2024年10月14日月曜日

乾千恵・17のピアソラ・タンゴ展のご案内(大阪・島本町)No.131

乾千恵さんには、『乾千恵の画文集 7つのピアソラ』の著書がある。2006年2月、岩波書店から 出版されたもので、帯には「音楽が見えてきた———―10年かかって描いた10枚の絵と、ピアソラへの 情熱をこめたエッセイ」と記され、司修さんの「心の詩(うた)を感じます 言葉にならない歌を感じ ます」の言葉が添えられている。 また「あとがき」には、千恵さんの「絵」の由来と、この本が生まれた経緯が書かれている。 「ピアソラは、とんでもない人である。『タンゲディアⅢ』で魂をひっつかまれてから10年ほどにな るが、おつき合い(?)が続けば続くほど、「すごい人だなぁ・・・」という思いが強くなる。型破り の音楽で人を魅了し、私の中に次々と「絵」を見せたばかりか、マグマのようにたぎる熱意は、彼の音 楽が「好きでたまらない!」と思うもの同士を、劇的に、しっかり結びつけてくれる。 この本には、2種類の「出会い」のことを書いた。ピアソラの音楽や、そこから立ち現れる「画像(イ マへネス)たち」との、内なる遭遇。そして、その音楽を通して知らぬ間に広がっていった、ひととの 「出会い」だ。 〈ピアソラをめぐる物語〉は、まだこれからも私の中で続いていくだろう。天にいる彼に向かって、あら ためて大きな声げ呼びかけたい。「ムチャス・グラシアス!(本当にありがとう!)」 ・・・・・・・・・・・・ この10年の間、「ピアソラの絵」が頭の中に現れるたびに、拙いながらも無我夢中で描いてきた。 突き動かされるままに文章も書いた。 思いがけなくそれが、私の敬愛してやまない画家の司修さんの目にとまった。「これはぜひ本にしましょ う!」と熱をこめて言って下さったことから、この1冊が生まれることになった。装丁やデザインを手が け、ことばを寄せて下さった司さん、そして編集の川上隆志さん。思いと力を注いで下さったお2人に、 厚くお礼申し上げたい。 また、私の拙いスペイン語の手紙に応え、見返しへの『ミケランジェロ70』の楽譜の掲載を快く承諾し て下さったピアソラ氏の夫人、ラウラ・エスカラーダ・ピアソラさんにも感謝を捧げたい。」 ーーー(以上、「あとがき」の一節より。) ーーーーーーーーー 9月の半ば、島本町から心躍る便りがあった。美しい『17のピアソラ・タンゴ』展の案内が同封されてい た。なんと『7つのピアソラ』出版後も、「延々と画像は湧く。そして今回の『17のピアソラ・タンゴ』 展となった」というのだ。 まずは、横長の葉書(11×22.8㎝)の両面に記された案内から。 17のピアソラ・タンゴ 音楽が見えてきた ~ 乾 千恵の世界 ~     *2024.10.6(日)~11.30(土)、10:00~21:00   (土:~20:00,日・祝:11:00~19:30) 会場 長谷川書店 水無瀬駅前店(阪急 京都線「水無瀬」駅前) ・・・電話:075-961-6118・・・・・・・・・・・・・・ この面には、3つの「絵」を掲示。 ①「ロコへのバラード」街を闊歩する男の幻 ②「アサバーチェ」アフリカへの遥かなる憧れ ③バンドネオンとオーケストラのための三つのタンゴ。 ・・・・・(そして、もう一面には)・・・・・ 17のピアソラ・タンゴ  音楽が見えてきた ~乾 千恵の世界~ 子どもの頃から親しんできた大好きな長谷川書店での展示。 店内のあちこちで、本に囲まれて絵が佇み、「歌って」います。 ・・・・・・・ たまたまラジオでピアソラのタンゴを耳にしたのが、運命の 出会いだった。斬新で荒々しく、鋭く哀しい曲の数々に心掴 まれ、憑かれたように聴き続けるうちに、その音楽から、色や 形、動きを伴った画像が、頭の中に見えてきた。曲と鮮やか に浮かぶイメージとに『さあ描け!』と迫られ、無我夢中で絵 にしてきた。画文集『7つのピアソラ』出版後も、延々と画像は 湧く。そして今回の『17のピアソラ・タンゴ』展となった。 ピアソラからの熱きパワーが、少しでもつたわりますように。 (乾 千恵) ・・・・・・・ ちえさんの新しい世界。いいなあ  絵による新しい言葉。心が爆発しているような情熱が感じ られるのに、フクロウの飛翔のように静かに飛んでいる神秘。 司 修 ・・・・・・・ 【乾 千恵 プロフィープロフィール】 絵や書、エッセイや物語をかき、語りをし、音楽や芸能、美術や人々の暮らしを 訪ねて、国内や海外各地を旅してきた。著書に『7つのピアソラ』(岩波書店) 『月人石』『たいようまでのぼったコンドル』『さかなまちいきでんしゃ』 『おじいちゃんのいるトラのいるもりへ』(ともに福音館書店)などがある。 (以上、案内状より。) ・・・ 案内状を見てあっと、驚かされました。2つのことに。 1つ目は、『7つのピアソラ』が2006年に出版されたあとも、18年が経ちます が、ピアソラの音楽から千恵さんの中に画像が延々と湧き、それを「絵」にしてき たと知らされたからです。それはいかにも乾千恵さんの生き方なんだと、その生き 方をずっと続けておられることに。 私は能登川の図書館での出会い以来、乾千恵さんから数えきれないほど、かけがえ のない時空を授かってきました(天からの贈り物ような)。 私が滋賀に行く1995年4月より以前のことですが、かつて八日市市立図書館(現・ 東近江市立八日市図書館)で、千恵さんが『100万回生きたねこ』の語りをされ ていて、その時の活動の記録を、同館発行の「筏川」に載せた際、そのタイトルを 「乾千恵の生き方」としていました。後年それを見て、私は実に的確な表現だと感 じ入ったことがありました。一つひとつの想いを形にしていく千恵さんの生き方を 知り、想い深く生きるということ、思いの深さがその思いを形に、現実のものにし ていくのだと、思い知らされていた私は、「乾千恵の生き方」というのは、まさに 私が感じていた乾千恵という人の在り方を指し示すものだと思ったのです。 ・・・ 2つ目の驚きは、『17のピアソラ・タンゴ』展の会場が、長谷川書店 水無瀬駅前 店となっていたことです。しかも案内状によると、長谷川書店は千恵さんが子ども の頃から親しんできた大好きな書店であると知って、びっくりしました。 2か月前の8月、私はとても面白い本に出会いました。 『しぶとい十人の本屋――生きる手ごたえのある仕事をする』朝日出版社、著者の 辻山良雄さんは1997年にリブロに入社、全国各地での勤務を経て、2009年より池袋 本店のマネージャー、2015年7月リブロ池袋本店が閉店した後、退社。そして、2016 年1月、東京の荻窪に新刊書店”Title”を開業された方です。 私はその年の夏、東京の吉祥寺にあるひとり出版社・夏葉社を訪ねました。その前 年、偶々手にした『小さなユリと』(黒田三郎)で初めて夏葉社を知り、それを機 に、代表の島田潤一郎さんの本、夏葉社の本を読むようになり、いつか同社を訪ね てみたいとの思いが生まれました。驚いたのは同社から、『移動図書館ひまわり号』 が復刊されたことでした。筑摩書房版は持っていましたが、これはぜひ夏葉社を訪ね て、復刻版を求めようと考えたのです。 夏葉社の佇まいと島田さんのお仕事ぶりは深く心に刻まれるものでしたが、『移動 図書館ひまわり号』復刻版の購入のお願いをしたところ、島田さんは、「それなら 今年、開店し、京都の誠光社とともに今、注目されている荻窪の”Title”で購入を」 と、Title 書店のことを教えてくれました。早速、Title に行き、その本を買うこと ができました。同書店の印象は、何より棚にある本の面白さ、興味深い本が一冊一冊 あるということでした。ワクワクする本棚!こんな本屋が福岡にあればと思いました。 (糸島からは少し遠くてしょっちゅう行くことはできませんが、福岡市にはブックキ ューブリック、うきは市にはMINOU BOOKSという楽しみな本屋さんもありますが) Title では、2階のギャラリースペースは、その時はやっていませんでしたが、とて も興味深く思いました。残念だったのは、奥の喫茶スペースを利用しなかったことで す。ともあれ、以後、Titleの辻山さんの本は、目につく限り手にしています。 ・・・・・ それで、『しぶとい十人の本屋――生きる手ごたえのある仕事をする』です。この本 は、Titleを始めて7年経ち、あらためて本屋という仕事のあり方、生きる手ご たえのある仕事のあり方を辻山さん自身が自らに問うとともに、辻山さんの心に響く 仕事ををしている9人の本屋を同行者の  さんと共に訪ねて、(辻山さんをいれて タイトルの「十人のしぶとい本屋」)その問いを根柢において、9人の本屋さんと語 りあったものです。 このような本屋さんがあるのか、こんな取り組みがあるのか、こんなことを考えてい る人がいるのか。一人ひとりその生き方に思わず耳をすませます。こんな本屋さん、 訪ねてみたいなと。 そして驚いたのが、9人の本屋の一つが長谷川書店――乾千恵さんが子どもの頃から 親しんできた、大好きな本屋さんだったということです。 同書では、「4.ほっとけない みのるさん 長谷川書店 長谷川稔さん」の章で描 かれています。 「町の本屋さんが、心をこめて準備」された、”17のピアソラ・タンゴ” 展にようこそ‼ 私も11月の半ばころには、駆けつけたいと思っています。 (さいごに)乾千恵さんのことを御存じない方に、あらためてご紹介するために、 『乾千恵の画文集 7つのピアソラ』に、司修さんが、『7つのピアソラ』に寄せて、 の文章を記させていただきます。 「乾千恵さんは、ユニークな書をかいてきました。「馬」であれ馬が疾走するような文 字になり、「遊」であれば人々が楽しげに踊っている文字になり、「山」であれば樹木の葉 ずれや鳥の囀りが聞こえ「梟」であれば目の輝きと風の音が聞こえます。「月」は笑い、 「石」はしゃべり、「音」は音楽が聞こえていました。 その千恵さんが、石のように黙ったりしゃべったり、梟のように歌ったり、月のように 微笑んだりしながら、ピアソラとの出会いを絵に描いていました。書のように自由にな らない色鉛筆を、何回も重ねて、ピアソラの音楽を絵にしていたのです。 ここに収めた絵は、10年の歳月を費やしてます。もちろん旅行をしたり、ブランク があったり、書をかいたりしながらでしたが。 ここまで書いて、千恵さんに電話をしました。すると、いままで心にありながら描けな いでいた4つの絵が、千恵さんの手に、目に、空間に、府でに、絵の具に、染み出 る清水のように、千恵さんのイメージは透明です。 ずっとずっと前に、車を運転しているとき、カーラジオかr聞いた音楽、その作曲者が、 ピアソラでした。ピアソラはパリの音楽院で、作曲した楽譜を先生に差し出しました。 すると女先生は、あなたを感じないと、いいます。それでピアソラは、ブエノスアイ レスのタンゴについて語ります。ダンス音楽でしたから少し恥ずかしかったようです。し かし先生は、それこそあなたが大事にする音楽だというのでした。ピアソラは西洋音楽へ の願望をタンゴに移していったのです。ラジオのそのような話を聞いてぼくは感動しまし た。それからずっとピアソラの音楽を聴くようになっていたのです。 千恵さんとピアソラとの出会いも、ピアソラとぼくの出会いも、千恵さんとぼくの出会 いも、偶然のようでいながら、どこかで繋がっていたように思います。                          司  修

0 件のコメント:

コメントを投稿