2007年から糸島に移り住み、思いを同じくする人たちと「としょかんのたね・二丈」を始め、志摩地区の「みんなの図書館つくろう会」、二丈深江地区の「糸島くらしと図書館」の人たちと共に、糸島のより良い図書館づくりを目指して活動してきた。「糸島の図書館は今、どうなっているのか」、糸島図書館事情を発信し、市民と共に育つ糸島市の図書館を考えていきたい。糸島市の図書館のあり方と深く関わる、隣接する福岡市や県内外の図書館についても共に考えていきます。
2021年9月30日木曜日
9月の終りに 由布院ふたたび No.80
前々回のブログNo.78で、大分県由布院で発行された小さな冊子”ゆふいんブックレットvol.①”の紹介をした。
由布院のまちづくりの活動の要の働きをした中谷健太郎、溝口薫平のお二人の座談の場での語りの面白さにひきこまれ、そのまちづくりの手法、その考え方に思わず耳をすませた。続編が楽しみだ。
手元にあった『新版たすきがけの湯布院』(中谷健太郎 ふきのとう書房 2006)を再読。
15年前に出版されたものだが、2021年の今、各地で自分の住む地域を、住みやすく住み続けたい地と
すべく考え、活動している人たちにとって、「世界中の人が住みたくなる町を目指して、”たすきが
け”の疾走」を続けたその軌跡から学ぶこと、活動のヒントとなることが少なくないと思われる。
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『たすきがけの湯布院』(アドバンス大分』は、『月刊アドバンス大分』誌上で、昭和53年(1978年)
9月号から54年(1979年)12月号まで、13回にわたって連載されたものを、58年(1983年)に刊行され、
その後、永らく絶版となっていた。この書を「読みたい」という読者が多数いたため、その後の状況
を踏まえ、大幅な加筆修正を行って「新版」として2006年5月に刊行された。
同書のさいごに、”「新版」を出すに当って・・・・・”という作者、中谷健太郎さんの2006年5月に
記された文章がある。
「あッ、という間に歴史のページが手繰られて、去年(ニ00五年)の十月一日、「たすきがけの
湯布院」の「湯布院町」が自治権を失った。「町」の事を、自分で決める権限が、なくなったのだ。
「意見」があれば〈代議者〉を通して申し出よ」、禁治産者である。
私は怒っている。あんまり怒ったので、前よりも元気になった。元気になると、「何とかしようぜ」と
思い始める。すると疑問も湧いてくる。「どうしてこんな事になってしまったのか?」判らない。
一体、湯布院町って何者であったのか?
湯布院町がうまれたのは五十年前(1955・昭和30年)、「昭和の合併」の渦に乗って、隣村の湯平を抱
き取った、その時からだ。(由布院町・湯平町)その五十年のうちのほぼ四十年を、私は「湯布院町」
で生きた。東京から二十八歳で帰郷し、今年七十ニ歳である。そんな「ずぶずぶの湯布院人」にも、どうして町をこうなったのか、理由が判らない。ついこの間のことであるのに・・・・。
四十数年のうちの二十数年を、町と併走しながら書き留めた文章である。怒りに満ちて、ではなくて、
希望に満ちて……『たすきがけの湯布院』(一九八三年刊)。それを紐解いてみて感動した。
「われらの湯布院・青春挽歌」あるいは「歴史の火種を突っ走れ」「笑って砕けろ、由布院街道」。
みんな元気で、笑って走った。仲良く怒って、旅をした。汗だくで、泣きながら、懸命に駆け抜けた
町づくり二十年。そうだ、ココから始めれば、自立を取り戻せる。
湯平町と合併する以前の、目に見える「湯布院盆地」に、すっくと二本の足で立とう。「湯布院町創成
全期」に盆地お中を奔流した「独立自尊」の町民エネルギーを、もう一度、目をかっぴらいて見つめて
ほしい」
作者本人を23年ぶりの自著の再読で感動させたものは何か。『新版たすきがけの由布院』で確かめていただきたい。
【この項、つづく】
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