図書館の風
2007年から糸島に移り住み、思いを同じくする人たちと「としょかんのたね・二丈」を始め、志摩地区の「みんなの図書館つくろう会」、二丈深江地区の「糸島くらしと図書館」の人たちと共に、糸島のより良い図書館づくりを目指して活動してきた。「糸島の図書館は今、どうなっているのか」、糸島図書館事情を発信し、市民と共に育つ糸島市の図書館を考えていきたい。糸島市の図書館のあり方と深く関わる、隣接する福岡市や県内外の図書館についても共に考えていきます。
2025年3月30日日曜日
GENzai(ギャラリー)のことから No.135
GENzai(ギャラリー/ショップ/喫茶)は東近江市五個荘にあり、3月は1日(土)から18日(火)まで
「坂口恭平展 僕の好きなもの」をやっていた。前号(No.135 )でその紹介をさせていただいた。
なぜ滋賀県の街のギャラリーのことを糸島に住む私がお伝えしたいと思ったのか、まずそのことから。
中山さんご夫妻のギャラリーGENzaiとのご縁は、随分以前にさかのぼる。夫人が大学生だったころ、
能登川町立図書館で、当時大学4年生だった夫人の写真展を行った。その時のことを当時、中日新聞の
近江八幡支局にいた記者の三田村さんが何ともうれしい紹介の記事にしてくれている。
”能登川の大学生・・・・が写真展” 2002年(平成14年)7月1日 中日新聞
――一つ屋根の下に暮らした祖父の最後の日々をとらえた――――
”祖父の人生最終章 レンズで 叙情的に ”
心に刻まれる写真展だった。記事にあるように週末にはスライドが上映されたが、その時の彼女の清しい
語りくちも記憶に刻まれている。
1月の末から2月にかけて、中山さんから久しぶりのご連絡をメールで頂き、その後のお便りでギャラリー
での展示のチラシなどを送って頂いた。驚いたのは私が能登川で本当に懐かしい時間を幾度となくともに
してきた田中武さんの急逝の知らせだった。
しかも田中さんの板画の作品展をGENzaiで企画し、昨秋からその準備のための打ち合わせを田中さんと行
っていたさなかのことだったとお聞きして言葉を失った。
田中武さんのこと
お便りとともに作品展の案内
そのような経過、事情であったが、田中さんのご家族の協力のもと、予定通り開催することになりましたと、
”祈りの版画 田中武展 ー想い、刷り、摺り、創るーそののち
2025.2.14(金武)―2.24(月)
作品展の名前と開催日時などを教えてくださり、中山夫妻の心のこもった作品展案内のチラシが同封されて
いた。あわせて坂口恭平展のチラシも。田中武さんの作品展に行くことはできなかったが、追悼の思いを
こめて田中さんから手渡されていたものを記しておきたい。
作品展の案内から
悼詞
☆田中さんはよく図書館を利用され、図書館での講演会などの催しにもよく参加された。能登川の図書館は1997年(平成7年)11月に開館したのだが、いつのことだったか田中さんからある本を紹介され、個人でも購入していた。宮澤賢治の初期の動物童話集だった。出版されたのは1995年3月10日、『貝の火』(宮澤清六編 昭和22年12月の復刻版)、『二十六夜(宮澤清六編 昭和23年4月の復刻版)の2冊だった。
佐伯義郎さんのこと
なぜこの本だったか。それはこの本の挿画・挿絵が佐伯義郎さん1918―1979)によるものだったからだ。田中さんから詳しくお聞きすることはなかったのだが、本には佐伯義郎さんの略歴を記した、 佐伯義郎美術館設立委員会の「ごあいさつ」の一文が一枚、折り込まれていた。その設立委員会の事務所が2か所、 記されていて京都事務所と滋賀事務所(滋賀県愛知郡愛知町東円堂)とあった。田中さんもその活動に参加されていたか、あるいは田中さんの知人の方が滋賀事務所の活動をされていたのだったか。
「ごあいさつ」の一文は短い文章の中で佐伯義郎氏が「画家として、又詩人として実に多様な仕事を残し」「出版関係では、岩波広辞苑のカットや初期宮澤賢治童話集の挿絵等に、氏の力量と人柄がよく表れています。童話集での茫洋とした柔らかな筆使いと、素朴で味わい深い色彩は、無私、無心を感じさせ、読者をごく自然に物語世界へと誘いながらイメージを増幅させ得た、すぐれた挿絵となっています」と、その人と仕事、その生き方を鮮やかに伝えている。
略歴では1979年11月4日、佐伯氏が京都で亡くなられたあと、堺町画廊で佐伯義郎展が1987年に、また1989年には「佐伯義郎没後10年記念展」が開かれたこと、その前年の1988年には滋賀県立八日市文化芸術会館で「佐伯義郎の詩的世界」が開催されたことなどが記されている。
ここで、突然、つい最近のことにかえるのだが、私は数年前から福岡市のある市民センターの会議室で月に1度の朗読の会(当初はそれぞれが各自、持ち寄った本の一節を読む会)に出かけている。メンバーは7名、私が1976年(昭和51年)7月頃から開館して間もない福岡市民図書館で嘱託職員とし3年弱いた時に、一緒に働いていた人たちで大半が嘱託だった人たちだ(50年来の友人)。そこで前々回から 宮澤賢治の本を朗読することになり、「どんぐりと山猫」の前回は、前記の復刻版『貝の火』を持って行った。
その際、「どんぐりと山猫」を読むことの面白さはもとより、標題の頁に描かれた絵と本文の中ほどにある2つの絵に目を惹かれた。『貝の火』には、「まへがき」(『注文の多い料理店』序・大正十二年十二月二十日)と7編の童話があり、それぞれの童話の標題紙の頁と童話の中ほどに佐伯さんの挿絵が1点あるのだが、「どんぐりと山猫」だけは童話中に2点の挿絵がある。
標題紙の絵は、一郎が大へんな急坂をのぼって行き着いた、立派なオリーブ色いろの榧(かや)の木のもりでかこまれた美しい黄金(きん)いろの草地だと思われ、山猫を真ん中にして3人がならんで立ってこちらを向いている。
本文の中の絵の一枚は、笛ふきの瀧のそばの木立の中を歩く一郎、学帽をかぶり半ズボンだ。もう一枚は、走る馬車の後に乗ったやまねこ、両耳をピンとたて大きな鋭い目で進行方向をみつめている。馬車別当は右手にむちを高く振りあげている。
朗読の会が終わってから、あらためて7つの童話を最初のから読み始める。一番目は「猫の事務所・・・ある小さな官衙(かんが)に関する幻想・・・」。標題の頁の挿絵には、事務長の黒猫のうしろの窓からいかめしい獅子が大きな金いろのあたまをのぞかせている。猫の第六事務所のなかでは5人の猫が前を向いたりうしろを向いたり横を向いたりして並んで立っている。右端で両腕を泣いている目に当てているのは四番書記の竃(かま)猫だ。まだ獅子には気づかない猫たちの真ん中で、獅子の方を向いているのが事務長の黒猫、それでは竃猫を泣かせた一番書記の白猫、二番書記の虎猫、三番書記の三毛猫はどれだろう。
読みすすめていくと、猫の歴史と地理をしらべる猫の事務所の扉をこつこつ叩いてやってきたぜいたく猫の質問に4人の書記の猫が次々に答えていく。一番書記、二番書記、三番書記についで四番書記が答えはじめる頁をめくって、思わずアッと驚いた。その半頁に描かれた挿絵はーーー「大きな事務所のまん中に、事務長の黒猫が、
まつ赤な羅紗(らしゃ)をかけた卓を控えてどつかり腰かけ、その右側に一番の白猫と三番の三毛猫、左側に二番の虎猫と四番のかま猫が、めいめい小さなテーブルを前にしてきちんと椅子にかけてゐました。ーーーを描いたものだった。私が驚いたのは、なにか見覚えのある絵だと思われたからだ。
その後、何日かかけて、整理など無縁の資料の山の中から一枚のチラシがでてきた。
チラシのタイトルは
雨ニモマケズ風ニモマケズ
第2回 宮澤賢治朗読リレー
●2005年5月14日(土)・午後2時ヨリ
能登川図書館野外ニテ〈雨天ノ時ハ会議室ニテ〉 朗読の出演者募集
🦉童話の朗読と鳥井新平さんの「短歌をうたう」があります。
※佐伯義郎・画と記されたチラシの絵は、本に描かれた絵の一部が省略されている。(左側の壁面や書記のテーブルの手前の門扉など)
ああ、これだったんだ!復刻版のこの本からだったのか。佐伯さんのお名前を記憶にとどめず、この絵だけが私のなかに刻まれていた。
このチラシは手書きで書かれている。宮澤賢治朗読リレーの提案もこのチラシ作りも、新平さんの(賢治の)「短歌をうたう」の提案もぜんぶ田中武さんの提安、作成だったと今にして思う。(私はそのことをすっかり忘れていたのだが)
〈疑問;チラシには白猫が座った椅子のうしろに、「茨木小学校」とあるが、これはなんだろう?ナンデスカ田中さん?〉
・第2回ということに、そして日付が2005年5月14日ということに驚かされた。
私は”朗読リレー”については1回だけだと思っていた。それも実際にそれが行われたのは、能登川で「宮澤賢治学会の地方セミナー」(2004年5月1日)を開催した前のことだと。それを2回やっていたのだ。しかも2回目は地方セミナーを開催して1年後のことだった。私自身、図書館の玄関前の広場での朗読リレーに参加したことを憶えているのだが、あれは第1回目の朗読リレーだったのか。そうだとすると、2004年5月1日に能登川で開催した宮澤賢治学会地方セミナーの前に第1回の朗読リレーを開き、その参加者の大半が、地方セミナーの会場で行った”群読『雨にも負けず』”にでてくださったのだと思う。「辺境で診る、辺境から見る」をテーマに中村哲さん、井上ひさしのお話、対談を核に、4時間に及ぶプログラムの最後に、「参加者との対話・質疑」が行われたが、司会者から「最期の質問者です」と言われ、会場で手をあげられたのが、田中武さんだった。能登川という町の紹介から始まる田中さんの問いかけ、そして中村さんの応答の様子、セミナー全体の夢のような時空が、ある方のお力で記録に残され、今も見ることができます。【「図書館の風」No.49-(2)/ www.kazedayori.jp No.49-(2)】田中さんの声、お姿、そして
この度は中村哲さんから「お聞きすることは全て聞きました」と言われた井上ひさしさんとのやりとりも見ていただければと思います。「開会の辞」で「イーハトーブ童話『注文の多い料理店』序」を朗読して下さった仙台から参加された扇元久栄さんの声にも耳をすましていただければと思います。
また、田中武さんが作った「朗読リレーのちらし」のなかにある”鳥井新平さんの「短歌をうたう」”を、”井上ひさし『なのだソング』”とともに見ることもできます。
☆ 田中さんから驚かされたことがいくつも思いうかぶ。
ある時、毎日新聞の記者の元村有希子さんから図書館に電話があった。多分、東京からだった。取材したいとのお話だった。その時は私はまだ元村記者について、しっかり認識していなかった。しかし田中さんは元村さんの書く記事に注目されていたのだと思う。「どうして取材を」とお聞きしたのだったか、「田中さんから能登川の図書館を取材してほしいと連絡が」とのことだった。電話でか、あるいは手紙でか、そのような思いもよらない田中さんの行動に驚いたが、それに応えて動く元村さんの振舞いにも驚いた。取材は図書館でと考えていたが、日程の調整から、京都で前年の7月に亡くなった鶴見和子さんを偲ぶ会に私が京都に行くことにしていた日に、その会が終わったあと、その会場で取材をということになった。
毎日新聞の「発信箱」という欄に「いのち響く図書館」(元村有希子・科学環境部 )という記事が載ったのは2007年(平成19年)6月7日(木)、 能登川図書館の前庭で「第2回宮澤賢治朗読リレー」が行われて2年後のことだった。
田中さんは私にとって元村有希子という記者に対して目を啓いてくれた人だった。それは一人の新聞記者、個人に向きあう、あるいはその声、記事に耳をすますということでもある。
〈元村有希子さんの記事〉
☆その頃のことだったか、鶴見和子さんといえば、田中さんの南方熊楠の作品を、南方熊楠についての著書のある鶴見和子さんに贈られ、その作品が鶴見さんのお部屋に飾ってあるとお聞きしたことがある。田中さんは会いたいと思う人には、会いに行く人だった。ほんとうに鶴見和子さんの所に会いに行かれたのだ。
いつだったか、田中さんの作品展が東近江のあるお寺(だったと思う)であった時出かけていったことがある。田中さんの作品の前にたつと 、朗らかで温かな光のようなものにつつまれるようだった。その時、その底に静かな悲しみのようなものを感じていたように思う。 鶴見和子さんのお部屋の壁にある南方熊楠はどんなものか、時折、思いをめぐらせている。
☆彡 田中さんへの報告
昨年の冬、田中さんが力をつくして取りかかっておられた作品展が、ご家族の協力のもと、GENzaiの中山夫妻のお力で実現し、今年の2月14日(金)から2月24日(月)までギャラリーGENzaiで開かれました。残念なことに私は駆けつけることができなかったのですが、私の若き友が、なんとGENzaiを2回にわたって訪ね、”田中武展”のこと、会場の佇まいのことを伝えてくれています。そして止揚学園を訪ね、なんとなんと、奥様にお会いして、そのお話をきくこともできました。さらに田中さんの作品がある近江八幡のカフェ茶楽も訪ねていて、そこでも私にも連なる不思議な出会いをされています。〈あざみ寮・もみじ寮、ゆかりの方との出会い!〉そして彼の歩みは止まることがありません。
彼は糸島に移り住んで一年ですが、私にとって思いも寄らぬ出会いを授かったと感じる人です。このようなことがあるのですね。彼には田中さんと共通点があることに、ここまで記して思いあたりました。それは彼も、会いたい人があれば、ほんとうに会いにいく人だということです。そのような人と出会えたのです。彼の歩みを通して田中さんと再びお会いしていると感じています。〈つながる出会い、広がる出会い、深まる出会いの人〉
さいごに、田中さんにお許しいただきたいことがあります。先に、田中さんの作品の前に立った時に、私がつつまれた光のようなものについて触れましたが、その一端なりをお伝えすべく、田中さんが昨年、送ってくださった賀状(2024の新年の賀状)をここに刻むことです。毎年毎年、新しい年を迎えるその日に、このような朗らかで明るい光に、私たちがつつまれていたことへの感謝の思いをこめて。(2025.4.17記)
2025年3月8日土曜日
坂口恭平展ご案内 東近江で No.134
「坂口恭平展 僕の好きなもの」が、滋賀県東近江市五個荘で開催されている。
まずは、GENZai(ギャラリー/ショップ/喫茶)のちらしから。
会期:2025.3.1sat~3.18tue; 11:00~17:00。
会期中の休み:5.6.12.13 。
場所:〒521-1441 滋賀県東近江市五個荘川浪町732-1.
11時~17時(喫茶L.O.16時半)TEL0748-26-5110
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
長年楽しみにしていた坂口恭平さんの個展を開催します。
パステル画を中心に、油彩、水彩、木工、編みものなど
多岐に渡った作品が並ぶ予定です。 心がふわっとほどけるような作品たち。
ぜひこの機会にお楽しみください。
〈プロフィール〉
坂本恭平/1978年熊本県生まれ。2001年早稲田大学理工学
部建築学科を卒業。作家、画家、音楽家、建築家などその
活動は多岐にわたる。また自ら躁鬱病であることを公言。
2012年から死にたい人であれば誰でもかけることができる
電話サービス「いのっちの電話」を自身の形態電話で続け
ている。
2023年2月には熊本市現代美術館にて、個展「坂口恭平日記」
を開催。著書は45冊にのぼる。
《坂口恭平さんからの、チラシでのことば》
いろいろ毎日大変だったり元気に過ごせたり、
外に向けて駆け回ったり内面をじーっと長い時間見てたり、
毎日で出会ったものを僕はいつも植物採集するようにスケッチしてます。
そんなあれこれを持っていきます。
みなさんの心が少しでも穏やかになったら100点満点です。
オープニングには顔を出そうと思っているので、お会いしましょう。――――――――――――――――――—――――――――――――――――
【アクセス】
車 :名神高速八日市ICより車で23分。
電車:JR能登川駅より近江バス「八日市駅行」
バス停「川並」で下車、徒歩5分程。
駐車場:店舗内敷地は6第まで。集落内は道路が細いため
「五個荘観光センター」の無料駐車場をご利用ください。
徒歩5分程。
なお、すでに終了しましたが、3月1日(土)夜には、
「坂口恭平 歌会」が開かれました。
坂口恭平さんの本との出会いは、2007年5月に糸島に住み始めてからのことだ。私にとって嬉しい著者との出会い。その著書は
もとより、その生き方にいつも心響くものを感じている。熊本の橙書店、今は亡くなられた渡辺京二さん、石牟礼道子さんの
気配が坂口さんんから伝わってくるのも、さらにうれしいことだ。
その坂口さんの個展とお話が東近江の五個荘であるとは!
—――――――――――――――――
GENzaiとのご縁については次回に。
sakaguti
2025年2月1日土曜日
「谷川俊太郎さんからの贈りもの」 No.133
年はじめ、1月、2月のノドカフェへの出前の本は、谷川さんを追悼し、感謝の思いを胸に
「谷川俊太郎さんからの贈りもの」としました。ご案内の葉書を下記のように記しました。
出前の本の話のお知らせもそこに記しています。
谷川俊太郎さんからの贈りもの・悼詞
――出前の本の話・1月29日――
年はじめ、新年1月と2月、ノドカフェへの出前の本は、
「谷川俊太郎の世界」です。
最初に谷川さんの本が私の中にとびこんできたのは、子ど
の本を通してでした。『けんはヘっちゃら』から始まり、『こ
とばあそびうた』を手にしたときの驚き、『わたし』、『詩って
なんだろう』、ジョン・バーミンガムの翻訳絵本の一冊一冊を
子どもたちとともにどれほど楽しんできたことだろう。『ピー
ナッツ』の翻訳も。乾千恵さん、川島敏夫さんとの書の絵本
『月人石』はいつも傍らにある。
耳を澄ませてそのコトバにききいる詩、声をだすことの喜び
を退官する詩、生きるということを深く感じかえりみる詩、
そして・・・。詩だけではない。エッセイの面白さ、その数々。
出前の本の話は今回は1月の末ちかくに、下記の題で。鶴見俊輔
さんとの対談『人世相談』の話も。
★出前の本の話:日時:1月29日(水)11:00~12:00
「谷川俊太郎さんからの贈りもの・悼詞」
場所:ノドカフェ(糸島市前原中央3丁目18-18、2F
連絡先――
2024年10月16日水曜日
京都からの嬉しい知らせ No.132
京都、論楽社の虫賀さんから、うれしい便り。そしてある新聞記事が同封されていた。
数か月前にいただいていたものだが、ここで紹介させていただきたい。
2024年6月21日(火)の京都新聞。
筆者が変わりながらの、あるいは同一著者による連載エッセーだろうか。
”季節のエッセー”とあり、今回のタイトルは、
「箱の中で」、筆者は雛倉さりえ(作家)とある。
書き出しは、「仕事柄、図書館を頻繁に利用する。」で始まり、雛倉さんがこれまで利用してきた大学
図書館や各地の公立図書館の名前が次々に挙げられている。そして、「けれどもし「理想の図書館は?」
と問われたら、私は迷わず「能登川図書館」だと答えるだろう」との言葉に驚いてしまった。
雛倉さりえさんについて私はまったく知らないでいた。公開されているプロフィールをみると、1995年滋
賀県の生まれ、作家デビューは1913年、16歳の時だとある。私が滋賀県能登川町に行ったのは1995年4月、
町に図書館開設のための準備室が開設された時だ。能登川町立図書館は2年7カ月間の準備期間を経て、
1997年11月に開館した。(人口2万3千人、図書館正規職員7,うち司書6.博物館、学芸員2)
エッセーの文章によれば、笹倉さんが生まれた年に、私は能登川に行き、彼女が2、3歳の時に図書館が開
館している。お住まいからは徒歩で5分の所に図書館があり、「親に連れられ、時にはひとりで幼少期から、
数えきれないほど通ってきた。子どものころは週末に催される読みきかせと折り紙の時間をいつも心待ち
にしていた。」というから、私も職員と交代で行っていた読みきかせで幼い彼女の前に立っていたかもし
れない。私は2007年3月末、雛倉さんが小学5,6年生の頃に退職しているので、先の文章に続く次の場面に
は立ちあっていない。
「中高生になると中庭に面したしずかな席で一日じゅう本を読んだり、小説を書いたりして過ごした。これ
ほど通っているのに、書架のあいだを散策しているとかならず読みたい本が見つかることが、いつも不思議
だった。」そしてタイトルの「箱の中へ」が明かされていくのだが、末尾には「あのころ図書館で書いた小
説が、今年文庫化された、願わくばどこかの図書館の片隅で、だれかを守る小さな箱になればいいと思う。」
とある。まずは何か一冊読んでみたい。
著書を調べてみると
・「ジェリー・フィッシュ」 新潮社 2013
・「ジゼルの叫び」 新潮社 2017
・「もう二度と食べることのない果実の味を」 小学館 2019
・「森をひらいて」 新潮社 2019
・「アイリス」 東京創元社 2023
・「青がゆれる」 東京創元社 2024
2024年10月14日月曜日
乾千恵・17のピアソラ・タンゴ展のご案内(大阪・島本町)No.131
乾千恵さんには、『乾千恵の画文集 7つのピアソラ』の著書がある。2006年2月、岩波書店から
出版されたもので、帯には「音楽が見えてきた———―10年かかって描いた10枚の絵と、ピアソラへの
情熱をこめたエッセイ」と記され、司修さんの「心の詩(うた)を感じます 言葉にならない歌を感じ
ます」の言葉が添えられている。
また「あとがき」には、千恵さんの「絵」の由来と、この本が生まれた経緯が書かれている。
「ピアソラは、とんでもない人である。『タンゲディアⅢ』で魂をひっつかまれてから10年ほどにな
るが、おつき合い(?)が続けば続くほど、「すごい人だなぁ・・・」という思いが強くなる。型破り
の音楽で人を魅了し、私の中に次々と「絵」を見せたばかりか、マグマのようにたぎる熱意は、彼の音
楽が「好きでたまらない!」と思うもの同士を、劇的に、しっかり結びつけてくれる。
この本には、2種類の「出会い」のことを書いた。ピアソラの音楽や、そこから立ち現れる「画像(イ
マへネス)たち」との、内なる遭遇。そして、その音楽を通して知らぬ間に広がっていった、ひととの
「出会い」だ。
〈ピアソラをめぐる物語〉は、まだこれからも私の中で続いていくだろう。天にいる彼に向かって、あら
ためて大きな声げ呼びかけたい。「ムチャス・グラシアス!(本当にありがとう!)」
・・・・・・・・・・・・
この10年の間、「ピアソラの絵」が頭の中に現れるたびに、拙いながらも無我夢中で描いてきた。
突き動かされるままに文章も書いた。
思いがけなくそれが、私の敬愛してやまない画家の司修さんの目にとまった。「これはぜひ本にしましょ
う!」と熱をこめて言って下さったことから、この1冊が生まれることになった。装丁やデザインを手が
け、ことばを寄せて下さった司さん、そして編集の川上隆志さん。思いと力を注いで下さったお2人に、
厚くお礼申し上げたい。
また、私の拙いスペイン語の手紙に応え、見返しへの『ミケランジェロ70』の楽譜の掲載を快く承諾し
て下さったピアソラ氏の夫人、ラウラ・エスカラーダ・ピアソラさんにも感謝を捧げたい。」
ーーー(以上、「あとがき」の一節より。)
ーーーーーーーーー
9月の半ば、島本町から心躍る便りがあった。美しい『17のピアソラ・タンゴ』展の案内が同封されてい
た。なんと『7つのピアソラ』出版後も、「延々と画像は湧く。そして今回の『17のピアソラ・タンゴ』
展となった」というのだ。
まずは、横長の葉書(11×22.8㎝)の両面に記された案内から。
17のピアソラ・タンゴ 音楽が見えてきた ~ 乾 千恵の世界 ~
*2024.10.6(日)~11.30(土)、10:00~21:00
(土:~20:00,日・祝:11:00~19:30)
会場 長谷川書店 水無瀬駅前店(阪急 京都線「水無瀬」駅前)
・・・電話:075-961-6118・・・・・・・・・・・・・・
この面には、3つの「絵」を掲示。
①「ロコへのバラード」街を闊歩する男の幻 ②「アサバーチェ」アフリカへの遥かなる憧れ
③バンドネオンとオーケストラのための三つのタンゴ。
・・・・・(そして、もう一面には)・・・・・
17のピアソラ・タンゴ 音楽が見えてきた ~乾 千恵の世界~
子どもの頃から親しんできた大好きな長谷川書店での展示。
店内のあちこちで、本に囲まれて絵が佇み、「歌って」います。
・・・・・・・
たまたまラジオでピアソラのタンゴを耳にしたのが、運命の
出会いだった。斬新で荒々しく、鋭く哀しい曲の数々に心掴
まれ、憑かれたように聴き続けるうちに、その音楽から、色や
形、動きを伴った画像が、頭の中に見えてきた。曲と鮮やか
に浮かぶイメージとに『さあ描け!』と迫られ、無我夢中で絵
にしてきた。画文集『7つのピアソラ』出版後も、延々と画像は
湧く。そして今回の『17のピアソラ・タンゴ』展となった。
ピアソラからの熱きパワーが、少しでもつたわりますように。
(乾 千恵)
・・・・・・・
ちえさんの新しい世界。いいなあ
絵による新しい言葉。心が爆発しているような情熱が感じ
られるのに、フクロウの飛翔のように静かに飛んでいる神秘。
司 修
・・・・・・・
【乾 千恵 プロフィープロフィール】
絵や書、エッセイや物語をかき、語りをし、音楽や芸能、美術や人々の暮らしを
訪ねて、国内や海外各地を旅してきた。著書に『7つのピアソラ』(岩波書店)
『月人石』『たいようまでのぼったコンドル』『さかなまちいきでんしゃ』
『おじいちゃんのいるトラのいるもりへ』(ともに福音館書店)などがある。
(以上、案内状より。)
・・・
案内状を見てあっと、驚かされました。2つのことに。
1つ目は、『7つのピアソラ』が2006年に出版されたあとも、18年が経ちます
が、ピアソラの音楽から千恵さんの中に画像が延々と湧き、それを「絵」にしてき
たと知らされたからです。それはいかにも乾千恵さんの生き方なんだと、その生き
方をずっと続けておられることに。
私は能登川の図書館での出会い以来、乾千恵さんから数えきれないほど、かけがえ
のない時空を授かってきました(天からの贈り物ような)。
私が滋賀に行く1995年4月より以前のことですが、かつて八日市市立図書館(現・
東近江市立八日市図書館)で、千恵さんが『100万回生きたねこ』の語りをされ
ていて、その時の活動の記録を、同館発行の「筏川」に載せた際、そのタイトルを
「乾千恵の生き方」としていました。後年それを見て、私は実に的確な表現だと感
じ入ったことがありました。一つひとつの想いを形にしていく千恵さんの生き方を
知り、想い深く生きるということ、思いの深さがその思いを形に、現実のものにし
ていくのだと、思い知らされていた私は、「乾千恵の生き方」というのは、まさに
私が感じていた乾千恵という人の在り方を指し示すものだと思ったのです。
・・・
2つ目の驚きは、『17のピアソラ・タンゴ』展の会場が、長谷川書店 水無瀬駅前
店となっていたことです。しかも案内状によると、長谷川書店は千恵さんが子ども
の頃から親しんできた大好きな書店であると知って、びっくりしました。
2か月前の8月、私はとても面白い本に出会いました。
『しぶとい十人の本屋――生きる手ごたえのある仕事をする』朝日出版社、著者の
辻山良雄さんは1997年にリブロに入社、全国各地での勤務を経て、2009年より池袋
本店のマネージャー、2015年7月リブロ池袋本店が閉店した後、退社。そして、2016
年1月、東京の荻窪に新刊書店”Title”を開業された方です。
私はその年の夏、東京の吉祥寺にあるひとり出版社・夏葉社を訪ねました。その前
年、偶々手にした『小さなユリと』(黒田三郎)で初めて夏葉社を知り、それを機
に、代表の島田潤一郎さんの本、夏葉社の本を読むようになり、いつか同社を訪ね
てみたいとの思いが生まれました。驚いたのは同社から、『移動図書館ひまわり号』
が復刊されたことでした。筑摩書房版は持っていましたが、これはぜひ夏葉社を訪ね
て、復刻版を求めようと考えたのです。
夏葉社の佇まいと島田さんのお仕事ぶりは深く心に刻まれるものでしたが、『移動
図書館ひまわり号』復刻版の購入のお願いをしたところ、島田さんは、「それなら
今年、開店し、京都の誠光社とともに今、注目されている荻窪の”Title”で購入を」
と、Title 書店のことを教えてくれました。早速、Title に行き、その本を買うこと
ができました。同書店の印象は、何より棚にある本の面白さ、興味深い本が一冊一冊
あるということでした。ワクワクする本棚!こんな本屋が福岡にあればと思いました。
(糸島からは少し遠くてしょっちゅう行くことはできませんが、福岡市にはブックキ
ューブリック、うきは市にはMINOU BOOKSという楽しみな本屋さんもありますが)
Title では、2階のギャラリースペースは、その時はやっていませんでしたが、とて
も興味深く思いました。残念だったのは、奥の喫茶スペースを利用しなかったことで
す。ともあれ、以後、Titleの辻山さんの本は、目につく限り手にしています。
・・・・・
それで、『しぶとい十人の本屋――生きる手ごたえのある仕事をする』です。この本
は、Titleを始めて7年経ち、あらためて本屋という仕事のあり方、生きる手ご
たえのある仕事のあり方を辻山さん自身が自らに問うとともに、辻山さんの心に響く
仕事ををしている9人の本屋を同行者の さんと共に訪ねて、(辻山さんをいれて
タイトルの「十人のしぶとい本屋」)その問いを根柢において、9人の本屋さんと語
りあったものです。
このような本屋さんがあるのか、こんな取り組みがあるのか、こんなことを考えてい
る人がいるのか。一人ひとりその生き方に思わず耳をすませます。こんな本屋さん、
訪ねてみたいなと。
そして驚いたのが、9人の本屋の一つが長谷川書店――乾千恵さんが子どもの頃から
親しんできた、大好きな本屋さんだったということです。
同書では、「4.ほっとけない みのるさん 長谷川書店 長谷川稔さん」の章で描
かれています。
「町の本屋さんが、心をこめて準備」された、”17のピアソラ・タンゴ”
展にようこそ‼
私も11月の半ばころには、駆けつけたいと思っています。
(さいごに)乾千恵さんのことを御存じない方に、あらためてご紹介するために、
『乾千恵の画文集 7つのピアソラ』に、司修さんが、『7つのピアソラ』に寄せて、
の文章を記させていただきます。
「乾千恵さんは、ユニークな書をかいてきました。「馬」であれ馬が疾走するような文
字になり、「遊」であれば人々が楽しげに踊っている文字になり、「山」であれば樹木の葉
ずれや鳥の囀りが聞こえ「梟」であれば目の輝きと風の音が聞こえます。「月」は笑い、
「石」はしゃべり、「音」は音楽が聞こえていました。
その千恵さんが、石のように黙ったりしゃべったり、梟のように歌ったり、月のように
微笑んだりしながら、ピアソラとの出会いを絵に描いていました。書のように自由にな
らない色鉛筆を、何回も重ねて、ピアソラの音楽を絵にしていたのです。
ここに収めた絵は、10年の歳月を費やしてます。もちろん旅行をしたり、ブランク
があったり、書をかいたりしながらでしたが。
ここまで書いて、千恵さんに電話をしました。すると、いままで心にありながら描けな
いでいた4つの絵が、千恵さんの手に、目に、空間に、府でに、絵の具に、染み出
る清水のように、千恵さんのイメージは透明です。
ずっとずっと前に、車を運転しているとき、カーラジオかr聞いた音楽、その作曲者が、
ピアソラでした。ピアソラはパリの音楽院で、作曲した楽譜を先生に差し出しました。
すると女先生は、あなたを感じないと、いいます。それでピアソラは、ブエノスアイ
レスのタンゴについて語ります。ダンス音楽でしたから少し恥ずかしかったようです。し
かし先生は、それこそあなたが大事にする音楽だというのでした。ピアソラは西洋音楽へ
の願望をタンゴに移していったのです。ラジオのそのような話を聞いてぼくは感動しまし
た。それからずっとピアソラの音楽を聴くようになっていたのです。
千恵さんとピアソラとの出会いも、ピアソラとぼくの出会いも、千恵さんとぼくの出会
いも、偶然のようでいながら、どこかで繋がっていたように思います。
司 修
2024年8月27日火曜日
岡部伊都子さんと沖縄 (出前の本の話・9月)No.130
9月と10月、ノドカフェへの出前の本は「岡部伊都子の本」
です。若い時分から、「私はね、学歴はないけど病歴はた
んとありまっせ」と、学歴ではなく病歴の中で思考、考え
を深めて生きた随筆家、岡部伊都子さんの本の数々です。
1954年(昭和29年)、ラジオ・エッセイ「おむすびの味」
で執筆活動に入り、2006年、83歳の時の『清(ちゅ)らに
生きる』まで、134冊の著書が読者の前にあります。
岡部さんとの最初のご縁は、私が初めて沖縄を訪れた1975
年(昭和50年)の9月だったか、沖縄本島、伊是名、石垣
島を経て竹富島に向かったことからでした。島内に文庫が
あると聞いて訪ねたのがこぼし文庫でした。岡部さんが
京都から本を送られていたのです。
その時まで私は岡部さんのご本を読んだことはありません
でした。お名前を心に刻んで文庫をあとにしました。
後に岡部さんとお会いする機会を授かり、能登川の図書館
で講演や写真展をお願いすることになろうとは知る由もな
いことでした。
出前の本の話は、「岡部伊都子さんと沖縄」と題して9月
4日(水・11時~12時)に行います。
場所は ”ノドカフェ”です。
(糸島市前原中央3町目18-18、2階)
連絡なしで、当日のご参加もできます。
2024年6月30日日曜日
[『イシ』をめぐって(出前の本の話)7月 No.129
7月と8月、ノドカフェへの出前の本は「『イシ 北米最後の野生インディアン』と
アメリカ先住民の本」です。今回の出前の本の大半は前回に続いて、「梅田文庫」
からのものです。
出前の本の話は7月3日(水)、「『イシ 北米最後の野生インディアン″(シオド
ア・クローバー)をめぐって』です。この書の3年後の1964年に書かれた『イシ―
二つの世界に生きたインディアンの物語―』(シオドラ・クローバー作)の2冊の
本を柱に、「イシが伝えてくれたこと」(鶴見俊輔)、『ナバホへのたましいの旅』
(河合隼雄)などについても触れたいと考えています。
出前の本の話:7月3日(水)11:00~12:00
場所:ノドカフェ(糸島市前原中央3丁目18-18,2F)
連絡先―才津原(☎090-5045-2559)
※連絡なしで、当日のご参加も‼
登録:
投稿 (Atom)