2007年から糸島に移り住み、思いを同じくする人たちと「としょかんのたね・二丈」を始め、志摩地区の「みんなの図書館つくろう会」、二丈深江地区の「糸島くらしと図書館」の人たちと共に、糸島のより良い図書館づくりを目指して活動してきた。「糸島の図書館は今、どうなっているのか」、糸島図書館事情を発信し、市民と共に育つ糸島市の図書館を考えていきたい。糸島市の図書館のあり方と深く関わる、隣接する福岡市や県内外の図書館についても共に考えていきます。
2021年8月6日金曜日
身辺雑記・・・入院・退院、その後のこと No.76
前号で7月1日早朝、救急車で搬送され、脳梗塞で入院、13日に退院したことを記した。
この間、コロナ禍のため面会はできないものの幾人もの方たちから心こもるご連絡をいただいた。
深い感謝の思いをこめて、このひと月の報告です。(ノートより)ーーー
7月1日、5時起床。前日、就寝時右手首の中指、薬指、小指が折れ曲がった状態になり、うまく伸ばせない。
朝まで様子をみようとそのまま床についたが、目がさめても状態は変わらず。7時前に救急車をよぶ。入院に
なると思われたので、本棚から小さな冊子3冊をカバンに。(『もうろく帖』鶴見俊輔、他)消防署の方の素
早い親身な対応が心に響く。同乗した家人の希望で福岡市内の九州医療センター(国立病院)に。消防署の隊
員の方と病院の先生とのやりとりが耳に。脳梗塞・・・。MRI検査のあと病室へ。(救急病室、4人部屋)
ーーーーーー
病室は4人部屋の救急病室、それぞれカーテンが引かれている。自分の体の状態がどんな状態か、何ができなく
なっているかを知るてがかりにと思い、小さな手帖(新潮社のマイブック2021の記録)に、日々のことを書くこ
とを思いたつ。といってもまずペンを今までのようにもつことができない。症状は右手首より先、中指、薬指、
小指が曲がり、人差し指がまっすぐ立って、左手で人差し指を折り曲げないと曲がらない状態となっている。
後々わかってきたことだが、脳梗塞では言語障害や運動機能の障害で歩行困難になることも少なくなく、そうし
た中では、会話ができ足も今のところ機能障害がみられないのは、まだ軽い症状だと思われた。とは言え、右手
だけではボールペンをもつことができない。左手の助けをかり、右手の親指と中指でぺんをもたせ、そして自分
の意思では曲げられない右手の人差し指を、左手で押し曲げてペンの上にのせ、やっと文字をかける体勢となる。
これまで無意識で考えることなくやっていた作業が、どういう1本1本の指の動きで行われていたかを身をもって
しらされる。ーーーーー
そうやってノートに書いた字は、最初の文字はともかく2つ目の字から何と書いているのかわからない。人差し
指をペンの上にそえていたのだが、いざ書こうとすると人差し指がうきあがり、ボールペン自体がゆれて動いて
しまう。ぺんをもつ指がふるえて字になっていない。それでも続けてやっていると、判読しがたいペンのあとが
続くものの少しずつ読める字が。朝昼夜3回の食事のこと、頭は60度以内にして高くもたげないこと。
『もうろく帖』を読み始める。文庫版の大きさ、その内容、1ページに数行の言葉、鶴見俊輔さんが引用したも
のや鶴見さん自身のその時々の言葉。
小水ようの便器、常時そばに。21時半が消灯だったが、夜半、未明にかけ
て、同室の患者さんへんの対応で何度も出入りする看護師さんの気配があった。ーーー
7月2日(金)、2日目。ーーーーー
まだ辺りが暗いなか目が覚めていたが、6時、看護師さんがきて血液検査のため血をとる。朝食後、担当医の先生
から、今の状態、今後のことについてていねいな説明をうける。ーーー
今日から看護師さんたちのお名前や仕事のことを少しお聞きしてノートにつけることにする。自分の症状の確認、
字をどれだけかけるか、ということと、昨夜来の看護師さんたちの仕事のされ方に驚かされたからだ。同室の患
者さんは一人ずつ症状もちがえばそのふるまいも違っている。苦しくて時には穏やかでない言動もある。繰り返
し繰り返し訴える方もいる。そんな中で、看護師さんそれぞれの言葉つかいで、それぞれの患者に心こもった温
かな対応をされていることに驚かされた。5年前96歳で亡くなった母は晩年いくつかの病院や施設でお世話になっ
たのだが、どの病院でも懸命に患者に向き合う看護師や医師の方がおられたのだが、それでも病院によって、何
か空気が違うと感じるものがあった。その病院の患者にたいする姿勢、考え方がそこで働く職員全体で共有する
ものとなっているかどうか。まだ一晩過ごしただけだけれど、プロとしての仕事に感謝と驚きの思い出最初の夜
をベッドで過ごした。ーーーーー
(リハビリ始まる)
有り難かったのは国立病院であるこの病院にはリハビリのための3人の先生がいたことで、入院して2日目からそ
れぞれにベッドのところまで来てリハビリの指導をしてくださったことだ。言語聴覚士、運動(療法)、作業療
法士(5日から)。ーーー
『もうろく帖』から、孫引き。
「七十五年は、あっという間。一日はゆっくり」(1998年6月11日)ーーーーーー
「とどかないと知って とどくにかける」(2000年1月29日)ーーー
「失敗から自分の道をさがす」(2010年2月3日)87歳 ーーーーー
ーーーー〔家から差し入れ、西新から歩いて〕ーーー
消灯後、目が覚めた時間。23:30、1:30、3:00、4:30、6:00ーーー
7月3日(土)
未明の時よりベッドでリハビリ(指を動かす)、驚いたのは昨日習った指の動かし方をやっていたら、曲がってい
た右手の3本の指が伸ばして広げることができるようになったことだ。
この日から看護師や職員の方が来た時、名前と職員になっての年数、夜勤が月何回かを聞きメモをする。
(言語聴覚士・リハビリ)①線をひく②ことば ③舌の運動、その他(資料)ーーーー
(看護師さんの勤務形態)
1.夜勤19:00~9:00、14時間、仮眠2時間?1か月に4,5回が多かった。
2.平常8:30~17:15
3.早出7:00~15:45
4.遅出13:00~22:00
※その後、夜勤明けの時に、どのように睡眠をとっているかをおききした。
①疲れてすぐ眠る ②夜になってから眠る。・明るいとなかなかねむれない。・生活のリズムとして。・・・など。
※ある講習会(8月3日)での講義を引き受けていたので、その講義概要と履歴書を震える手で書き、家人に清書し
てからの提出(郵送)をたのむ。ーーー
7月5日(月)
6:30ころ、リハビリをしていたら、人差し指の折り曲げができるようになった。ただ、午後のリハビリの時に右手
の握力をはかると、左手の半分くらい。
・入院してはじめてシャワーをあびる。
(病室から)(ある一角から)
7月6日(火)
救急病室から一般病室に部屋をかわる。(4人部屋)
シャワー(自分でノートに書いて予約できる)気持ちいい、いい気分。
作業療法士の先生より、「一日、一日よくなっている」
※点滴をはずす。(入院以来ずっと点滴、1袋で注入に半日)・シーツの交換。
看護師さんの聞き取り続ける。今年看護師になった人が6人いるようだ。みんな新人とは思えない仕事ぶり。
7月7日(水)
鶴見さんの本を読み終わり、吉田秀和『文学のとき』(白水ブックス 1994 新書版)より。
「情報」というものは、それを見、判断する「目」の有無で価値がまったくちがってくるのだ。本当の裏づけのない
情報にふりまわされてきたからこそ、ロシアのことがまるでわからなくなってしまったのではないか。その「目」の
役割を果たす強力な武器はやっぱり「文学」だ。文学者の発言は主観的であっても、凡百の客観的記述より深い真実
を表わし、より遠くまで届く視線となる。そして、ろしあは、いまも、すぐれた文学者に恵まれた国だ。たとえば
ブロツキー――。」
1階にローソンがあるのを見つける。(シャンプー、髭剃り)また、その近くに「患者図書室」があるのを発見。
7月8日(木)
リハビリの先生と国立国会図書館の「デジタル資料」の話。「ぼくの周りのスタッフに教えて回ります。ぜったい
知らない。」ーーー
その日初めて会った看護師さんの話。出産が間近。新任の看護師が5,6人いますね、という話から。5,6年で辞め
る人も多い。そういえば、これまで勤務年数を聞いてきて、長期の人がすくないように感じていた。夜勤を生活の
リズムにとりいれている人がいる中、それでも体がもたない、続けられないという側面もあるのではと思われた。
せっかくのやる気と貴重な深い経験を持ちながら、仕事をだれでもが続けていける労働環境の問題があるのではと思
えた。昔むかし45,6年前頃、印刷会社でアルバイトしていた時、印刷の色を調整する正規職員の人が、就職後5,6年
で数多い現場にであったことがある。工業高校の印刷の課程を卒業した人たちだったが、残業や休日勤務がすさまじ
く、身体がもたない現場だと思ったことを思いだした。看護師さんたちのプロとしての仕事ぶりに身をもって接して、
ひとりひとりが働く環境に目をこらさざるをえない。
「患者図書室」発見
・1階の「患者図書室」へ。本は全部で1400冊くらい。1週間3冊まで借りれる。村上春樹の本はこれまで紀行文やエ
ッセイ、『アンダーグラウンド』しか読んだことがなく、小説は1冊も読んだことがなかったので、目にとびこんでき
た『ノルウェイの森』上巻、そして重松清『きよしこ』、『脳を鍛える地図ドリル』成美堂出版の3冊をかりる。
7月9日(金)
昨日から読み始めた『きよしこ』、朝5時、灯りはまだつかないので、窓際で読む。
・リハビリの時間、握力をはかる。左手32.7k、右手26k。1週間前は右手16kだった。その後、右手は20kをきって
いる。
・電話があり、上五島の図書館のUさんと亡くなられた東京のOさんのことをお聞きする。20年近く前、能登川の図書館
に上五島からやってきた2人と京都の先斗町で、東京からきていた千葉さんたちの一行に合流したときの話。夢のような
一夜、出会いのこと(Oさん、Iさん、漆原さん)。千葉さん、Oさん、Iさんは今は亡い。Iさんは、他日東京から上五島
の図書館を訪ねられたとのことだった。
7月10日(土)
『きよしこ』読了
(一般病室から)
7月11日(日)
『文学のとき』・・・朝の明かりを待って・・・・
「ひとはいつか別れを経験する。それが生き別れであろうと死に別れでだろうと、別れは鉄槌のように心を打ちのめす」
『ノルウェイの森』上巻、一気に読了。
7月12日(月)
明日午前10時に退院することに。
4:50起床、リハビリをベッドで。リハビリの先生の指導は今日が最後なので、それぞれの先生から退院後、自宅で行う
リハビリでし方についてアドバイスをいただく。同室の患者さんと言葉をかわす。
「患者図書室」でさいごの貸出し。『ノルウェイの森』下巻、『脳を鍛える大人の音読ドリル』『図形で学ぼう大人の
ドリル』・・・・『ノルウェイの森』下巻、読了。小説の世界にひきこまれた。登場人物の一人ひとりが深い共感とと
もにたちあがってきた。
7月13日(火)
7時過ぎ、さいごの食事をいただく。入院以来今日まで朝昼晩といただいた食事のおいしかったこと。有りがたい食事
だった。この間、体重が3,4キロやせたようだ。
9時過ぎに担当医の先生から、現在の体の状態、退院後に注意すべきことについてお話があった。退院してから通院して
薬をいただく自宅の近くの内科医やリハビリに通うクリニックへの紹介状をいただく。こうして10時過ぎに退院、家人の
迎えの車で昼前に帰宅することができた。
以上、入院から退院までの日々の報告です。
退院のひの朝、4時過ぎに目ざめ、公衆電話があるところに置いてあった『皆さんの声シート』に次のように書いて投函
した。ーーーーーーーーー
「7月1日早朝、糸島から救急車で運ばれ救急病室に6日まで。そして7日からは一般病室でお世話になりました。今朝退院
しますが、この間、担当の先生、看護師のお一人お一人、お掃除の方や職員のみなさんに本当にお世話になりお礼の言葉
もありません。担当の先生(O先生)には随時ていねいでわかりやすい説明と相談にのっていただき、安心して今とこれ
からを考えることができました。また看護師のみなさんの患者一人一人への温かで心のこもった対応に心から感謝してい
ます。病院が掲げられている基本理念がみなさんのふだんの行動・態度となっていることに深く心動かされました。
リハビリの先生が、それぞれ専門を異にして3人いてくださり、適切な指導とアドバイスをいただけたことも、この上ない
ことでした。又、患者図書室を利用できたことも大きな喜びでした。本当にありがとうございました。3度の食事、とても
おいしかったです。(おかげさまで、以上、右手でかくことができました!)」ーーーーー
7月14日(水)
畑は草ぼうぼう。リハビリを兼ねて朝ごはんの前に草刈り機で草刈り。30分でくたくた。毎日少しずつやることに。
以後、時間を少しずつ伸ばして朝食前の草刈り。
7月18日(日)
入院前に田植えの手伝いにきてくれた樋本さんが、こんどは田んぼの草取の手伝いに。午前中、並んで草取り。
水路からの水が、道路の下の管を通って入るようになっているのだが、管に石や土砂、枯葉などがつまり田んぼに入って
来なくなった。このあと修復に何日もかかってしまった。
(管に詰まっていた石・・・)
以降、毎朝朝食前に草刈りの日々でした。
(7月21日 草刈りに応援が・・・)
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