都道府県立・大都市立を含めて、45館しかありませんでした。当時、県立 図書館の年間購入費の平均は200万円でした。 (『移動図書館ひまわり号』、『新版図書館の発見』) 竹内 その後の経過というか展開はどうだったのですか   『中小レポート』の主張をうらづけたものは 才津原 そうですね。図書館協会では、『中小レポート』の発刊後、全国数か所でこの報告書をテキストにした研究会がもたれましたが、この報告書は多くの図書館員に励ましと希望を与える一方で「絵にかいた餅だ」という強い批判もだされました。『移動図書館ひまわり号』はその状況を次のように書いています。 「理論の正しさは一応認められても、現実とかけ離れた水準の数値が、ぜひとも必要なものとして納得されるのは相当にむつかしいことだった。しかし、この数値は公共図書館のなすべき方向に基づいて作られたものだから、それが納得されないことには、逆に基本的な方向まで疑われかねない状況であった。ここで、誰かが『中小レポート』の正しさを実際に証明しなければならなかった」 そして、『中小レポート』の考えかた、その思想を取り入れて、『中小レポート』の主張、理論の正しさを、目に見える形で示したのが1965年、1台の移動図書館から図書館を始めた日野市立図書館の実践でした。日野市では、最初に移動図書館1台だけの図書館として出発し、翌年、「動かない図書館がほしい」という児童の声に応えて都電の廃車を利用した小さな分館をつくり、それから順次分館をつくって、8年後には、移動図書館2台、分館6館、本館というシステムとしての図書館をつくっていきましたが、それをつくりだした力は、市民の利用であったと思います。 また、移動図書館1台でスタートしたとき、図書館の設置条例の中に、「日野市立図書館は、中央図書館および分館によって構成される」という条文をいれていたことも、図書館が動いていく方向をしっかり見定めて、サービス全体を成長させるという考えのもとに、スタートしたことがうかがわれると思います。 竹内 いよいよ日野市立図書館のスタートですが開館してからの当初からの市民の利用はどんなものでしたか。 才津原 ここでも『移動図書館ひまわり号』を読んでみますね。 「移動図書館1台の日野市立図書館は、巡回するたびに利用が増え、みるみる予想をはるかに超えた貸出しとなりました。2年目の最初の分館、都電の廃車を使った電車図書館の1年間の貸出しは約8万冊で、これは当時、大都市の中央館なみの数字でした。」 竹内 それから『市民の図書館』の出版につながっていくのですね。 『市民の図書館』の刊行 才津原 日野市立図書館の実践をふまえて1970年、日本図書館協会から刊行されたのが『市民の図書館』です。協会では日野のような図書館を少しでも増やそうと、協会内に「公共図書館振興プロジェクト」を組織して、中小図書館のための具体的な業務の指針をつくることにとりかかります。原案は、児童サービスの項は清水正三氏、残りを前川さんが、日野市立図書館の実践と理論をベースにまとめ上げたものを、図書館員であった8人の委員が徹底的な討論をし、一部書き換えて『市民の図書館』として発刊したものです。このことから、『市民の図書館』は児童サービスの項をのぞき、実質的には前川さんの著作といえるものでした。 この本はその後の図書館の発展に決定的な役割を果たした、といわれています。それは、公共図書館の役割から具体的な業務まで、一貫した考えで貫かれていて、「いま、何をすべきかの重点を示した、一種の作戦の書」でした。その中身は、現在の図書館がいかに貧しいか。特にこの時代は図書費の少なさがあらゆる困難の原因であることを説き、サービスができるための条件をどうすれば獲得できるかを書き、目標を掲げ自信をもって進むよう励ましています。そして、全力を挙げるべき重点を3つあげています。 (1) 市民の求める本を、自由に気軽に貸出すこと。 (2) 児童の読書要求に応え、徹底的にサービスすること。 (3) すべての人が図書館サービスをうけられるように、全域にサービス網をはりめぐらすこと。 そして、基準がでてきます。 「このようなサービスを実行するための基準として、人口の2倍の年間貸出冊数、人口の8分の1の年間購入冊数が掲げられ、」これは、利用が伸びるための最低の臨界点と考えた数値であるとされました。なお、『市民の図書館』の増補版が1976(昭和51)年に刊行され、「付 その後の発展、ほか」の章が加えられていますが、これは菅原峻氏が書いたものです。 澤田正春さんのひとこと 才津原 『市民の図書館』で私にとって忘れられないのは、前川恒雄さんが滋賀県立図書館長をやめられた時、後任に北海道の置戸町の図書館長や教育長をしていた澤田正春氏を指名されましたが、その澤田さんから、県立図書館の館長室でお聞きした言葉です。1991年に澤田さんが滋賀にきて県立図書館長として県内の図書館づくりにも尽力され、1998年に退任される直前のことだったと思います。澤田さんは、とてもお忙しい日々を過ごされていたので、館長室を訪ねたのは澤田さんの在任中、数回だけでした。 滋賀県の図書館は、1980年に前川さんが滋賀県立図書館長として招へいされた時、県内の図書館は50の自治体のうち6館しかなく、全国で最低位の状態でした。前川さんは県立図書館の改革とともに、滋賀県内の図書館づくりに力をつくしましたが、その際もっとも大事なことと考えたのが館長の確保でした。前川さんは県内の自治体の長や教育長や教育委員会などに図書館の重要性と設置を強く呼びかけていましたが、図書館がなかった自治体で図書館づくりの動きが始まった時、まず行ったのが、図書館開設準備の責任者で図書館開館後は館長となる人を、その自治体に紹介することでした。北海道を含め他府県から多くの司書が滋賀にきて準備室長、そして図書館長として、職員の確保と図書館の充実に力をつくしましたが、その状況を「滋賀の人さらい」と言われたことがありました。滋賀県内には図書館そのものが50自治体中4館しかない時代が長く続き、そのサービスの内容もとても貧しい状態にあったため、県内で館長候補となる人を見つけることは難しかったからです。このため県外の各地で図書館づくりに力をつくしていた司書を滋賀に呼び寄せたからです。改めて考えてみると、澤田さんの招へいはその極み、その象徴であったといえるかもしれません。澤田さんは広大な面積の置戸町で日野を抜いて全国一、貸出しの多い実績を何度も実現したばかりでなく、町づくりに関わる図書館の新たな深い可能性を全国の図書館員と図書館のことを考える市民(住民)に知らしめた人です。そしてこのような人選をし、それを実現させることができるのは前川さんの他にいなかった。 その澤田さんが退任間際に話されたのは、「『市民の図書館』を毎年、年の初めに読んでいるんだ」ということでした。私が驚いたのは、『市民の図書館』は『中小レポート』と同じく、その対象を人口5万以上の自治体を想定して書かれていますが、澤田さんは人口5千人の小さな町の置戸町でも、『市民の図書館』の方法でと考えて実践した人であったからです。 『市民の図書館』は貸出しと児童サービスと全域サービスの3つにまず重点をおいた図書館の運営を呼びかけましたが、この本の刊行後50年が経っても、全域サービス、「どこでも」「「だれでも」は未だしの状態で、現在のもっとも大きな課題であると思います。そこへの道はまだ遥か先にある中で、『市民の図書館』は今もなお、大きな力を秘めて、読者である私たちの前にあると、澤田さんが語ってくださったように思っています。 「基準」が大きな効果を発揮した実例 才津原 これまでお話したように、国は図書館の振興について積極的な施策をとることがありませんでした。そうした中で日本図書館協会が果たした実例の一端を『中小レポート』や『市民の図書館』の刊行をめぐってお話してきましたが、「基準」について考えるときには、「基準」というものが、実際に力を発揮した時にもつ「基準」の役割、その力の大きさを知ることも大事な点ではないかと思います。 竹内 そういう観点から「基準」をみることは大切ですね 才津原 その具体的な例は、国ではなく、自治体、つまり都道府県や市町村の政策でみることができます。ここでは東京都と滋賀県、そして東京の調布市の例でお話したいと思います。 東京都の図書館政策  杉捷夫(としお)さんの大きな働き 竹内 東京都のものはどんな内容ですか。 才津原 まず、東京都の図書館政策についてお話してみます。 1967(昭和42)年、美濃部亮吉氏が東京都知事になり、1969(昭和44)年1月、フランス文学の杉捷夫(としお)氏が東京都立日比谷図書館長に専任しました。そして杉氏が日比谷図書館長に就任したのを契機に、知事と都内の区市立図書館長との懇談会が開かれ、美濃部知事は「図書館は票にならないが、やらねばならない仕事だから」と発言し、その結果、図書館振興プロジェクトチームが発足しました。これは都庁の主要部局の幹部を網羅したもので、市立と区立の館長が1人ずつ加わり、市立からは前川さん、区立からは清水正三氏が委員となります。前川、清水の2人とも、『中小レポート』の作成の中心になってきた人です。自治体の長である知事が現場の声をしっかり聞くことができたときに、どんなに大事な政策が生まれ大きな成果を生みだすか。また、ここでも、清水、前川氏を選ぶことができる人がそこにいたこと、そのことをあらためて思います。(1980年、滋賀県立図書館長となった前川さんは県知事と滋賀県内の図書館長との毎年1回の懇談の場を実現しています。1985年から始まり、昨年はコロナ禍で中止になりましたが、武村正義知事のあと、稲葉稔、國松善次、嘉田由紀子、そして現在の三日月大造知事に至るまで行われています。このような事例は、他府県では行われていないと思います。) 竹内 杉捷夫という人の名前がでましたけど。難しい字ですが、敏捷の捷で「とし」と読むのですね 才津原 そうです。「杉としお」さんですね。 杉捷夫という人が果たしたことについては 『移動図書館ひまわり号』で詳細に語られてていますが、都立図書館長がどんな人で、何をするかで事態が大きく変わる実例をそこに見ることができます。 都立図書館長になった杉氏は挨拶にと日野市立図書館を訪れ、都立図書館長の初めての来館とその人柄で前川さんを感激させています。その後前川さんと出会ったときに「三多摩の館長の皆さんとお会いする機会をつくってください。出かけますから」と言って、数週間後には三多摩の館長会議に参加して、図書館が直面している問題や日比谷図書館の体質を改善してほしいという声に真剣に耳を傾け、「どこまでできるかわからないが、できるだけ努力しましょう」と誠実に答えてくださったと前川さんは記しています。 その後、杉館長は1年半もねばって、かつて日野の図書館の発足を準備した社会教育特別委員をつとめ、理論家として知られていて、当時私立大学の事務長をしていた森博氏を都立図書館の整理課長に迎えています。都庁が管理職を民間から採用することは、きわめて稀であった時のことです。杉館長のもとで日比谷図書館は少しずつ変わっていって、市町村立図書館に本を貸すようになります。 竹内 都立図書館、豊田市でいえば、愛知県立図書館が県内の市町村の図書館に本を貸していなかったということですね。 才津原 そうですね、それまで都立図書館は市町村の図書館に本を貸していなかったのです。都立図書館にしかない本を読みたい時は、都立図書館に行かなければならなかったのです。これは全国のほとんどの府県立図書館がそうだったということです。 また、前川さんは杉館長から、「図書館振興政策のためのプロジェクトチームをつくることになった」と聞かされた時、「前川さんもチームのメンバーになってくださるでしょうね」と言われ、前川、清水の2人が参加するプロジェクトチームの発足に至ったわけです。 竹内 プロジェクトチームでも、お2人の力は大きかったようですね。 政策を立案する委員会――委員の構成、だれが委員になるかがポイント 才津原 そうですね。このチームには、都庁内の教育、企画、財政、人事、区市町村担当の部課長、それに都立、区立、市町村立図書館の代表が加わり、都立からは日比谷図書館庶務課長の佐藤正孝、区立代表が清水正三、市町村立代表が前川恒雄となったのですね。委員会の会議を重ねる中で、「思いきった政策を積極的に立案しようということになり、原案を作成するための小委員会を作ります。」メンバーは、教育庁企画の永井、企画調整局の山西、そして、日比谷図書館の佐藤、京橋図書館の清水、それに日野市立図書館の前川の5名でした。 竹内 お話を聞いていると、小委員会の立ち上げが重要なことだったようですね。 才津原 そうですね。決定的なことだったと思います。なぜいま、52年前に設置された都庁内の委員会について、少し詳しくお話しているかというと、これまで国や自治体でおびただしい数の委員会や審議会などが作られてきていますが、その原案をつくるのが、委員ではなく、行政側の事務局の職員だったり、委員が書いたとしても、行政側の意向の中でしか書かない事例が決して少なくないと思われる現状が、今に続いてあるからです。事務局まかせには決してせず委員が責任をもって自ら書く、その実例がここにあるからです。 注目されるのは、何を原案の柱とするか、本づくりでいえば目次でしょうか、それをまず、5人の討議で決めていることです。『移動図書館ひまわり号』174頁ですが、ちょっと読んでみます。 「まず、全体を「総論」「市町村立図書館」「区立図書館」「都立図書館」で構成すること、長期の施策と当面の施策の二本立てにすること、館数は自治体の広さに、規模はその人口に対応すること。蔵書数、年間購入冊数、施設の面積、職員数について基準の数値を示すことなどを決めた。そして、分担して一次案を作り、それを持ち寄って調整し、さらに二次案を作るというふうに繰り返していった。」 「図書館政策の課題と対策」とは こうしてできた小委員会案をプロジェクトチームに提案したところ、「総論」の文章がお役所風だなどの意見がでて、前川さんが「全く自分の文章に書き改め」、チーム会議にはかり 認められて報告書「図書館政策の課題と対策」ができあがったということです。 竹内 では、その内容を聞かせてください。 才津原 それではまず総論から。 「総論」では“くらしの中へ図書館を”を掲げ、「都民の求める資料の貸出しと児童へのサービスを当面の最重点施策とする」、また“都民の身近に図書館を”では、「大きい図書館を少し造るのではなく、都民の身近に数多くの地区図書館を造り、誰でも使えるようにする」このため、700メートル圏内にサービスポイントを設ける。 この700メートル圏内というのが、とても大切な規定で、調布市でのその後、800メート ル圏内という規定に大きな影響を与えたのではないかと思います。 「児童館、青年館、公民館、福祉センターの図書室は区市立図書館の分室とし、サービスを向上する」と銘記しています。(豊田市の交流センターの位置づけを考える時にヒントになるのではないでしょうか。)実際に日野市では社会教育センターの図書館と百草台児童図書館が市立図書館の分館になっています。 図書館は社会の基本施設 才津原 次に「図書館は社会の基本施設である」ということについて少しお話したいのですが。 竹内 どういうことか、簡単にお話いただければ。 才津原 まず、図書館は学生や好事家だけのものではなく、「市民生活に必要な、基礎的な社会施設」であるという考えを強く打ちだしたということです。基礎的な社会施設というのは社会の基本施設ともいえますが、「だれもが」「どこに住んでいても」日常的に利用できるものであることが、基本施設であることの意味することです。財政が厳しいという理由で学校を取りやめることがないのと同じ意味合いで、すべての住民の生涯にわたる学びを保障し、住民・市民の学校である図書館は社会の基本施設であるとの考えを報告の要にすえたのです。そのような考えに立てば、「東京都の図書館がいかに貧しい状況にあるか、そして行政が何をしなければならないかがはっきりします。」 2番目に、「『中小レポート』から日野市立図書館へと発展してきた、貸出しを基本にするという方向は、全国的にはまだ一部のものでしかありませんでしたが、報告書ははっきりと新しいサービスの方向にそって書かれ、その後の東京都の図書館の発展は、これによって3年間を経て方向づけられ、日本の図書館の進路に重大な影響を与えた」ということです。 そして3番目が図書館の基準の提示です。それは「図書館がサービスを行う時に必要な条件を基準として示し、図書館をこの条件まで引きあげるという、東京都の意思表示」でした。その後「図書館政策の課題と対策」の政策化は難しい局面もありましたが、それを乗り越えて東京都の中期計画にくりいれられ、一応「課題と対策」の線で実行されました。 竹内 何だか息詰まるような展開があったのではないかと思いますが、補助金の内容はどんなものだったのですか。 才津原 図書館の建設費と図書費の補助が主なものです。建設費については特別区(23区)は全額、市町村にたいしては建設費の2分の1の補助金。また図書費については、開設後3年間にに購入する図書購入費の2分の1の補助金でした。 竹内 建設費の補助は特別区は全額ですか。また市町村は半額の補助なんですね。 才津原 そうですね。都と区の間では、財政調整制度というものがあり、それに基づく調整額に全額が加算されています。市町村には半額の補助ですが、国の補助金は1割弱でしたから、それからみると、国の5倍以上の補助金ということになります。 また、「基準」という点から見た図書館の「整備目標」に注目したいと思います。実際には建設目標ですが、23区並びに人口密度の高い市については、当面(10年以内)4k㎡(半径1.14km)の地域に1館、人口密度の低い市と町については6k㎡(半径1.4km弱)の地域に1館、さらに市と町のなかで人口密度の希薄な地域は移動図書館の活用によって奉仕目標の達成を目指すとしたことです。活動の重点とすべき貸出目標については、貸出登録率を20%(当時2.5%)、年間の貸出冊数を人口の4倍(当時0.26冊)としていて、この当面の目標の達成を10年以内として、将来の目標については欧米先進国の標準的水準である登録率は30%以上、貸出し冊数は人口1人当り7~10冊を目標としています。 また、蔵書の充実目標を掲げていて、当面は人口当り1冊(当時都民1人に0.23冊)とし、このうち地区図書館の基本となる蔵書は、過去5年以内に出版された図書を基本にし、中心図書館の基本図書は過去10年以内に出版された図書を基本とするとし、将来の充実目標は欧米の水準の人口1人当り2冊の達成をめざすものとしています。このように数値の目標を明示していることが、「基準」が基準として、実際的な力を発揮できるかどうかの要点、勘所だと思います。 そしてこれらの奉仕目標や施設の整備目標、そして蔵書の充実目標にそって、建設すべき地区図書館の規模をエリア内の人口に応じて8つのタイプの図書館を建設することを標準、つまり「基準」として、その整備をすすめる必要があるとしています。 こうして 1971(昭和46)年から始まった図書館政策によって、特別区では地区図書館の建設が急速にすすめられ、多摩の市や町では、計画に準拠した地区館や中心図書館の建設や図書資料の充実が特別区と同じく急速に進められて、図書館サービスが飛躍的に発展する契機となったのですが、1976(昭和51)年にこの補助事業は、実質5年間で中段されてしまいます。前年の1975年に始まったオイルショックとそれに伴う不況の到来で、東京都の財政が急激に悪化したことによるものです。このようにわずか6年で中段されましたが、その後も多摩の市と町の図書館の建設は急速にすすみ、全国の図書館から注目される程の急速な成長とサービスの実績を築いたのでした。(『東京の近代図書館史』佐藤政孝;以下同様)  竹内 本当に内容のある図書館政策が中断されたことはとても残念ですが、それでも、図書館づくりの大きな勢いを作り出した政策だったのですね。その他に何か言われることがありますか。 才津原 これまでお話したように、中期計画では、奉仕目標や施設の整備目標、そして蔵書の充実目標などについては、「課題と対策」の内容を織り込むことができたのですが、肝心の人の面の充実課題については、1969年の図書館振興プロジェクトでは、その開設の目的が、図書館の建設と蔵書の充実を主体とする物の面の整備充実計画を策定することにあったこともあり、「司書の採用制度の確立は早急に実現すべき必要な課題である」と、課題の提起にとどまったのです。このことがとりわけ23区における現在の非常にきびしい職員体制になっている大きな要因であると思います。図書館の数はふえ、利用も飛躍的にたかまり利用度、人口当たりの貸出は47都道府県で一番高くなっているけれども、職員体制は惨憺たる状況という23区の現況に。 中期計画が何をもたらしたか、この結果、三多摩を中心に昭島、国立、東村山など本格的な図書館を誕生させ、“これが公共図書館だ”というイメージの定着化と、日本の図書館を前進させる牽引車の役割を果たすことになりました。(石井敦『社会教育施設のあり方』「権利としての図書館」1976) 数字で、その成果をみると 才津原 中期計画は1971(昭和46)年から1976(昭和51)年3月までの実質5年で中断しましたが、中期計画が始まる前年の1970(昭和45)年から、中断されて2年後の1978(昭和58)年までの9年間を比較すると、区立図書館は68館から105館に(1.5倍)。市町村立は14館から83館に(約6倍)増加し、人口100人当たりの年間貸出冊数は、区立が44冊から216冊へ(約5倍)、市立が53冊から364冊へと(約9倍)急上昇。「東京都はそれまで、人口当たりの数値では低位にあったが、この政策の実行後はつねに首位に立ち(一時期、滋賀県が首位に)、日本の公共図書館の目標になっています。」 『市民の図書館』とともに50年前に始められた東京都の図書館政策、「課題と対策」と「中期計画」は、「基準」についての考え方、その具体例、論議の仕方をはじめ、実に多くの豊かな示唆を、図書館の充実を願い考える市民に、今も手渡してくれる生きたテキストであると改めて思います。 1987年、福岡の図書館を考える会で市民がつくる市の図書館政策『2001年われらの図書館 ―すべての福岡市民が図書館を身近なものとするために―』づくりに取りかかった時、大きな示唆をうけたのが、「課題と対策」であったことを思いだしました。 なお、「図書館政策の課題と対策」が当面の目標とした東京の図書館の数値は、7年後の1987年に実現しています。(①蔵書(1人当たり)の目標2冊➡2冊、②登録率の目標20%➡20%、③貸出冊数(1人当たり)4冊➡4.12冊。 となっています。 竹内 計画で目標とした数値をしっかり実現しているのですね。50年前の過去の例というだけではなく、今の今、大いに役に立つ先例ということですね。 滋賀県の図書館振興策 今も県の振興策の手本 竹内 それでは、あと2つ。滋賀県の図書館振興策と調布市の図書館政策については? 才津原 そうですね。滋賀の振興策についてお話する前に、その前段のことをお話しておきたいと思います. 話が前後しますが、これは前川さんから県立図書館長を引きついだ澤田正春さんが、1995(平成7)年10月に滋賀県で開催された全国公共図書館奉仕部門研究集会の講演で、「滋賀県の図書館振興策」を語る冒頭での発言だったのですが、「滋賀県が動き出したのは、県教委の中に文化部ができまして、文化行政推進のひとつの柱に図書館振興を位置づけたということが出発点でした。その中核に上原恵美さん(現・滋賀県政策監)がおられた。この方がおられたということが、滋賀県の図書館の基礎を行政の面から支えていくうえで非常に大きかったと思います。」さらに、「そして県全体の図書館振興推進の要として、前川恒雄氏に日野市から来ていただいたのです。これが滋賀県の図書館づくりを決定的なものにしたと思います。」と述べています。 上原さんは1979(昭和54)年7月に文化振興課長となりますが(1968年労働省入省、1978年滋賀県商工労働部観光物産課長・出向)、そこでの課題が県立図書館の建設と開館準備でした。武村正義県知事から、まず県立図書館長を探すよう命じられ、図書館のことでは門外漢であった上原さんは県立図書館の役割を検討するため、「滋賀県図書館振興対策委員会」を立ち上げ、6名の特別委員による、3日間の研修会を設置することから仕事を始めています。 そして武村正義県知事から、課長の最初の仕事として、県立図書館長を探すことを命じられていた上原さんは、図書館界の事情をまったく知らないなかで、研修会の講師の1人だった森耕一氏に相談したところ、同じく講師の1人だった前川さんが候補にあがり、一度は日野市長に断られたものの、あきらめず1980年4月、前川さんの館長就任への道をひらいたのです。その後も滋賀県の振興策づくりで、前川さんとともに大きな働きをされます。のちに「政策監」という副知事と同じくらいの位置づけの場で仕事をされたことからもうかがわれますが、行政的手腕に秀でた人が、振興策づくり、その後の滋賀県の図書館づくりの要にいたということです。 ここでも人ですね。人のつながり、ヒトの連なり。 滋賀県民→武村正義→上原恵美→森耕一→前川恒雄→(滋賀に全国各地から)澤田正春→・・・ 竹内 それでは滋賀県の図書館の振興策についてのお話を 才津原 前段の話が長くなってしまいましたが、「基準」とそれに関わって、自治体の図書館政策が実際に大きな力を発揮した2つ目の実例ということで、滋賀県の振興策についてですね。 先ほど話しましたように、ここでも、前川さんから始まっているのですね。ただ、これまで前川さんの足跡に沿って話してきましたが、これは決して前川さんを超人、スーパーマンのように考えてのことではありません。前川さんがぶつかり、切り開いてきた道は、前川さんたちの考えとその実践に共鳴し賛同して、思いを同じくした一人ひとり、無数の図書館員や市民の人たちの行動によってであることは言うまでもありません。このことは前川さん自身が語ってもおられることです。「日野を例外にしない、日野に続く町田や府中の動き」、そして全国各地の動きがその道を切り開いてきたと。その上で滋賀県の場合ですね。 竹内 私たち市民の活動もということですね。それでは滋賀のお話を。 滋賀県の図書館振興策の特徴は 才津原 滋賀県の図書館振興策は何かひとつの要綱なり、まとまった冊子がある訳ではありません。前川さんが滋賀県立図書館の館長として着任した翌年の1981(昭和56)年に 滋賀県の各種補助政策がスタートしていますが、県の市町村立図書館振興の各種施策や県立図書館の市町村立図書館に対するバックアップ体制、そして未設置町村への様々な働きかけ、それに応える市町村の図書館設置、これらが有機的につながったものが滋賀県の図書館振興策です。 見逃せないのは、補助政策の立案、実施に至るまでの取り組みです。当時、滋賀県内の図書館の設置率は、全国で下から2番目で、利用も最下位に近い状態でした。 先ほどの話にかさなりますが、滋賀県では1979(昭和54)年に、滋賀県内の図書館の整備、振興を図るため、県内外の図書館の専門家を委員に招いて「滋賀県図書館振興対策委員会」を設置して翌年の3月に『図書館振興に関する提言』‘80をまとめ、新しい図書館の存り方と県の図書館振興にかける強い姿勢を県内の自治体に示しています。委員会には県の関係部署の職員の他に6名の特別委員を選んでいます。 東京都の図書館政策の原案の作成に関わった佐藤政孝(東京都立中央図書館管理部長)、前川恒雄(日野市企画財政部長)の他に、伊藤昭治(神戸市立中央図書館奉仕係長)、森耕一(京都大学)、栗原嘉一郎(筑波大学)、小田泰正(京都産業大学)の各氏など、図書館活動の最先端で活動する図書館員や研究者を選んでいて、その人選に目をみはります。上原さんの力を思います。委員会からだされる報告が中身あるものになるだろうことが期待される委員の構成だと思われます。 この提言に基づいて具体化されたのが1981年に始まった各種補助施策で、(1)図書館建設に対する施設整備補助、(2)移動図書館車の購入補助、(3)図書購入補助の3点を柱としています。 この補助施策は「基準」の働き、それが力を発揮するためには、どのような考え方や、しかけが必要かを教えてくれる内容をもっています。なんであれ「基準」ができれば、それで、物事や事態が前にすすむ、あるいは解決の方に向かうわけではありません。これで安心というわけではない、そういう事例は少なくありません。「基準」そのものの中に、「基準」が力をもつためのしかけが必要なのです。「基準」は力をもってこそ、「基準」の意味があるのだと言えます。 滋賀県の施策では、図書購入費の一定水準の継続的な確保が図書館活動を支えるもっとも大事だとの考えから、1972年の「公立図書館の望ましい基準(案)」(専門委案)に示された人口当たりの年間購入冊数を基準に、それを上回った図書館に購入費の3分の1を補助するもので、図書館の基礎的条件である図書資料の充実を誘導する明確な意図をもったものでした。 「公立図書館の望ましい基準(案)」は、前川さんも委員として関わってできたとき、国はそれを公示しなかったため、自治体によっては、それは(案)であって「基準」ではないとして無視するところと、その「基準(案)」を運営の指針や、図書館のサービス目標に取り込むところとに分かれ、大多数が取りこまずにきてしまった経緯があります。そうした中で滋賀県では、補助政策の中の正式な「基準」として、「基準(案)」(専門委案)を活用したということです。 そこには県当局ならびに県立図書館の「看板だけの図書館ならつくらない。設置のペースは遅くとも、確実に住民の期待に応える図書館をつくっていく」という確固たる考え、理念があったということです。 『未来の図書館のために』のなかで、「市町村に対する図書館設置と図書費補助のスタート」となった」補助政策について、「上原恵美文化振興課長と相談して補助要綱を決めたが、私の思うとおりに作られた。県内の設置率をあげても意味はなく、内容がある水準以上でなければならないことを説いて、施設建設費、移動図書館購入費、図書費にそれぞれ三分の一補助することとし、次のような条件をつけた。 ① 図書館法の「最低基準」を満たしていること。 【「館長は、専任且つ有給の者」「増加冊数」「司書数」「延べ面積」の明示】 ② 移動図書館の積載冊数は千冊以上であること。 ③ 図書館の開館時の図書については、二万冊以上の図書を用意し専任の司書をおくこと。 ④年間購入冊数は人口の八分の一以上であること。 これにより一九八一年以後次から次へと図書館が増えていった。」  (66頁) 一度つくったら、それで終わりではない 才津原 さらに一度つくった補助政策を県内の情勢の推移をふまえて改正し、さらに充実した政策としていることです。 竹内 一度つくって、それで終わりではないのですね。 才津原 補助政策が実施されて10年がたち、図書館の設置が小規模の自治体に波及してきたため、「小さな自治体にこそ、一定レベルの規模と蔵書を確保した図書館が必要である」との判断から、開館時における図書購入費の開館時補助(開館時2万冊以上の蔵書)、建物の延べ床面積の下限設定(延床面積600㎡以上の施設に対してのみ建設費補助をおこなう)を追加しています。これも新設される図書館の一定水準のサービスを確保するうえで、重要な基準の設定です。 この補助施策により、人口1万人前後の小さな自治体で、延床面積千数百㎡、開館時蔵書4~5万冊の図書館が続々開館し、活発な図書館サービスを展開しています。」(『滋賀の図書館』「滋賀の図書館10年を検証する」滋賀県公共図書館協議会 平成7・1995:以下も同書による) また、先に滋賀県の図書館振興策は、「ひとつの要綱なり、まとまった冊子があるわけではない」といったのは、次のような県当局の取り組みをさしてのことです。 滋賀の「県当局が補助施策とともに取り組み、大きな成果をあげたのが、未設置自治体に対する設置への啓発です。県では(補助施策をつくってからの)10年間、図書館振興を担当する県教委文化振興課が市町村長、教育長を対象とした図書館振興に関する研修会の実施や、啓発資料として『市町村図書館の建設に向けて』‘88(昭63)」の配布、滋賀県の図書館振興をさらに発展させるための『滋賀県図書館振興懇談会』’88(昭63)の設置(『湖国の21世紀を創る図書館整備計画』‘88(昭63.10)として報告)など、行政レベルでの様々な機会を利用して市町村に図書館設置をすすめ、お金を出すだけではなく、「こういう図書館をぜひつくってほしい」ということを、積極的に働きかけたことも図書館振興にとって大切な取り組みであったと考えられます。 しかも図書館という建物をつくってくださいというだけでなく、住民に利用される図書館にするには専門職の司書の配置が重要であること、とりわけ館長には、経験のある専門家が必要であること、図書館計画は専門職館長のもとですすめることがよい図書館をつくる秘訣であること等の助言が、専門職館長のもとでの新設館のめざましい利用状況を目の当たりにして、自治体首長の図書館に対する意識を変えるのに有効に働いたと考えられます。 このような滋賀県の振興策をはじめとする活動が何をもたらしたかをよく表しているのが、専任職員の司書有資格者率(正規職員のうち司書の資格をもつ職員の割合)と貸出密度(人口当たり年間貸出点数)です。中学校区設置率(1つの自治体の図書館数と公立中学校数の割合、図書館数÷公立中学校数×100)もあわせて紹介します。2017年度の数値ですが、 1.「専任職員有資格者率」①位、滋賀県82.9%、②岡山県75.2%、㊶東京都40.3% 2.「貸出密度」①東京都8.3点、②滋賀県7.2、③大阪府6.1 3.「中学校区設置率」①富山県68%、②東京都63.4%、⑤滋賀県48% ちなみに、中学校区設置率が一番高い富山県の貸出密度は4.6となっていて、図書館数は多くても、図書館利用の要である貸出は東京の55%、約半分強の数値になっています。これは、ただ図書館数が多ければよいのではなく、施設の規模(床面積)や、年間購入冊数、そして職員の態勢などが、よく利用される図書館になるための重要な要件であることを示すものと思われます。 東京都の図書館政策も滋賀県の振興策も、「単に補助金を交付するだけではなく、館長や職員に司書資格を求めています。(それを補助金の交付条件にしています)図書館の発展のためには、単に金だけではなく、いかに職員が重要であるかが分かっていたからです。」 そこが肝心要なのですね。 竹内 東京は貸出密度は全国で1番高いといっても、職員体制では大きな問題を抱えているのですね。専任職員で司書の資格を持つ人の割合が、滋賀県の約83%にたいし、東京は は約40%と、なんと半分以下なんですね。 滋賀の補助政策は東京都の図書館政策が実施されて10年後に、東京都の政策の核心に学びながら、つくられていったように思いますが、他府県ではこのような取り組みは行われてきたのでしょうか。 才津原 府県により、個別的な取り組みは行われていますが、残念なことに東京や滋賀に学び、府県内全体の図書館のサービスを底上げし、高めていく取り組みは十分には行われていません。その意味では、30年前に始められた滋賀県の取り組みは、県や市の図書館の政策や計画を考える時、今も大切なヒントを得る生きた実例だと思います。 大分県の図書館振興策(『報告書』、前川氏が委員長) 1995年 実は私が苅田町立図書館を退職する間際に、大分県でそのような振興策を作ろうという動きがあり、前川さんが委員長で、県外からは当時長崎県の森山町立図書館準備室長の渡部幹雄さんと私も加わって、「大分県公立図書館振興策検討委員会」が設置され『報告書』が出されています。その委員会の「報告書」の内容の通りに、政策化されて実施されていれば、大分県の図書館ばかりでなく、九州、日本の図書館を変えるものになっていたのではないかと思う内容でしたが、残念ながら、補助条件の一番大事な点(図書館長が専任、正規、専門職であること)が削除され、図書費の補助期間も、『報告書』では10年間だったものが、3年間となって施行されてしまいました。その結果がどうなったかは、その後の大分県の在りようが語っていると思いますが、『報告書』で示された「考え方」や「基準」の内容は、今も、これからの県の振興策を考える時の大事な「たたき台」になるものと考えています。前川さんが、これからの図書館を考える私たちに手渡し、遺してくださった生きた知恵袋であるとも思っています。その内容、経緯については、添付資料①で紹介したいと思います。 竹内 それでは、自治体が大きな効果を発揮した市のケース、調布市のことを。 なぜ調布市なのか  調布市の図書館政策  才津原 やっと調布市にたどりつきました。長い話となって、ここまでつきあっていただき申し訳ありません。ただ私としてはこの際、今考えていることをさらに、できる限り考えてお話してみようと、竹内さんの問いに導かれてここまできたように思います。 なぜ、調布市なのか。これについては、最初の原稿(以下、「初稿」という)の第8章「さいごに」に書きました、「竹内悊(さとる)さんからの贈りもの」を、全文引用して、ここで紹介させていただきたいと思います。竹内さんと同じお名前ですが、初稿が終盤にさしかかっていた時に出版された竹内悊さんの『生きるための図書館― 一人ひとりのために』(岩波新書 2019.6.20)に触れて書いたものです。なぜさいごにお話するのが調布市立図書館なのか、そのことを竹内悊さんのご本が語っているからです。 あのように長くなってしまった初稿を読んでくださる方は少ないと思います。それがどんなものか、その一端をお伝えするとともに、初稿で私が豊田市のみなさんにお伝えしたいと考えていたことが、そこに結語としてあるように考えるからです。 「竹内悊(さとる)さんからの贈りもの」  〈初稿からの引用です〉 この原稿は「図書館は何をするところか」、「図書館の発見」(とは何か)をめぐって書き始めたのですが、原稿の終盤にとりかかっていた6月下旬、竹内悊さんの『生きるための図書館 ― 一人ひとりのために』(岩波新書 2019.6.20)が刊行されました。この書は私にとってまさしく待望の一書で、私がこの原稿で考え書こうとしているものが何であるかを照らしだすものでした。 「図書館とは何だろう」と考える読者一人ひとりへの、そして豊田市のみなさんへの、1927年生まれの著者からのこの上ない贈りものとも思われました。私自身、読者の一人として、このような著者と同時代に生き、その深い思索から生まれる簡明、簡潔な言葉、文(章) を手にすることができる有り難さに思いを深くしました。一人の読者を深く励ましてやまない、そして一つひとつのことに気づきを促す竹内さんの声がこの本の随所から聞こえてきます。 6章からなる1章1章、ほんとうに目を見開かされる思いと、よく考えるとは、考えを深めるとはこういうことかと、驚きながら読み進めましたが、なんと第1章は、「地域の図書館をたずねて」で、「1 自宅から歩いたところの図書館に」から始まっています。 私が(今、書いているこの)原稿で豊田のみなさんにお伝えしたいと考えていた「分館とは何か」(地域のどこに住んでいても、誰でも利用できる全域サービス網の中での分館とはどういうものか)が、そこに明瞭に書かれています。 竹内さんは〈全国に三二〇〇を超える公立図書館の中で、「こういうところが身近にあったら」と思える地域の図書館はどこだろうか、と相談をして、まずここをとなった〉図書館を訪ねたのです。 〈三月の末、刺すような北風のやんだ日〉、〈東京の西部、多摩地区の市立図書館分館〉でした。〈この日はつい数年前まで近くの市立図書館長であったSさんに同行を依頼して、朝八時半から午後四時までを館内で過ごし、いろいろなことを見聞きしました。そして「今日、ここに来てよかった!」というさわやかな思いで、この図書館を後にしました。以下は、私たちの印象とメモからの報告です。〉 分館で過ごす利用者の様子や職員の働き、「人の目には見えない仕事」。 司書と嘱託職員との意思の疎通の円滑さが分館運営に活きている様から、「この市は、図書館で働くひとの能力と資質を大事にしていますから、それがサービスに現れるのです。」 「歩いて来られるところにあることが大事です」と思わせる分館についての文章についで、 この分館のある市全体の図書館について書かれています。 この市の人口は豊田市の約54%(約半分の)「人口23万余り、22平方キロメートルの中に 公立小学校20校、私立小学校2校、公立中学校8校、そのほかに公私立の高等学校や大学があります。そこに中央図書館と分館10館、つまり図書館は中学校区に1つ、そして人口からみれば2万人に1つあることになります。これは誰でも自宅から歩いて10分以内、つまり800メートルに1つの図書館という市の計画が実現したからです。 市立図書館の蔵書は、2015年現在137万点【豊田市173.5万:2017年度;以下同様】です。これは市民1人あたり5.9点【4.1】にあたります。貸し出しは年間264万点【豊田市315万点】、市民1人あたり11.4【7.4】です。この年の全国平均は5.5ですから、その2.1倍というのは、全国的にみて、市民がよく図書館を利用していることになります。 ここでは、こういう貸し出し状況が10年以上も続いています。この状況を支えている図書館の資料購入費は、市民1人あたり395円【214円】です。 中央図書館は市の中心部にあって、午前9時から午後8時半まで開館。  (略) 図書館の正職員は62人(うち司書有資格者44人)、専門嘱託員は155人、全員3交代制で勤務しています。(2016年度)」 (※注:漢数字を算用数字に変更) 以上、『生きるための図書館 ― 一人ひとりのために』からの引用ですが、この市立図書館は、調布市立図書館です。本書では意図的に名前が伏せられています。 それはつぎの理由によるものです。 「図書館の名前は伏せました。ここに引いた実践を優れた条件に支えられた特別な事例であって及び難いものではなく、一つの支えとして各図書館の充実がはかられることを期待したからです。」 ほんとうに、ここから歩んでいきたいと考えます。 調布市立図書館といえば、私自身の心に刻まれていることがあります。今から28年前の1991(平成3)年9月の調布市議会で、当時の市長が中央図書館を含む「(仮称)市民文化 プラザ」の管理運営を第三者機関に委託することを検討していると表明されたことが事態の発端であったのではないかと思います。調布市の市民や図書館員はもとより、とりわけ三多摩や東京の図書館員や、図書館に心よせる周辺自治体の市民に大きな衝撃を与える出来事でした。そして全国の図書館員や市民にも。 1993年3月議会で市は委託の方針を表明、それから1995(平成7)年9月の中央図書館 の直営による開館まで、実に様々なことがあったのだと思われます。その当時に開かれた、図書館の委託問題を考える集いで、調布市民の一人の女性が発言された言葉を、私はある冊子で読みました。 その人は「私はこれまで調布市の素晴らしい図書館サービスを本当に満足して受けてきました。今、考えますにそのような私の図書館との関わり方が、図書館の委託の問題を生み出しているのでは」と。 竹内さんは、前述したある「市の図書館」の概要の説明に続いて、1966(昭和41)年に開館したその図書館が開館「以来50年、さまざまな難関を乗り越えてき」て、その図書館サービスの積み重ねの中から、この図書館の基本方針がうまれました。」と記し、この基本方針は、「市全体での理解」が必要で、「図書館の中だけではなく、市役所も、議会も、市民も、市民生活のために必要なものと理解し、市の機関の一つとして維持・発展させる体制が必要です。これは図書館からの不断の働きかけと、サービスの蓄積、それに注目する人々の支援が不可欠ですし、図書館員個人も、図書館に勤めて市民のために」働きます。・・・」 と記しています。 先の委託を考える集会での一人の女性の発言を、竹内さんの「図書館からの不断の働きかけと、サービスの蓄積、それに注目する人々の支援が不可欠です」に重ねて読んで、あらためて、豊田市の図書館を考える市民の会の活動の大切さを痛切に感じています。 ここでは、『生きるための図書館 ― 一人ひとりのために』について、ほんの一端しか触れることができませんでしたが、「市民一人ひとり、そしてみんなの図書館」を市民が手にするために、図書館への深い理解と底深い元気を手渡されるこの本を伴侶として、考える会のみなさんとともに歩んで行きたいと考えています。 以上が当初に書きました原稿、初稿の末尾の文章です。 なお、インタビュ―が終りに近づいたさなか、竹内悊さんから、ある文庫の50年記念誌を 贈っていただきました。まさにこのインタビューのさいごの時を照らしだす灯のような冊子でした。(「大沢家庭文庫 50年記念誌」)竹内悊さんからの「もう一つの贈りもの」については、添付資料の〈Ⅲ〉で紹介させていただきます。 調布市立図書館の図書館計画(分館網計画) 竹内 それでは、才津原さんの長い長いお話、高いお山の頂まで、あと少しという感じですが、調布市立図書館について、さらにお話したいことがあれば。 才津原 日野市立図書館が開館した次の年の1966(昭和41)年6月に開館した調布市立図書館は、早くも翌年の1967(昭和42)年に、市民の身近なところに図書館をつくり「いつでも」「どこでも」「だれでも」利用できる図書館にしていくため、第一次図書館計画を策定しています。この計画は1963(昭和38)年の『中小レポート』を参考に、はじめは半径1.5㎞圏にという分館網をつくるという計画でした。1969(昭和44年)には、分館の第1号の国領分館が開館しましたが、この上ないタイミングで始まった(1970・昭和45年)「東京都の図書館政策」(建設費の2分の1,開設後3カ年の図書購入費の3分の1の補助)が、調布市の分館の整備を進める上で実に大きな力となりました。この間、『東京都の図書館政策』を背景に、第二次図書館計画(1970・昭和45:人口2万人、半径1㎞圏に1つの図書館、市民1人当り1.5冊の蔵書)、そして1972(昭和47)年には第三次図書館政策を策定して、私にとっては目が覚めるような、明解な3原則が提起されたのでした。   1.半径800mに1つの図書館 2. 人口20,000人に1つの図書館 3. 2つの小学校区に1つの図書館 この第三次計画は1973(昭和48)年には一部修正されて、1976(昭和51)年度までに中央館と10の分館を建設するという計画になっています。こうして「様々な難関を乗り越えて」1995(平成7)年の新中央館開館までの歩みとなるのです。 自治体が住民がだれでもわかる明確な目標を掲げ、基準を定めて、計画を作成し、その計画を着実に実行していく、そして事態の進行、状況の変化をふまえて、さらに計画を充実したものにしていく。そうして生まれるものが何であるか。調布市立図書館の歩み、その実践は、明解な3原則とともに、今の今、私たちがどこからとりかかるか、何をすべきかを、その豊かな実例の数々で示して、私たちの目の前にあるように思います。 以上で調布市立図書館の話を終えることにします。 調布市立図書館については、少し長い添付資料【Ⅱ】を用意しましたので、あとで目を通していただければと思います。 「望ましい基準」から豊田市図書館をみると 才津原 やっと最後の章にたどりつきました。竹内さん、ほんとうに長時間ここまでつきあって下さりありがとうございます。これまでの話でポイントとなる点は、お話してきたと思いますので、それをふまえてお話できればと思っています。    一体に、その人の住んでいる地域、市や町や村の図書館が、住民にどれだけ利用されているのかを知るのに、単に貸出し点数や登録者の総数をみるだけではよくわからないと思います。例えば2017年度の豊田市図書館の1年間の貸出し点数は315万3千点でした、と言われても、それが高い数値であるのか、低いものであるのか、どういうことを意味する数値であるのかを判断することは難しいですね。それを考えるには“ものさし”が必要です。 竹内 豊田市の図書館の活動がどんなものか、写しだす鏡ですね。 才津原 そうですね、「ものさし」は自分の姿を映しだす鏡と言えますね。 図書館の活動の実態を照らしだす「ものさし」でもある「望ましい基準」は、図書館法が制定されて51年後の2001年にようやく公示されましたが(2012年、全面改正)、そこには、「理念、考え方」は提示されたものの、「基準」を具体化していくために重要な「指標」や「数値目標」は示されませんでした。つまり「数値目標」を示さず、それを実現するための国の財政的措置もとられなかったわけです。このため、せっかく「望ましい基準」が公示されても、現実的には公立図書館の現況を変える動きを生み出さなかったのです。 竹内 わー、何ということでしょう。51年たってようやく公示された「望ましい基準」なのに。 才津原 ほんとうにそうですね。このため、2006年に文部省の「図書館の存り方検討協力者会議」が指標を定め、政令指定都市と特別区を除いて、全国の図書館を設置する市町村を人口段階別に、貸出し上位10%の図書館の平均数値を具体的な「数値目標」(実際には「基準値」)として提示し、以後『図書館雑誌』(日本図書館協会)の5月号に「貸出上位の公立図書館の整備状況」(以下、『比較表』という。)と題して毎年掲載されています。(2020年は事情により未掲載) この「基準値」はそれぞれの図書館の現況を把握し、その図書館のこれからの目標を定める時の大切な基準、そして「ものさし」となるものですが、かつて、1972年に「望ましい基準(案)」(「図書館専門委員会案」)が示された時と同じ対応が、図書館の現場でみられました。つまり伊万里市民図書館のように、各地の図書館の綿密な調査をした上で、「基準値」を参考にして図書館協議会で検討して目標を設定する図書館と、私が住む糸島市での議会答弁にみられるように、それは、協力者会議の「案」であって、「望ましい基準」ではないとして、何ら基準づくりの参考にしない多数の図書館とに。(『伊万里市民図書館の望ましい基準』、毎年『図書館通信』初夏号で「伊万里市民の望ましい基準値(目標値)との比較」として市民に公表) 豊田市図書館の活動をみるのに、この「基準値」を「ものさし」とすることは、豊田市図書館が直面している課題を明らかにするとともに、これから豊田市図書館が目ざすべき方向、目標を定めることにつながることだと思います。 竹内 豊田市でも、この「基準値」を使っていくということですね。 才津原 そしてこの「基準値」とともに、町田市立図書館を、もう一つの「ものさし」として、あわせて活用することが、より豊田市の図書館の実態を照らし出すことになると私は考えています。                【添付資料 Ⅳ,Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ 】 なぜ、町田市立図書館を比較の対象にするのか 竹内 なぜ町田市の図書館なのでしょうか。 才津原 まず、私がこれから述べるのは、『日本の図書館2018』(日本図書館協会)の統計を使っていることをお話した上で、つまり実際は2017(平成29)年度の数値ですが、(『図書館雑誌』2019年5月号)、なぜ町田市立図書館か、次の5点をあげたいと思います。 1. 人口は豊田市の42万4千人に対して、町田市は42万9千人と、人口段階別では両市は、「人口30万~」(30万人以上)に属し、ほぼ同規模の人口であること。 2. 人口段階別には、14のグループに分けていて、「人口30万~」で、図書館を設置している市は51市です。この51市のうち、貸出密度(住民1人当たりの貸出資料数)上位10%の市は、吹田市、町田市、豊中市、藤沢市、枚方市、高槻市の6市です。 町田市はこの上位10%に入る、人口同規模の市ではトップクラスの利用度であること。 3. 1965年に開館した日野市立図書館が切り開いた「図書館革命」とも呼ばれた、多摩地域の図書館と共に歩んできた図書館であること。 4. 町田市は「中学校区設置率」(公立中学校数と図書館数が同数であるときを100%とする)は40%(市立中学20校、図書館数8館:自動車図書館数3台)で、「中学校区に図書館を」という点では、まだ大きな課題はありますが、全域サービスを目指して活動していること。 5. 貸出密度が高い図書館の、指数ごとの平均値(基準値)だけを「ものさし」にするのではなく、具体的に参考になる図書館を特定して比較すると、より具体的に考えることができるため。 以上が、町田市を比較の対象として選ぶ理由です。 竹内 町田市は人口は豊田市と同じくらいで、人口30万人以上のグループにはいり、利用度も高く、移動図書館や分館による、市内どこに住んでいても、市民が誰でも利用できるサービスを目指して活動している図書館であるということですね。 「基準値」と「町田市立図書館」を「ものさし」として見ると 才津原 そうですね。それでは「基準値」と「町田市立図書館」を「ものさし」にして、豊田市の図書館をみると、どんなことが見えるかということですね。 市民一人ひとりが図書館を利用するもっとも一般的な方法は「貸出」です。そして図書館がどれだけ市民に利用されているか,市民の暮らしの中への図書館の定着度を表わすもっとも基本的な指標が貸出密度(人口当たり貸出点数)で、国の内外で基準の指標とされています。『比較表』の標題が「貸出密度上位の公立図書館の整備状況」であることからも明らかなように、「貸出(密度)」を第1の基準にして作成されています。 2017年度の1年間の豊田市図書館の貸出は315万3千点で、貸出密度は7.4でした。 人口30万人以上の図書館の貸出密度の上位10%の図書館(「基準値」)は「貸出点数」が351万8千点(100の位を四捨五入)、「貸出密度」が8.9でしたから、豊田市の到達度は、「貸出点数」で90%、「貸出密度」では83%となっています。一方、町田市立図書館の貸出点数は378万点、貸出密度は8.8でしたから、到達度は「貸出点数」は107%、「貸出密度」は99%ということになります。町田市立図書館は「貸出点数」では「基準値」をこえ、豊田市を62万7千点上回っています。 年間貸出し60万点というのは、どんな数値か 竹内 町田市の図書館は豊田市より年間の貸出しが62万7千冊多いということですが、 この差をどのように考えたらいいでしょうか。 才津原 1年間の貸出が60万冊(点)という数字がどういう数字であるか、私にとってはある具体性を感じる数値です。私は5つの公共図書館で働いてきましたが、4つ目の図書館が、北九州市の南側に隣接した人口32400人の苅田町でした。1988年12月1日、準備室発足時から働きはじめ、1990年5月の開館から1995年3月まで勤務し、4月からは滋賀県の人口2万3000人の能登川町の図書館、博物館の準備室に移るまで、苅田町では図書館開館後、まる5年を過ごしました。苅田町の図書館計画では、開館時の目標を人口の25%(登録率)、町民1人当り6冊(1990年度の貸出密度の全国平均は2.17冊でしたから、全国平均の約3倍)、開館から5年後の目標を登録率33%,町民1人当り7.92冊(年間26万2千冊)としていました。 【1988年1月、「福岡市の図書館を考える会」刊行の『2001年われらの図書館―すべての福岡市民が図書館を身近なものとするために―』では、全国の図書館を設置している自治体1027市区町村のうち、貸出密度6以上は35自治体、8以上は6自治体、10をこえているのは、北海道訓子府町(12.5)と千葉県浦安市(10.1)の2つの自治体のみ、福岡市は1.6】 しかし、町民の図書館に寄せる期待の大きさは私たちの想定をはるかに超えるものでした。初年度の1990年度は11か月間の開館でしたが、5年後の目標を初年度から大幅にこえた貸出密度9.79、以後、1991年12.51、92年14.24、93年15.24、そして私の苅田での最後の年、1994年度は16.58で、57万3千冊の貸出し、登録率は71.5%でした。そして退職2年後の1996年には貸出密度は17冊をこえ、60万5千冊と、はじめて60万冊をこえる貸出となっているのです。【町立図書館が開館するまでは公民館図書室(205㎡):登録率6%、貸出密度1】 昨日までは、図書館を利用していなかった住民の多く方たちが、図書館が生まれるとたちまち、ずっと以前から利用していたように、すっかり馴染んで図書館を利用されている様に心動かされる日々でした。 竹内 何か、勢いというか、すごいスピードですね。 才津原 ほんとうに。先ほど話しましたように、図書館の計画では初年度の登録率25%、貸出密度6とし,5年後を登録率33%、貸出7.82としていましたが、登録が50%をこえたのが、開館して1年4か月後のことで、開館2年目は登録が53.3%、貸出し密度は12.51でした。 千葉県の浦安市立図書館は1982(昭和57)年に移動図書館からはじめ、分館そして本館の開館をへて3年目で登録率50%に到達していましたから、苅田まちでは私たちの計画、予想をはるかにこえる早さであったと思います。 開館準備期間1年6カ月を含めて私がいた7年の間に、本館の他、3つの分館と移動図書館による組織網を整備した苅田町の取り組みによるものですが、私自身は、いまだ利用していない町民(未登録28.5%)への取り組みやハンディキャップサービスをはじめ、図書館としてはようやくスタートラインに立てたかなという思いでした。 いずれにしても、人口3万4千人ほどの町で、60万冊の貸出し(貸出密度18冊)というのは行政が、住民が「どこに住んでいても」「だれでも」利用できる図書館づくりに焦点を定めて本気で取り組み、図書館網を整備してシステムとしての図書館づくりに力をつくしてようやく生まれたものだと思います。それはどの地域でも、そのように利用する住民がいるということでもあります。利用度が低い地域があるとすれば、それは住民の読書に対する関心の高さ、低さによるのではなく、行政の取り組み方にその原因があるのだと思います。60万冊というのは、人口3万4000人の町で実際に貸出しされた数値であり、どの地域でも、そのような図書館の利用を求める住民がいるということでもあります。 人口は同じくらいなのに、なぜ町田市より62万冊も利用が少ないのか。 竹内 2017年度の豊田市図書館の市民1人当りの貸出しは7.4でしたから、62万7千冊を7.4で割ると、84,729、約8万5千です。これは豊田市の人口42万4千人の20%、1/5にあたる数値で、これだけの豊田市民が利用できていないと、みることができるわけですね。62万冊というのは、豊田市では8万5千人が利用する、いや、利用できていない数値なんだと。それでは、62万冊という差を生みだしている要因はなんでしょうか。 才津原 わー、62万冊という数値は、いまだ図書館を利用できていない8万5千人の豊田市民がいることだというように、数字を私たちの体で体感できるように考えていくことは、とても大切ですね。 町田市との差、62万7千点というのは、豊田市の年間貸出点数の20%、1/5になる大きな数値です。「貸出密度」でみると、豊田市の到達度83%に対して、町田市は99%で16%の格差があることになります。 62万冊の差というのは、とても大きな格差といえますが、先ほど話ましたようにこれは、豊田市の市民が町田市の市民より、読書に対する関心がより低いことから起こっているのではまったくないということです。 豊田市の中央館は床面積が12,567㎡で町田市の中央館5,262㎡の2.4倍と大きな図書館でですが、中央館の貸出をみると、豊田市が143万8,000点、町田市が141万5,000点と大きな差はありません。豊田市の中央館と32か所のサービスポイントの貸出(171万5,000 点)との割合をみると、中央館が46%、サービスポイントが54%となっています。サービスポイントの方が多いのですね。つまり、市民の身近にある所での利用が多いわけです。一方、町田市では中央館と7つの分館(236万7,000点)との割合は37%と63%です。町田市でも中央館以外、つまり分館の貸出が多くなっていますが、中央館以外の貸出が、豊田市では54%であるのに対し町田市では63%です。両市の中央館の貸出しの差は2万3千冊と大差はありませんでしたから、62万冊の差を生み出しているのは、中央館以外の図書館のありかたです。 分館網が整備されているかどうか、豊田市のサービスポイントは分館ではなく、職員(司書)も配置されておらず、予約、リクエストやレファレンスなどに応えるものではないという実態がこの格差を生みだしているのです。 「貸出」は図書館サービスの全体を象徴するもの、とは 才津原 これまで、豊田市と町田市の貸出点数の差ということで話してきましたが、私は貸出(点数)だけを問題にしているのでは、まったくありません。「貸出」は図書館サービスの核であるというのは、「貸出」が図書館サービス全体を象徴するものでもあるということです。つまり、「貸出」は予約やリクエスト、レファレンスサービスや図書館での様々な集会・活動に直接つながっていると私は考えています。ここでは、「予約・リクエストサービス」と「図書館間借り受け」について、ふれたいと思います。 「予約・リクエストサービス」について 豊田市の予約件数は21万8700件で、「到達度」は32%、うち中央館が全体の90%の19万4700件で、31のサービスポイント(子ども図書室を除く)では24500件で、全体の2%でした。豊田市の「貸出密度」の到達度83%に対して、予約件数の到達度32%の低さが際立っています。 町田市は63万4000件で、豊田市の3倍の件数です。到達度は84%と豊田市の2.6倍です。 中央館は17万6000件で、全体の28%、分館が45万7900件で全体の72%を占めています。中央館では豊田市が18700件多くなっていますが、中央館以外では、豊田市の24500件に対し町田市の45万7900件とその差は43万3400件と圧倒的な格差となっていて、豊田市と町田市の予約件数の「到達度」32%と84%の大きな格差をもたらしているのが、中央館以外の図書館のあり方によること(分館網の未整備・その必要性)を、一層明確に示しています。 分館は中央館に比べると、はるかに小さなスペースですが、開架図書の冊数や新館購入冊数がより少なくても、それが身近にあって、いつでも利用でき、読みたい本や探している本の相談に対応する司書がいれば、貸出しは勿論、予約の利用が高まることを町田市の実績が示しています。 一人ひとりの利用者の求める資料を確実に提供し、市民の「なんでも」を保障する予約サービスは、「貸出し」サービスの根幹をなすものですが、その「予約サービス」は分館において一層、その役割、効果が発揮されることを示していると思います。豊田市の2%に対し、町田市では分館での利用が72%を占めているのですから。実数をみても、町田市の 分館は豊田市の中央館の2.6倍、サービスポイントの18倍の件数になっています。それは、 豊田市においても、それぞれのサービスポイントで本来利用のある件数であるといえると思います。 「図書館間借り受け」について 竹内 それでは「図書館間借り受け」について、あまり聞かない言葉ですが。 才津原 「図書館間借り受け」というのは、図書館にリクエストされた本のうち、図書館に未所蔵で、その本が絶版や品切れ等の理由で購入できない場合、その本を所蔵している図書館(国立国会図書館や、県の内外の公立図書館;図書館によっては、大学図書館や研究機関等)から相互貸借で借り受けることです。リクエスト・サービスに欠かせないものです。 豊田市の「図書館間借り受け件数」は1,695点で、町田市の10,969点の15%でした。 「予約件数の到達度の比較」(豊田市32%÷町田市84%×100=38%)よりさらに低い、町田市とは一桁違うきわめて低い数値になっています。このことは、「図書館にない本でも、 何でも」利用できるリクエスト・サービスが、市民にまだ広く伝わっていないのではないか、また図書館がそれを図書館の基本的な仕事としてとらえ、館長、職員が図書館の指針として一体となってとりくんでいるだろうかという疑問を抱かせる「借り受け件数」であるように思います。 竹内 以上で「図書館間借り受け」について話していただきましたが、他には。 才津原 まことに申し訳ないことですが先に「竹内悊さんからの贈りもの」を初稿から引用しましたが、初稿のさいごに、豊田市の皆さんにお伝えしたいと考えていたことを記していたのを思いだしました。再び初稿のさいごの章(「8.さいごに」)を引用させてください。 【以下、初稿からの引用です】 8.さいごに ⊡現状を知ることから  豊田市の図書館のこれからを考える時、まず知りたいのは、豊田市の小学校区ごとの貸出密度です。小学校区ごとの、市民一人当たり年間貸出点数です。本来、この指数は豊田市の図書館サ-ビスの「どこでも」「だれでも」がどうなっているかを示すもっとも基本的な指標であり毎年、図書館が作成している各年度の「事業概要」(図書館によっては、「年報」「要覧」「図書館の概要」などと表記)で、利用の実態を把握する基本的な統計として作成、公表されるべきものだと考えます。糸島市では、例年の『糸島市立図書館の概要』には記載されていないため、毎年教育委員会に請求して、その数値をもとに、糸島市の地図に小学校区ごとに貸出密度の数値を書きこんでいます。結果は、校区による利用度の大きな格差が一目瞭然にたち現れるものとなりました。そうして今、取り組んでいるのは、この利用の大きな格差の実態を、市民と行政に目に見える形で提示していくことです。現状を知ることから、市民として今、何をなすべきかがたち現れてくるように思います。     【資料資料 Ⅷ 「いとしま としょかんしんぶん」No.1 ⅷ(1)~(4)】  その一つが『望ましい基準』を活用した取り組みです。これまで述べてきたように、図書館法制定後50年経った2001年に公示され、2012年に改正された『望ましい基準』は「数値目標」を定めず、公示されてから18年間経つ中で、必ずしも各地の図書館づくりの中で大きな力となったとは言えない“眠れる基準”とも言える現状があります。しかしながら伊万里市民図書館のように、基準にこめられた考え方を自らのものとし、伊万里市の図書館の現状と課題をふまえて伊万里市民図書館の目標を計画年次とともに策定した取り組みは、豊田市や糸島市の図書館が直面している、市民の身近に図書館がないあり方を変えて、市民“一人ひとり、そしてみんなの図書館”としていくための範となる手立てを示しているように考えます。 とりわけ資料9『望ましい基準』の2項目(1.総則 「設置の基本」、2.公立図書館;管理運営)は重要な規定で、この規定に則った図書館の取り組みを、市民として市に求めることが肝要です。 ・ 図書館設置の基本は、住民の生活圏、利用圏を考慮して、分館、移動図書館による全域サ-ビス網の整備に努めること。 ・ 基本的運営方針の策定・公表 ・ 運営方針に則った図書館サービス、運営に関する適切な指標の選定と目標の設定。 事業年度ごとの事業計画の策定と公表 ・ 基本的運営方針並びに指標と目標及び事業計画の策定に当たっては、利用者及び住民の要望並びに社会の要請に十分留意すること。 ・ 運営の状況に関する点検及び評価等 また、「館長」については  ・2001(平成13)年の「望ましい基準」では、「市町村立図書館」の項目の中で、  (8)職員 ① 館長は、図書館の管理運営に必要な知識・経験を有し、図書館の役および任務を自覚して、図書館機能を充分発揮させられるよう不断に努めるものとする。 ② 館長となるものは、司書となる資格を有する者が望ましい ・2012(平成24)年12月19日、告示された「望ましい基準」では 4. 職員  (一)職員の配置等 ① 市町村教育委員会は、市町村図書館の館長として、その職責に,かんがみ、図書館サービスその他の図書館の運営及び行政に必要な知識・経験とともに、司書となる資格を有する者を任命することが望ましい。 【以上で引用終り】 となっています。その職責とは、「図書館サービスの最高の責任者」であることをふまえて、館長の配置をすることが、要のことです。館長と職員の配置の問題は、指定管理者制度導入の要の問題で、この「望ましい基準」をしっかり活用していくことが大切だと思います。 なお、すでにご覧になっているかもしれませんが、『図書館の設置及び運営上の望ましい基準 活用の手引き』(日本図書館協会 2014)は、役に立つ冊子だと思います。まだご覧になっていない場合は、図書館で予約、リクエストを。                           指定管理者制度について 竹内 いよいよさいごのお話、指定管理者の問題についてですね。 2016年2月、市長の施政方針で「豊田市中央図書館への指定管理者制度の導入準備を開始する」という発表を突然知らされた市民は、2016年4月に〈豊田市の図書館を考える市民の会〉を発足して、署名活動や指定管理について学ぶ学習会や講演会、市議会への請願書の提出、そして市議会議員や教育委員に手紙をだすなど、導入計画の凍結・再検討を求めて活動してきましたが、2017年に指定管理者が導入され、今日に至っています。 今回のインタビューのさいごのテーマになりますが、このことについて。 才津原 豊田市では2017年度から、市民のみなさんの反対にも関わらず、指定管理者が導入されているのですね。指定管理者制度の何が問題かについては、多くの方がその問題点を指摘されていますが、私は2点にしぼってお話したいと思います。 私が考えています指定管理者制度の問題点を次にあげたいと思います。 1. 雇用の形態  指定管理者の図書館では、おおむね5年ごとの契約期間になっています。そこで働いている職員は5年たった時、続けて働くことができるかどうかまったくわからないわけです。 指定管理を受託した会社は営利企業です。市から支払われる委託料のうち、人件費をのぞく施設の維持管理費を含めた物件費は、直営であろうと、民間の指定管理であろうと、多く変わるものではありません。指定管理者の会社が収益を得るのは、おおむね人件費として支払われた委託料から得るほかない仕組み(構造)だと考えられます。そこで市が算定した指定管理者の図書館で働く職員の給与は市の正規職員より低い額になっていることは間違いありませんが、その低額になった額から、受託会社が一定の金額をとり、その削減されたものが職員の給料となっていると思われます。ここでは、2回にわたる給与の減額、削減があると考えられます。1度目は市による、2度目は受託会社による。 こうした労働条件の下でも、その仕事を選ぶ理由の主たるものは、応募する人の多くが運営の形態がどうであれ、図書館で働くことに喜びややりがいを持たれているからではないかと思います。指定管理者制度は、そうした人たちの思いに乗っかったしくみだと思います。 ただ、この制度だと、5年先に継続して働ける保障はありませんし、先の先までの保障はなく、仮にたまたま1,2回継続して働けたとしても、10年先15年先に、例えば家族をもっても家族を養うことができる給与や労働条件が保障されるわけではなく、一生の仕事として継続してやっていくにはとても厳しい状況であり制度であると考えられます。実際的には2回、3回と、10年、15年と働き続けることのできる人が少ない職場になると考えられます。 図書館で働く専門職員としての司書が、司書としての力を身につけることができるのは、日々資料と利用者と、地域と社会を知る継続的な学びと仕事(経験)の蓄積を通してです。ある図書館が利用者にとって、信頼できる魅力的な図書館であるかどうかは、司書を核とした職員の働きにかかっています。指定管理者制度は職員が継続的に働くことを、実質的にさせないしくみであり制度です。1人ひとりの職員の力、職員集団の力を育て続けることを許さないしくみ。これは納税者である市民として、大切な税金を有効に使わない、生きたお金の使い方ではないと言うほかありません。 福岡市で新しく開館した分館の1つが指定管理者の図書館となり、先日ようやく見学をしてきました。図書館の入り口には、利用者の声に対する、図書館からの回答がすぐに目に つくようにおかれていて、一つ一つの市民の声にていねいで、温かな回答が記されていました。館内をみても司書の方たちの、積極的な楽しいとりくみが随所にあり、その心のこもった利用者との応対に心打たれるものがありました。私は福岡市民ではありませんが、 彼女たち(すべて女性の職員であったと思います。)の働きぶりをみるにつけ、1市民であれば、彼女たちの日々の経験の蓄積が、市民にとって役立つ力となるように、何ができるかを考えていかねばと思ったことでした。私は福岡市に隣接した糸島市に住んでいますが 人口150万人をこえる大都市である福岡市の図書館の在りようは、糸島市の図書館の在りようと無縁ではありません。数年前から福岡市民の人たちと“「図書館を楽しむ」市民ネットワーク・福岡”の活動を始めて、「指定管理者制度の問題」と向き合っているところです。 2.図書館に指定管理者を導入することは、今、その図書館が直面している図書館の課題を置き去りにして、現在ある図書館だけのサービスで良いとするやり方であるということです。 図書館は市民が必要とする情報や資料の提供を通して、すべての市民の生涯にわたる自己学習を保障する機関です。このため市民が「いつでも」「どこでも」「だれでも」「なんでも」利用できる「システムとしての図書館」づくりが、どの地域にあっても図書館の目指すところであり、行政の責務ですが、とりわけ「どこでも」は全国の中学校区設置率が34%(2017年度)であることにうかがわれるように、日本の公立図書館では、そこへのはるかな途上にあります。豊田市の図書館においては、広大な市域に市立図書館が1館しかなく、図書館網の整備は喫緊の課題です。図書館が身近にないため、日常的に図書館を利用できない多くの市民がいるからです。これに取り組むには、まず現状をしっかりとらえ、教育委員会はもとより市の力を結集しての計画的な取り組みが欠かせません。指定管理者の導入は、豊田市の図書館が直面している最大の課題から目をそらし、その問題に市として関わらないという選択で、すべての市民に自己学習の場と機会を保障する行政の重大な責務の放棄ともいえるものだと思います。 豊田市では図書館管理課はありますが、現場にはおかれておらず、指定管理者の図書館は、市の中に図書館のことがわかり、豊田市の図書館の今とこれからを考える市の職員を育てず、持たないことになってしまいます。指定管理者の導入は、日々資料や利用者と接し、地域を歩き、市民と地域の課題を考え続ける現場を市の職員が失うことであると思います。図書館は今の世代の人だけではなく、次の世代の人に引き継いでいくものです。図書館で働く職員が一人ひとりの市民に役立つ図書館をめざして、誇りをもって力をつくせる図書館を手渡していかなければならないと思います。 さいごのさいごに はじめは意識していなかったことですが、初稿も、このインタビューも前川恒雄さんの足跡をたどりなおすことから始めています。そして今思わず知らず、前川さんの歩みのはじまり、その源流にやっとたどりついたのだろうかと感じています。最後に日野市立図書館が昭和40(1965)年9月21日に移動図書館「ひまわり号」で貸出し業務を開始して2年が経った時、2年間の業務の報告書を刊行しています。 『業務報告 昭和40・41年度』(日野市立図書館 昭和42年3月 非売品)から いくつかの言葉を紹介させていただきたいと思います。いささか長いのですが、私がこのインタビューの中でお話してきたことの要点が54年前に刊行された『業務報告』の中に、 しっかりと述べられているように思います。豊田市の図書館の今とこれからを考える手がかりがそこにあると思われるからです。 日野市を豊田市に適宜読みかえていただければと思います。 (以下抄録) 1 日野市立図書館の方針 日野市立図書館はどういう図書館か  日野市立図書館は日野市民の図書館である。日野市民の図書その他の資料に対する  要求を公的に保障する機関が市立図書館である。市民一人ひとりが 10冊20冊の図書をバラバラに買う代わりに、それを何万冊という蔵書をもつ図書館にまとめ、より効率のよい、より深いサービスを受けられるようにしたものが市立図書館なのである。健康保険制度が肉体の健康における社会保障であるように、精神や教養の面での社会保障が 図書館であるといえる。  また市立図書館は市民の知的欲求を資料の提供という形で支えている、自由で民主的な社会に欠くことのできない機関である。市民がそれぞれ自らを高め、自由な思考と 判断ができるようにならなければ、本当の民主主義の社会は実現しない。市民がこのような自己形成への道を歩むための資料を提供し、判断の材料を調えるのが図書館である。そうしてこれが市長のめざす、市民の手による市政の基礎となるものである。  図書館はその働きによって、今まで本に親しまなかった人を読書へ誘い、新しい未知の世界への扉を開けることができる。これは図書館が「読め読め運動」をして読書をおしうりすることではない。図書館が市民の身近に、豊富な魅力ある図書を揃えて、市民と密着した仕事をするならば、それだけで読書は野火のように広がるであろう。人間は本質的に知識を求めるものだからである。特に将来の日本を背負う児童・青少年に読書の習慣をつけ、人間形成の基礎を培うことは、図書館の最も重要な働きである。 日野市立図書館の運営方針 Ⅰ 貸出しの重視  図書館サービスにはいろいろな働きがある。図書の貸出し、レファレンス(調査研究を援助する仕事)、集会活動などである。日野市立図書館では、これらのサービスの中、図書の貸出しを最も基本的な、初歩的な業務であり、他のサービスの基礎であると考える。レファレンスは貸出しでは十分な解決にはならない調査研究をする利用者のためであるから、公共図書館として必ずしなければならない業務であるが、貸出しを不十分にしたままでレファレンスを行うと、レファレンスの内容が曲がってしまう恐れがある。集会活動や行事は、図書を市民に提供するためにあるのであって、行事そのものが目的ではない。  (略) 市民の図書館である以上、市民にはだれでも平等に図書を利用してもらうようにしなければならない。   (略) 図書館という以上は、市民の求める図書は“何でも”貸出すことができなければならない。これは大変困難な課題であるが公共図書館のアルファでありオメガである。この課題を果たすため、市民の読みたい本はリクエストしてもらい、あらゆる手段で入手し要望に応えている。現在入手不可能な図書は他の図書館から借りる例も多く、国立国会図書館の蔵書も当館を通じて利用することができるのである。また、市民の要求に最も合った図書が何であるか、どんな図書があるかを案内する「読書案内」も図書館の重要な働きである。 一方、当館では読書のおしつけはしない。求められない図書を配って回るようなことは 一切行わない。市民の自主的な判断で、自由な選択が行なわれるよう援助するのが図書館である。 日野市立図書館は現在、図書の貸出しに殆ど全力を挙げているが、これだけが図書館の業務だと思っているのではない。何もかもやろうとして小さな力を分散するよりも、まず最も重要な、そして将来のスプリングボードとなり得る仕事に集中すべきだと考えているのである。 Ⅱ 全域へのサービス  日野市内のどこに住んでいようと、同じように図書館を利用できなければ市立図書館とは言えない。買い物かごを下げ、げたばきで利用できる図書館であって、始めて「市民の図書館」と言えるのである。このためには市内の各所に分館や移動図書館の駐車場が必要になる。いずれにせよ、これらは簡易な施設であり、ここに大量の図書を用意しておくことはできない。しかし、この簡易な施設で市民のあらゆる要求に応えなければならない。この課題を解決する方法は、これらの分館や移動図書館が単独で働くのではなく、一つの組織の第一線のサービスポイントとして働くことである。水道の蛇口をひねれば貯水池から水が流れてくるように、分館や移動図書館の駐車場に図書が必要に応じて配分される態勢が必要なのである。 この組織と態勢が日野市立図書館であって、一つの建物が図書館ではない。 日野市立図書館の設置条例第二条に「図書館は中央図書館と分館によって構成される」とあるのは、このような組織としての図書館を想定したものである。 Ⅲ 資料が第一 図書館は、図書その他の資料によって市民の役に立つ業務をするのであるから、図書館にとって最も重要な要素は資料である。いくら立派な建物を建てようと、中に十分な資料がなければ、厚化粧をした栄養不良の娘のような図書館になり、市民の役には立ち得ない。日野市立図書館は、外観はたとえ悪くても本当に市民の役に立つ働きができる図書館でありたいと思っている。このためには、何よりもまず新鮮な図書をできるだけ豊富に揃えておくことが第一である。一に図書、二にも図書、そして三にも図書である。 図書館サービスの目標は「何でも、いつでも、どこでも、誰にでも」であると言われる。 日野市立図書館は、この目標を現実のものとするため、市民に本当に役に立つ図書館となるために働きたいと考えている。 以上 才津原 『業務報告』が刊行されて6年後の昭和48(1973)年に発行された、石井敦氏との共著『図書館の発見』は副書名が「市民の新しい権利」です。“新しい”とは、それまで、権利としての実態をもたなかったということだと思います。また「市民の権利」は市民一人一人が、その権利を自ら行使することで、その実体をもつものであり、その第一歩は日野市立図書館は日野市民の図書館である、〈豊田市立図書館は豊田市民の図書館である〉として、市民一人一人が市民の図書館に向けて歩みだすことから始まると、著者が市民に伝えている言葉であると思います。 竹内さん、ほんとうに長時間にわたってつきあっていただきありがとうございました。このように長い時間がかかってしまい、ほんとうにご迷惑をおかけしました。 考える市民の会の代表の杉本さん、事務局の篠田さんをはじめ、市民の会の皆さまによろしくお伝えください。 竹内 ほんとうに長時間お疲れ様でした。よくここまでたどりつけたと思います。ありがとうございました。 添付資料  〈Ⅰ〉大分県の図書館振興策について    5頁  〈Ⅱ〉調布市立図書館について       10頁  〈Ⅲ〉「大沢家庭文庫 50年記念誌」    9頁  〈Ⅳ〉「図書館サービスの望ましい基準と豊田市図書館の比較 2017(平成29)年度」  〈Ⅴ〉「基本的な指標の確認から」 (資料Ⅳの解説) 〈Ⅵ〉「都道府県別 設置率・中学校区設置率・貸出密度・登録率」2017(平成29)年度  〈Ⅶ〉「伊万里市民図書館の望ましい基準値(目標値)との比較」2016(平成28)年度)  〈Ⅷ〉「いとしま としょかんしんぶん」No.1 (1)~(4) 4頁     「編集・デザイン」の大松くみ子さんは、「としょかんのたね・二丈の会の名付け親であり、初代の世話役。 〈Ⅸ〉「糸島市立図書館のこれからについての提言」(1),(2) 2018.6.4 添付資料〈Ⅰ〉大分県の図書館振興策について。 大分県が県立図書館の新館開設準備にとりかかるさなか、「大分県公立図書館振興策検討委員会」が設置されたのは、大分県内の図書館員に働きかけて「ネットワーク研究会」を立ち上げ、何度も滋賀通いをしていた県立図書館員の尽力によるものではないかと思います。 大分県内の委員は大分県立図書館協議会会長西村武人氏、同協議会委員で別府大学助教授佐藤允昭氏、大分県立図書館長宮本高志氏の3名、そして前川委員長、渡部幹雄氏と才津原の6名でした。わずか3回の委員会でしたが、2回目の委員会での討議案を渡部さんと私の2人が担当することになり、ほぼ提案した案通りの報告書が作成されました。(「大分県公立図書館の振興策に関する報告書―豊の国一村一館への道」平成7年1月12日) これは、東京都や滋賀県の振興策に学ぶとともに、小規模自治体の極めて多い大分県の現状を踏まえて、小規模自治体により手厚いというか、小規模自治体に必要な助成をする内容となっていました。図書購入費と建築費の補助がその内容ですが、図書購入費の補助については、人口3万人以上の市町村と、3万人未満の市町村に分けて補助率を、人口のより少ない小規模自治体である3万人未満の自治体の方を高くしています。 この補助の内容は、東京都や滋賀県に学んで、その基準を一層高める内容としたものでしたので、その内容を具体的にお話しておきたいと思います。 ② 補助対象 図書購入費 ③ 補助率 1/2~1/5 ア. 人口3万人以上の市町村 ・ 新設から3年間   3分の1 ・ 4年から5年目   4分の1 ・ 6年目から10年目 5分の1 イ. 人口3万人未満の市町村 ・新設から3年間   2分の1 ・4年から5年目   3分の1 ・6年目から10年目 4分の1 ④ 補助限度額 なし ⑤ 補助期間  10年間 人口の少ない小規模の自治体には、より高い補助が必要であるという考え方、それを実際に数値で(補助率の相違)で表し規定とすることが要点だと思います。また、ここでも補助をうけるための条件、「補助条件」がもっとも大事なことで、「整備基準」を充たしていることをその条件としています。 肝心かなめの「整備基準」 補助を受けるための条件とは  この「整備基準」は、これまでに日本でつくられた「基準」のなかで、「開架冊数」「建物面積」「職員」について、もっとも高い基準となっています。 実際の「報告書」では、「別紙」として記載されているものですが「公立図書館の整備基準」の内容は6点あり、 1.開架蔵書冊数 40,000冊以上   (※滋賀県2万冊以上) 2.建物面積   延べ800㎡以上  (※滋賀県 600㎡以上)        3.専門職員数               人口3,000人未満 2人         3,000人以上  7,500人未満  3人           7,500人以上  30,000人未満 4人 30,000人以上  90,000人未満 4人に、3万人を超える人口7,500                 に1人を加える。        90,000万人以上12人に、90,000人を超える人口15,000人当たり1人                 を加える。        但し、この他に必要に応じ非専門職員を配置する。 4.年間購入冊数 最低 4,000冊以上          人口1,000人当り160冊以上          人口150,000以上においては25,000冊以上 5.雑誌購入タイトル数          人口25,000人未満        100誌以上            25,000人以上40,000人未満  150誌以上            40,000人以上         200誌以上 6.新聞購入数  人口25,000人未満        5紙以上            25,000人以上        10紙以上 上記の職員は専任、正規職員であること。 なお、CD、ビデオ、その他の視聴覚資料は、その利用がますます増大すると思われる。必要に応じて十分に準備しておく必要がある。 『報告書』の中から、いくつかの大事な点を 以上が整備基準の全文ですが、「報告書」の本文には、大切な「考え方」の提示と最も重要な補助の条件や「図書館設置に関する行政的援助」の方法が具体例をあげて書かれています。 「考え方」の提示の1つは、「2市町村立図書館に対する県の支援方策」 「a. 市町村立図書館振興の方針」に明確に示されています。 「図書館先進県は必ずしも設置率が高い県ではない。個々の図書館の水準が高い県である。 図書館振興を図るには、一つでも二つでも「これが図書館だ」といえる図書館を作り、それをモデルとして、住民に役立つ図書館を広げていくことが、結果として真の図書館振興につながるであろう。 図書館は、ある水準以上の条件を持たなければ利用は期待できず、経費が無駄になる。ある水準を超えると利用が爆発的に増え、経費が有効に生きていることが誰の目にもあきらかになる。図書館振興の目標はこの水準を全ての図書館が超えるようにあらゆる手段で誘導することである。」 そのための、肝心な「補助の条件」とは そのためには、県の財政的支援と、その補助の条件がきわめて重要です。先の文章の続きを読んでみます。 「b. 県の市町村に対する財政的支援 県は市町村がある水準以上の働きができる図書館を維持するため、一定の条件のもと、財政的支援をすべきである。これはまた、県の支援が無駄にならないための保障である。 ア. 補助の条件 (1) 地方公共団体が直接運営する、図書館法第2条に定める公立図書館であること。 (2) 図書館の館長は、図書館法題条に規定された司書となる資格を有する者であること。 (3) 図書館の建物延べ面積、職員数、年間購入冊数が、本報告別紙の基準に示した数以上であること。 イ.資料費補助 拡充による、新たな補助制度とする。   ウ.建設費補助      図書館の建設に当っては、「過疎地域等振興プロジェクト推進事業費補助金」の活用が望まれる。しかし、これによって図書館振興が不十分な場合は、図書館建設のための新たな補助制度が必要である。   ウ.その他の援助 移動図書館車の購入および書肆情報ネットワークに接続するためのコンピュータの設置に対し、有効な一定額を財政措置することが望まれる。  滋賀県での実践が生かされた行政的援助の実際  方法の例示 注目されるのは、滋賀県で力をつくして取り行われた行政的援助の実践が、具体的に取り こまれていることです。 C.図書館設置に関する行政的援助  県教育委員会は図書館設置を促進するため、さまざまな場で市町村に対しその施策の普及説明をはかるべきである。その方法を例示すれば、次のようなものがある。 (1) 年度当初の市町村教育委員会に対する施策説明会における説明。 (2) 市町村長、教育長、企画担当者などに対し、あたらしい図書館についての理解を を深めるための会合の開催。  (3)図書館振興あるいは設置の機運のある市町村に対し、県教育委員会の担当部課長、県立図書館長などによる個別の説得。 D.図書館の運営に関する援助  市町村立図書館の運営、あたらしいサービスの展開などについて、県立図書館の支援が必要である。この場合、あくまで市町村立図書館の主体的な立場を尊重し、それぞれの館に見合った援助を心がけるべきである。 そのために、県立図書館が市長村立図書館の実情を把握していることと、県立図書館協議会の活発な論議と活動があることが、必須の条件である。    〈 前川さんの声が聞こえてくるように思われます〉 【県立図書館は何をするところか】が明解に述べられているのは 3.県立図書館と市町村立図書館との連携、ネットワーク a. 県立図書館の基本的役割 県民が必要とする資料、情報を確実に提供するために、県内の公立図書館が連携し、緊密な協力体制のもとで、いずれの図書館をも通じて、どの図書館の資料をも入手できる ネットワークの構築が不可欠である。 特に県立図書館は、全県民が利用する全県民のための図書館であり、この目的は直接来館する人々に対するサービスだけでは達成されない。「第一線にあって、住民からの様々の図書館サービスに対する要求を受けとめている市町村立図書館からの求めに対し、積極的にこたえることにより、県立図書館は全県民にサービスすることが可能となる。県立図書館は、市町村立図書館への支援を通してのみ、設置の趣旨に適うサービスを提供することができるのである。」(「県立図書館の役割と実践」文部省 1994) (以下 略) しかし実際に実施された「大分県公立図書館整備費補助金交付要綱」では、  ②補助率  補助対象経費の1/2 ③補助限度額 10,000千円(単年度)  ④補助期間  3年間  (「報告書」では10年間)  ⑤補助事業の対象となる図書館は別表に掲げる整備基準を満たすものとする。 ※ 「報告書」の人口3万人以上,以下による補助率(1/2~1/5)の区別をやめ、一律に。 また、【報告書】の「整備基準」と比較すると、 1.「開架蔵書冊数 40,000以上」、「雑誌購入タイトル数」、「新聞購入紙数」の削除 2.「専門職員数」では「報告書」にあった「但し、この他に必要に応じ日専門職員を配置する。」を削除し、さらに、「報告書」の「上表の職員は、専任、正規職員であること。」を「専門職員とは、司書及び司書保の資格を有し、専任かつ正規の職員(館長を含まない。)をいう。」としている。 「館長」の規定の変更については、「報告書」で最も大切な、基本とした規定であったものが変更(削除)されたことになります。この「要綱」がこのようになった経緯は不明ですが、「報告書」がだされる前後の1995年4月から、苅田町から滋賀県能登川町に移り住んだ私には、しばらく大分県からの連絡もなく、かなりたって「要綱」の内容を知った頃、あわせて、「振興策検討委員会」の立ち上げと、大分県立図書館の新館準備の中心になっていたと思われる県の職員が図書館から異動になったことを知らされ、長いこと連絡がとれない状態が続きました。こうしたことに驚いた私は、滋賀県の図書館長や関西の図書館員の幾人かに、そのことを伝えるとともに、その年の秋に大分県で図書館の全国大会が開催されることになっていたので、その大会で平松大分県知事に、その状況を伝えるべく動きましたが、結果的には全国大会では「県の振興策を考える分科会」が開催できただけで、県知事に直接、声を伝えることはできませんでした。(分科会では、山口県周東町の山本哲生氏、塩見昇氏、才津原などが報告)    前川さんは、『未来の図書館のために』のなかで、次のように書いています。 「大分県の図書館振興策  大分県の平松守彦知事から、前川を呼んで県内の図書館振興策を作るようにとの指示があったとのことで、その委員会の委員長になった。委員に後に滋賀県の町立図書館長になった(澤田正春滋賀県立図書館長の推薦で)人が二人いた。この二人の強い意見で、相当 高い条件をクリアした市町村に補助するという政策を作った。この政策が功を奏したかどうか、よくわからない。」     (92頁) 前川さんの所にも、大分県からのしっかりした経過報告がされていなかったのではと思われます。 添付資料〈Ⅱ〉調布市立図書館について 調布市立図書館が開館の翌年の1967年から刊行してきた刊行物・資料のおびただしさと、その優れた内容に驚きます。どれもこれも紹介したいものがたくさんありますが、私自身が仰天した資料のいくつか。 〈1〉『数字で見る図書館活動』1974年 (以後毎年発行) 〈2〉『図書館運営の組織化―フローチャート』1974年   50数年前、調布の図書館をいきなり訪ねた時、『買い物かごをぶら下げて』創林社 1979)の著者である萩原祥三館長が対してくださった対応が心に刻まれています。この冊子はたしかその時にいただいた何冊もの貴重な資料の1冊で、“図書館では、このように仕事をするのか”と驚いたことがあります。萩原祥三とはどういう人か、まったく知らずにお会いしたのですが、そのとき何かたしかなものを手渡されていたことを今にして思います。 〈3〉『昭和50年度 事業計画書』1975   調布市立図書館における刊行物がなんであるか。なぜ延々と、力をつくしてつくられ続けてきているか。萩原祥三さんの言葉に繰り返し耳を傾けたい。今、図書館員であるヒト、一人ひとりの前におかれた言葉であるように思います。  「はじめに   事業計画書作成の意義               図書館長  萩原 祥三 昭和50年度一年の活動計画がこの小冊子によって明らかにされる筈である。読者(といっ ても我々は多くを期待できないが)が充分想像力をもっておられれば、この文書から調府 市という自治体における、図書館を中心とする住民の知的活動の一端が明らかにされると 思う。大部分の図書館ではこの種の文書を作っていないし、十年一日の如く、同じ作業の 繰り返しに終始している向が多い。情報社会といわれる今日尚、図書館が市民権を充分獲 得していない理由の一端が、この辺にも存在している。なぜ我々は文書によって我々の活 動を明記するのか。図書館という職場は、自らの仕事を計画化し、新しい分野を確立し、 それらの内容を具体化するために文書化するという手続きをとらない限り、本の貸借とい う単純行為は、全く駅における切符切りと選ぶ所はなくなる。駅における切符の効用は乗 降という乗客の行為で終る。乗客は空間移動によって満足を得られれば済む。切符の痕跡 は、売上高という金額に堆積されて、究極的には利潤という単純な一数字で表示される。 駅の切符販売が無意味というわけではない。それらの労働は勿論社会的効用をもつ。社会 的な効用という点では、図書館の本の貸借と径庭はないかも知れない。貨幣論的尺度にお いてはそうである。 然し、専門職と自らも誇りをもち、図書館という知的労働に従事する人たちは、この貨幣 論的効用を納得するであろうか。現代の図書館界では、とりわけ「専門職制度」が声高く 叫ばれている。叫ばれている割には、全く安易な、一種の労組的身分保障論のようなもの に終始し、真の専門家論が厳しく論議されない。この辺にもまた別な現代図書館の市民権 が認められない原因の一つがある。市民権を認めさせるのは主として図書館側の努力がも っとつみ重ねられなければならない筈である。近代市民革命の歴史をみても、決して安易 な途によって、近代市民は出現したわけではない。我々はもっともっと歴史を学ぶ必要が ありはしないか。 さて、もし図書館の職場が貨幣論的な労働価値で割り切れないものありとすれば、その価 値は内在的な日常の仕事の中に求められねばならないだろう。知的な価値をうむ労働とは いかなるものかを、専門職は身を以て実践しなければならない筈である。価値創造的な知 的労働がいかなるものかを、勿論単純に定義できるものではない。然し少なくともそこに 視点を据えて、かからなければ始めから問題にならない。 事業計画も外からみれば活字のつまった紙切れにすぎない。然しこれが専門職の実践とい う錬金術師の手にかかるとき、必ずや時代にかかれる光芒を放つ筈である。それが図書館 の事業というものである。 (目次) はじめに Ⅰ 基本方針 Ⅱ 整備事業計画     施設 蔵書(資料) 職員組織     事務改善 広報 視聴覚 Ⅲ 各館別事業計画     おはなし会  小学生読書会     中学生読書会 地域講演会 Ⅳ 講座 講演会等全市的事業 Ⅴ 市民の自主的サークル活動     読書会 ブック・クラブ Ⅵ 貸出制度 Ⅶ その他(資料) 以上 (以下に、そのいくつかを紹介) Ⅱの整備事業計画 1. 施設整備計画(・・・より、以下、同様に、一部紹介) (1) 調布市立図書館の概要と特色   昭和41(1966)年4月、調布市立図書館中央館が調布駅前に設置され、6月に   開館してから、今までに9館の図書館が開館した。   調布市では、移動図書館車を巡回させる方式ではなく、はじめから、市内の全ての地域に図書館(分館)を設置する、いわゆる“分館網方式”をとった。 人口2万人に一つの図書館 半径800mの円周内に一つの図書館 二つの小学校区に一つの図書館 という三原則を充たすように計画し、市民の日常生活圏内に、“買物籠を下げて気軽に行ける図書館”を作るように計画し、その実現をすすめてきた。 更に、市民の自主的な学習団体を積極的に援助、育成し、図書資料による調査と研究を更に集会室での集団討議にかけるという社会機能を活用するように努めてきた。これは自己教育としての生涯学習の実践と、新しい社会におけるコミュニティ形成を目指すものである。 今年度に若葉分館が開館することによって、一段とサービス地域が広がり、全市の80%(面積比)を網羅できることになる。 残る分館未設置地区は、染地地区と佐須地区の2か所のみとなり、この地区にも間もなく分館が設置されて、極めて近い将来“分館網システム”が完成することになる。そして、これらの分館網を有機的に結ぶ機能を有する本格的中央館(本館)の建設が期待されるのである。 (以下、建設計画、2館の分館と新中央館の面積等) Ⅲ 各館別事業 1.基本的考え方 “いつでも、どこでも、だれでも、気軽に利用できる図書館”を実現するには、 イ、 市内全地域に図書館(分館)を設置する。 ロ、 職員体制をととのえ、資質をたかめる。 ハ、 市民のあらゆる年齢階層が参加できる、良いプログラムを用意する。 以上の三点、つまり施設、指導者、事業があいまってより良い計画が継続的に実施されなければならない。 (以下、略) Ⅳ 全市的な事業 市民の学習意欲を誘発し、具体的学習活動の機会を提供する。 1. 講演会 (1) 中央講演会 日頃、接する機会のない各界の専門家を調布市に招き、講演会形式の事業を開催する。 今年度は、時局問題、経済問題、文化評論を含めて、現代世相とその流れを市民と共に考えるため、複数の講師よって開催する。 講師・期日等は、時期を追ってきめていく。 (2) 地域講演会 各小、中P・T・A,自治会とうの要請を速やかにとらえ、共催の型式でおこない、地域の文か活動をもりあげていく。 2. 講座 ひとつのテーマについて、学習を深めていくため、講座を開催する。 (1) 児童文学講座 〇今年度は、「赤い鳥」時代から「第二の赤い鳥」時代といわれる現代の創作童話・民話などの、児童文学の流れを学習し、理解を深める。 講座を系統的に行い、人と作品について、児童図書研究会、子どもの本を読む会、児童文学研究会へと発展させていく。 講師  大川悦生 大石真 前川康男 永井萌二 松谷みよ子 の各氏を予定 対象 一般市民 (2) 著者を囲む読書会 現代の文学作品を、よりよく理解するために、すぐれた著者と著書に触れ、作品のねらいや人生観について話し合い、読書のよろこびをあじわう。 期日  年間6回随時開催 対象  読書会会員、一般市民 講師  丸谷才一 臼井吉見 半村良 井上光晴 金達寿 の各氏の予定 3. 研究会 職員の資質の向上をはかるとともに、広く関係者の参加を求め、市民と職員によって、質の高い事業を系統立ててすすめるため、各研究会をもつ。(会の詳細は、略。名称のみ以下に) (1) おはなし研究会 (2) 児童図書研究会 (3) 近代文学研究会 4.その他  (以下、名称のみ、内容は略) (1) 文学散歩同好会 (2) 名画鑑賞会 (3) 子ども映画界 (4) 地域映画界 各・小中学校PTAおよび福祉施設(二葉学園・調布学園等)の要請にもとずき、共催し、 地域や施設に奉仕する。 地域団体の要請により随時おこなう。 地域団体と共催する。 Ⅴ 市民の自主的なサークル活動 1. 基本的な考え方   【「基本的な考え方」を明示すること・・肝心要のこと‼】 市民のさまざまな文化的要求を受けとめ、育てるために、次の事項の整備をする。 (1) 市内のどこの地域でも参加できるように、読書活動を広める。 (2) さまざまな思考や趣向に合わせた多種多様な活動を用意する。 (3) サークル本来のすがたである自主的運営をめざして、世話人を中心にして事業を実施し、サークルの育成をかかる。 (4) サークルそうごの情報交換を密にし、相互研修の場とするため、連絡会を定期的に開催しる。 (5) 各サークルの学習活動をささえるために、指導者の派遣(あっせん・紹介)や、 資料の提供等をおこなう。 (6) 自主的学習の成果をひとつにまとめ、地域コミュニティの育成をはかる。 (注)各分館の事業が、人間のライフ・サイクルに併せてプログラムを用意するのに対し、ここでは地域的広がりと、内容の多様化をめざしている。 2. ブック・クラブとは  市民が、それぞれの学習活動の成果のうえにたって、主体的に組織づくりをすすめ、やがて“学習住民運動”の中核となるための具体的方法として、現在図書館を中心に学習活動をしている人びとの連帯組織づくりをすすめる。 (1) 会則   この会は、日ごろ、図書館をりようしている者、あるいは図書館を活動の拠点としたサークルに参加している者が、大きなひとつの輪をつくり、おたがいを友としてはげましあいながら、みずからを戒め、高め、新しい地域社会を造ろうとするものであります。 名称   1.この会は“調布ブッククラブ#といいます。 事務局  2.この会の事務局は、調布市立図書館中央館内に置きます。 会員   3・この会の主旨に賛成し、クラブの活動に参加できる人はだれでも会員として加入できます。      4.会費は年間500円(連絡費)です。         但し、サークルの運営費は別に定めます。 (略) (私の目を引いたのは、) (2) 図書館とブック・クラブの関係   これらのサークルが図書館を中心に活動することについて、いろいろな考えがある。それを大別すると、   「図書館は、住民に対する資料の提供にとどまるべきである。」   (静止的機能)というものと、   「住民の図書館利用を積極的に援助し、各種の自主的教育活動を組織することによって、住民の組織づくりに協力すべきである。」(動態的機能)という意見の二つがある。 調布市立図書館は、後者の考え方のうえに立って組織づくりをすすめている。 この提案は、図書館の後援会などという考え方とはまったく次元の異なる、生活の上に立った新しい構想である。 市民が自からを取り戻す市民運動とは何を意味するのか、私たちの生活にとってどんな意味をもたらすのか、このことを市民が皆んなで考え合うときがきている。 その具体的な行動のひとつとして、図書館(行政)と平等な関係の市民組織をつくることによって、幅広い文化活動を市民自からが主体的におこない、言葉だけでなく、市民と図書館が一体となった図書館活動(自己教育)を推進することができる。 3. 読書会  当館が感慨事業の中で最も力をそそいでいるものは、地域読書会の育成であり、地域読書会に対する協力である。読書会じゃ、図書を課題として相互に話し合うことにより、自己の意見を確立し、人を理解していくことに目的がある。 調布市における読書会活動の現況は活発であり、成人の地域読書会は20団体以上ある。各サークルあたりおおむね10人~30人の参加者で、月1回ないし2回活動している。 4. 創作グループ  図書館を中心に、さまざまなサークルが誕生し、活動を継続している。なかでも、俳句短歌、詩、等の創作グループは、その数も多く歴史も永いことが大きな特色である。 図書館は情報の提供にとどまることなく、これらの自主的サークル活動に積極的に協力していく。これは地域文化の創造に対する図書館の実践的試みである。 ・ 句会(8)、短歌の会(4)、詩の会、SFを語る会、小説、随筆、詩などを創作し、同人誌で発表する会、絵画教室、野鳥、野草の会 【4】『調布市立図書館50年の歩み』平成30(2018)年3月刊行。 『調布市立図書館の歩み20年の歩み』を1987(昭和62)年に刊行し、以後5年ごとに、25、30、35、40,45、50年の歩み、とこれまで7冊を刊行しています。  手元に25年、30年、そして『50年の歩み』(平成30・2018;407頁)がありますが、400頁をこえる資料の厚みにではなく、実に豊かな内容に驚きます。 図書館の仕事とは何であるか、(全域サービス網、児童サービス、ハンディキャップサービスとは何か・・・)を一つひとつの膨大な実践の記録で生き生きと示しています。ぜひ手にしてほしい1冊です。それぞれ関心のあるテーマの章を読み合って、語りあうのものもいいと思います。図書館でリクエストを。 『50年の歩み』では、目次の前に、市長、教育長、図書館長、図書館協議会委員長、元図書館長の、5人が開館50周年によせての言葉があります。調布市立図書館の図書館網の基礎となった第1号の分館国領分館が誕生した時の、荻原祥三館長の言葉を、元館長の座間直壮(なおよし)氏が伝えています。 「我々は(中略)出発点において、ひどいハンディキャップを負わされて歩み始めなければならなかった、今だにこの初期の後遺症に苦しみつづけている。然し日本の図書館はどこでも乏しい予算と人員に悩まされつづけている。この劣悪な条件にもかかわらず、 我々は怯むことなく現状打開に努力しつづけなければ、図書館の未来の展望はひらけてこない。我々の実践活動は特別なことではなかった。中小レポートが願いを込めて示してくれた途をひとつひとつたどりつづけただけであった。今日では、貸出しも、次第に 建設されていった分館網によって延びてきたし、初期条件の中から作られたグループ活動は更に大きく発展した、多面的な活動を展開している。まだやらねばならぬこと、やりたいことは山積しているが、極めて限られた人員の許では思うに任せない。図書館活動は考えるよりも先に実行することが大切である。その実行した結果が、次の手段を教えてくれる。このことも私が中小レポートに学んだことである。」 (『図書館雑誌』1978年7月号 日本図書館協会) 分館建設 道半ばの時点で 初代館長 萩原祥三氏のことば 調布市では分館の8館目までを7年間でつくりあげています。8館目の若葉分館の開館に あたっての初代館長荻原祥三氏の言葉を、同じく元館長の座間氏が紹介しています。 (『調布市立図書館報』第48号)〔1975年4月、若葉分館児童室のみ開館、7月全面開館〕 「若葉分館が近く開館の運びとなった。感無量なものを憶える。調布市に図書館がはじめて出現した昭和41年(1966年)当時、おそらく今日の調布市の図書館の姿を想像し 得たものはないであろう。図書館網の整備においても、その活動の内容においても、図書館職員の情熱においても、我々は自負してよい地点を確立しえた。だれが今日の現状をつくりだしたのか。一口に言えば、時代の流れであり、歴史が主人公であろう。この歴史を築いたものの中に、勿論市長の行政官としての英断、市議会の進歩的な理解、図書館職員の努力も含まれる。と同時に歴史を造りあげようとする市民の意欲と行動を挙げなければならない。この力と流れは、市民の日常生活の中に融けて流れ込んでいるから、決して目に見える形では現れない。然しこの胎動を見つけることができなければ、民衆運動にかかわりをもち、民衆の中に形成される文化創造の芽をのばすことは不可能である。(略) 財政貧困の調布市において、我国の図書館界の後進性に挑戦し、その低い活動の常識を破り、(中略)到達点に達し得られたのは、蓋し、唯一つ、我々が、市民の為に奉仕し、文化百年の計を考え、市民のための、市民による、市民図書館像をもっていたから、成し得たことであろう。(略) 然し乍ら、我々の到達点は、実は欧米の進んだ図書館に比較する時、また、図書館のあるべき姿に照らす時、まだ、ほんの出発点にたったにすぎないのである。図書館として為さねばならぬ本格的な仕事には、何一つ満足に手をつけていないのである。幸い市民の深い理解、議会の温かい支持、市民の大きな期待と参加、加うるに未来に富んだ 熱心な職員を擁する調布図書館の未来は、困難な地方財政や様々な矛盾を超えて、未来が約束されていると信ずる。」 座間氏は、「むすびに」の中で、この50周年記念誌の原稿依頼を受けた時、座間氏としては初代館長の萩原祥三氏に執筆を依頼できればと考えたと記しています。初代館長は座間氏を含む職員の先頭に立って、今日の調布市立図書館の基礎を作り上げ、多くの歴史をつくり、現在もその思想と活動は脈々と引き継がれているからであると。 しかし、現在93歳という高齢のため、そのことはかなわず、座間氏が引き受けることにしたと。このため、調布市立図書館の創設期に絞って、その時々に萩原氏が自身の想いを書き残してきた多様な「ことば」を紹介しながら、座間氏の想いを綴ることにしたと。 そして、更に次のように記しています。 「萩原氏の「ことば」は、当時を知る貴重な記録であると同時に、現在の図書館を考えるうえで決して陳腐なものではなく、将来に向かって通用するものである。 50周年の節目を迎えた今、過去の記録を再度読み返し、現在の図書館の仕事や役割について考え、あらゆる場面で「図書館は何を為すべきか」を自らに問うことが図書館員(司書) の専門性ではなかろうか。改めて思う。」と。 ここには、先に紹介した3『昭和50年度 事業計画書』の中の「事業計画書作成の意義」で、萩原氏が記している「何故我々は文書によって我々の活動を明記するのか。」 それは、「自らの仕事を計画化し、新しい分野を確立し、それらの内容を具体化するために 文書化するという手続きをとる」のであると昭和50年、1975年に記された考え方が見事に継承されているのを見ることができるように思います。 〔座間氏の文章の末尾に、編者によると思われる、「萩原祥三氏は平成29年5月に逝去されました。」〕 「萩原祥三氏とはどんな人か」、その人と、行動の仕方がうかがわれるエピソードを『50年の歩み』の「コラム」から紹介したいと思います。 「調布市図書館の歩み」の章の「2.動き始めた分館網計画」のなかに3つ、掲載されているコラムのひとつ。 【コラム】 萩原館長の試み~「落書帖」に書かれた言葉~ 旧中央図書館が開館した当時は、「本を借りるところ」というよりは「学生の勉強部屋」というイメージが強く、2階の学生閲覧室はいつも満員の状態でした。本ではなく、場所しか利用しない学生への対策を検討した結果、“若者の主張の場”を提供することになり、昭和43年12月14日、2階ホールに「落書帖」という大判のノートを置きました。 「現在を見つめ、それを超えるもの このノートの扉に吐きたいものを書きなぐれ!  ペンでよし 鉛筆でよし マジックインクでよし それは諸君の武器でもある。  いや、人間は書くということを通じて、自己を表現し、 自己を変革してきた。  その書くという行為が、諸君の人間形成の基底に存在する。  どんなことを書いてもよい。ただし、自己を低める品格のない言葉は慎め。  人の悪口とか、図書館の悪口とかそんなものからは、互いに得るものはない。  自己を凝視しつづけ、自己のうちに、たまってくる、何ものかを吐き出せ。そこに諸君がある。そういうことに役立つのであれば、この一片のノートには、多くの学ぶべき言葉が積み重ねられてゆくだろう。  それは、われわれと諸君との貴重な共有財産となり、記念碑となってゆく。(原文ママ)    【当時の落書帖と、萩原氏の直筆の文字の写真を掲載】  ノートにはさまざまなことが綴られました。文字通りただの“落書き”もありますが、中には「三億円事件」に関する考察、学生運動に対する批判、東西冷戦についての意見など時代をかんじさせるものや、偉人の名言・格言や哲学的問い、青春とは、恋愛とは、・・・といった悩みまで、若者らしい生き生きとした言葉が溢れています。  落書帖を置いた2日後の業務日誌には、ある職員がこんなことを書いています。 「“落書帖”の記事より、現代の学生の考え方、学生像への我々の理解度、把握の点について話し合う。  図書館としての難しさを感ずる。時代の流れを把握し、時代を先見する眼をやしなうことの必要、館長の言われた“自由”についての勉強を感じた。  エーリッヒ・フロムの“自由からの逃走”をもう一度読んでみようと思う。」(原文ママ)  置いたきっかけは学生対策でしたが、利用者を知ることで、職員の奮起につながったようです。                                     (以上)   添付資料〈Ⅲ〉『大沢家庭文庫 50年記念誌』 ・発行日 2020年12月  ・代表者 栗山規子     〒181-0015 三鷹市大沢5-13-6 / 0422-31-5768 ・編集 栗山規子 牛久保ゆう子、大久保あや子、栗山比弓、山本紀子、倉田清子     (以下、「記念誌という」) この「記念誌」をここに紹介するのは 1. このたびのインタビューでは、まったく触れていない、しかし大切なテーマ、内容を示してくださるものであるため。 2.1960年代末に始まった住民による図書館づくり運動は「70年代を通じて全国的に  野火のように広がった」とされていますが、「その運動をすすめた主な担い手は「子どもと本の豊かな出会いを願う文庫の母親たちでした。」『大沢家庭文庫』は、まさにその運動がどのようなものであったかを生き生きと伝えてくれます。「基準」との関りでは、「仙台市にもっと図書館をつくる会」の『21世紀に向けた図書館構想』など、各地で図書館構想や図書館計画が運動の中で住民によって作られています。その中には「基準」という観点からも、参考になるものが多くあると考えられますが、これについては、「福岡の図書館を考える会」の事例を簡単に述べただけで、まったく触れていないことを、「記念誌」から、改めて知らされた次第であること。 3.「記念誌」を読むと、「文庫」とは、どんなものかが鮮やかに伝わってきます。そこに集う子どもも大人も、文庫での時間が一人ひとりの生活の一部になって、本と人、人と人との出会い、ふれ合いから生まれる「ぬくもり」「あたたかさ」(「手のひらのぬくもり、あたたかさ」)が、深い元気をみんなに手渡しています。 これから市民のだれもが行けるところに、市民の身近に、その地域の分館のあり方を考えていこうとするとき、『大沢家庭文庫 50年記念誌』は、「こんなところが近くにあれば」という分館の具体的なイメージを読者に強く深く喚起する一冊であると考えます。 4. このため、大沢家庭文庫の歩みと活動の実際をできるだけ詳しくお伝えしたいと考え、引用を含めて長い紹介となってしまいました。 大沢家庭文庫のはじまり   東京都の三多摩、三鷹市の南西端、野川沿いの緑多きところに、大沢家庭文庫がある。「春は色とりどりの花が、秋は野鳥や甘い柿の実が目も心も、時にはお腹も楽しませてくれます。」 栗山規子さんが、大沢家庭文庫を始めたのは1968年12月のことでした。近隣の日野市立図書館が開館(1965年)して3年後、隣の市の調布市立図書館が開館(1966年)して2年後のことでした。 アメリカとの戦争が終わって20年くらいの頃、栗山さんは大学を出て、小学校の教師になりました。「日本はすっかり焼け出され、子どもの本もようやく福音館の「こどものとも」や岩波の本が少しずつ出はじめた頃でした。」栗山さんは「少ない給料の中から本を買っては学校の本棚に並べていました。」「授業中に子どもたちによく読み聞かせをしていました。」「どんな本が子どもたちにとって楽しいのかを知ることもでき」ました。 結婚して長男が1963年に生れ、2年後に三鷹市大沢に家を建て、学校には遠いため行かれず、やめなければなりませんでした。1966年には長女が生まれ、自宅には「子どもの友だちが来て本を読むととても喜ばれました。」 「地域活動に積極的に関わっていた父の影響もありました。父は集会所に本を集め子ども達に読ませたいと提案し、自分でも子どもの本を買って寄贈していました。」その頃学生であった栗山さんは、「本を並べるだけではだめなのだ。手渡す人が大切なのだということを知ります。」 「母がとっていた『婦人の友』の1965年ころの記事の中に、坪田譲二氏の司会で文庫をしていらっしゃる方々の座談会を読み、文庫をやってみたいと思いました。準備も勉強もせずに、家の子どもの絵本を読んだり貸したりしていた延長として、自然発生的に始めてしまいました。」 「こどもといっしょになってひとつの絵本に読みひたる楽しみを味わっていくうちに、この子どもたちがもっと良い本を広く読んでいくようになってほしい・・・わが家の本を貸し出していこうかと考えるようになりました。そして1968年12月栗山宅の手持ちの本に市立図書館から団体貸し出しを受けて、文庫をはじめました。りんご箱に包み紙をはって本箱とし、四帖半の子ども部屋に並べての開始でした。」(「大沢家庭文庫25年のあゆみ」) こうして一つの家庭で始められた文庫がなぜ、どのように50年をこえて活動を続けてきたのだろう。 記念誌のページを開き「児童図書研究会東京支部ニュース」への寄稿(2000~2001)の「こどもと文庫」の栗山さんの文章や、「文庫のあゆみ」を記した『壁新聞』(1968年~1993年、子どもたちの手書きの絵が満載)、そして文庫連絡会『輪を広げる文庫活動』への1994年度から2018年度までの15年間、毎年1年間の文庫のようすを生き生きと知らせる活動の報告、さらには「卒業生からのメッセージと思い出のひとコマ」「50周年記念のお祝いの様子」(『大人たちの会』&『子どもたちの日』)、そしてさいごに目をみはる「文庫のみんながよんだ絵本・語ったおはなしなどの記録」(羽沢小学校の「おはなし会」より 2004~2018年度の文庫「記録ノート」より)をゆっくりみていくと、50年を超えた活動を支えたものがくっきりと姿を現してきます。  子どものときに、家の近くにこんな文庫があったら、 こんな居場所があったらどんなにいいだろう‼ こどもにとってはもちろん、大人にとっても。 文庫のある1日をのぞいてみると 「1995年度のあゆみ」より、この時の世話人の1人、福島頼子さんの報告。 「今文庫に来ている子は、幼稚園児から小学校3年生までが多く、本の貸出しや読み聞かせ、おはなし会などをしています。高学年になっても来てほしいという思いから、ながーいおはなしの日も始めました。でも、いつもイイコで聞いているばかりではありません。 けんかや取りっこも起こります。そんな中で「子どもの力」を感じることがあります。 ある日、迷路の本を園児二人と小学生二人、それに私の五人が借りたいということになりました。そこで車座になり順番を決めることにしました。「ジャンケン」「小さい順」「もうう読んだ人は最後」と、子どもたちから案がでました。その都度、「それでいい?」と聞くと、「ずるい!」「・・・?」など、なかなか全員が納得する方法が見つかりません。皆借りたいのです。一度は抱え込んで部屋を出ていった子が戻って来て、また話し合う内、「借りたい人!といった時に、一番早く手を挙げた人に貸す」というのに五人が賛成しました。そこで、そばにいた子に審判を頼んで、私が借りることになりました。(こういう事になると、張り切ってしまって。) ところが、年少のEちゃんが泣き出してしまいました。他の子が「もう決まったのだから」と言っても泣きやまず、「あたし帰る!」と言いだしました。私も一瞬どうしようかと思ったのですが、世話人の一人が、「じゃあ気を付けてね、さよなら。」と、すっきり言ってくれました。Eちゃんは、「文庫なんかもう来ない」と出ていくので、「また来てね、さよなら」と、私も言いました。Eちゃんは門の外でウロウロしていました。栗山さんが、「泣きながら帰ると危ないね」と話していると、子ども達は外へ飛び出して行き、「おばちゃん、その本を貸してあげて」と、戻ってきました。本を渡すとまた飛び出していき、部屋にいた子もみんな外へ。しばらくして、Eちゃんは本を抱えて戻って来て、「この本、貸して」と言ったので、一番手はEちゃんになりました。 「こうしたら?」と世話人達は何も言わなかったけれど、子ども達で解決していく力と、ほっておけない優しさを感じました。そして大人は見守っていくだけだなぁと。」 心にとびこんでくるエピソードがどのページからも (世話人の声に耳をすますと) 「金曜日の3時から5時・・・・・・・ “文庫”という空間に流れるこの2時間は子どもたちの心の中に、記憶の中に、どのように積み重なっているのでしょう・・・。おはなしを聞くときのワクワク感や絵本の頁をめくるときのドキドキ感は、本当に、ちいさな、ちいさな思いなのに、大人になってもしっかり覚えていたりするものです。そして、“文庫”は子どもたち一人一人が、自分のペースで本と友達になることができる不思議な力を持っているように思います。 昨年の12月20日、文庫では、少し早めのクリスマス会が開かれました。司会を担当した私は、子どもたちの斜め前に座って、絵本の読み聞かせやおはなし、人形劇などの出しものを見聞きしながら、ときどき、視線を子どもたちに向けることができました。そのおかげで、新米の“文庫のおばちゃん”である私は、やわらかな冬の陽射しにやさしく包まれた子どもたちが、だんだんと、おはなしの世界に引き込まれていくときのなんとも素敵なキラキラとした瞳に出会うことができ、逆に吸い込まれそうになって、圧倒されながらも、とても幸せな気持ちになれたのです。 そんなことを年明けの世話人会で話したとき、「そうなのよ・・・だから、やめられないのよ」と、口をそろえておっしゃられた語り手の方たちのその瞳もまた、キラキラと輝いていて、文庫の魅力の奥深さを改めて感じさせられました。 1週間のうちの“2時間”が、これからも子どもたちにとって、楽しいひとときであることを願いつつ、一人でも多くの子どもたちのあの“瞳”に出会えたらいいなと思います。   (「1996年度のあゆみ」より   山村知子さんお報告) どの報告にも、目が留まることしばし  少しだけの紹介です!(抜粋です)   (「1997年度のあゆみ」から 長谷川直子さんの報告) 《文庫は大繁盛》 遠路はるばる府中から通ってくる親子組も増え、栗山さん宅のリビングも隙間がなくなるほどにぎやかな文庫になる時もしばしば。子どもの顔と名前がなかなか覚えられない程です。 ① ・・近くに図書館もあるけれど、文庫へ行って本を借りよう・・・ ② ・・だれか人がいるから、文庫に行こう・・・ ③ ・・今日は、おはなしの日だから文庫へ行こう・・・ 子どもにとって、文庫に通う意味は様々だが、生活の一部になっているのでしょうね。(略) 親子4人で、文庫に通い始めて4年。私達家族にとっても、文庫は生活の一部になっています。本やおはなしとの出会い、色々な人との出会い、どれも貴重なものです。子どもたちも大きくなって来ると、いつまでいっしょに通えるか分かりませんが、・・・文庫のホッとする空間と、時間をなるべく長く、いっしょに持ちたいと思っています。 「2003年度のあゆみ」〈抜粋・・・栗山さんの報告〉 4月 大沢家庭文庫の活動に文部科学大臣賞受賞の方。  4月23日「子ども読書の日」に「子どもの読書活動優秀実戦団体表彰」 受賞に当り、栗山さんの言葉。 「長い間充実した活動を続けてこられたのは、こどもたちにエネルギーをもらい、周囲のみなさんや家族に支えられてきたおかげ。これからも文庫を通して、子どもたちの心に本への信頼と人への信頼を育て、ほんやおはなしの楽しい世界をわかちあっていけたらいいと思います。」 三鷹市の広報でも「大沢家庭文庫」35年間の活動に文部科学大臣賞として、紹介の記事。 「本のほかにもおはなしや工作・実験、野川での野鳥観察、闇鍋パーティーもある「大沢家庭文庫」は近所の子どもたちの大好きな場所となり、それから35年、毎週文庫の日になると子どもが集まり続けました。この間、世話人の「おばちゃん」として協力したお母さん方や地域の人は90人。中には学生のときに世話人をして後に図書館学を学び、現在ニュヨークで児童図書館員として活躍する方や、子ども時代に文庫に通い、母となり世話人の仲間に入った方、子育てを終え、今度はお孫さんを文庫に連れて再び世話人をしている方もいます。・・・」  (2003年5月18日号) 5月 突然の夫の入院手術。掃除だけして病院へ飛び出す私の後を、世話人さんたちがしっかり子どもたちとむきあってくれ、新入会者も多い月でした。 11月 最終日は庭で火を焚き、恒例の魔女鍋。50人余りの親子がおはなし会の後、魔女の    髪の毛や、目玉や脳みその入った熱々のスープで心もおなかもほかほかに。 年があけてⅠ月~3月 夫の病状が悪化。自宅で最期まで看取る決意をし、夫の「文庫は続けなさい」との言葉に励まされて、告別式の翌日休庫しただけで、3月19日の「卒業生を祝う会」までやり通すことができました。激動の一年でしたが、子どもたちの笑顔と文庫世話人の皆さんの後ろ盾があったからこそ、この一年を歩めたと感謝で胸を熱くしています。 三鷹市の広報で紹介されたニューヨークで児童図書館として活躍する人については「2004年度のあゆみ」で世話人の吉田知雅子さんが紹介。 「大沢家庭文庫(文庫のよさは手作りの味) 「36年前に栗山さんが大沢の地に文庫を開いて以来、たくさんの人が世話人として文庫のお手伝いをしてきました。文庫に来る子どもたちの平均年齢は年々低くなっていくのに、世話人たちの平均年齢は容赦なく高くなっていきます。今では、世話人ではなく「魔女たち」と呼ばれているとかいないとか。そんな歴代の世話人達の中に、現在、アメリカの公立図書館で司書をされている大橋暢子さんがいます。彼女はアメリカに渡ってずいぶんたちますが、日本に里帰りするたびに大沢家庭文庫に立ち寄ってくださいます。その彼女が「としょかん100号」に寄稿された文章の中で大沢家庭文庫にふれています。図書館員としての彼女の思いが伝わるとても素敵なものでしたので、その一部をここに紹介させていただきます。」 「公共図書館の児童図書館員としてもっとも基本は何かと思い返すと、それは子どもが本を読む喜びを見出す手伝いをすることです。私の場合、いつも心のよりどころになるのは、 大学生の時にお世話になった東京の三鷹市の栗山さんとお仲間の方々が今も続けていらっしゃる「大沢家庭文庫」です。地域に図書館施設の完備されていないところから生まれた家庭文庫運動かもしれませんが、テクノロジーが発達してちょっと「非人間的」になってきているところのある公共図書館の時代にも、図書館とは違った味、手作りがあります。子ども一人ひとりが物語や本を通して得るものはインフォメーションばかりではありません。昔ながらのストーリーテリングや読み聞かせを大切にしながら、テクノロジーを上手に使っていけるようになりたいものです。 (文:大橋暢子さん 「としょかん」100号より抜粋:【『ニューヨークスタテン島便り』大橋暢子、図書館施設研究所1996;初出季刊〈としょかん〉1993年2月~1996年5月】 時間を少しさかのぼると 小さな声をあげる発見が   「1994年度のあゆみ より」 栗山規子さんの報告 【古八幡での文庫】 家庭文庫には家庭の事情がつきものです。昨年我家を建て替えることになり、約9か月間古八幡の集会所を借りて文庫を開きました。一番近いアパートに移り住み、文庫の度に皆で本や事務用品を運びました。村外れの寄合所風の平屋で、空き地では子ども達がサッカーに歓声をあげ、しゃぼん玉大会や、折り染め遊びものびのびとできました。チマチマと本を読むだけでなく、異年齢集団でドーッと遊べてとてもよかったというのが世話人達の思いでした。それに中と外とに目配りが必要で、若い方も巻き込んでいつの間にか、文庫の協力者がふえていきました。ただ、子どもたちの関心が本から離れたように思えましたが、新鮮な目で本を見直しているように感じられるのです。 又、本を半年以上もしまいこんでおくのも惜しいので、24世帯のお宅に預かっていただき 各々のご家庭で利用したり、ミニ文庫をして頂いたのも思いがけないプラスでした。私にとっては、この一大事業をどう乗り切るか頭の痛いことでしたが、すんでみると多くの方の知恵と力を感じ、これこそ「文庫の力」なのだと感激で胸が熱くなるのでした。 《目を瞠った、小さな報告》 【堀田美代子さんのこと】 「この変則的な時期に、元図書館情報大学副学長竹内先生のご紹介で、掘田さんが毎週文庫に来られました。彼女は日系3世のアメリカ人で、文庫をテーマに博士論文を書こうという方です。児童図書館員としての経験も長い方で、本場の英語で絵本を読んで下さり、大人も子どもも美しいリズムに酔いしれました。紙芝居や自作のパネルシアターもして下さり、控えめながら折にふれて見えるプロの姿勢に、世話人達は学ぶところ大でした。秋には講演をお願いして、ご自身の読書歴やアメリカと日本の図書館の違いを語っていただき、深い印象を残されました。 【卒業生を送るおはなし会と茶和会】 「今年の六年生たちは随分大勢でよく文庫に来た子達です。四年五年とお泊り会を計画しやりとげる力もあり、彼らの卒業を祝いたいおばちゃん達は、3月のおはなし会への招待状を出しました。当日国分寺に引っ越したJ君も含めて17名が集まり、小さい子達と共にお話を楽しみ、世話人達手作りのおやつを囲んで思い出話に花が咲きました。お泊り会でのきもだめし、本の楽しさを知った思い出の一冊等 話がつきませんでした。 人と人とのふれ合いのぬくもりに支えられ励まされ、この一年も過ぎていきました。」 そうして、“図書館”との出会い   ―文庫とは何か、図書館とは何かを考え続けて― 【大沢コミュニティセンター建設をきっかけに】   1999年9月16日三鷹市文庫連絡会講習会での講演記録より 「1973年大沢に三鷹市第1号のコミュニティセンターができることになり、どんな施設を望むか住民が考える研究会が、行政主導で組織されました。図書館ができると聞いた私は、素晴らしい図書館を夢見て、図書分科会に加わりました。三番目の子どもがまだ1才でしたのに、なぜか会のまとめ役となり当時三多摩に次々と建設された新しい理念に基づいた図書館を見学してまわり、話し合っては記録をまとめ、市との交渉にあたりました。そこで文庫5年目にして改めて文庫とは何か、図書館とは何かを考えるきっかけを与えられました。  当時住民自治を目指して、住民協議会が施設の管理運営をするという方式は、日本中の脚光をあびましたが、図書館とは何かを学べば学ほど、専門性が必要な図書館は、住民自治で住民がやるものではないと解りました。 当時の館長さんは大変良く解った方で力になっていただきましたが、コミュニティ対策担当の方々に解っていただくには、私の言葉も力も足りませんでした。  1974年いよいよオープンの頃、コミュニティ対策本部室長に呼ばれ、文庫として図書室に入って欲しいといわれましたが、図書館分館にしたい思いは断ち難く、お断りしました。 けれども住民としてできる範囲で協力したいと思い、日野市の図書館長〔注:前川恒雄さんですね〕に聞いた図書館友の会をまねて、図書室友の会と銘打って大沢地域のお仲間と一緒にさまざまな活動をしました。  この年三鷹の文庫活動をする人たちで文庫連を発足したときも、私の心の底にはようやく図書館とは何かを解り合える場ができるという思いがありました。」 【図書館をめぐる人たちとの出会い】 1972年三鷹図書館主催の講座で、文庫の話をしてくださった日本親子読書センター代表の斎藤尚吾先生と出会い、早速高尾山で開かれた親子読書研究集会に出向き、その後何年間も図書館問題の分科会で、図書館界のリーダー格の先生方や、館長さん達と膝を合わせて意見を交換する幸いを得ました。そこで日本の図書館界を新しい方向へリードする方達が、名もない文庫のおばさん達を対等に扱ってくださる謙虚さに感動しました。また、戦後の民主主義の成果でしょうか、各地で図書館運動に情熱を注ぐ文庫のおばさんと呼ばれる人達の底力にも圧倒されました。その後、文庫連の図書館の勉強会に、図書館界の色々な方々をお招きして、図書館とは何かを学ぶことができました。 図書館とは、さまざまな情報、知識、文化を誰もが平等に得ることができる場であり、その図書館があってこそ、民主主義も、地方自治も育ち、根付くと私は思います。本を読むことは、自分の頭で考えることであり、判断力を持つことで、それは民主主義の土台です。 本を読まない社会、読めない社会にしてはいけないと思うのです。 【文庫連の図書館運動】 1975年清水正三先生の「明日の図書館を考える」という講演をお願いしました。文庫連としては、新しい図書館のイメージを(三鷹市の)行政トップの方々や議員さん、行政委員さん達に聞いてもらいたいと、あちこちに案内を出しました。その時きてくださった社会教育委員会の委員長から「図書館五か年計画を考えているところだから意見を出すように」言われました。私はそれまで繰り返し読んでいた石井敦・前川恒雄著『図書館の発見』をヒントに三鷹図書館の将来像を急いでまとめ、文庫連の皆で話し合って、長文の要望書を提出しました。  このことを皮切りに「文庫への市費助成の請願運動」をはじめ、「学校図書館に人を」の運動に至るまで、文庫連は声をあげ続けてきました。 ―どんな文庫にしたいのか― こうして外での活動は広がるばかりで子育ては勿論、文庫も手抜きだらけでした。まず子どもの本を読む時間がありません。本の情報は、もっぱら我が子と文庫の子に頼っていました。とにかく文庫の時間に息せききって帰ってきてそこにいるだけでした。けれども、文庫は分かち合う関係でありたいお願いました。  大人も子どもも世話人仲間も、教える側、教えられる側という関係をつくらない。先生はいらないと思っています。もちろん、先生と呼ばれる文庫もあっていいのです。私は「おばちゃん」と呼ばれたいと思うだけです。〔注:「メダカの学校;だーれが生徒か、先生か・・・」〕  文庫には宗教と政治を持ちこまないというのも鉄則としてきました。  文庫は私の道楽だから夫の稼ぎでなく、せめて姿勢だけでも私の稼ぎでやりたいと思ってずっとアルバイトを続けていました。  始めた当初は、文庫の事務的なことは私がやって、他の世話人さん達には楽しんでもらおうと思い決めていたのですが、最近体力的にその通りにできなくなってきました。世話人さん達に助けられてかろうじて続けています。今までに80人あまりの世話人の方達がかかわってくださいました。なかには子どもの時文庫に通い二児の母となった今、大活躍の方もいます。ICUの学生だった時に来てくれるようになり、就職しても毎週文庫に通い続けこどもたちに慕われ、その後司書資格を取りアメリカ大学院へ留学し、今ニューヨー ク図書館のスタテン島分館で働いている方もいます。大勢の方達に支えられてきた幸せを思います。(略・おはなし会について)                 (以上) 添付資料Ⅳ 「図書館サービスの望ましい指標と豊田市図書館の比較」 添付資料Ⅴ 「 基本的な指標の確認から、2017(平成29)年度でみると(豊田市と町田市)」 (「資料Ⅳ」の解説) ※ 参照;(資料2)『図書館サ-ビスの望ましい指標と豊田市図書館の比較』2017年度 ※『比較表』は、1「人口」から25「中学校区設置率」まで、25の指標で作成しています。 1の「人口」と(統計数値が不明な14「新聞年間購入種数」の2つの指標を除いた23の 指標のうち、豊田市が「望ましい指標(基準値)」をこえているのが10。(そのうちの1つは、「委託・派遣職員数」235%、「専任職員」0) 1.人口  (豊田市42万4千人):(町田市42万9千人)でほぼ同規模。 2.図書館数(豊田市1館と32のサ-ビスポイント):(町田市8館、自動車図書館3台、2つのサ-ビスポイントで、図書館数や自動車図書館で大きな違いがみられます。 3.職員  (豊田市、委託職員84):(町田市;専任職員58〈うち司書25〉;非常勤・臨時127)と図書館数と職員体制で、格段の違いがあります。 4.貸出点数(豊田市315万3千点、うち32のサービスポイントは171万5千点で、全体の54%の貸出):(町田市378万千点)で62万7千点、町田市が上回っています。 5.貸出密度(市民一人当たり貸出点数)は(豊田市7.4で、「望ましい指標8.9」に対する到達度は88%):(町田市8.8;到達度99%)で、貸出では町田市が豊田市の113%の指数となっています。 6.予約件数(豊田市21万8,700;到達度29%):(町田市63万4,000;到達度84%) 町田市は豊田市の2.8倍の件数で41万5,300上回っており格差が際立っています。 7.図書館費 (豊田市の5億5,571万9千円;到達度91):(町田市の7億5,200万6千円;到達度124、町田市の図書館費には職員の人件費は含まれていませんので、これを含めると到達度は、更に高くなります。町田市の人件費を含めていない図書館費でも、豊田市の1.35倍の図書館費です。 8.資料費(予算額)では、(豊田市9,083万円;うち32のサービスポイント3,264 万円で資料費全体の36%;到達度123%):(町田市4,581万6千円;到達度62%)と豊田市が4,456万4千円、上回る予算額、到達度は、町田市の2倍。 9.市民一人当たり資料費は、(豊田市214.2円で、「望ましい指標188.2円」の到達度114%):(町田市106.8円、到達度57%)と町田市の1,9倍。 10.中学校区設置率(豊田市4%、図書館1、中学校28):(町田市40%、図8、中学校20) ※全体的にいえば、豊田市は資料費、年間購入冊数は多いが、利用度が低い。 ・2017年度の豊田市の比較表を見る時には、1「施設」(No.1~4),2「職員」(No.5~9), 3「資料」(No.10~14)、4「利用者」(『比較表』のNo.15~17)、の図書館を構成する4つの要素と、これらの活動を支える税金による経費、5「図書館費」(予算No.19~24 )という5つの要素に分けてみていただきたい。 添付資料Ⅵ 「都道府県別 設置率・中学校区設置率・貸出密度・登録率 添付資料Ⅶ 「伊万里市民図書館の望ましい基準値(目標値)との比較」 添付資料Ⅷ―(1)  「いとしま としょかんしんぶん」(糸島の図書館を考える市民の会) 1頁 Ⅷ―(2) Ⅷ―(3) Ⅷ―(4) 添付資料 Ⅸ―(1)                               2018年6月4日         糸島市立図書館のこれからについての提言 糸島市長 月形 祐二 様                                    糸島市の図書館を考える市民の会                                  松浦 里絵                                  梅川 萬智子                                  才津原 哲弘  1. 市内のどこに住んでいても、だれでも利用できる全域サービス計画の策定を。 ご回答では貸出密度(人口当たり貸出点数)の低い校区があることから、「まずは目標値である5.6冊を全ての校区でクリアすることが重要と考えており、今後とも子ども読書活動の充実や読書週間の定着に力を注いでいきたい。」とのことでした。「全ての校区で5.6冊をクリアすること」は、ほんとうにとりわけ重要なことだと考えます。  5.6冊をいつの時点でクリアするのか、目標達成年次を明示した取り組みが必須であると考えます。  児童へのサービス充実の取り組みは、言うまでもなく大切なことですが、貸出密度が、とりわけ低い主たる要因は、図書館が住民の生活圏から遠いことにあります。その最大の要因に焦点を当てた取り組みをしないと目指す効果は期待できないのではないでしょうか。子どもたちに読書をすすめようとしても、身近で借りることができなければ読むこともできません。  市会議員20名中、12名から回答をいただき、その内7名が、「政策的対応(実態を把握し計画をたてての対応)が必要」との回答でした。「どこに住んでいても」「だれでも」利用できるあり方は、図書館サービスの肝心要の大切なサービスであると考えますが、それを実現していくためには真剣な、力と知恵をつくしての取り組みが求められます。その第一歩が目標達成年次を市民の前に明らかにする取り組みだと考えます。また、計画策定に当たっては市民の声を聞く場を持っていただきたいと考えます。 2. 図書館サービスや図書館の運営に関する指標と目標を「目標基準例」を参考に、もっと積極的に取り入れること。「数値目標」については達成年次を明示して計画的に取り組むこと。    ご回答では、「現行のままでよい。「蔵書冊数」「貸出冊数」 図書館サービスの充実   を図っていく上では、現行の「蔵書冊数」「貸出冊数」「満足度」の推移の見極めが重要と考えている」でした。図書館の利用者にとって、資料(図書、雑誌、視聴覚資料)の最大の魅力である資料の新鮮度や多様さに係る、「図書年間購入点数」「雑誌購入タイトル数」「資料費」等は、とりわけ重要な指標で、これらは「蔵書計画」(年次計画)に基づいて計画的に収集していくことが重要で、これらがどうなっているかを知ることは、その図書館のサービスを評価する上で欠かせないものさしでもあります。    この指標を、2点と「満足度」だけとすることは、「サービスの向上を生み出す指標と目標」をなおざりにすることになるのではないでしょうか。    議員12名中、7名が「取り入れる」の回答でした。「指標、目標及び事業計画の策定に当たっては、利用者及び住民の要望並びに社会の要請に十分留意するものとする。」と『望ましい基準』で定められていますが、改めて『望ましい基準』に則った   対応を求めるものです。 3. 指標や目標を適切に選んで増やし図書館の計画を糸島市長期総合計画に入れるること。 ご回答は「その他( 総合計画では、蔵書冊数、貸出冊数、満足度という形で数値目標を掲げて図書館サービスの充実を図ることとしている)」でした。  図書館サービスを充実、向上させていくためには、職員計画や蔵書計画をたて、全域サービスの整備をしていくなど、財政措置を伴います。市民が求める資料の提供を通して、すべての市民の生涯にわたる自己学習を保障する図書館の役割の重要性に鑑み、長期計画の中に組みこんで計画的に取り組んでいくことが肝要だと考えます。 4. 学校図書館の図書費については、『学校図書館図書整備(等)5カ年計画』で交付されている総額、100%を少なくとも予算措置すること。  ご回答では「その他(学校図書館に求められる機能を考慮し、蔵書数のみでなく総合的に判断していく。)でした。  なんといっても、こどもの世界を豊かにする本があってこその図書館です。『5カ年計画』は29年4月から第5次にはいりましたが、この20年間、糸島地区の学校図書館の予算措置率は驚くばかりに低い状態が続きました。平成24年度からの6年間でみると交付額の総額82,983,000円に対し、糸島市が予算化したのは、30,452,000円で、 予算措置率は36.7%、29年度の交付額は1,726万円、うち予算計上額は508万2千円で、予算措置率は30%をきって、29.4%でした。子どもの本代というので、厳しい財政の中でも、200%を超える予算措置率の自治体が県内にある中で、20年間にわたって極めて低い予算措置が続いてきたことを考えれば、「少なくとも」100%の予算措置を という次第です。                           以上                                さいごに。  この度の公開質問の、第4問で、これまで糸島市では他館からの借用が、県内の図書館と国立国会図書館からに限られていたことについて。ご回答は②の「なんでも」の観点から、借りれるように、予算措置をする。」でした。待ちに待った嬉しい回答でした。早速、友人、知人に知らせました。 添付資料 Ⅸ―(2)「市長選挙・公開質問状に対する回答」2018.1.18      及び「添付資料」小学校区別貸出密度・図

豊田の原稿1(添付資料)  No.91 ー2

豊田の原稿1 No.91

          図書館の発見 図書館は何をするところか 「地域に図書館がある」とは、どういうことか ―豊田市立図書館の今と、これからを考える(町田市立図書館との比較)  〈 図書館員は「勇気をもって」 図書館は勇気が必要なところ 〉                                才津原哲弘    序・本文執筆の経緯とタイトルについて 豊田市の図書館を考える会の集いで図書館の話をするようにとのご依頼があり、私は2018年6月10日(日)、初めて豊田市を訪ねました。そして約1年後の5月、考える会の方から電話があり、私より以前に同会で講演されたアーサー・ビナードさんと私の2人の講演録を作ろうとしたところ、私の録音が聞きとれない状態なので、文章で何枚か送ってもらえないかとのことでした。 いざ、書き始めようとすると、豊田市の図書館が直面している問題は、私が住む糸島市 と共通する根が深い問題で、それが一体どういう問題であるかを、この際あらためて考えてみようと思い立ち、結果的には思いもよらぬ長い文章となってしまいました。 当初、本文は豊田市の図書館を考える会の人たちと、豊田市の図書館をともに考えるため、考える会の方に向けて書いたものですが、ある方から、本文の内容からして豊田だけではなく、他の人たちにも読める手立てを考えてはとのお言葉をいただき、大部であるため、まずはネットを通して読める手立てをと考えた次第です。 そうして校正にとりかかっている最中、思ってもみない事態、出来事が立て続けに起きました。まずは3月末に知らされた町田市立図書館の指定管理者制度導入の計画です。豊田市の図書館の在りようを考える時、他市の図書館と比較してみることは一つの有効な手立てです。豊田市と人口同規模で、これまでの図書館活動の実践、図書館サービスの内容から、豊田市の図書館と比較して考えるのにもっともふさわしい図書館の一つが町田市の図書館であると考えて、本文では、両市の図書館を比較しながら考察を行っています。この本文を書き終えた後に、町田市で指定管理者制度導入の動きが起きていたことを知ったのです。それに対して、計画の見直しを求める“町田市の図書館活動をすすめる会など、市民の活動が行われています。(その経緯については、末尾の追記1に記載)ほんとうに、あの町田でと、各地の図書館が直面している事態の厳しさを改めて思いました。 今、町田市ではきわめてきびしい状況の中にありますが、町田市の図書館が市民とともに育くみ培ってきた図書館活動の実践、その実績は消えるものではありません。本文でふれた町田市立図書館の態勢、図書館サービスの実際は、今も豊田市の図書館を考える際に役立つものさしであると考えています。 そして、前川恒雄さん 4月10日、ご逝去の報。〈深い衝撃と悲しみ、各地に。〉 1965年、東京の日野市で1台の移動図書館で図書館を始め、順次分館をつくり(5つの 分館)ついで本館を建て(1973年4月、中央図書館開館後、1977年に6館目の分館:市政図書室)、日本の公立図書館で、初めてリクエストサービスを始め、「いつでも」「どこでも」「だれにでも」「なんでも」を実践されました。市民と図書館員に、図書館はだれのために、何をするところかをだれの目にも見えるように示して、日本の図書館が進むべき道を切り開き、生涯にわたりその道を歩んで来られました。 その前川さんが町田市立図書館が日野にとって、どんな図書館であったかを述べています。 (「日野の活動を見て、それにつづく仕事をまずしてくれたのは、東京の府中と町田の市立 図書館だった。・・・町田は、それまでの建物がとりこわされることになって、米軍のかまぼこ兵舎のお古に移ったのを逆手にとって、閲覧室をなくし、それまでしていなかった貸出しを始めた。館則には貸出しの規定がないのに。職員が勝手にやりだしたのである。役所から何も言われなかったのは、気づかなかったというより、図書館のことなど念頭になかったからであろう。 府中でも町田でも、館の方向が変ると利用が急上昇していった。市民に喜ばれ、職員は 自信がつき、図書費も何倍かに増えていった。この二館が日野を例外にせず、日野の方向の正しさを証明してくれた。私には実にありがたい援軍だった。」) (前川恒雄『移動図書館ひまわり号』夏葉社、2016.7.15復刊:筑摩書房1998.4) タイトルに《図書館員は「勇気もって」・・・》とあるのは、『図書館員を志す人へ 前川恒雄恒雄講演録』(純心女子短期大学図書館学研究室製作・刊行1985.3 復刻版2007.3)にある言葉です。同書は長崎市にある純心女子短期大学の図書館学コース主任教授の平湯文夫さんが、図書館学を学び、図書館員を志す学生たちのために前川さんの特別講義を企画し、同コースの学生たちがテープ起こしから印刷、製本までを実習して仕上げたのもので同研究室より刊行しています。 前川さんは、「いい図書館職員というのはどういう人なのか」というお話の中で、「よい図書館員とは」として、1.奉仕する姿勢 2.本を知る 3.カウンターに立つ 4.問題意識をもつ 5.ねばり強く」の5つ【いずれも大切な核心的なこと】をあげたあと、さいごに、「6.勇気を」として、なぜどのように「図書館は勇気が必要なところ」であるかを述べて、次のように語られています。 「こういうところで、図書館を生かし図書館を発展させるには勇気がいります。しかし、 図書館運動をしている市民の方々は、全く利益にならないことを、ときには批判されたり いやな思いをしたりすることを、ねばり強くやってくれています。私たち図書館のプロが、図書館で飯を食っているものが、この人たちの後にくっついていくだけでいいのでしょうか。」 (資料10) 奇しくも本文は前川さんの2冊の本、『図書館の発見』と『新版図書館の発見』の「まえがき」から始めています。まず、これを豊田のみなさんと読むことからと考えたのです。私たちが今いるところを知り、どこに向けて歩んで行くかを考える時に、まず拠り所となる言葉と実践が、そこに述べられていると考えたからです。自ら知らず、前川さんが始め、切り開いてくれた道を歩んできたことをあらためて思い知らされています。タイトルに、前川さんから贈られ、手渡されたものを掲げた所以(ゆえん)です。      目   次 ⊡ 序・本文執筆の経緯とタイトルついて ⊡ はじめに  Sさんへの手紙          ・ なぜ、このようなことが起きるのか            ・ 2冊の本の「まえがき」から  ・ 『図書館の発見』が私たちに手渡しているもの 1. 図書館は何をするところだろう〈図書館の発見〉 ・ 身近に図書館はなかった ・ 図書館の発見・前史 ・ 図書館の発見 2.『本の予約』って何だろう (1) 予約の前提は・・・計画的な資料の収集(資料費の継続的な確保) (2) もう一つの、予約の前提 3. 図書館が図書館として機能するために欠かせないこと (1)図書館費はどれだけ必要か (2)一般会計(市の総予算)の1%以上の図書館費を (3) 豊田市の図書館費が0.5%というのは、どういうことか 4.「望ましい基準のこと」 (1) 「望ましい指標と数値目標(基準値)」について (2) 「望ましい基準」・・・図書館法の制定から公示まで50年、 その経緯について (3) 2つの道、どちらの道に進むのか (4) 「望ましい基準」いついて考えていること 苅田町立図書館(1990年5月開館)での経験から   (5)「専門委員会案」とは 5.「望ましい基準」から豊田市をみると (1) 図書館を構成するう4つの要素と図書館の活動を支える予算(図書館費)の 5つの面から豊田市の図書館をみる   (2)「利用者」(読者)・・・豊田市民はどのように利用しているか      (2017年度;資料1『比較表』参照  ① 登録者数は・・・「望ましい基準」の到達度205%が意味している ことは ② 「貸出点数」と「人口当り(市民1一人当り)貸出点数【貸出密度】は ③ この格差を生み出しているものは一体なんでしょうか ④ 「予約件数」と「図書館間借受」件数から見えてくるもの ⑤ なぜ、「予約」が少ないのだろう ⑥ 移動図書館のこと、全域サービス、システムとしての図書館 ⑦ 分館とは;分館を具体的にイメージ ⑧ 「図書館間借受」件数について ⑨ 「だれでも」・・・図書館の利用にハンディキャップのある人へのサービス 6.地域に図書館があるということ (1)苅田町立図書館の活動から ① 苅田町立図書館(1990.5.12~) 「いつでも」「どこでも」「だれでも」「なんでも」 すべての町民のためのを図書館を目指して ②「今日、はじめて図書館にきました」 ③『図書館だより』から見えてくる“分館の働き、機能、役割” ④「そして、(3館目の分館)西部図書館が開館して1年が経って   (分館の働き) (2) 市町村合併時の取り組みは 7.苅田町立図書館・・・後日談、町長が変って起きたこと 8.さいごに ・ 現状を知ることから ・ 竹内悊(さとる)さんからの贈り物    『生きるための図書館 ―― 一人ひとりのために』竹内悊著 岩波新書 2019.6 ・ 追記1.“町田市立図書館に指定管理の導入”について ・追記2.前川恒雄さんのこと 資料 資料1.愛知県の県立図書館と滋賀、鳥取、岡山、福岡県立図書館の比較表2017(平成    29)年     資料2.図書館サービスの望ましい指標と豊田市図書館の比較 資料3.伊万里市民図書館の活動(伊万里市民図書館『としょかん通信』平成30年度夏号     より ① 平成29年度活動報告 ② 伊万里市民図書館お望ましい基準値(目標値)との比較 資料4.苅田町立図書館の活動    平成5(1993)年度 年報『育てよう!本のある広場 そよ風の通り抜ける図書館』 ① 苅田町立図書館のサービス指標(1994年3月31日現在) ② 他の図書館との比較 資料5.“資料2『図書館サービスの望ましい指標と豊田市の図書館』”の解説 資料6.豊田市図書館利用2013(平成25)~2018(平成30)年度    「望ましい基準(指標)」及び人口同規模の町田市との比較 資料7.『心揺さぶる図書館の誕生 東近江市立蒲生図書館を訪ねて』     (『としょかん村』第1号 2009年4月 資料8.『図書館の明日をひらく』菅原峻著 晶文社 1999 資料9.「図書館の設置及び評価の運営上望ましい基準」の Ⅰ及びⅡ 資料10.『図書館員を志す人へ 前川恒雄講演録』純心女子短大図書館学研究室1985.3     復刻版2007.3 図書館づくりと子どもの本の研究所    はじめに (篠田さんへの手紙) こんなにも遅い原稿となってしまい申し訳ありません。最初に篠田さんから原稿の依頼がありましたときには、5枚くらい、若干、長くなっても構いません。総会が6月16日にあるので、印刷が間に合うように・・日までに、とのことでした。 何を書くかを考えて、今、豊田市の図書館が直面していることに焦点を当てて書こうと考えました。それは私が住んでいる地域の図書館のもっとも大きな課題でもあります。 豊田市の図書館の問題は市内全域を対象にした、本館、分館、移動図書館によるシステムとしての図書館がないこと、あるいは目指されていないこと。そのため市民の身近かに、生活圏に図書館がないことです。図書館が身近かにないため、図書館を日常的に利用できない多くの市民がいること。そして、何よりの問題は、市民の身近に図書館を作っていくための市の計画的な取り組みがなされていないことではないかと思われました。 指定管理者の導入は、豊田市の図書館のもっとも重要な課題である、市民のだれもが、市内のどこに住んでいても利用できる図書館づくりに取り組まない、その問題を問題のまま置き去りにして、今ある図書館を市民に利用してもらえばいいという選択であると私には思われます。指定管理にして経費を縮減するという市の説明のようですが、実際に縮減かどうかは大いに疑問です。これについては田原市の森下さんの的確なレポートを見ていただければと思います。 市民の期待に応える図書館サービスを行う上で、もっとも重要な働きをする職員を正規職員ではない不安定な身分とし、そのことで継続的な仕事の積み重ねにより専門職の力を育てる機会を奪うことになっているのが、指定管理の実態であり、税金の使い方の面から考えても、市民に本当に役に立つ職員を育てない、きわめて問題がある選択を豊田市としてされているのではないかと私には思われました。  なぜ、このようなことが起きるのか。 私には、それは「図書館は何をするところか」についての、「図書館の発見」が、広く十分に、いまだ行政の中で、また市民一人ひとりの中で行われていないからではないか。そのことが主な理由の一つではないかと考えています。私の住む糸島市でも、日本の各地においても。というのも、多くの人が“本物の図書館”を利用する経験をしていないからではないかと考えています。  このためまず「図書館は何をするところか」、「図書館は誰のためのものか」を考えるため、私は、私自身の「図書館の発見」がどういうことであったか、から書くことを始めました。そして豊田市の図書館の実態がどうなっているか、その現状を知ることからと考えて資料づくり(添付資料)に取りかかりました。書くことの大きな柱を考えただけでも、5枚にはとても収まらないことが明らかでした。そうして、書き始めてみると、それまで私自身に見えていなかったことが、いくつも立ち現れてきました。 なぜ、こんなにも長い原稿になってしまったのか。それはこの文を書いているうちに、私の中にいくつもの疑問が生まれ、それは何だろうということも、この機会に考えてみたいと思ったのです。考え、考えながら、不確かであったことを一つ一つ調べながら書きすすめました。苅田町、旧能登川町、東近江市、福岡市、佐賀県伊万里市、豊田市、町田市等の図書館や東京の日本図書館協会にボランティアで日参していると聞いている松岡要さんや、その他幾人かの個人の方に、連絡して教えをいただきました。そしてなぜ私が、それぞれについて、そのように私が考えるのか、その根拠となる事柄をできるだけ明らかにしていきたいと考えました。このため、短い時間では読めない長さのものになってしまいました。まずその点で、ご依頼の原稿とは異なるものとなってしまいましたこと、お許しください。ただ、以下の文章の中に、篠田さんが原稿に託されたご趣旨といささかでも重なるものがあることを願うばかりです。 2冊の本の「まえがき」から “図書館の発見”と言えば、じつは前川恒雄さんが、石井敦さんとの共著で刊行された本のタイトルでもあるのです。どのような思い、考えで、その書名を考えられたのか。“図書館の発見”とはどういうことか。 『図書館の発見 市民の新しい権利』(日本放送出版協会)という本が出版されたのは、1973年(昭和48年)10月のことで、それは1965年に東京の日野市立図書館が1台の移動図書館で図書館を始めてから8年目のことでした。この1973年という年は、この年の4月に中央図書館が開館して、日野市立図書館の全貌が姿を現し中央館と5つの分館そして移動図書館からなるシステムとしての図書館が誰の眼にもが明らかになった年でした。 (1974年には6館目の分館、市役所の一角に「市政図書室」を開館) そしてその本の出版から33年後の2006年(平成18年)に、同じく石井敦さんと共著で石井氏の健康上の理由から旧版『図書館の発見』をもとに、「石井敦と前川恒雄が打ち合わせをかさね、前川恒雄が執筆」して旧版を全面改稿して出版されたのが『新版 図書館の発見』です。 46年前に出版された旧著の「まえがきは」には、次のように書かれています。 「日本に近代公共図書館が誕生して百年たった現在、やっと言葉の本当の意味での公共図書館が育ち始めた。 公共図書館、これは人々が自から生活を高め守るために、自分たちのものとしてつくり、そこからあらゆる資料や情報を入手する機関である。ところが長いあいだ、図書館は人々の生活とは無縁な位置で、少数の特殊な人か学生にだけ役にたつ働きをしてきた。図書館に限らずほとんどすべての公の施設が、民衆に上から与えられるものとしてつくられてきた結果である。 (略) しかし、今、図書館はすべての人にすべての資料をと言い得る位置に立とうとしており、やっと本当の図書館を眼でみ、知ることができた。いったん「これが図書館だ」という図書館を知った人々は、自分のものとして図書館を要求し、図書館を獲得しつつある。そうして、大人も子供も、自分たちは本が好きで、本が必要であることを知るのである。これは図書館の発見であり、読者の発見であった。 誰でも本が身近にあれば本を読むし、本を身近におくため、図書館が町に村にポストの数ほど必要である。本が身近かにあり、人々が知識・情報・教養を自分で獲得できることによって、日本の民主主義も地方自治も、その基底から築かれる。このように私たちは確信している。そうして、この事実を一人でも多くの人々にわかってもらわねばならないと思っている。 (略) もし図書館が近くになければ、なぜないのか、どうすればできるのかも、読者の住む町の現実と本書とによって考えてみていただきたい。本当に図書館をつくっていただきたい。それは必ず、読者と読者の家族にいくらかの、しかし深い生活の変革をもたらすであろう。」  (略)                     1973年10月     著者 そして、旧版の33年後の『新版 図書館の発見』(日本放送協会2006年・平成18年)の「まえがき」は、次のように書き始められています。  「今、読者の眼の前にある図書館は、四〇年前にあった図書館(1965年の日野市立図書館開館以前の図書館:注;筆者、以下同様)とは、その質においてまったく異なる図書館である。ほとんど受験生の勉強部屋であった図書館が、子どもから老人まで、勤め人も主婦も学生も自分のものとして使い、本を借り、読みたい本がなければリクエストでき、わからないことを尋ねることもできる図書館になった。何よりも、居心地のいい図書館、また行きたくなる図書館になった。「市民の図書館」の誕生である。  利用も急激に伸び、年間貸出冊数は四〇年前の七〇倍に達し、まだ上昇するであろう。しかし、これも先進諸国に比べれば、人口一人当たりの貸出冊数はまだまだ少ない。この利用の伸びは、それまで本を読んでいた人びとが図書館を使うようになったことよりも、本を読まなかった、あるいは読めなかった人びとが本を読むようになったことが、遥かに大きな部分を占めている。  「図書館が近くにできて本を読むようになった」という人が、図書館に来る人の大部分であり、「うちの町で本を読むような人はいない。図書館をつくってもペンペン草が生えるだけだ」と言っていた町長や役場の人たちが、実際につくってみて、その利用の多さに驚く例は枚挙にいとまがない。図書館は、市民の知的好奇心をかきたて、眠っていた読書欲を目覚めさせ、それが生活にとっていかに大切なものであるかを、市民自身に気づかせるものである。  読書が人間の思考力や想像力を鍛えるうえで果たす意味については、改めて言う必要はないであろう。考える市民を支え、その人びとに知識や情報を提供できる図書館の役割は、社会の発展、安定にとって不可欠のものであるが、特に民主制を維持するためにはなくてはならないものである。民主制とは、大多数の国民が自分の責任で自由な判断ができることが前提になる制度であろう。人びとに必要とする情報を与え、その情報を判断する力を培う働きをしている図書館は、民主制の基盤の一つである。  一五〇年前、アメリカで近代公共図書館が発足して以来図書館は民主主義と歩調をあわせて発展してきた。一三〇年前に公共図書館が生まれた日本では、四〇年前ようやく市民に使われ、喜ばれ、市民の自主的な判断に役立つ図書館があらわれ、社会に確固たる地盤を築くところにまできた。  ところが今、図書館の前にはかつてない大きな壁が立ちふさがり、その基本をも揺るがせようとしている。それはいったい何だろうか。  まず、公共図書館への国と自治体の対応の変化がある。  国は、図書館を一定水準に保つための図書館法上の規定、図書館長の資格要件と最低基準を定めた条項を廃止した。この規定は、国の補助金をもらう場合に限り適用されるもので、国の補助金が自治体にとって魅力のあるものではなくなっていたから、これを無視する自治体は少なくなかったが、この条項がなくなったことは、司書の配置、専門職の館長任命に大きなブレーキとなった。 (注;図書館法の第19条で、国の補助金の交付を受けるための「最低の基準」を定めていた。図書館長が有資格であることが、交付条件であった。1999年7月の地方分権推進一括法の成立に伴う図書館法の改正により、全文削除された。補助金の額があまりに低額であったから、自治体によっては、地域総合債や過疎債等他のより有利なものを使うところも多かったが、19条及び施行規則に「図書館長が有資格であることが交付条件」との規定があったことから、自治体にとって、図書館長は有資格であることが望ましいと考える根拠ともなっていた。この規定がなくなることで、図書館長は有資格でなくてもよいとする自治体がでてくることが懸念された。)  国と自治体の財政逼迫は、図書館の予算、人員の減となってあらわれ、利用の増加、市民の要望(開館時間の延長など)にとても対応できないところまできていて、表面だけの無理なサービスをこなすだけで、いいサービスをするための段取りや、職員の能力向上に必要な作業ができなくなっている。  さらに「官から民へ」という国の政策によって、図書館業務を民間に委託する自治体が増え、このことは業務の空洞化、サービスの質の低下を招き、一五〇年前、公共図書館のスタートのときに確立された公的機関としての図書館が変質し、図書館の本質がゆがめられている。  このときに、図書館の世界の外からの、図書館に対する批判、提言が寄せられるようになった。図書館についての論議は、図書館の発展にともなってでてきたもので、歓迎すべきであり、図書館に対する批判にも謙虚に耳をかたむけるべきであるが、図書館の基本と実務について、また、きわめて特異な経過をたどってここまできた日本の図書館について、あまりにも初歩的な誤りの上に立った議論が多すぎると思う。図書館についての基礎的な知識を、本書から得ていただければありがたい。」  前川さんの「まえがき」からは、〈豊田市や糸島市の図書館がなぜ今のように、容易ならない問題を抱えるいるのか、図書館が市民「一人ひとり、みんなの図書館」(竹内悊氏)になっていないのか、ということ〉が「きわめて特異な経過をたどってここまできた日本の図書館の活動の歴史」と深く関わっていることを示しているように思います。 豊田市の図書館も、糸島市の図書館も、日本の公立図書館が歩んできた歴史の中で、今の地点に立ち現在の図書館の在りようとなっています。とりわけ1950年の図書館法制定以降、日本の公立図書館がたどってきた特異な経過、歩みを経てのことです。その特異さとは、日本という国においては、図書館法制定以降この70年近くにわたって、図書館の整備、振興について、国はそれを積極的に進めてこなかったばかりでなく、(図書館法第18条で 「望ましい基準」を定め、これを公示すると制定したにもかかわらず、実際に公示されたのは法制定後51年後でしかも、そこではもっとも重要な「数値目標」は公示されないままであった。)大切な局面において、ことごとくサボタージュしてきた、そして今も、その姿勢を続けているということです。その結果が自治体間での図書館サ-ビスの内容の大きな格差であり、各自治体での図書館の位置づけや職員体制のありようの大きな違いです。  私が現在住んでいる旧二丈町という地域には、そして近隣の旧志摩町にも、私が滋賀の図書館を退職後に住み始めた2007年(平成17年)には、そもそも図書館がありませんでした。1965年の日野市立図書館の開館以来、各地に“本当の図書館”が目に見える形で、その活動を始めてきたというのに、それから45年たっても、二丈、志摩の地域には図書館そのものがなかったのです。2010年(平成22年)1月、前原市(人口7万人)、志摩町(人口1万7000人)二丈町(人口1万3000人)の1市2町の合併により、糸島市が誕生して、前原市図書館が糸島市図書館と名称を変更、二丈、志摩地区の住民は、初めて市民として図書館(旧前原市図書館)を利用することとなりました。 しかも糸島地区での唯一の図書館である前原市図書館が開館したのは、1998年(平成10年)12月、1台の移動図書館からのスタートでした。市民の図書館を求める声とその活動によるものでした。(苅田町に新設された町立の給食センターの視察に行った前原市の市議会議員の女性が、苅田町の沖町長から図書館の見学を勧められ苅田町立図書館を訪れたことが、その方にとって“図書館の発見”という出来事となり、以後前原市で図書館づくりの活動を始めるきっかけとなったとのこと。)その後様々な経緯を経て、当初、移動図書館本館として計画されていたものが前原市図書館として開館したのは、移動図書館の運行が始まって7年後の2005年(平成17年)11月のことでした。この間、図書館は社会教育課(後に生涯学習課、平成30年4月からは文化課)図書館係という課ではなく一係という位置づけで、しかも図書館長は嘱託でした。この体制は合併後の現在も続いています。合併の翌年の2011年(平成23年)10月、旧志摩庁舎と旧二丈庁舎の一郭を改装して糸島市図書館志摩館、糸島市図書館二丈館が開館(志摩館、二丈館については2016年(平成28年)4月に再度、2回目の改装をして旧庁舎内に移転開館)しました。施設としての図書館ができてから前原地区で14年、志摩、二丈地区で8年ですが、正規職員は本館である糸島図書館(旧前原市図書館)2名、分館である志摩館、二丈館各1名の合計4名です。1998年、糸島地区に前原市図書館として初めて“市立図書館”の看板が掲げられたものの、図書館の位置づけが教育委員会の中の一つの課ではなく、一係であることが示しているように“本当の図書館”への道の遥か途上にあると思います。旧前原市の図書館以来、合併後も市民が市内のどこに住んでいても、だれでも利用できる全域サービスの計画づくりに取りくむことなく現在に至っています。  こうした状況の中で、これからの豊田市や糸島市の図書館を考える時、「望ましい基準」 をこの状況を変えていく一つの手立てとして考えることができないかと私は考えています。「望ましい基準」とは何か、を考えることは、その“特異な経過”(1950年の図書館法制定以降現在に至る一貫した国の図書館施策の無策、その不作為の結果、糸島市のように“本当の図書館”、“本物の図書館”とは言えない図書館が、各地におびただしく生まれていること)を、市民である私たちが正しく知るとともに、地域の図書館の現状を把握して、その地域にふさわしい図書館計画をつくっていくこと、そのために、その地域に今、求められる「望ましい基準」を考え策定し、活用していくことであると私は考えています。 前川さん、石井さんの2冊の『図書館の発見』で、読者に示された“市民の図書館”のあり方、“図書館の発見”がなぜ、豊田市や糸島市、その他多くの地域で広がっていないのか、まず私自身の「図書館の発見」(図書館は何をするところか)について触れ、次いで「望ましい基準」をめぐって、今に至る経緯を考えてみることにしました。 (なお、『新版 図書館の発見』は、つぎの7章からなっています。 1.現代の図書館 2.図書館は何をするところか 3.本はどのように選ばれるか 4.図書館は建物ではない 5.なぜ司書か、6.図書館の歩み 7.これからの図書館) 1.図書館は何をするところだろう〈図書館の発見〉   身近に図書館はなかった 2007年(平成19年)3月に滋賀県の図書館を退職し、玄海灘に面した福岡県の西端の町で暮らして12年になります。 私は今から46年前の1972年(昭和47)4月に千葉県の八千代市立図書館で司書として採用され、図書館員として働き始めました。八千代市の図書館は2年で退職し、以後,福岡市民図書館(1976.7~)、博多駅前4丁目の財団法人博多駅地区土地区画整理記念会館の図書室 (1979.4~)、福岡県苅田町立図書館(1988.12~),滋賀県能登川町立図書館(1995.4~),〈合併により東近江市立能登川図書館(2006.1~2007.3)〉の合計5つの図書館で働きました。このうち、人口34,000人の苅田町、23,000人の能登川町では、図書館開設準備室の発足の時から準備室長として関わりました。能登川町では、博物館との複合施設で、私は博物館長を兼務し、力ある学芸員の仕事振りと、博物館を活動の場とする方たちの、能登川町の森羅万象を対象とする多彩な活動に、図書館員としても目を開かされる経験をしました。  私は広島市に原子爆弾が投下された翌年の1946年(昭和21年)7月、爆心地から3.5キロ離れた市内の宇品という所に生まれ、小学2年の時に倉敷市に、小学5年のときに福岡市に転校しました。子どもの頃、広島市でも倉敷市でも身近に「公立図書館」(以下、「図書館」)はありませんでした。当時人口100万人の福岡市に市立図書館ができたのは1976年(昭和51年)、私が30歳のときです。このため私は市や町や村の図書館(公立図書館)を見ることも利用することもなく大人になりました。図書館そのものがなかったのです。  図書館の発見・前史 図書館は何をするところか、地域に、市や町や村に図書館があるとはどういうことか、そのことを私が学んだのは、私が通っていた学校や大学においてではありませんでした。 私が働いた5つの図書館での仕事を通して、そこで出会った一人ひとりの図書館を利用する人たちを通してでした。  私は東京で私立の4年制の大学を卒業後、国立の図書館短期大学の別科に1年間通いました。図書館短大はその後、図書館情報大学となり、2002年(平成14年)に筑波大学との統合で、現在は筑波大学図書館情報専門学群となっています。 私が図書館短大に入学したのは、1971年(昭和46年)で東京の日野市立図書館が1965年(昭和40年)9月に1台の移動図書館から図書館を始めてからまる6年がたっていた時でした。日野市立図書館は館長の前川恒雄さんのもとで、当時、破格とされた図書費(開館時500万円、翌年1,000万円)で、1台の移動図書館「ひまわり号」から図書館を始め、37ヵ所の駐車場を巡回し、初年度7ヶ月間の貸出が同規模の自治体の3.6倍、全国平均の3.9倍の利用がありました。翌年には移動図書館2号車の運行で駐車場を55ヵ所にすると共に2館の分館をつくり、以後、巡回先の利用者の多い所に順次、分館をつくり、私が図書館短大に入学した1971年(昭和46年)4月には、5館目の分館を開館していました。 日本で初めてリクエスト・サービスを始め、「いつでも、どこでも、誰にでも、何でも」利用できる市民の図書館として、以後の日本の公立図書館の在り方を根底から変える実践でした。中央図書館を開館したのは、私が八千代市立図書館で働き初めて1年が経ったとき、1973年(昭和48年)4月のことです。1977年(52年)12月には、6館目の分館、市政図書室を開館しています。 私が図書館短大に入学した1971年4月には、日本で今まで誰も見たことがない図書館の活動と記録的なおびただしく利用される図書館が、東京の多摩地域で生まれ、すでに6年間にもわたって活動していたわけですが、国立の図書館の大学であるというのに、そのことを語る先生に出会うことなく、公立図書館とは、誰のために何をするところかを学ぶことなく卒業したのでした。 図書館短大の前の私立大学では、自分の所属している学部に関係なく面白いと思う講義を聞いていました。他の大学にも勝手に聴講にでかけていました。そういう事を私がしていたということは、私だけでなくて、そういう学生たちが少なからずいた時代だったのだと思います。面白い講義だけを聞いていると、私にとって初めて名前を知る著者や本の話がでてきます。私はそれらの本を大学の図書館や各学科の図書室で読んでいました。ですから大学図書館が私にとっての図書館でした。 図書館の発見  初めて図書館員となった八千代市立図書館は私にとって、大学卒業後に最初に就職した仕事の場であっただけではなく、いきなり図書館と出会った場でもありました。八千代市の図書館はかつて中学校の校舎の1角を図書館にしたもので、2階にそれぞれ1教室分のスペ-スの児童室と図書館の事務室、3階に2教室分のスペースの一般室がありました。古い建物のとても小さな図書館でしたが、移動図書館「みどり号」が、市内の小学校や団地の集会所、昼食時間時の工場前などを巡回していました。  図書館で働き始めて最初の強烈な印象は移動図書館での仕事でした。移動図書館の何たるかも知らず、初めて移動図書館車に乗って出かけて行った先々で、待ちかまえている人のおびただしさ、団地の集会所や小学校の校庭では長い長い列ができていました。図書館トハ、コンナニモ利用サレルモノカ、それは私が初めて眼にする光景でした。 「図書館ガアルトハ、図書館ノ看板ガ下ガッタ建物ガアルトイウコトデハナイ、ソノ町ノ誰モガ、ドコ二住ンデイテモ利用デキル態勢ガデキテイルトイウコト。」(菅原竣)  リクエストについても、八千代の図書館で初めて経験したことでした。用意できた本を 手渡す時に示される深い感謝の思いのこもった振る舞い、そのような場に接するたびに、一人ひとりにその求める本を手渡すことがどういうことか、底深い何かが私の中に染みこんでいったように、今にして思います。利用者の求める本は、草の根分けても探しだして提供する。それが図書館のもっとも基本的な仕事であることを、いきなり体を通して教えられたのです。図書館で利用され、リクエストされる本の世界の広さと深さに驚かされる日々の中で、それに一つ一つ応えていくことが、一人ひとり、そしてみんなの図書館をつくり、地域の図書館を創り育てていく・・・それは私にとって、「図書館の発見」ともいうべき出来事でした。  今から考えますと、千葉県の古い建屋の小さな図書館で、その時、移動図書館が走り、リクエストサービスが行われていたのは、1965年に活動を始めた日野市立図書館の影響によるものであったことがわかりますが、国立の図書館の大学に通いながら、日野市立図書館の実践をまったく知ることなく卒業した私は、最初の図書館の仕事場で、そのときも日野市立図書館のことを知らないままで、日野市立図書館が切り開いた道と出会っていたのだと、今にして思うことです。 2.『本の予約』って何だろう 八千代市の図書館を退職して19年後の1993年(平成5年)に出版された『本の予約 図書館で読みたい本がかならず読める』(森崎震二・和田安弘編、教育史料出版会 1993.7) という本の中の「第3章 予約の実現をめざして」で、幾人かの人が執筆している中で、私は「わたしの・みんなの・地域の図書館―1冊の本の予約から」と題して次のように書いています。私にとっては3館目の図書館となる、福岡県の苅田町立図書館(人口34,000人)が開館して4年目のことでした(1990年5月、開館)。  「利用者にとってのカウンターの、この途方もない《しきいの高さ》を職員として感得し、なぜそうであるのかを考えることから住民の役に立つ図書館づくりは始まるのではないでしょうか」 「それに・・・・と考える。図書館にある目の前の資料ですませるのではなく、その人が読みたいものを、その人が住む地域の図書館で確実に手に入れていくということは、その人の願いや楽しみを実現し、その抱えている問題をみずから住む地域のなかで解決する手立てを作っていくことではないかと・・・・。  図書館での求める本との確実な出会いが、一人ひとりの世界を広げ深め、一人一人の暮らしのなかでの疑問や問題を解決する糸口となることで、その地域を住みよい地域にしていくことに連なっていくのではないか。それは、一人一人の利用者が図書館を日々の暮らしに欠かせないわたしの図書館として生涯にわたって利用し、育てていくことから始まるのではないか。その一人ひとりの暮らしを高めるわたしの図書館の無数の連なりから、地域みんなの課題に応えるみんなの図書館、地域の図書館が生まれてくるのではないだろうか。  このように考えるとき、地域の暮らしに役立ち、地域とともに育つ図書館づくりの始まりは、この本を読みたいという利用者の声から、つまり一冊の本の予約から始まるといえるのではないでしょうか」(p.229~230) (1)予約の前提は・・・計画的な資料の収集(資料費の継続的な確保) “予約・リクエスト”について考えるとき、いつも大事なことだと考えてきたこと。  先にふれた、『本の予約』の本の中で私は「予約の前提は豊かな蔵書」ということについて書いています。  「読みたい本がないときは予約してください」と図書館の利用案内に「いくら書いてあっても、(略)やっと出かけていった図書館の書棚があまり変わりばえせず、魅力のないもので、その人の関心に応えるものがなく手ぶらで帰るような状態であれば、せっかく図書館に向けられた足も遠のいてしまうだろう。」 「図書館へ行けばなにか面白い本がある。調べたいことがらについての資料にかならず出会える、そのような期待と信頼を利用者が図書館に対して持つことができるかどうか。(略)そのような図書館の状況をつくりだすことが予約の前提として欠かせないのではないか」「苅田町では、(略)小さな自治体だからこそ、ある一定規模の蔵書と計画的な収集がなにより大切だと考えて、開館以来、町民一人当たり資料費を毎年1,100円以上計上し、年間に日本で出版される図書の約60%、約24,000~25,000冊を購入している。資料費は年間約4,000万円である。(1990~1994年までの人口当たり資料費の全国平均は、232円、248、257、272、280円)(略)自治体の一般会計の1%をまず図書館費にする、そこからすべての住民が利用しはじめる図書館活動が始まる。」と書いています。  ちなみに、私が苅田町の図書館を退職し、滋賀県の人口23,000人の町の能登川町で、図書館と博物館の開設準備室で働き始めた1995年(平成7)年のいくつかの図書館の資料費をつぎにあげてみました。注目していただきたいのは、人口当たり資料費の自治体間での大きな違いです。 【1995(平成7)年度資料費・予算  自治体間の大きな格差 】『日本の図書館1995』 ・ 苅田町(人口33,900人)  4館 4,481万3,000円 (人口当たり1,314円) ・ 福岡市(人口122万1,000人)9館 9,712万5,000円  (人口当たり80円) ・ 豊田市(人口33万2,000人)1館 5,733万7,000円  (人口当たり173円) ・ 町田市(人口35万6,000人)6館 1億2,723万9,000円(人口当たり357円) ・ 浦安市(人口11万9,000人)8館 1億5,626万5,000円(人口当たり1,313円) ・   ※図書館設置自治体人口当たり資料費・全国平均 269円 ・ 愛知県立図書館(人口671万5,000人)1億968万円   (人口当たり29円) ・ 滋賀県立図書館(人口126万人)   1億6,328万円  (人口当たり130円) ・ 福岡県立図書館(484万9、000人)   8,728万円   (人口当たり18円) ・   ※都道府県立図書館・人口当たり資料費・全国平均 34円   (2)もう一つの、予約の前提  この“予約の前提”に、もう1つ重要な前提があることに気づかされたのは、1995年 から滋賀県能登川町の図書館・博物館(当初は資料館と言っていました。)の準備室で働き始めたときでした。1980年に滋賀県立図書館の新館の開館が予定されていた頃に、当時の滋賀県知事、武村正義氏の強い意向の下、滋賀県教育委員会文化振興課長だった上原恵美さん(労働省からの出向:課長の辞令をもらった途端に、知事から「館長をさがせ」と命令をうける。)の働きで、東京の日野市から滋賀県立図書館長として前川恒雄さん(当時日野市企画財政部長)を招へいされていました。前川さんが1980年に滋賀に来られてから15年が経っていました。その15年間で前川さんは、県立図書館長として、「県立図書館とは、何をするところか」を明らかにする実践を、県内の市や町の図書館と深い信頼感を培い、連携協力の中で行っていたのです。 「県立図書館の基本的な働き(機能)、その役割は、県内の公立図書館を支援すること」にある。県立図書館は県内公共図書館のためにある。なぜなら、県民が日々の暮らしの中で、実際に図書館を利用するのは、一人ひとりが生活している市や町、村の図書館だからです。 私が初めて見る「県立図書館の姿」でした。県内の図書館からの「リクエスト」には、「なんでも」こたえる。そのために1億円を超える資料費を確保するとともに、県内の図書館に週1回の周期、準備室には月1回の周期で協力車が、県立の職員が同乗して走っていました。(福岡県立図書館で、実質的に県内の図書館への協力車の運行が行われたのは、2009年(平成21年)で、私が苅田町を去ってから14年後のことでした。「相互貸借の搬送方法を協力車による拠点間方式から、各市町村中央館への宅配方式に変更」) 県内の図書館の支援ということが、資料の収集やレファレンスなど、すべてにわたって徹底して行われていることを感じさせられました。また、県の公共図書館協議会の会長は、県立の館長ではなく、市立や町立の館長がなっていることにも目をみはりました。(現在でも、都道府県立図書館の協議会の会長はほとんどが、都道府県立図書館長です。その当時、滋賀県内では唯一の村である朽木村には図書館はありませんでした。) 現在、私は一人の利用者として、いくつかの図書館(糸島市、伊万里市、福岡市など、時折県立図書館)を利用していますが、図書館の本棚の前に立つ度に、“予約の前提”として〈資料費の確保とよりよい選書(よく選ばれた本があること)〉に加えて、県立図書館の働き(県内の図書館への支援を県立図書館の基本的な役割としているか)が、利用者を手ぶらで帰らせないためにどんなに大切なことかを切実に感じています。 ※ 「愛知県の県立図書館と滋賀・鳥取・岡山・福岡県立図書館の比較表」2017(平成29)年度 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※資料1 3.図書館が図書館として機能するために (1)図書館費はどれだけ必要か 首長(市長、町長、村長)が、図書館をどのように考えているか(首長の力) どれだけの図書館費が必要か 滋賀県の図書館づくり・・・館長の確保から いずれも図書館準備室のときから関わった苅田町でも、能登川町でも、力をつくしたのは、図書館費1%以上の確保でした。ほんものの図書館を実現していくために最も大切な専門職員(数)と資料費の確保、そして全域サービス網の整備に直結しているからです。私が職員でいた時の苅田町では町の一般会計予算の1.3~1.6%、能登川町では1.6~1.7%でした。 1990年5月に開館した苅田町では、開館記念の集いの挨拶のなかで「図書館を使ってものごとを考える事のできる町民になってほしい」と語った沖勝治町長は、図書館開設準備課が発足したばかりの1988年の12月議会の一般質問で「図書館開館後の維持管理費と図書購入費」を尋ねられ、次のように答弁をしています。 12月議会の事前に行った浦安市立図書館の視察を踏まえて、「図書館の活動を支えるものとして二つの指標が重要である。」と述べて、「日本図書館協会では一般会計の1%を計上すれば日本で有数の図書館ができるということで、まず、1%の経常費を提案したいと思っております。(「浦安市は昭和62年度予算、一般会計191億円、図書館費3億1,300万円で、1.6%」と述べて)苅田町においても図書館の町民生活に果たす役割の重要さを認識し、一般会計の1%を目安として考えてまいりたいと思います。第二の資料費の問題であります。住民にとっての図書館の魅力は、何といいましても豊富で新鮮な資料があるかどうかにかかっております。浦安市の住民一人あたりの資料費は昭和61年度予算で見ますと1,173円で全国で群を抜いています。第2位が成田市の829円、浦安市と人口同規模の市で貸出一人当たり第10位までの市において、600円を超える市は4市であります。 苅田町では人口当たり600円を下回らない資料費をまず計上してまいりたいと考えております。この2つの条件をまず整理しまして当面の目標として、町民の30%の登録の実現を図り住民に役立つ図書館づくりを目指す所存であります。」 また、この答弁の前に「人件費につきましては、開設予定年度の昭和65年度(1990年度)は8名を予定しておりますが、内訳としては正職員5名、臨時パート職員3名であり2,600万円程度を見込んでおります。」 「年度ごとの計画的な図書購入費については。計画案によりますと開設時、昭和64年度予算で4万冊を購入し、昭和65年度は1万5千冊、昭和66年度以降は1万2千冊を追加していく予定をしております。購入費は年間2千万程度になろうと思います」と述べて図書館計画に則った答弁をしています。実際には、開館初年度の利用は計画の2倍近くあり、登録は約43%であったことをふまえて、資料費は毎年4千万円を上回ることが、沖町長が町長を3期で退任する1998年度まで続きました。 市長や町長が、“見るべき図書館”を見る、視察、見学することの大切さ、事務方の職員には、そのような場をつくることの大切さを、あらためて思います。沖町長が浦安市の視察から帰ってからされた事は、図書館開設準備にあたる準備室をきちんと立ち上げ、図書館経験者のスタッフをそろえたことでした。(1988年12月、準備室。1990年5月開館、開館時の私の辞令は、館長事務取扱い、奉仕係長でした。)  21年前の小さな町の議会での一般質問に対する町長の答弁を紹介しましたのは、町長や市長、自治体の首長の図書館に対する理解がどんなに重要であるかを、また、首長が図書館の働き、役割についてしっかりとした理解、認識をされた場合、図書館の整備の実現にどんなに大きな力を発揮できるかを、あらためて考えるためでもあります。  東京都の日野市で“「貸出し」を基本においた新しい図書館活動を日本で初めて実践した”前川恒雄さんは、1980年、滋賀県立図書館長として招へいされ、1991年3月までの11年間で、県立図書館は何をするところかを、その実践によって明らかにするとともに、「図書館の先進県」と呼ばれるようになった滋賀県の図書館の振興に決定的な役割を果たされましたが、県立図書館長の後任を澤田正春氏(北海道置戸町立、元図書館長、教育長)に託して程ない時期に、『図書館発展の方向―滋賀県の場合』と題する文章のなかで、次のように述べています。 「4.専門職  図書館のすべてにわたって、いい図書館を作ることはいい図書館を見ることから出発する。いい図書館には必ずすぐれた職員、有能な図書館長がいる。そのことが分かれば、図書館を作るときに何をすべきかがわかるのは自然な筋道である。図書館を設置するために見学にきた人々に、こんな館長こんな司書がほしいと思わせた人々の力が、滋賀県の図書館をつくり、他の府県の館長人事にも影響を与えたのである。結局すべては人である。」 【『滋賀の図書館 '93』 滋賀県公共図書館協議会 1994(平成6)】  前川さんが滋賀県立図書館長として招聘された1980年には滋賀県内の公立図書館は50自治体中、水口町、彦根市、大津市、守山市、野洲町、今津町の6市町で、全国的にみて最低位に近い状況でした。県立図書館が支援すべき市町村の図書館自体があまりに少ない状態だったのです。こうした中で、前川さんは県内の図書館の設置率を高めることに力をいれるのではなく、1館、1館、本物の図書館づくり、一定水準以上の図書館サ-ビスの実現に力をつくしました。このため、市や町で図書館づくりを始めるにあたっては、準備室の設置と、その準備室に将来館長となる人を準備室長として招聘することに力を注いだのです。将来館長となる人の確保から始めることこそ、図書館づくりを始めるに当たって肝心要のことと考えていたということです。 (2)一般会計(市の総予算)の1%以上の図書館費を 『豊田市中央図書館 事業概要 30年度版』(平成29年度の事業実績;ネット版)によれば、平成30年度予算では図書館費は9億3,083万円で豊田市の一般会計予算1,803億円の0.5%です。指定管理の委託料が5億9,538万3千円の中に含まれているものと考えられます。30年度の予算には、平成29年度にはなかった「負担金、補助及び交付金」が2億881万5千円が計上されています。また、「使用料及び賃借料」が29年度より、4,379万6千多い1億139万円になっています。この増額は30年度だけのものでしょうか。29年度の図書館費は7億2,784万4千円で、30年度より2億298万6千円、約29%の増額の予算となっています。経常的な図書館費の額を把握することが大切です。 さらに、図書館費には含まれていない、教育行政部の「図書館管理課」には、課長、副課長、職員4の正職員6人と特別任用職員2人がいると、『事業概要』の「組織」の項に記載されていますが、その人件費は一体いくらでしょうか。これらを含めて実質的な「図書館費」の把握が必要です。 「図書館管理課」についていえば、多額の税金を投じて6人の人件費にあてているわけですが、その人件費のもっとも効果的な使い方は、「図書館管理課」にではなく、図書館の中に、その職員を配置して、その業務に当たらせることだと思います。図書館の現場から離れた所で、日々図書館で起きていることを知らない環境の中で、ほんとうに「図書館の管理」ができるのでしょうか。多額の人件費をあてて、「図書館の管理」を担当する職員として課長、副課長という2人の管理職を、教育委員会に配置しているのに、その配置先が図書館ではないとは、図書館に必須の管理職(図書館長を含めて)の業務が十全になされていないことになっているのではないでしょうか。税金の使われ方の面からも考えるべきことではないかと思います。 日本図書館協会が2006年に公表した『図書館からの政策提言』(2012年改正)は、すべての市民が生涯にわたって、「いつでも」「どこでも」「だれでも」「どんな資料でも」利用できる図書館、専門職の経験豊かな館長と、専任の司書が配置され、市内のどこに住んでいても、誰でも利用できる図書館サ-ビス網を整備した図書館を、自分たちが住む地域で実現していくために欠かせない要件を示していて、私たち市民が目指すべき指標を明らかにしている重要な提言だと私は考えていますが、(『豊かな文字・活字文化の享受と環境整備―図書館からの政策提言』、「1.公立図書館の整備」で7つの提言)その3つ目の提言 はつぎの通りです。 「3 市町村立図書館の運営経費(人件費を含む図書館年間総経費)は、市町村の普通会計歳出総額の1%以上を措置し、資料費はその20%(普通会計歳出総額0.2%)を充てること。(略) 一定のサービスを提供している図書館を経年的にみると、人件費を含む図書館の総経費はその市町村の普通会計総額の1%以上をおおむね措置していることがいえます。また資料費については、図書館総経費の20%を措置しています。これを指標として図書館予算を措置することを求めることは無理がない、と考えます。(略)」 「5 公立図書館に専任の司書を配置すること。 利用者の要求に応えるためには、図書館資料を駆使できる能力をもち、図書館の機能を発揮できる十分な経験を積んだ司書が必要です、(略)」 「6 公立図書館に司書資格を備えた専任の図書館長を配置すること。 図書館長には、「図書館の管理運営に必要な知識・経験を有し、図書館の役割及び任務を自覚して、図書館機能を十分に発揮させられるよう不断に努める」こと、および「司書の資格を有する物が望ましい」とされています。(「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」)。(略) (3)豊田市の図書館費が0.5%というのは、どういうことか 豊田市において、市の一般会計に占める図書館費の割合が0.5%であるということは、豊田市民の「だれでも」が、「なんでも」利用できる環境整備が、半ば以前であることを示していると考えられます。その実際の内容については後段でふれますが、その最大の要因は、職員体制としかるべき分館、移動図書館による全域サービス網が整備されていないことにあると考えられます。  市民のだれもが、今、住み、暮らしている地域で、一人ひとりよりよく生きていくためには、生涯にわたる学びが欠かせません。私たちは今、私たちの衣・食・住、暮らしに関わるすべてのものを、地域でまかなうことができない、日々の暮らしが世界各地のありようと深く結びついた社会に生きています。政治や社会や経済、環境の在りようも、地球大のものさしで考えなければならない時代に私たちは生きています。このような時代、社会にあっては、自ら住む地域で市民一人ひとりがよりよく生きるために役立つ、市民の生涯にわたる学び(自己学習)を保障する場が必要です。 図書館は子どもからお年寄りまで、すべての市民の生涯にわたる学校(学びの場)であり、地域のコミュニティの場(集いと活動の場、出会いと憩いの場)でもあります。  すべての市民のための学校である[図書館]は、市民の生活圏(中学校区)になければ、「だれでも」が利用できません。市内のどこに住んでいても、だれもの「学び」を保障するためには、分館や移動図書館(ステーション)を適切に配置して、市民の身近に図書館があることが必要です。自治体の財政がきびしいからといって、子どもたちの教育の場をなくす自治体はありません。図書館は学校と同じように、一人ひとりの自ら考える力、生きる力を育てることを目的とする場です。「人が自立(自律)してものを考え、判断して生きて行けるよう援助する」(竹内悊氏)図書館は、地域の一人ひとりに、よく生きる力を育てて、地域を耕す力を育みます。  また、市民の図書館である「学校」には、「病院」や、いわゆる「学校」が、そうであるように、医師や看護師、あるいは教職員が、責任をもって働けるような専門職員の体制が欠かせません。市民に信頼される専門職としての力量は、いずれも継続的な仕事の積み重ねによる経験の蓄積から生まれるものです。不安定な雇用からは生まれません。正規職員がわずかで、病院長も学校長も、また職員の大半が非正規の職員である「病院」や「学校」を信頼できるものとして考えることができるでしょうか。  税金は、「われ・ひと」みんなのために役立つものをつくり育てるために、市民がそれぞれの労働や様々な活動の営みの中から捻出しているものです。本当に生きた税金、市民が出し合う税金の意味が、心から感じられるような使い方がされているか、「図書館費1%以上」かどうかは、そのことを計る大切なものさしの一つであると考えます。  4.「望ましい基準」のこと      (1)「望ましい指標と数値目標(基準値)」について 日本図書館協会が発行している月刊の『図書館雑誌』では、毎年5月号で、「数字で見る日本の図書館」というページがあります。2019年5月号に掲載されたそのページの「貸出密度上位の公立図書館の整備状況・2018」には2017年度(平成29年度)の政令指定都市と特別区(東京23区)を除いた、全国の公立図書館の「各人口段階の貸出密度(住民一人当たりの貸出資料数)上位10%の市町村の平均数値」が24の指標ごとに、のっています。  図書館を設置する自治体の人口段階を「~0.8万人」から「30万人~」まで、14段階に分けて、各人口段階別の貸出密度が(住民一人当たりの貸出資料数)が上位10%の市町村の平均数値が、各指標ごとに示されています。例えば豊田市は人口段階別では、「人口30万人~」に入り、人口30万人以上の市で図書館を設置している自治体は、全国で51市です。この51市のうち、市民1人当たりの貸出点数(貸出密度)が上位10%、実際には6市の指標ごとの平均数値を掲載しているわけです。 24の指標とは「図書館数」、「自動車図書館数」、「専任職員数」、「司書率」、「蔵書冊数」、「図書年間購入冊数」、「新聞・雑誌年間購入種数」、「人口当たり貸出点数」、「予約件数」、「図書館費」、「資料費」、「人口当たり資料費」などです。 それぞれの図書館で図書館計画を作るにあたり、何を指標(目指すべき目標)とするかを定める時に、参考となる重要な指標が示されています。「資料2」は、図書館雑誌の指標にもとづき、豊田市の2017年度の実績で作成したものです。私が独自に提案している指標「中学校区設置率」(図書館数と公立図書館数が1:1を100%として算出)を最後に加えています。  そこにある考え方は、全国の公立図書館間に、図書館の体制、サービスの内容に、非常に大きな格差があり、しかも大半の図書館のサービスレベルがあまりにも低いため、貸出上位10%の図書館の平均値をとって、ようやく、基準値(参考値)として意味をなすということであると思います。 ※ 資料2、『図書館サービスの望ましい指標と豊田市図書館の比較』2017年度(以下『比較表』という。) 私は『図書館雑誌』の5月号に掲載される“「貸出密度上位の公立図書館の整備状況・   年」について”を見るたびに、あらためて今から19年前の2000年(平成12年)に、日本の公立図書館では「“本物の図書館”は全体の5%ほどしかない」と言われた菅原竣さんの言葉を思い起こすと共に、図書館をめぐる状況が年々一層きびしくなっていると痛感しています。 【菅原竣さん(1926―2011.6.24;日本図書館協会に25年間勤務、1978年、図書館計画施設研究所を始め、全国の100をこえる図書館の図書館建設計画に関わり、図書館づくりの現場に、日本でもっとも多く、もっとも深く関わった。また全国各地の図書館づくり住民運動にとってかけがえのない活動をされた。2000年1月、月刊誌『アミューズ』(毎日新聞社)の誌上での発言。「“図書館にはDNAが大事です”日本の図書館は、3タイプに分けられる。①図書館という看板の下がった役所(全体の半分以上)、②無料の貸本屋(残りの70~80%)、③本物の図書館(5%)。しかも、当初③であっても、①②化していくケ-スが珍しくない。」)《D=ディレクタ-=名前だけの館長ではなく「図書館長の職務を果たす」図書館長、N=ニューブック=新しい本、A=アトラクティブ=魅力的な職員》】 (2)「望ましい基準」・・・図書館法の制定から公示までに51年、その経緯について  1950(昭和25)に公布された「図書館法」の制定は、「公費による設置・運営、無料公開の原則」という、「パブリック・ライブラリーを初めて制度化する日本の公立図書館の歴史の中で「画期的な転換であった」とされ、以後「法の理念を具現化すべく重ねた多くの関係者の努力が、めざましいその発展を生み出してきた」とされる一方で、サービスの格差が広がり、「本物の図書館」は5%という現在の在りように至っていると私は考えています。図書館の職員体制や全域サービス網の整備の実態、各館でのサービスの実際を見て、これが同じ図書館と言えるだろうかと思えるほどの大きな格差を生み出した大きな要因の一つが国の図書館政策の不在にあると考えられます。 実は、自治体間でサービスの格差が生まれるということは、図書館法の策定にあたった文部省の担当者自身が考えていたことでした。公立図書館の設置は条例に基づいて自治体が行うものですが、その際、自治体が独自に図書館の設置、運営をすすめると、しっかり取り組む自治体と、そうでない自治体がでてくるだろうと文部省の担当者は考えたのです。このため、自治体間でサービスの格差が広がるのことがないように、どの地域でも一定水準のサービスが行われるようにするために考えられたのが、図書館法の第7条の2、「設置および運営上望ましい基準」(以下「望ましい基準」)の規定でした。「文部科学大臣は、図書館の健全な発達を図るために、図書館の設置及び運営上望ましい基準を定め、これを公表するものとする。」 法制定時は、文部科学大臣ではなく、「文部大臣は」でしたが。「基準」という考え方、その条文を定めたことは、とても重要なことであったと考えます。しかし、実際に「望ましい基準」を策定し公示したのは2001年(2012年・改正)、図書館法の制定から51年後のことでした。しかもその際、基準を具体化していくために重要な「指標」や「数値目標」は示されませんでした。それは「望ましい基準」を実現するための財政的措置を国がとらないということでもあります。図書館法制定後、51年を経て、なお一貫してと思える国の図書館政策の不在、欠落を示すものでした。このため、図書館法策定に関わった担当者が危ぐした通り、その50年の間に図書館サービスの格差のすさまじい図書館が各地に生まれて来たわけです。 しかも、ようやく公示された『望ましい基準』には、「指標」や「数値目標」が示されなかったため、『望ましい基準』としての有効性を発揮することが大きく期待できないことを、『望ましい基準』公示後の、図書館の状況が示していました。『望ましい基準』の策定、公示が現実的に公立図書館の現況を変える動きを生みださなかったからです。こうしたことを踏まえて、2006年、文部科学省の「図書館の在り方検討協力者会議」が、指標を定め、人口段階別に貸出上位10%の図書館の平均数値を具体的な「数値目標」(実際には基準値、参考値)として提示し、以後、日本図書館協会が毎年作成し公表しているものが、先に述べた『図書館雑誌』の5月号で掲載されているものです。「望ましい指標と数値目標」を実際に策定するにあたって、人口段階別の「貸出上位10%の図書館」の指標ごとの平均数値を参考にして、図書館計画を策定することが、まず、各地の図書館に求められています。 (3)2つの道 どちらの道に進むか。 この「指標」と「数値目標」が公表された時、全国の図書館の対応は2つに分かれました。その指標と目標値を参考にして、図書館サービスの指標と目標値を定め、目標年次を定めて、その計画を広く市民に周知して取り組んだ少数の図書館と、有意義な「指標」と「数値目標」を含んだ図書館計画をたてることに取り組むことなく今日に至っている大多数の図書館とにです。 佐賀県の伊万里市民図書館(1995年7月7日開館)では、「望ましい基準」が公示された2001年の2年後に、図書館長の諮問機関である図書館協議会に諮問し、綿密な調査の上、「望ましい基準」を参考に、「伊万里市民図書館の運営目標値」、「伊万里図書館の望ましい運営と基準」(「数値目標」と「達成年次」を明示)を定め、毎年、図書館報『としょかん通信』などで、その進捗状況を市民に広く周知しています。伊万里市民図書館の取り組みで注目されるのは、図書館協議会に諮問して、そこで綿密な調査と熱心な協議を経て策定していることです。図書館協議会の本来的な役割をほんとうに果たす取り組みだと思われます。 ※資料3  伊万里市民図書館『としょかん通信』令和元年 初夏号 第209号 さらに、指標の項目では、『図書館雑誌』(5月号、「数字で見る日本の図書館」)で提示されている24の指標以外に、新たに3つ、「新規図書冊数比(%)」(注:年間購入冊数の開架冊 数に占める割合)と「参考業務受付件数(レファレンス)」、及び「団体貸出冊数」を指標としている点が注目されます。いずれも大切な指標です。このように伊万里市の実態に即して独自に指標(と数値目標)を定めていることも、他の自治体においても範としたい取り組みです。 また「団体貸出冊数」を指標としているのは、伊万里市民図書館が、移動図書館2台で69箇所を巡回して全域サービスに力を入れるとともに、団体貸出にも力を注いでいるからです。平成29(2017)年度の実績をみると、「団体貸出の目標値」60,000冊に対し、実績129,675冊、達成率216.1%となっています。保育園や小中学校の各クラス、老健施設が対象です。伊万里の人口は55,313人で、豊田市の人口424,000人の13%(1/7.66 )ですが、豊田市図書館の同年度の「団体貸出数」53,000点の2.4倍という実績からも、そのことがうかがえます。伊万里市民図書館の「望ましい基準」を活用した取り組みは豊田市図書館のこれからを考える上で、大切なヒント、手がかりとなるように考えます。 (4)「望ましい基準」について考えていること  「望ましい基準」からみた豊田市の図書館の話に入る前に、『望ましい基準』について私が考えていますことを述べさせていただきます。はじめに、「身近に図書館はなかった」のところでも述べましたが、1988年12月1日から、私は福岡県の苅田町という人口34,000人の町で図書館開設準備課の発足時から、準備室長として町立図書館の開館準備にかかわりました。その時、全国の先進的な活動をしている図書館の実践に学びながら、全国トップクラスの活動をしている図書館のサービス水準をベースにして、町の図書館計画を作成しましたが、開館後の利用は、私たちの想定を遥かにこえるものでした。想定の2倍を超える利用を前にして、住民の方たちの図書館に寄せる思いや願いの奥深さを知らされました。図書館員である私が想定した図書館の在りようについて、思いの至らなさ、考えの浅さ!を思い知らされたのです。  図書館計画では1990年、開館時の利用を、登録25%、町民1人当たり貸出を6冊、5年後の目標を登録33%(町民の3人に1人の利用;1人が月2冊、年間24冊の貸出を想定)、貸出密度7.92冊としていました。1988年1月に作成した資料『2001年われらの図書館―すべての福岡市民が図書館を身近なものとするためには―』(福岡の図書館を考える会)では、当時、「貸出密度」が4.5冊以上の図書館名をあげていますが、7冊をこえていたのは市区町村立図書館で12館、うち9冊以上は3館のみでした。(北海道訓子府町 12.5、浦安市10.1、成田市9.6、置戸町8.9) 苅田町では、開館2年目には登録は50%をこえ、1990年度から、私が退職するまでの5年間の貸出密度は、10.0(11ヶ月間)、12.8、14.6、15.6、16.9という利用度でした。退職後の1999年には18.3冊でした。全国的にみて高い水準に設定した目標の2倍をこえる利用があった背景として私の在職時(1988.12~1995.3;開館は1990.5)に移動図書館と分館3館(40㎡が1館、250㎡が2館)による全域サービスの網の整備と、資料費4,000万円台、町民1人当たり1300円台の確保、そして職員体制の整備がありました。(参考:豊田市図書館2017年度;貸出密度7.4、分館0、人口当たり資料費214円、中学校区設置率4%:苅田町の中学校区設置率200%) 苅田町での経験を通して、『望ましい基準』に示された数値は、その数値に達すれば「望ましい」状態に達したことを示すものでは、決してなく、すべての住民の、生涯にわたる図書館利用に向けての、スタートラインにようやく立ったに過ぎない、と私は考えるようになりました。その基準値に到達した図書館には、「いつでも」「どこでも」「だれでも」(とりわけ図書館利用にハンディキャップのある人へのサービスなど)「なんでも」利用できる、すべての住民の生涯にわたる学びを保障する図書館づくりに向けて、さらなる取組みが待ち受けていると考えています。 ちなみに1990年に開館した苅田町立図書館では、『望ましい基準』が図書館法制定後、51年にわたって策定、公示されなかったため(公示は2001年)、この間なんども『望ましい基準』を作ろうという動きの中で、作成された、1972年の『望ましい基準(案)』(専門委員会案)や1992年の生涯学習審議会図書館専門委員会の「望ましい基準について(報告)」を図書館計画策定や運営上、参考すべきものと考えてきました。1992年の「報告」については、「数値目標として人口規模別の開架冊数を示し、その5分の1を年間収集冊数とすることを挙げるなど」積極的な内容を含むものでしたが、「この報告も文部省生涯学習局(当時)名による「通知」とされ、告示にはいたりませんでした。」文部省の不作為が繰り返されたのです。 【「望ましい基準」作成までの経緯について。①1967年、文部省に設置された委員会で作成されたが、文部省社会教育課長名による「審議会の報告送付」として、都道府県教委社会教育課長に送られただけで、告示にはいたらなかった。②5年後の1972年、図書館専門委員会で審議し、施設分科会長に報告されたが、その案は文部省の係官によって書きかえられ、翌年、社教審議会にかけられ、一応承認されたが、公示されないままで終わった。この経過から、『望ましい基準案』には、1972年の「図書館専門委員会案」と1973年の「施設分科会案」との2つがあることになりました。「分科会案」は担当した、当時日野市立図書館長の前川恒雄さんによると、「1972年9月12日の委員会報告に対し、文部省でほとんど全面的に書きかえられたため、ねばって最大限の訂正をしましたが、基本体制とサービス網が欠落したことは、どうも仕方がなかったということです。」(『図書館雑誌』67巻10号467頁;『図説 図書館のすべて・改定新版』図書館問題研究会編著.ほるぷ出版1985 ) また、『移動図書館ひまわり号』(前川恒雄、筑摩書房1988:〈復刊〉夏葉社2016.7)の「公立図書館の望ましい基準」の項に、その経緯について生々しいいきさつが書かれています。「基準」とは何かについて、前川さんの明確な考え方が示されています。 このため、『望ましい基準(案)』と呼ばれた、「専門委員会案」を、図書館によっては、これを『望ましい基準(案)』として活用しましたが(苅田町でも)、あくまでも“案”である、“案”にすぎないとして、図書館の計画や運営に活用する図書館は少なかったのです。1992年に生涯学習審議会図書館専門委員会で作成された『基準』についても公示されず、『望ましい基準(報告)』とされて、各図書館での対応は『案』と同じ道をたどったのでした。『望ましい基準』の策定にたいしての文部省の非積極的な対応がきわだっていたことを示すものです。 ※資料4「苅田町立図書館のサービス指標」(1994年3月31日現在) 「他の図書館との比較」 (5)「専門委員会案」とは 専門委員会案がどんなものだったか。「望ましい基準」を、具体的に考えるための一助となることを願って、以下にその概要を記します。 「公立図書館の望ましい基準案」 (専門委員会案)  基本的態勢、市町村立図書館、都道府県県立図書館の三つに分けて基準を定めている。  基本的態勢  (1)すべての国民が、市町村の設置する“図書館の直接的サービス圏におかれるべき”こと  (2)“都道府県ごとに、わが国における主要な出版物のすべて、およびその他住民の多種多様な必要を充たしうる資料”の利用を可能ならしめること  (3)図書館相互および公民館・博物館等との協力連携  (4)図書館の専門職員の重要性、その待遇に対する配慮  (5)資料を“責任をもって選択すべき”こと、適切な整理、配置、利用方法をとること  市町村立図書館に関しては、 (1) 市町村は、本館・分館・移動図書館からなるサービス網によっておおわれなければならないこと (2) 貸出が市町村立図書館の最も基本的な業務であり、住民の生活にやくだつためのサービスの水準は、 年間貸出冊数  人口の2倍     貸出登録人員  人口の15% (注:1973年度人口当たり貸出冊数 0.37冊) (3) 貸出冊数の半数またはそれ以上が児童図書であることが望ましい。 (4) 最低必要な年間増加冊数 市立図書館  人口千人あたり125冊  町村立図書館  2,000冊以上  (5)専門職員の数は、市立図書館  人口7,500人につき1人      町村立図書館  5人以上      非専門員の数は、専門職員の数の2分の1程度   など  ※1981年(昭和56年)に始まった「滋賀県の図書館振興策」では、「望ましい基準(案)に規定された「年間図書収集(増加)冊数」を基準値として、基準を満たす市町村立図書館の図書購入費についてのみ3分の1の購入費補助を行うとした。これが市町村立図書館の資料費を大幅に引き上げる効果を生んだ。「望ましい基準(案)を活用した適例。  5.「望ましい基準」から豊田市図書館をみると 2018年6月10日に私は初めて豊田市をお訪ねしましたが、その時、『図書館サービスの望ましい指標と豊田市図書館との比較』(平成27年度/2015年度)という表(以下、「比較表」という。)を作成して持参しました。図書館の話で呼ばれて出かける時、私はいつもその地域の図書館と「望ましい指標」との比較表を作っていくのですが、その表から、その地の図書館の様子や直面している課題などが立ち現れてくるように思うからです。 あれから1年になりますが、今回、2019年5月現在で公表されている最新の統計である2017(平成27)年度の「比較表」を作成しました。この『比較表』は豊田市の活動の実態、実績を示す各指標を「望ましい指標・基準値」と比較して、その到達度を明らかにすることで、豊田市図書館のサービスの現状と課題を明らかにするとともに、豊田市図書館のサ-ビス計画の策定に資すること、策定に役立てることが、『比較表』を作成する趣旨であります。その趣旨に則り、『比較表』をより有効なものとするために、豊田市と人口同規模で、豊田市の図書館と比較することが有意義な図書館を、「もう一つのものさし」とすることとし、町田市立図書館を比較対照する図書館としました。なぜ町田市の図書館を選んだか。 2017年度では豊田市と人口同規模「30万人~」で図書館を設置している市は51市、そして51市の中で「貸出密度」(住民一人当たりの貸出資料数)が上位10%の市とは具体的には6市です(吹田市、町田市、豊中市、藤沢市、枚方市、高槻市)。そしてこの6市の図書館の17年度の実績を指標ごとに合計し、その平均数値を「望ましい基準値」(各指標)としています。このためこの6館の中には、当然、各指標を上回る館や指標よりも低い館もあります。 この6館に含まれる図書館の一つである町田市立図書館は、1965年に開館した日野市立図書館が切り開いた、「図書館革命」とも呼ばれた道を、多摩地域の図書館と共に歩んできた図書館でもあります。また、町田市は『図書館運動五十年―私立図書館に拠って―』(日本図書館協会 1981)の著者浪江虔氏(日野市の図書館計画の原案作成に協力、町田市内の地域文庫の支援や市立図書館の充実を要求する住民運動、日本図書館協会の理事他の活動)が活躍された地域でもあります。以上が町田市立図書館を、「もう一つのものさし」とした理由です。 ※資料5「基本的な指標の確認から、2017(平成29)年度でみると(豊田市と町田市)」 ※資料2『図書館サ-ビスの望ましい指標と豊田市図書館の比較』2017年度 この『比較表』は、1「人口」から25「中学校区設置率」まで、25の指標で作成しています。1の「人口」と(統計数値が不明な14「新聞年間購入種数」の2つの指標を除いた23の指標のうち、豊田市が「望ましい指標(基準値)」をこえているのが10。(そのうちの1つは、「委託・派遣職員数」235%、「専任職員」0) (1)図書館を構成する4つの要素と図書館の活動を支える予算(図書館費)の7つの面から豊田市の図書館をみる  図書館を構成する3要素として、「図書館資料」、「図書館職員」、「施設」の3つがあげられ、優れた図書館サービスに果たす、3つの要素のウエイトは、資料20%、職員75%、 施設5%であるとアメリカの図書館界で、あるいは経験的にいわれています。それほど、資料と利用者を結びつける図書館員の果たす役割の大きさを示すものだと思います。 また、図書館を構成する要素としては、図書館の主人である「利用者」を欠かせません。図書館サービスの評価は、利用者である市民に、どのような図書館サービスをおこなっているかをものさしにして判定されます。また、施設がしめる貢献度が5%という場合の施設とは、建物や設備というハード面が主たる内容と考えられますが、私たちが、ここで言う「施設」とは、単なる建物のことではなく、分館、中央館、移動図書館からなる「図書館システム」のことを意味しています。 2017年度の豊田市の比較表を見る時には、1「施設」(No.1~4),2「職員」(No.5~9), 3「資料」(No.10~14)、4「利用者」(『比較表』のNo.15~17)、の図書館を構成する4つの要素と、これらの活動を支える税金による経費、5「図書館費」(予算No.19~24 )という5つの要素に分けてみていただければと思います。ここでは、主に1の「利用者」について見ながら、関連する他の項目(要素)にもふれたいと考えています。 (2)「利用者」(読者)・・豊田市民はどのように利用しているか。(2017年度・資料2『比較表』参照) 【『比較表』の15「登録者数」、16「貸出点数」、17「人口当たり貸出点数〈貸出密度〉」、 18「予約件数」】が、「利用者」を表す指標です。 ①「登録者数」は・・・・望ましい基準の到達度205%が意味していること 豊田市の登録者数は351,800人で「望ましい基準値」174,092人に対し205の指数(到達度)、基準の2.05倍、一方、町田市の指数は247(基準の2.47倍)となっています。目標値の2倍をこえているので、かなり高い数値、登録であると思われるかもしれませんが、大切な点は、この登録者(登録率83%)のうち、豊田市民、及び豊田市への通勤通学者がどれだけあるかということです。また、利用カードを持つ市民のうち、その年度に実際に利用しているのはどれだけか、ということです。豊田市図書館はまず市民の図書館ですから、また、市はすべての市民に対し図書館サ-ビスを行う責務があります。市民の登録の実態を的確に市民に知らせる責任があります。 次の項で述べる「貸出密度」の豊田市の到達度は90%で、登録者の到達度205%の   44%と、半分以下となっています。登録者の統計数値が、実利用者(その年度に実際利用した数)を示すものであれば、豊田市の場合、登録者の到達度205%にみあった、もっと高い貸出密度になるものと考えられます。登録者と貸出密度の到達度の大きな違いは、登録をし、利用カードをもっていても、実際に利用できないでいる市民が多くいることを示すものと考えられます。 市民が歩いて10分のところに全域サービス網をつくり、豊かな内容の図書館サービスを実施している図書館のなかに、「登録者」の統計をとっていない図書館があります。(例えば、浦安市立図書館)利用者の中には、本館などで利用カードをつくったものの、図書館が身近になく、図書館を利用できない人たちが少なくありません。また、福岡県の例ですが、登録率が155%をこえ、貸出の59%が他の町や市からの利用というケ-スもあります。図書館によっては、何年間も貸出をしていない人も毎年、登録者としてあげている図書館もあるようです。『日本の図書館』の登録者の統計数値からは必ずしも実態がわからない現況があるのです。 登録者の統計を意味あるものとするためには、小学校区別の登録率、その年度に実際に利用した(実利用者)の統計をつくることだと考えます。そして、その際には、豊田市民の登録率の目標値を定めて取り組むことが重要です。 ②「貸出点数」と「人口当たり貸出点数(貸出密度)」は ※ 以下、[資料6 「豊田市図書館 利用統計2013(平成25)~2018(平成30)年度 ※ 資料1「望ましい基準(指標)、及び人口同規模の町田市との比較」を参照。  「貸出」は市民が図書館を利用する、もっとも一般的な利用方法です。図書館が市民にどれだけ利用されているかを表すもっとも基本的な指標が「貸出密度」(人口当り貸出点数)で、国の内外で基準の指標とされています。今、ここで述べている「比較表」の標題が「貸出密度上位の公立図書館整備状況・2018」に見られるように、貸出(密度)を基準にして作成されていることからも「貸出」をものさしとして市の図書館の在りかたをみることが大切なポイントです。  『比較表』別表2でみると、  豊田市:「貸出点数」3,153,000点、「到達度」90%;「貸出密度」7.4、到達度83%  町田市:「貸出点数」3,780,000点、「到達度」107%;「貸出密度」8.8、到達度99% 豊田市の「貸出点数」は町田市の83%で、627,000点少ない。627,000点というのは 豊田市の貸出総数の20%にあたる、大きな数値です。 ③この格差を生み出しているものは一体なんでしょうか。 ・中央館とその他の館の貸出の割合を見ると、 1.豊田市 中央館(12,567㎡)143万8,000点  46%    サービスポイント 171万5,000点  54% (2分の1をこえる、約1/ 2)   合計       315万3,000点 サ-ビスポイント32の内訳   (1)子ども図書室        (67㎡) (2)コミュニティセンター図書室3(162㎡、298㎡、291㎡)   (3)交流館28 ※ ネットワーク館の面積の内訳((2)と(3)をネットワーク館という    ①50㎡以下 8 ②50~100㎡ 11 ③100~150㎡ 4 ④150~200㎡ 4 ⑤200~300㎡ 4  2.町田市     中央館(5,262㎡) 141万5,000点  37%     分館7       236万7、000点  63%     合計        3,780,000点   63%  (自動車図書館3台74,000点、サービスポイント3:461,000点は各担当館に算入) ※7つの分館の床面積  260㎡、321㎡、429㎡、1,190㎡、1,230㎡、1,234㎡、1,500㎡  中央図書館の貸出は、床面積で約2.4倍の広さの豊田市(12,567㎡)が143万8,000点で 町田市(5,262㎡)141万5,000点(豊田市の98%の貸出点数)と大差ない。中央館以外の分館等の貸出は、豊田市が171万5,000点(全体の54%の貸出)、町田市が236万7,000点(全体の63%)で、豊田市が62万7、000点ほど低い貸出点数となっています。総貸出点数で62万7,000点の格差がありますが、そのすべてが、中央館以外の貸出によるものです。豊田市では、中央館以外のサービスポイントでの貸出が全体の54%で約1/ 2であるのに対して、町田市では63 %, 約2/3が分館等の貸出でした。町田市も全域サービス網の整備という点からは、中学校区設置率40%(図書館数8館÷市立中学校数20校✕100)で、まだ実に大きな課題を抱えていますが、それでも、豊田市の中学校設置率4%と比較した場合、10倍もの設置率となっています。  町田市の分館等の実績が示しているのは、豊田市では、身近に歩いて行ける所に図書館がないため、実際に図書館を利用できない市民が相当数いるということです。日常的に図書館を利用できない市民にとっては、図書館のないまちに住んでいるということでもあります。 ④「予約件数」と「図書館間借受」件数から見えてくること  豊田市の図書館が直面している課題が露出! まず《予約件数》から 『「本の予約」って何だろう』のところで、「1冊の本の予約」のもつ意味あいについて考え、図書館サービスの中で、「予約・リクエスト」が、どんなに大切で重要なものであるかについて述べましたが、豊田市の図書館の「予約」を統計数値からみると、豊田市の図書館の現況・実態と直面している課題が立ち現れてくるように思います。 2017(平成29)年度の実績から 「予約件数」=A 、「図書館間借受」=B とする。 ※ 「図書館間借受」とは、図書館にリクエストされた本のうち、図書館に未所蔵でその 本が絶版や品切れ等の理由で購入できない場合、その本を所蔵している図書館(国立国会図書館や、県の内外の公立図書館;図書館によっては、大学図書館や研究機関等から相互貸借で借り受けること) 豊田市図書館 A「予約件数」中央19万4,700+サービスポイント24,000=21万8,700     「望ましい指標75万8,001」  到達度29% 中央は全体の89% B「図書館間借受」1,695点  (指標なし) 町田市 A「予約件数」 合計63万4,000     中央館17万6千+分館7館45万7,900=63万4,000 中央館28%+分館72%=100% 「望ましい指標75万8,001」 到達度84%  B 「図書館間借受」10,969点 豊田市の「予約件数」は、218,700で、「望ましい指標(基準値)」758,001に対する到達度は29%、町田市は、634,000で、到達度84%、件数で豊田市の2.9倍、41万5,300件も上回っています。「貸出密度」と「予約件数」の到達度は、ある程度の相関性があると考えられますが、豊田市の「貸出密度」の到達度83%に対して、「予約件数」の到達度32%は、「予約件数」の低さが際立っていると考えられます。町田市の「貸出密度」の到達度99%、「予約件数」の到達度83%をみても、そのことが言えるのではと考えます。 ⑤なぜ、「予約」が少ないのだろう  なぜ豊田市の図書館では、図書館サービスで、きわめて重要な「予約」が少ないのでしょうか。「予約」の内訳をみると、豊田市では、中央館で19万4,700件(全体の89%)、31のサービスポイント(子ども図書室を除く)で24,000件となっています。町田市との大きな違いは、中央館の予約件数が全体に占める割合です。豊田市の89%に対し、町田市では29%です。 中央館に比べて、はるかに小さなスペースで、開架図書の冊数、新刊購入冊数がより少なくても、それが市民の身近にあって、いつでも気軽に利用でき、読みたい本や探している本の相談に対応する司書がいれば、予約の利用が高まることを町田市の実績が示しています。町田市で分館等の予約が、全体の72%、約3/ 4近くを占めていることからも、そのことがうかがわれます。  豊田市の32のサービスポイント;24,000 件(全体に占める割合、11%)に対し、町田市の分館等では45万7,900件(全体に占める割合、72%、約3/4)、なんと19倍もの大きな格差があります。この格差の大きさを目にして、まずは心から驚くことが大事だと思います。見過ごしやり過ごしてはならない格差の大きさ、しかも、図書館のもっとも基本的な大事なサービスに関わる格差です。一体どうしてこのようなことが起きているのでしょうか。その格差を生みだしているのは何でしょうか。  そのもっとも大きな要因は、豊田市の貸出の54%を占めている31のサービスポイントの実態にあると考えられます。何より図書館の分館ではないため、肝心要の職員がいません。利用者がどんな願いや要望をもってきているか、それをききとり、その地域のひとたちの要望や地域の課題にかなう蔵書をつくっていくため、日々、人と本を知り、その経験の積み重ねで本を選ぶ力を育て、人と、そのひとに適う本を結びつける職員がいないのです。司書である専門職員のもっとも大切な仕事が選書、本を選ぶことにあります。その力は短兵急に身につくものではありません。継続的な日々の研鑽の積み重ねがその力を育てていくのです。本棚の前に立った利用者に、ここには、私の求めるものはないと思わせない選書、利用者を手ぶらで帰らせない選書の力を育むために力をつくす職員がいなくて、どうして魅力的な棚を作ることができるでしょうか。  小さなスペースであれば、魅力的な棚作りのために、職員にはより一層の細やかな取り組みが求められます。 ⑥ 移動図書館図書館のこと、全域サービス、システムとしての図書館 豊田市と人口同規模の町田市と比較して、まず目を引かれたのは市の面積の大きな違いです。町田市71.5㎢に対し、豊田市は918.3㎢と約13倍の広大な地域であるということです。愛知県の面積の18%を占め、県内で最も広い面積の自治体です。これは2005(平成17)年4月の旧豊田市(290.1㎢)と周辺の4町2村(約627㎢)との合併によるもので、旧豊田市の3倍をこえる広さとなっています。〔名古屋市326.4㎢、岡崎市387.2㎢、豊橋市261.9㎢、京都市827.8㎢、東京23区面積627.6㎢、横浜市437.4㎢〕 豊田市の面積の約1 / 13の町田市では市役所の分室392㎡を図書館に改造して1970年3 月に町田市立図書館が開館しましたが、7か月後の同年10月に、移動図書館1号車をスタートさせ、翌年の1971年9月に2号車、さらに1972年10月に3号車をスタートさせ、以後今日まで3台の移動図書館が、50年に迫ろうという運行を続けています。また、この間、1974年6月金森分館(1981年、増築)、1976年7月木曽山分館、1977年10月鶴川分館、1983年9月堺分館、そして1990年11月に中央図書館、2012年10月鶴川駅前図書館、2015年5月忠生図書館を開館しています。 移動図書館は現在、1台に約3,500冊の本をつんで、2週間に1回の周期、1か所30分から50分間、65か所のステーションを巡回して、貸出、返却、予約サービスを行っています。 町田市が移動図書館を始めたのが、市立図書館を1970年に開館した年であり、翌年、翌々年に2号車、3号車と立て続けにスタートさせ、また分館を順次開館していったのには、町田市立図書館の開館当初からの明確な考え方、運営方針があることが伺われます。 日野市立図書館が切り開き、そのサービスの形を明らかにしていった「全域サービス」が、町田市立図書館の「運営方針」の柱としてあり、開館した年から「全域サービス」を目指した活動が始められていることです。 「全域サービス」とは何か。 1965(昭和45)に開館した日野市立図書館は、開館2年後の1967(昭和42)年3月、 『業務報告 昭和40・41年度』(日野市立図書館)を発行しています。開館後2年間 の業務報告です。どのような考え方のもとに、どのようなサービスを行ってきたか。その報告の最初に書かれているのが、  「 Ⅰ 日野市立図書館の方針      日野市立図書館はどういう図書館か      日野市立図書館の運営方針    」です。 「運営方針」は3つ掲げられていて、1つ目が「Ⅰ 貸出しの重視」、2つ目が「Ⅱ 全域サービス」、3つ目が「Ⅲ 資料が第一」です。2つ目の「全域サービス」は次のように書き始められています。 「日野市内のどこに住んでいようと、同じように図書館を利用できなければ市立図書館とはいえない。買い物かごを下げ、げたばきで利用きる図書館であって始めて「市民の」図書館と言えるのである。このためには市内の各所に分館や移動図書館の駐車場が必要になる。」  (略) 「この簡易な施設で市民のあらゆる要求に応えなければならない。この課題を解決する方法は、これらの分館や移動図書館が単独で働くのではなく、一つの組織の第一線として働くことである。水道の蛇口をひねれば貯水池から水が流れてくるように、分館や移動図書館の駐車場に図書が必要に応じて配分される態勢が必要なのである。この組織と態勢が日野市立図書館であって、一つの建物が図書館はない。 日野市立図書館の設置条例第二条に「図書館は中央図書館と分館よって構成される」とあるのは、このような組織としての図書館を規定したものである。」 苅田町でも日野市の例を範として、 【『苅田町立図書館の設置及び管理に関する条例』 平成元年(1990)12月21日 条例第43号 (構成) 第2条 図書館、本館及び移動図書館等の組織網によって構成する。】としています。 移動図書館図書館のサービスとはどんなものか。町田市で移動図書館が走り始めて48年目、2017年度の町田市立図書館の業務報告から見てみたいと思います。 【(2)移動図書館サービス】 図書館が身近にない地域へ図書館サービスを継続的に提供するために、移動図書館車(そよかぜ号)による巡回サービスを1970年10月から始めました。 現在はさるびあ図書館から2台で43か所、堺図書館から1台で22か所、合計65か所のサービスステーションへ2週間に1回巡回しています。 サービス開始当初は多くのこどもたちでにぎわっていた移動図書館ですが、最近は市民の高齢化を反映してお年寄りの利用も目立ってきており、わざわざ図書館まで足を運ばなくても自宅の近くで本を借りられるというメリットが生かされています。また、学童保育近くの移動図書館サービスステーションでは、その場で団体貸出も行っています。 なお、堺図書館では1か月に一度「日本聾話学校」にも施設巡回サービスを行っています。 2017年度には、1,446回の巡回貸出を行い、その貸出冊数は(団体貸出を含む)は」、76,888 冊となっています。 町田エコフェスタ等のイベントに参加して、市民の皆様に移動図書館を実際に見ていただき、図書館のPRも行っています。サービスステーションの見直しを行い、2017年4月より4か所の変更を行いました。】 〈『町田の図書館 2017年度(平成29年度)』町田市立図書館〉  「図書館が身近にない地域へ図書館サービスを継続的に提供するために、」 に目をこらしたいと思います。 ⑦ 分館とは;分館を具体的にイメージするために  ここまで、何度となく、分館、分館と書いてきましたが、「分館」というものを、具体的にイメージしながら考えることが大切だと考えています。ほんとうは、分館の働きをしている図書館を見ること、できれば半日、そこにいて職員の動きや利用者の様子を見たり、また、できれば分館長や職員、利用者と言葉をかわせるといいのですが。今、どうすればよいかと考えて、その一助となることを願って、『日本の図書館2018』から町田市立図書館の記載箇所から、抜き出して書いてみることにしました。見にくいと思いますが、豊田市のそれと見比べていただければと思います。  その前に、  日本図書館協会の政策提言『豊かな文字・活字文化の享受と環境整備』(日本図書館協会、2006年;2012年改正)の「公立図書館の整備」での2つの提言を紹介します。 1. 市町村の図書館は、おおむね中学校区を単位とした住民の生活圏域に整備すること。 2. 地域の図書館は800㎡以上の施設面積でつくり、5万冊以上の蔵書をもち、3人以上の専任職員を配置すること。 分館の在りようを考える時の、大切なものさしです。この2つをものさしにして、豊田市のサービスポイントや町田市の分館をみていくことが、大事であると考えます。 下記の町田市の分館で注目されるのは、2000年以降につくられた3館です。 ① c(金森)2000年:1,500㎡、職員3(うち司書3);非常勤・臨時16 貸出61万7、000点、予約12万6,300件。 ② f(鶴川駅前)2012年:1,190㎡、職員4(うち司書2);非常勤・臨時14 貸出47万8、000点、予約10万3,100件 ③ g (忠生)2015年:1,230㎡;職員4(うち司書3);非常勤・臨時13 貸出48万4,000点、予約61,700件。 2,000年、2,012年、2,015年と分館の整備を粘り強く持続していることです。しかも3館いずれも先に述べた『図書館からの政策提言』の趣旨に則ったもの、あるいはその趣旨に近い形を実現していることが注目されます。その成果が貸出点数や予約件数からもうかがわれます。 新しい3分館の床面積の合計は3,920㎡と、豊田市中央図書館(12,567㎡)の31%、約1/3の床面積ですが、3分館の貸出の合計は157万8,000点で、豊田市中央図書館の143万8,000点を14万点、上回っています。分館3館で、豊田市のサ-ビスポイントの24,000件の12倍の予約となっています。 身近な図書館(分館)が、いかに市民の生活圏の中でこそ利用され、必要とされているかを示すものですが、同時に今、豊田市では身近に分館や移動図書館がないために、どれだけ多くの市民が図書館を利用できないでいることをも示しているとも考えられます。 豊田市の32のサービスポイントは、広い所で、200~300㎡で、それに該当するのは4館のみ、あとの28館は200㎡以下の広さです。100㎡以下が19館です。そのことを念頭に町田市の各分館の広さ(床面積)や各項目を見ていただきたいと思います。 町田市立図書館                           A=予約件数 町田市中央(5,262㎡)職員29(司書9)・非常勤・臨時49;貸出141万5千【A176千】  分館a(1,234㎡) 職員8(司書3)・非常勤・臨時13;貸出32万9千 【A65.6千】      (自動車図書館2台、貸出7,700  ;予約6,600  上記に含む)  分館b(260㎡) 職員3(司書1)・非常勤・臨時6;貸出18万1千 【A44.8千】  分館c(1,500㎡)職員3(司書3)・非常勤・臨時16;貸出61万7千 【A126.3千】  分館d(321㎡) 職員3(司書2)・非常勤・臨時8;貸出18万8千  【A36.8千】  分館e(429㎡) 職員4(司書2)・非常勤・臨時8;貸出 9万    【A19.9千】  分館f(1,190㎡)職員4(司書2)・非常勤・臨時14;貸出47万8千  【A103.1千】  分館g(1,230㎡)職員4(司書3)・非常勤・臨時13;貸出48万4千  【A61.4 千】     〔自動車図書館1台、貸出26,000 ;予約 5,700  上記に含む〕    〔サービスポイント3  貸出43,000 、予約35,300 各担当館に算入〕  合計図書館数8、職員58(司書25)・非常勤・臨時127;貸出378万:予約63万4千  「予約」内訳①中央館176千(28%)②分館7(45万7.9千;72%) 「図書館間借受」10,969 豊田市図書館 中央館(12,567㎡)職員(正規)0,委託派遣職員84;貸出143万8千 【A194.7千】  サービスポイント32  職員0          ;貸出171万5,千 【A24.千 】    合計                貸出315万3,000点、A予約;218,700 サービスポイント32の内訳   (1)子ども図書室        (67㎡) (3) コミュニティセンター図書室3(162㎡、298㎡、291㎡)   (3)交流館28 ※ ネットワーク館の面積の内訳((2)と(3)をネットワーク館という)    ①50㎡以下、8館 ②50~100㎡、11館 ③100~150㎡、4館 ④150~200㎡、4館 ⑤200~300㎡、4館 ※ 200㎡をこえるのは4館だけ。全体的に狭いスペースが多い。  参考:町田市分館7館;260㎡、321、429、1,190、1,230、1,234、1,500㎡ ネットワーク館での予約件数ごとの館数 ①100件以下、2館 ②100~500、8館 ③500~1,000、10館    ④1,000~1,500、8館 ⑤1,500~1,700、3館 :合計27,500 ※ 町田市サービスポイント3ヵ所で35,300で、豊田市の1.3倍。 ネットワーク館での貸出点数ごとの館数 ①4,000~1万点、2館 ②1万~3万、7館 ③3万~5万、10館 ④5万~10万、7館 ⑤10万~16万、5館 参考:町田市、貸出点数ごとの分館の館数  ① 9万点台、1館 ②18万台、2③30万台、1 ④40万台、2館 ⑤60万台、1館 ⑧「図書館間借受」件数について  「図書館間借受」は「予約件数」と密接な関わりがある指標なので、③「予約件数・・」と一緒に述べようと考えていましたが、豊田市の実績の数値をみて、項をあらためて述べることにしました。繰り返しになりますが、「図書館間借受」について再度の説明。  「図書館間借受」とは、図書館にリクエストされた本のうち、図書館に未所蔵でその 本が絶版や品切れ等の理由で購入できない場合、その本を所蔵している図書館(国立国会図書館や、県の内外の公立図書館;図書館によっては、大学図書館や研究機関等)から相互貸借で借り受けることです。  先の③のなかでは、「予約件数」をA,「図書館間借受」件数をBとして説明しています。  豊田市の「図書館間借受件数」は1,695点で、町田市の10,969点の15%でした。「予約件数の到達度の比較」(町田市32%÷84%✕100=38%)よりさらに低い、町田市とは一桁違うきわめて低い数値となっています。このことは、「図書館にない本でも、何でも」利用できるリクエスト・サービスというものが、市民にまだ広く伝わっていないのではないか、また、図書館が、それを図書館の基本的な仕事として、館長、職員が一体となって取りくんでいるだろうかという疑問を抱かせるほどの際立って低い「借受件数」であります。 2013年(平成25)から5年間の推移は  豊田市図書館利用統計・・・「望ましい基準」及び町田市との比較  「資料6」(『豊田市図書館利用 2013(平成25)~2018(平成30)年度』)は、実質的には2013年度(平成25)~2017(平成29)年度までの、①職員、②貸出、③予約件数、④図書館間借受、⑤図書館数などの統計数値の5年間にわたる推移を明らかにするため作成したものです。標題では「~2018(平成30)年度」となっていますが、2018年度の実績については、まだ公表されておらず、一部の項目について、直接、図書館に照会した数値を記載しています。また、2018年度の「望ましい基準(指標)」が公表されるのは、来年2020年5月に刊行される『図書館雑誌5月号』であるため、2018については「基準」による比較ができません。  この表で、2013年からの6年間の「図書館間借受」点数をみると、311、390、802、 813、1,695、1,300・枠内は2017年に指定管理者になってからの数値 と、直営であった2013~2016年にかけて、311、390、802、813と指定管理導入以後より も低い数値になっています。先に述べた疑問、「図書館として、リクエスト・サービスを、図書館の基本的仕事として・・・」は、これらの数値を見ていたことにもよっています。 別表5でみると、専任職員と「うち司書数」では、2013年から、指定管理を導入した2017年までの推移は、2013年、22人【町田72】(うち司書3【町田36】)。2014年、20(うち司書0)。2015年、19【町田57】(うち司書2【30】)。直営、最後の年の2016年、 0【町田57】(うち司書0【町田25】。2017年、0【町田58】(うち司書0【町田25】 となっています。指定管理になる前の2013年から4年間の専任職員の推移は、22人、20人、19人、0人ですが、私が驚かされたのは、専任職員のうちの司書数です。2013年から、3人、0、2人、0と推移しています。20人前後の専任職員がいるのに、そのうち司書は、 3,0、2,0です。司書が専任職員の1/10,あるいは1人もいない状態が続いていたのであれば、「図書館の基本的な仕事」を館長、職員が一体となって行う態勢づくりは困難というほかない状態であったとも思われます。「予約件数」や「図書館間借受」件数のきわめて低い利用の大きな要因ではないかと思われます。 指定管理を導入した前年度2016年度の専任職員は0で、豊田市図書館のこれからを考え、図書館計画に反映していくことを、本来の仕事とする専門職員(司書)を一人もいない状態にして、指定管理を導入されたことが、この表の「職員」の推移が示しているように思われます。 「資料6」では、「貸出」と「予約件数」について、指定管理導入の前年度の2016年の数値を「指数100」として、その推移を示しています。 「貸出」では2013年からの6年間は、110、105、103、100、95、94 「予約件数・到達度」では、103、108、110、100、108 ⑨「だれでも」・・・図書館の利用にハンディキャップのある人へのサービス   「墨字(普通文字)を読むことができない視覚障がい者、病院などの施設に入っていたり、在宅であっても、外出が困難な人々に対するサービス」は市民の学習権を保障する大切なサービスです。これについて、どのようなサービスが行われているか、豊田市と町田市の2017(平成29)年度の事業報告を以下に引用します。図書館の「だれでも」へのサービスの取り組みの内実を示しています。 ・豊田市 《(14)障がい者コーナーの事業と実績 ① 点訳サービス ・点訳ボランティアによる資料の製作(60タイトル) ・中日新聞連載小説(53回分) ② 音訳サービス ・中日新聞ニュースの追跡(50回分) ・音訳ボランティア及び編集ボランティアによる資料の製作(48タイトル) ③ その他 ・「障がい者コーナーだより」(年12回発行) ・「録音だより」(年4回発行)「点訳だより」(年4回発行) ・相互貸借の実施(2,850冊) ・障がい者用機器貸出サービスの実施 ・対面朗読(17回) ・バリアフリー映画上映会の実施 開催日 平成29年9月30日 参加者 80人 ・障がい者資料の企画展示(市障がい福祉課との連携) 平成29年9月30日 目と耳の障害を知ろう みんなに優しい社会へ 平成30年3月21日 ~ 4月8日 みんなの夢で、まちを飾ろうプロジェクト》 『豊田市中央図書館 事業概要 平成30年度  ・町田市  《(5)図書館の利用にハンディキャップがあり、次のいずれかに該当する方に対し各サービスを行っています。 ① 視覚障がい等のため、墨字(一般の活字)のままでは読書が困難な方へ 音訳・点訳資料を、郵便等で貸出し・返却(郵送料は無料。中央図書館で電話等により受付・発送。来館貸出も可。) ・図書館内対面朗読室での対面朗読(予約制。中央図書館で申込み受付。)     2017年度の音訳・点訳資料の個人貸出数は2,281点でした。音訳資料にはテープ資料とデジタル資料(デイジー)があり、図書・雑誌とともにデジタ ル化を推進していますが、テープがよいという利用者の要望にもできるだけお応えしています。      2016年度から、マルチメディアデイジー図書(音声と同時に、文字や画像が表示されるデジタル資料)の貸出を開始しました。学習障がい等のために墨時のままでは読書が困難な方にお借りいただけます。一部の作品は、どなたでも借りることができます。      また、同年度から「障がい者サービス情報紙よむぽん通信」(墨字・音訳版、 2017年度からは点訳版を追加)を製作し、音訳・点訳資料利用者に送付しました。2017年度までに第3号を発行しています。 ②肢体不自由や寝たきりのため、来館が困難な方へ ・宅配サービス(宅配ボランティアが貸出資料を届け、返却資料を回収するサービス。原則、健常者のご家族がいない方に限る。)       宅配サービスは市民の方々に宅配ボランティアとしてご協力いただき実施しています。       2017年度は16人の実利用者に対し1,615点の資料を貸出しました。       また、音訳・点訳・宅配ボランティアの登録受付、音訳・点訳技術向上のための講座、音訳・点訳資料製作管理等も行っています。     《 『町田の図書館 2017年度(平成29年度)』 》     町田市の報告からは、つねにそのサービスを広げ深めていこうする図書館の姿勢が感じられるように思います。 6.地域に図書館があるということは  (1)苅田町立図書館での実践から ①苅田町立図書館・・・「どこでも」「だれでも」を目指して  本館開館(1990.5.12)前に分館(小波瀬分館)開館(1988.10.1) 2館目の分館(北分館、1992.6.2),3館目の分館(西部分館、1994..6.1) 苅田町は福岡県の東部に位置し、北は北九州市に隣接し東に周防灘、西に平尾台に連なる山々に囲まれた町です。私は1988年12月1日に図書館開設準備課が発足した時から(準備室長)1995年3月末まで勤務しました。苅田町立図書館は1990年5月に、正規職員6人で開館しましたが、前年の10月に、苅田町では副都心とも言うべき小波瀬地区に、社会教育課が主管で町内にコミュニティセンターの建設計画が進められていて、その1号館として小波瀬コミュニティセンターが開館しました。この施設の建設については、図書館準備課は十分な関与ができなかったのですが、その中に40㎡の図書室を、まだ本館は開館していませんでしたが、図書館の分館として開室しました。貸出方式はブラウン方式でした(2009年に80㎡に)。 1989年の12月議会で9条からなる「苅田町立図書館の設置及び運営に関する条例」を定めました。【①「この条例は、すべての町民の図書その他の図書館資料に対する要求にこたえ、自由で公平な資料の提供を中心とする諸活動によって、町民の生涯にわたっての自己学習を保障し、すべての町民の暮らしに役立ち、暮らしを高める、暮らしに根ざす文化の町づくりに資するため設置する苅田町立図書館の・・・」、②「図書館は、本館及び移動図書館等の組織網によって構成する。」、⑤の2「館長は図書館法(昭和25年法律第108号)第13条第3項に規定された資格を有するものでなくてはならない。」、⑥(利用者の秘密を守る義務)、⑦(図書館協議会)、⑧(地域図書館活動に対する援助)、他】  すべての町民の、生涯にわたる自己学習を保障することが、行政の責務であることを明示し、そのために、「システムとしての図書館」と「図書館長の司書有資格」が必須であることを、町民に表明するものでした。 苅田町立図書館は、「学び」「集い」「憩う」「すべての町民のための図書館(いつでも、だれでも、どこに住んでいても、何でも利用できる図書館)」を目指して活動を始めましたが、とりわけ、「どこに住んでいても」を実現することが、町民「だれでも」が利用できる図書館を実現するための要のことだと考えていました。町立図書館が開館した翌月の6月1日から、移動図書館「ふれあい」号」の巡回を始め、約2,500冊の本を積んで、2週間の周期で21ヵ所を巡回しました。 2館目の分館、北公民館図書室が開館したのは、2年後の1992年6月です。このときも、社会教育課との事前の協議が十分でなく、設計案が出来上がった状態で図面を見ることになってしまいました。図面では図書室の広さは150㎡となっていました。苅田町に来る前に私が1979年(昭和54)から8年8ヶ月勤務した、博多駅から歩いて10分ちょっとの所にあった財団法人博多駅地区土地区画整理記念会館の図書室の広さは232㎡でしたから、150㎡がどんなに小さなスペースであるかが私にはよくわかっていました。私たちは少なくとも250㎡が必要だと考えて協議をし、最終的には250㎡の図書室となりました。いったん出来上がっていた図面を設計変更したわけですから、社会教育課にとっては、大変なことであったと思いますが、よく受け入れてくださったと思っています。小波瀬は対象人口が約1万人で、それから2年後の1994年6月に開館した3館目の分館、西武公民館図書室は、対象人口が約3,000人の地域でしたが、図書室の広さについては北公民館図書室が前例となり、250㎡の広さとなりました。 ②「今日、はじめて図書館にきました」  苅田町立図書館にとっては、職員(正職1、嘱託1)と蔵書数(開架図書数、開館時20,000冊、うち児童書7、000冊)でなんとか分館と言える第1館目が本館の開館から3年目に開館した北公民館図書室でした。(分館の1館目である小波瀬分館は実質的には分室との認識でした。小波瀬地区には、いずれその対象人口にふさわしい分館が必要だと考えていました。)  北公民館図書室が開館して程なくのことでした。その日私は開館して間もない分館に行き、カウンターにいた時のことです。一人の女性が来られ、「今日、はじめて図書館にきました」と言われたのです。その時は、本館が開館してまる2年が経っており、移動図書館も町内を巡回していましたが、車に乗らないその方にとっては、2キロ以上も先の図書館(本館)も、ふだんの暮らしの中で実際に利用できない移動図書館もないに等しいものでした。歩いて行ける北公民館図書室ができて初めて、その方にとって図書館が生まれたのです。“生活圏に図書館があるとはどういうことか”を体感する出来事でした。  町立図書館(本館)が開館して2年目の1991年度の貸出は、計画(貸出密度6.0)を大きく上回る12.5冊で、人口15,000人以上の市区町村立図書館の中では第1位の利用でした。前年度の統計(「日本の図書館1991」)では、全国の15,000人以上の町、市区立図書館1,685館の中で、貸出密度が10冊を超えているのは5館のみで、第1位は埼玉県鳩山町の12.04冊でした。しかし、町の図書館がどんなに全国一、利用されている図書館、県の内外から2,000人をこえる視察、見学者が来る図書館と言っても、自宅から歩いてしか行けない人にとっては図書館がないということだったのです。 ③『図書館だより』から見えてくる“分館の働き・機能・役割”  北公民館図書室が開館して1年経って、『図書館だより〈くらしの中に図書館を〉』(1993.6.1 / 第33号)には、1面に「北公民館図書室の一年」と題して、「住民の身近にあって、いつでも誰でも利用できること、特に交通手段でハンディを持つ児童や主婦、お年寄りの要望を受け止めることができる地域の図書館(分館)として、期待をもって」開館した図書室の一年間の報告をしています。「児童の利用が8,656人と46%を占め、本館の33%を大きく上回って「子どもが歩いて行ける範囲にあること」という図書館サービスのあり方を実証したことになりました。貸出総数7万3,961冊は奉仕人口、9,466人の7.8倍に当ります。 さらに4ヶ月後の1993年10月1日の第37号には、「貸出十万冊 北公民館図書室」と題して、開館以来16月を経過した9月28日、図書室の貸出が十万冊を記録したこと知らせ、「放課後も利用できる子どもたち、買い物帰りの主婦、歩いて来館するお年寄りに支えられて、ここまできたのです。勿論、十万冊は通過点です。」と書いて、“分館”が地域の人にとってどんな場であるかを伝えています。  1994年7月1日、第46号。3館目の分館、対象人口3,000人の地区に開館した、西部公民館図書室がオープンして1ヶ月が経っての記事です。“児童サービスと分館”と題して。 【ここでの主役は「児童」です。住民の身近にあって、いつでも誰でも利用できることが「分館」の第一の存在意義です。地理的なハンディから、一人では校区外にでることが困難な白川・片島地区の児童にとって、休日は勿論、平日でも放課後の利用ができる公民館図書室(西部分館)の存在は大きなものがあるようです。  6月。この1ヶ月の児童の利用率をみると、「西部」のそれは64%であり、「本館」の25%、「北」の35%や「小波瀬」の41%を大きく上回っているのが分かります。『子ども自身の意志で自由に利用できる社会施設としての図書館』をはっきり表現してくれる数字だと思います。  『市民の読書要求を高めるには、児童を本好きにし児童を図書館に親しませることがもっとも確実な途であり、もっとも大切なことである。それには児童の身近なところに本を置くこと、つまり図書館を数多くつくることが必要である。』町立図書館運営のバイブル『市民の図書館』の一節です。 『児童の読書要求にこたえ、徹底して児童にサービスすること』『あらゆる人々に図書を貸出し、図書館を市民の身近に置くために、全域へサービス網をはりめぐらすこと』という三つの重点目標との関連でも考えさせられる実証結果であると思われます。 つぎの号は、豊田市の「サービスポイント」のあり方を考えるときに参考になるのではないかと思います。苅田町の小波瀬分館の事例です。この記事の時は施設の2階に40㎡の広さでした。2009年8月から、リニューアルし80㎡の広さになっています。職員は臨時職員1名です。  『図書館だより』第49号(1994年10月1日)  「小波瀬分館の十万冊  ふたたび需要と供給について」 【9月2日、小波瀬コミュニティセンター図書室(町立図書館分館)の貸出が十万冊を超えました。これは、町立図書館の開設の時点から計算したもので、4年3ヶ月で通過したことになります。(注;小波瀬分館は、1989年10月1日に開館、苅田町立図書館・本館1990.5.12の開館よりも前に。)ここで問題にしたいのは、殆ど同じ奉仕人口を持つ北公民館図書室での十万点が、1年4ヶ月であったということ、両者の較差は何によって生じたかという点です。西日本工業大学や新津中学校、与原小学校が立地する文教地域で、小波瀬西工大前駅があり、区画整理によって新興住宅地に変貌している小波瀬地区は、苅田町の「副都心」としての期待が寄せられている地域です。このような好条件にも拘らず、結果として(注:北分館の)三分の一の「需要」しかえられなかったことの原因は何かということです。  「供給」のパイプの大小こそが、その原因のすべてなのです。図書館計画以前からの「図書コーナー」を利用している小波瀬分館のパイプは小さくて、低い「水圧」では多くの要望を潤すことができないのです。知識・情報のダムとしての本館や北分館、西分館にプールした資料を使いこなせる施設、設備と職員配置がなされていないところからは「需要」は生まれてこないものなのです。  勿論、これは図書館の側の責任です。「副都心・小波瀬」に相応しいだけでなく、現在まで整備してきた苅田町立図書館サービス網の欠陥を補完できる機能を持つ、中規模図書館の新設を早い機会に実現させなければと思います。これも皆様の利用・「需要」こそが、行政側の「供給」を促す最良の手段なのです。小波瀬地区の分館整備が終われば、図書館サ-ビス網の完成をみます。更に一層のご利用による支援をお願いするものです。】 ※ 豊田市ネットワーク館の面積の内訳((2)と(3)をネットワーク館という)    ①50㎡以下、8館 ②50~100㎡、11館 ③100~150㎡、4館 ④150~200㎡、4館 ⑤200~300㎡、4館 ※ 200㎡をこえるのは4館だけ。全体的に狭いスペースが多い。  参考:町田市分館7館;260㎡、321、429、1,190、1,230、1,234、1,500㎡ ④ そして、西部図書館が開館して1年が経って(分館の働きとは・・・) 【「満一歳の西部公民館図書室」(『図書館だより』第57号。1995.6.1)  「昨年6月1日オープンした西部公民館図書室が満一歳を迎えました。それ以前の白川・片島地区は地理的な条件で「全域サービス」を受けるために、移動図書館に頼っていたものです。しかしこれは、軒先までのサービスの利点はあるものの、隔週、それも限られた時間しか利用できないというハンディがありました。  苅田町立図書館の分館としての西部公民館図書室の開設は、この悩みを一挙に解決したものです。本館や他の二つの分館とをコンピューターや連絡車で結んで、他地区と同じサービスを受けることが可能になりました。そして1年が経過しました。その結果は、放課後でも、お年寄りでも、本館から離れていても、どんな資料でも利用できる図書館として、地域の人たちから支持されたことがはっきりしました。奉仕人口3,609人のこの地区で、この1年、5月末までの利用者数は14,585人、利用冊数46,388冊を記録しました。これに直接本館を利用した数、2,805人と11,219冊が加わります。  西部公民館図書室の1年は、「歩いて10分の生活圏内にある図書館」「地域に育つ暮らしの中の図書館」の有用性を証明するものになりました。特に、交通手段に難点を持つ児童、主婦、お年寄りなどに有効な学習施設、社会施設として、その存在価値が認められたものです。嘱託・臨時職員による運営という弱点が解消されていませんが、参考相談や予約・リクエストなど幅広く本館・分館のネットワークを生かして、西部公民館図書室が、これからも地域の文化を耕す基底的な機関として成長することを信じています。】 私には白川公民館での光景は、いつの日かの豊田市の旧町の集落のそこ、ここでの光景として見えるのです。   (2)市町村合併時の取り組みは  豊田市は2005年4月に1市4町2村で合併しています。面積は名古屋市(326.45k㎡)の2.8倍の918.47k㎡、苅田町45.7k㎡の20倍と広大な都市です。(2018年までは図書館数は、豊田市の1館に対し苅田町の4館と移動図書館1台)市町村の合併があったと知って、まず思ったことは旧庁舎を分館とする取り組みは行われなかったのだろうかということでした。私がいた滋賀県東近江市では、1市6町が合併して東近江市となりましたが、合併前に図書館がなかったただ一つの地区(旧蒲生町)に旧町役場を改装し1階の一郭に850㎡の分館(東近江市立蒲生図書館)を開設し、正規専門職員(司書)2名を配置して、対象人口10冊をこえる貸出を行っています。私が東近江市立能登川図書館を退職した翌年の2008年(平成20)11月に開館しています。その準備の取り組み方を含めて、旧庁舎を改装して図書館とする時にとりわけ参考になる事例だと思います。 資料7 「心揺さぶる図書館の誕生 東近江市率蒲生図書館を訪ねて」としょかん村No.1              7.苅田町立図書館・・・後日談 町長がかわって起きたこと その経緯  今回、度々述べてきた苅田町立図書館ですが、図書館開館時の町長だった沖勝治さん(1986~1988.7:3期)が、1998年(平成10)7月、3期で町長を退任後、新しく町長になった伊塚工氏(1998.7~2005.10. 2期)のもとで、図書館をめぐる状況が激変します。翌年の1999年にそれまで図書館は課としての位置づけであったものが、生涯学習課の1係に、生涯学習課の中の公民館・図書館係となりました。行政組織の中での図書館の力を根底からつきくずすものと考えられます。1999年以降、資料費が約44%の削減となり、それまでの4,200万円台(人口あたり1,250円:全国平均280円台)から、2,500万円台(人口当たり700円台)になっています。 専任職員も1999年から毎年1名の減となり、2002年(平成14年)には2名となりました。「図書館設置条例」の中の、「図書館長の有資格」の条項を廃止し、2004年(平成16)4月から図書館長を嘱託としています。   資料8 また、2005年(平成17)11月に、吉廣啓子氏(2005~2017.11. 3期)が町長になってからも、その状況が続き、2013年(平成25)には職員が1人に、そして2016年からは0となっています。専任職員が0となった2016年以降は、図書館には正規職員はおらず、生涯学習課の図書館・公民館係の職員が図書館の担当として、庶務的業務にあたっているものと思われます。先にふれた豊田市の「図書館管理課」が抱えている問題を、さらに一層、望ましくないあり方にする組織の改変が機構改革の名のもとに行われたのだと思います。 資料費も2015年(平成27)には1000万円をきって934万8,000円(人口あたり258円:全国平均216円)となり、2016年以降は750万円(人口当たり資料費203円)となっています。1998年以前の、人口当たり資料費1,250円の時にくらべて6分の1というすさまじい削減です。 さらに吉廣町長の任期の最後の年、2017年の年の初めに町長の「一声」(伝聞です)で、同年3月末で分館2館を廃館としています。(北公民館図書室、小波瀬分館;「公共施設等の見直しの一環で」という理由で。) さきに「首長の力」ということで、町村長や市長が図書館についてしっかりとした認識を持つことの大切さ、そうした時のじつに大きな首長の力について述べましたが、苅田町では、これとは全く逆の意味で、首長の力のすさまじさに対面しています。町民や議員の反対の声があったと聞いていますが、それでも議会が承認してのことであったと思います。   吉廣さんが町長に就任した2005年度の苅田町立図書館の貸出密度は12.4でしたが、2つの分館を廃止して最初の年度、2017(平成29)年度の貸出密度は7.8と、1990年(平成2年)に開館して以来、最低の数値を記録しました。吉廣さんが町長在任中の12年間、2008年度を除き、毎年利用が減り続けていますが、とりわけ分館2館を閉館した2017(平成29)年度の落ち込みは際立っています。 2016年度348,332冊(貸出密度9.45)から2017年度290,702冊(貸出密度7.78)と 57,630冊(17%)の減となっています。2016年度では、北公民館図書室の貸出は50,788冊で全体の14.5%、小波瀬分館は80㎡と小さい図書室ながらも29,520冊で、全体の8.5%、2館合わせると、80,308冊の貸出で、全体の23.1%と高い利用でした。これだけの利用がある2館の図書館を閉館にしたわけです。  また西部分館は2016年度の貸出が33,438冊(全体の9.6%)から、2017年度26,421冊(9.1%)と7,017冊(21%)の減少の大きさにも驚きます。図書費のすさまじい削減と職員体制のあり方が直撃してのことだと考えられますが、このような苅田町立図書館の激変の結果の理由を示しているのが、一般会計(町の総予算)に対する図書館費が占める割合の推移です。 私が退職する前々年度である1993年度(平成5)は1.4%だった図書館費(1億4,362万4千円:職員7、嘱託2,臨職9)が、職員の削減が続き、私が糸島に住み始めた2007年度(平成19)は1.02%(1億3,643万4千円(職員2;資料費2,290万円)。そして、専任職員(町職員)が0となった2017年度(平成29)には0.47%(5,845万1千円)に、そして2018年度(平成30)には、0.44%(5,604万8千円)で、15年前の1993年度のなんと3分の1以下(27%)の図書館費となっています。  図書館が近くに、歩いて10分のところにあるから図書館を利用していた人たちは、一体どうなったのでしょうか。その多くの人たちが、いきなり図書館を利用できなくさせられたということであったと思います。  2館の図書館を閉館にすれば、このような事態になることは、はっきりとわかっていたことです。しかし、そのことを行政の中で一番把握しているべき専任の専門職員の体制が突き崩されている状態では、その動きを止めることは極めて困難であったと思います。 豊田市では指定管理者導入前の専任職員のうちの専門職員が極端に少ない状態であったこと、何年にもわたってその状態が続いていたこと(22人のうちの2人,20人のうち0、19人のうち0、専任職員そのものが0)、そのことが指定管理の導入を容易にする大きな要因ではないかと考えられます。 人(専任専門職の館長と司書)の確保、「望ましい基準」による司書(数)の確保が肝心要のことだと考えます。   8.さいごに ⊡ 現状を知ることから  豊田市の図書館のこれからを考える時、まず知りたいのは、豊田市の小学校区ごとの貸出密度です。小学校区ごとの、市民一人当たり年間貸出点数です。本来、この指数は豊田市の図書館サ-ビスの「どこでも」「だれでも」がどうなっているかを示すもっとも基本的な指標であり毎年、図書館が作成している各年度の「事業概要」(図書館によっては、「年報」「要覧」「図書館の概要」などと表記)で、利用の実態を把握する基本的な統計として作成、公表されるべきものだと考えます。糸島市では、例年の『糸島市立図書館の概要』には記載されていないため、毎年教育委員会に請求して、その数値をもとに、糸島市の地図に小学校区ごとに貸出密度の数値を書きこんでいます。結果は、校区による利用度の大きな格差が一目瞭然にたち現れるものとなりました。そうして今、取り組んでいるのは、この利用の大きな格差の実態を、市民と行政に目に見える形で提示していくことです。現状を知ることから、市民として今、何をなすべきかがたち現れてくるように思います。  その一つが『望ましい基準』を活用した取り組みです。これまで述べてきたように、図書館法制定後50年経った2001年に公示され、2012年に改正された『望ましい基準』は「数値目標」を定めず、公示されてから18年間経つ中で、必ずしも各地の図書館づくりの中で大きな力となったとは言えない“眠れる基準”とも言える現状があります。しかしながら伊万里市民図書館のように、基準にこめられた考え方を自らのものとし、伊万里市の図書館の現状と課題をふまえて伊万里市民図書館の目標を計画年次とともに策定した取り組みは、豊田市や糸島市の図書館が直面している、市民の身近に図書館がないあり方を変えて、市民“一人ひとり、そしてみんなの図書館”としていくための範となる手立てを示しているように考えます。  とりわけ資料9『望ましい基準』の2項目(1.総則 「設置の基本」、2.公立図書館;管理運営)は重要な規定で、この規定に則った図書館の取り組みを、市民として市に求めることが肝要です。 ・ 図書館設置の基本は、住民の生活圏、利用圏を考慮して、分館、移動図書館による全域サ-ビス網の整備に努めること。 ・ 基本的運営方針の策定・公表 ・ 運営方針に則った図書館サービス、運営に関する適切な指標の選定と目標の設定。 事業年度ごとの事業計画の策定と公表 ・ 基本的運営方針並びに指標と目標及び事業計画の策定に当たっては、利用者及び住民の要望並びに社会の要請に十分留意すること。 ・ 運営の状況に関する点検及び評価等  なお、すでにご覧になっているかもしれませんが、『図書館の設置及び運営上の望ましい基準 活用の手引き』(日本図書館協会 2014)は、役に立つ冊子だと思います。まだご覧になっていない場合は、図書館で予約、リクエストを。 ⊡ 竹内悊(さとる)さんからの贈りもの  この原稿は「図書館は何をするところか」、「図書館の発見」を巡って書き始めたのですが、原稿の終盤にとりかかっていた6月下旬、竹内悊さんの『生きるための図書館 ―一 一人ひとりのために』(岩波新書 2019.6.20)が刊行されました。この書は私にとってまさに待望の一書で、私がこの原稿で考え書こうとしているものが何であるかを照らしだすものでした。「図書館とは何だろう」と考える読者一人ひとりへの、そして豊田市のみなさんへの、1927年生まれの著者からのこの上ない贈りものとも思われました。私自身、読者の一人として、このような著者と同時代に生き、その深い思索から生まれる簡明簡潔な言葉、文を手にすることができる有り難さに思いを深くしました。一人の読者を深く励ましてやまない、そして一つひとつのことに気づきを促す竹内さんの声がこの本の随所から聞こえてきます。  6章からなる1章1章、ほんとうに目を見開かされる思いと、よく考えるとは、考えを深めるとはこういうことかと驚きながら読み進めましたが、なんと第1章は、「地域の図書 館を訪ねて」で、「1 自宅から歩いたところの図書館に」から始まっています。  私が原稿で豊田の皆さんにお伝えしたいと考えていた「分館とは何か」(地域のどこに住んでいても、誰でも利用できる全域サ-ビス網の中での分館とはどういうものか)が、そこに明瞭に書かれています。  竹内さんは〈全国に三二00を超える公立図書館の中で、「こういうところが身近にあったら」と思える地域の図書館はどこだろうか、と相談をして、まずここをとなった〉図書館を訪ねたのです。〈三月の末、刺すような北風のやんだ日〉、〈東京の西部、多摩地区の市立図書館分館〉でした。〈この日はつい数年前まで近くの市立図書館長であったSさんに同行を依頼して、朝八時半から午後四時までを館内で過ごし、いろいろなことを見聞きしました。そして「今日、ここに来てよかった!」というさわやかな思いで、この図書館を後にしました。以下は、私たちの印象とメモからの報告です。〉  分館で過ごす利用者の様子や職員の働き、「人の目には見えない仕事」。 司書と嘱託職員との意思の疎通の円滑さが分館運営に活きている様から、「この市は、図書館で働くひとの能力と資質を大事にしていますから、それがサービスに現れるのです。」  「歩いて来られるところにあることが大事です」と思わせる分館についての文章についで、この分館のある市全体の図書館について書かれています。  この市の人口は豊田市の約54%(約半分の)「人口23万余り、22平方キロメートルの中に公立小学校20校、私立小学校2校、公立中学校11校、私立中学校3校,そのほかに公私立の高等学校や大学があります。そこに中央図書館と分館10館、つまり図書館は中学校区に1つ、そして人口からみれば2万人に1つあることになります。これは誰でも自宅から歩いて10分以内、つまり半径800メートルに1つの図書館という市の計画が実現したからです。  市立図書館全体の所蔵資料は、2015年現在、本と映像資料とを合わせて137万点【豊田市173.5万:2017年度;以下同様】です。これは市民1人あたり5.9点【4.1】あたります。貸し出しは年間264万点【豊田市315万】、市民1人あたり11.4【7.4】です。この年の全国平均は5.5点ですから、その2.1倍というのは、全国的にみて、市民がよく図書館を利用していることになります。  ここでは、こういう貸し出し状況が10年以上も続いています。この状況を支えている図書館の資料購入費は、市民1人当たり395円【214円】です。  中央図書館は市の中心部にあって、午前9時から午後8時半まで開館。  (略)  図書館の正職員は62人(うち司書有資格者44人)、専門嘱託員は155人、全員3交代制で勤務しています。(2016年度)」 (注:漢数字を算用数字に変更。) この市立図書館は、調布市立図書館ですが、本書では意図的に名前が伏せられています。それはつぎの理由によるものです。 「図書館の名前は伏せました。ここに引いた実践を優れた条件に支えられた特別な事例であって及び難いものではなく、一つの支えとして各図書館の充実がはかられることを期待したからです。」   ほんとうに、ここから歩んでいきたいと考えます。   調布市立図書館といえば、私自身の心に刻まれていることがあります。今から28年前の1991年(平成3年)9月の調布市議会で、当時の市長が中央図書館を含む「(仮称)市民文化プラザ」の管理運営を第三者機関に委託することを検討していると表明されたことが事態の発端であったのではないかと思います。調布市の市民や図書館員はもとより、とりわけ三多摩や東京の図書館員や、図書館に心よせる周辺自治体の市民に大きな衝撃を与える出来事でした。そして全国の図書館員にも。1993年3月議会では市は委託の方針を表明、それから1995年(平成7年)9月の中央図書館の直営による開館まで、実に様々なことがあったのだのだと思われます。その当時に開かれた、図書館の委託の問題を考える集いで、調布市民の一人の女性が発言された言葉を、私はある冊子で読みました。  その人は「私はこれまで調布市の素晴らしい図書館サービスを本当に満足して受けてきました。今、考えますにそのような私の図書館との関わり方が、図書館の委託の問題を生み出しているのでは」と。  竹内さんは、前述したある「市の図書館」の概要の説明に続いて、1966年(昭和41年)に開館したその図書館が開館「以来50年、さまざまな難関を乗り越えてき」て、その図書館サ-ビスの積み重ねの中から、この図書館の基本方針が生まれました。」と記し、この基本方針は、「市全体での理解」が必要で、「図書館の中だけではなく、市役所も、議会も、市民も、市民生活のために必要なものと理解し、市の機関の一つとして維持・発展させる体制が必要です。これは図書館からの不断の働きかけと、サービスの蓄積、それに注目する人々の支援が不可欠ですし、図書館員個人も、図書館に勤めて市民のために働きます。・・・」と記しています。    先の委託を考える集会での一人の女性の発言を、竹内さんの「図書館からの不断の働きかけと、サービスの蓄積、それに注目する人々の支援が不可欠です」に重ねて読んで、あらためて、豊田市の図書館を考える市民の会の活動の大切さを感じています。  ここでは、『生きるための図書館 ―― 一人ひとりのために』ついて、ほんの一端しか触れることができませんでしたが、「市民一人ひとり、そしてみんなの図書館」を市民が手にするために、図書館への深い理解と底深い元気を手渡されるこの本を伴侶として、考える会のみなさんとともに歩んで行きたいと考えています。 ⊡ 追記1.  町田市立図書館に指定管理者制度導入の計画  本文の最後の校正をしているさなか、何ということでしょう、町田市では、2月の教育委員会で「効率的・効果的な図書館サービスのアクションプラン」を決定し、地域館の閉館、指定管理者制度の導入、移動図書館サービスの縮小などが計画に盛り込まれています。町田市立図書館のこれまでのサービス水準を大きく後退させる計画です。これに対して、町田の図書館活動をすすめる会や図書館に関わる4団体が連名で3月議会に見直しを求める請願を提出、また4607筆の署名を議会に提出しています。そして3月と6月の文教社会常任委員会で、「委員も内容を十分に理解していない」、「市民の意見を十分に聞いていない」 などの理由で継続審査となり、9月議会で再度審査が行われることになっています。(町田市の図書館活動をすすめる会ホームページより。2020.8.17) 町田市立図書館については、これまで述べてきたように1965年に日野市立図書館が活動を始めて以来、日野や府中や・・とともに三多摩の図書館づくりの中核を担い、市民のための図書館活動を切り開き展開してきた図書館です。いま、そこで何が起きているか、町田市の市民だけでなく、図書館に思いをよせる人たちが、全国に町田市の状況を発信されています。市民の意見を十分に聞くことなく、事態が進められてきている状況が伝わってきます。町田市の図書館活動をすすめる会や市民の会の活動を注視し、それぞれの場でできることを考えていきたいと思います。 追記2.浪江虔(けん)さんの『図書館運動五十年―私立図書館に拠って―』を読み返す 第二二章 「異彩を放つ町田市立図書館歴史―事実で築いた記念碑― 」から 「このことで、ちょっと恥ずかしい思い出がある。「広報まちだ」の一九六九年(昭44) 八月二十日号のトップ記事は「あなたのご意見を手紙で/ 九月には手紙運動を展開」というのであった。私は図書館にしぼって、三千字ほどの長文の手紙を書き送った。これが全文「広報まちだ」十一月五日号に掲載されたのである。(私以外にも十三人の意見が、全文ほぼ全文掲載された)。 私は町田市立図書館の過去と現在について、他市と比較しながら詳実し、さし当たってぜひ実行してほしいことを二つあげた。一つは自動車図書館の開設 、一つは資料費百万円の追加計上であった。この号は各人の意見に対して市側のコメントが一々つけられただが、私の分についてはなんと「十二月補正で二百万円」とあった。私の「百万円追加」は、かなり思い切った提案のつもりであったが、この答の前にはいかにもみすぼらしい姿であった。もちろんこれが言葉通り実行に移されたので、前述のような結果になったのである。 (この時の広報の、私の提案と市側の回答は注5に抄録下・・・※ぜひ一読を)。 一九七○年(昭45)市長に三月、当選した大下勝正さんは、私の友人であり、図書館に関してはりっぱな見識をもっている。町田市の図書館政策は忽ち面目を一新した。そして半年もたたないうちに町田市立図書館では初めて専任で専門職の図書館長が着任した(八月一日)。十月には自動車図書館そよかぜ一号が活動を開始した。(略) 前掲の大きな表には、町田市が誕生してから今日までの、市立図書館の動向が一まとめにしてある。この表には住民運動の影響がはっきり出ている。青山市政の後半期、躍進につぐ躍進の大下市政第一期第二期がそれである。ところが第三期に入って一挙に足ぶみ状態になり、若干の後ずさりも見られる状況である。市民がもう一度立ち上る必要があるよう に思われる。」 追記3.前川恒雄氏 逝去の報(毎日新聞2020年4月12日) 前川恒雄さん89歳(まえかわ・つねお=図書館学者),10日、肺がんのため死去。葬儀は、自宅は、喪主は・・。東京都日野市立図書館長、滋賀県立図書館長、甲南大教授を歴任。閲覧中心だった公立図書館を、市民のために貸し出し中心に転換する運動の先駆者。 著書に「われらの図書館」「移動図書館ひまわり号」   添付資料2 資料8 菅原竣さんの『図書館の明日をひらく』(晶文社 1999)より 〈図書館がある〉とは、〈図書館の看板が下がった建物がまちにある〉ことではなく、そのまちの隅々までサービスが行きわたっていて、いつでも、だれでも、どこに住んでいても、どんな資料でも利用できる、その態勢がととのっていることをいう。     p.15 まちに図書館があるというのは、どこに住んでいても、住民がそこで役に立つサ-ビスを手にすることができる、納税者にふさわしい利益を得、あるいは還元を受けることができることでなければならない。図書館に必要な資料が揃い、自由に利用でき、職員のサ-ビスをしっかり得られなければ、まちに図書館があることにはならない。    p.73  本は買って読むもの、日本人は借りるよりも自分のまわりに本を置きたがる、そのような考えが何の根拠もないものであることは、多くの図書館の実績が示している。その実績を生むのが十分な図書費であり、地域地域を覆うサ-ビス網であり、職員体制であることも、あらためていうまでもないことだ。  注目を集めている福岡県苅田町。人口3万4千人のこの町で1983平方メ-トルの中央館のほか3分館(1館は新館を建築中)と1台のブックモビルで97年度には56万4千冊を貸し出し、それは町民1人当り16.6冊となった。このサ-ビスを支えているのが、年間3千6百万円を超える資料購入費で、これは町民1人当り役1060円となる。職員体制は、専任7人のうち6人が司書。  そして図書館の利用の様変わり、これを見落としてはいけない。本を返し本を借りるのにはせいぜい15分も在館すればいいけれど、図書館で思い思いに時をすごし、読書や閲覧の場を自分のものとしている人たちがふえている。子どもを連れ、弁当をもって図書館に来る。それが暮らしの中に組み込まれたパタ-ンだとすれば、人口10倍といわず、もっともっと多くの人が図書館にやって来る。  図書館はそのような利用に応えられるように計画し、施設をつくらなければならない。 時代はそこまできている。                         p.175  私は、図書館長は図書館について専門教育を受け、経験を積んだ者を当てるべきだと考える。なぜか。それを問わなければならないところに、今日の日本の図書館の根本の問題がある。図書館長は、そのまちの図書館サ-ビスの最高責任者である。図書館の大小、自治体の大小を問わない。住民にどのような図書館サ-ビスを届けるのか。これからサ-ビスをどう発展させていくのか。それを考え計画を立てる。司書職員を指揮し、相談にの り、業務を滞りなくすすめていく。それが図書館長である。ふたたびデンマ-クの図書館法を引くと、その第二条で「図書館長は、他の司書職員の援けを得て資料を選択し、自治体に対してその責任を負う」といっている。住民が必要とする、役に立つ資料群の構成が、図書館長のきわめて大切な責務であることを言っているのだ。深い教養、資料についての広範な知識、選択の理論と技法、そういったものを身につけていないで、どうして図書館長が務まるだろうか。                  p.32~33 資料9 「図書館の設置及び評価の運営上の望ましい基準」 【1】 「第一 総則  二 設置の基本  ① 市(特別区を含む。以下同じ。)町村は、住民に対して適切な図書館サ-ビスを 行うことができるよう、住民の生活圏、図書館の利用圏等を十分に考慮し、市町村立図書館及び分館等の設置に努めるとともに、必要に応じ移動図書館車の活用を行うものとする。併せて、市町村立図書館と公民館図書室等との連携を推進することにより、当該市町村の全域サ-ビス網の整備に努めるものとする。 【注;才津原:上記が図書館を設置する基本である、ということ。“住民の生活圏”とは、中学校区のことであること。】 ② 都道府県は、都道府県立図書館の拡充に努め、住民に対して適切な図書館サ-ビスを行うとともに、図書館未設置の町村の多く存在することも踏まえ、当該都道府県内の図書館サ-ビスの全体的な進展を図る観点に立って、市町村に対して市町村立図書館の設置及び運営に関する必要な指導・助言等を行うものとする。    【注;才津原:市町村の合併によって、新市になった場合、合併前に町村立図書館がなかった町や村は、合併後に分館が作られなければ、実質的にその地区の市民の図書館サ-ビスは十全でなく、新市(豊田市に図書館はあるけれど、旧町村の住民の大半にとっては中央館は遠くて利用できず、実質的には)「図書館がない状態」に等しいと思われる事態となる可能性が高い。もしこれらの町や村が合併しなかった場合は、これらの町村は未設置の町村であり、上記②の条項により、「(未設置の町村に対し、県は)町村立図書館の設置及び運営に関する必要な指導・助言を行う」責務をもっていることになる。そうした県の責務のあるべき、望ましい実例が、東京都や滋賀県のかつての図書館振興策で、建築費や図書購入費の補助を行い、今日、47都道府県の中で、もっとも貸出密度が高い都府県となっている要因である。実質的に図書館がないと言える地区については、市はもとより②の条項の趣旨からも県にも「図書館サ-ビスの全体的な進展を図る観点」からも、その地区の十全な図書館サービスを行う上で責務があるということである。】 ③ 公立図書館の設置に当っては、サ-ビス対象地域の人口構成、面積、地形、交通当を勘案して、適切な位置及び図書館施設の床面積、蔵書収蔵能力、職員数等を確保するよう努めるものとする。 【2】第二 公立図書館 1管理運営  (1)基本的運営方針及び事業計画 ① 市町村立図書館は、その設置の目的を踏まえ、社会の変化や地域の実情に応じ、当該図書館の事業の実施等に関する基本的な運営の方針(「基本的運営方針」という)を策定し、公表するよう努めるものとする。 ② 市町村立図書館は、基本的運営方針を踏まえ、図書館サービスその他図書館の運営に関する適切な指標を選定し、これらに係る目標を設定するとともに、事業年度ごとに、当該事業年度の事業計画を策定し公表するよう努めるものとする。 ③市町村立図書館は、基本的運営方針並びに前項の指標、目標及び事業計画の策定に当たっては、利用者及び住民の要望並びに社会の要請に十分留意するものとする。   (2)運営の状況に関する点検及び評価等 ① 市町村立図書館は、基本的運営方針に基づいた運営がなされることを確保し、その事業の水準の向上を図るため、各年度の図書館サ-ビスその他図書館の運営の状況について、(1)の②の目標及び事業計画の達成状況等に関し、自ら点検及び評価を行うよう努めなければならない。 ② 市町村立図書館は、前項の点検及び評価の他、当該図書館の運営体制の整備の状況に応じ、図書館協議会(略)の活用その他の方法により、学校教育または社会教育の関係者、家庭教育の向上に資する活動を行う者、図書館の事業に関して学識経験のある者、図書館の利用者、住民その他の関係者・第三者による評価を行うよう努めるものとする。 ③ 市町村立図書館は、前二項の点検及び評価の結果に基づき、当該図書館の運営の改善を図るため必要な措置を講ずるよう努めなければならない。 ④ 市町村立図書館は、第一項及び第二項の点検及び評価の結果並びに前項の措置の内容ついて、インタ-ネットその他の高度情報通信ネットワ-ク(略)をはじめとした多様な媒体を活用すること等により、積極的に公表するよう努めなければならない。